唐突な雲水の発言に、コーカも月も妙な顔をする。
一方の夏彦とつぐみは顔を見合わせた。
これを自分たちへの援護射撃、と考えていいのかがまだ見当がつかなかった。
「今の夏彦君の仮説が、悪くない、ですか?」
訝しげな顔でコーカが言う。
「ああ。無論、乱暴で歪ではあった。しかし、工夫されていたし、お前との問答で練られた。生徒会長、これくらいでよかろう。もし足りないならば、俺が司法会の長としての立場から頼もう」
夏彦からすれば意味不明な雲水の言葉。
だが、コーカはそれを聞いて苦笑すると、ぽりぽりと頭をかく。
「――仕方ありませんね。分かりました、今から他の五つの会、じゃなかった四つの会に能力者の問い合わせを要請しましょう。つぐみさん、あなたたち風紀会の方にも、休憩中の選手、運営、審査員への聞き込み捜査を含めたある程度の捜査の許可を出しておきます」
「は?」
「え?」
いきなりの展開に頭がついていかず、夏彦とつぐみはただただ立ち尽くす。
「他の会への問い合わせが本戦に間に合うかどうかは微妙なところですね。まだ休憩時間は残っています。つぐみさんは、今のうちに捜査をしておいたらどうですか?」
笑いながらそう言われ、夏彦とつぐみはもう一度顔を見合わせ、もうこの部屋ですることがないことに気づく。
「あ、あの……どうも」
戸惑いながらもつぐみは頭を下げて、
「ほ、本当に、捜査してもいいんですか?」
「もちろん」
対するコーカは大袈裟に万歳をするジェスチャーをする。
「構いませんよ。後からこの約束を反故にするなんてこともありません。信用してください」
「約束……そ、そうですよね、約束、してくれますよね、あたしたちが捜査をするのに協力してくれるって」
心細げにつぐみは言い募る。
「ええ、約束しますよ」
コーカがそう言った刹那、つぐみの顔ににやりとした邪な笑みが宿る。だがそれも次の瞬間には消えてもとの不安げな表情に戻る。
なんだ、今の?
夏彦はきょとんとしながらも、理由もなく背筋がぞっとする。
つぐみが、何か罠を仕掛けたのか? 勘がそう囁いている。
「あ、ありがとうございます」
深々とつぐみは頭を下げる。
あの一瞬の笑みなどなかったかのように。
そうして、夏彦とつぐみは部屋から退出する。
結局、何が起こったのかは夏彦にはいまいち分かっていなかった。
「まさか雲水君が口を出してくるとは。部下に親心でも湧きましたか」
二人の出て行った後の教員室で、ソファーに座ったコーカがそう言って笑う。
「あれ以上、嬲られるのを見ていられなかっただけだ。俺とて木石でなければ、泣きも笑いもする。それに、あまりにお前の思い通りに話が進むのも面白くなくてな」
雲水は石のように壁に体を預けたまま、口だけを動かす。
「僕としてはもっとごねて、言質をとりたかったんですが。『全部俺が責任をとります』くらい言ってくれれば、もっと安心して捜査要請も問い合わせもできたのに」
「それによって問題が解決すれば自分の功績に、失敗すれば夏彦の責任に、か。失脚を画策する副会長派閥が気になるからとはいえ、よくもそこまで慎重になる。行き過ぎて臆病とも見えるが」
「言質はなくとも大丈夫だとは思いますけどね。夏彦君が不正の対応に文句を言いに来たのは確かなんですから。責任とらせても文句は出ないでしょう」
「分かっていると思うが――」
「もちろん。失敗した場合の責任追及はあくまでも夏彦君一人に。司法会とは切り離しときます」
「ならば俺にはもう何も言うことはない」
興味はない、とばかりに目を閉じる雲水。
「全く――この二人に比べてあのお二人は素直すぎますわね」
会の長二人のそんな会話を横目に、つぐみと夏彦に対しての同情をこめて、月はため息をつく。
「そう捨てたものでもないかもしれませんよ、月先生」
だが、コーカは笑いながらそれに異を唱える。
「つぐみさんは恐ろしい。あんな約束するなんて、少し早まった感があります。少し後悔しているくらいです。ひょっとすると彼女の限定能力が関係あるのかな? ともかく、彼女は敵に回したくないですね。夏彦君も、なかなかどうして。僕を説得するために無理矢理話を組み立てたのでしょうが――嘘から出た真、という言葉もありますからね」
「あら、あの妙な話が本当かもしれないと思っていますの?」
「というより、本当であって欲しいのかもしれませんね。少し話しただけですが、うん、どうやら僕は結構、夏彦君を気に入ってるらしい」
その言葉に対して、月は黙って肩をすくめた。
生徒会長であるコーカに、月の知る限り最も厄介な男に気に入られること。それが夏彦にとってプラスなのかマイナスなのか彼女にはまだ分からない。
ある程度教員室から離れて、ようやく夏彦は全身の力を抜く。
あまり意識していなかったが、コーカたちと対峙している間、体はがちがちだったらしい。全身に疲労が溜まっている。
それはつぐみも同じだったようで、大きく深呼吸した彼女の顔色はあまり良くない。
「ねえ、夏彦君」
青白い顔のまま、ぽつりとつぐみが言う。
「結局、あたしたちは生徒会長に勝ったの? それとも負けたの?」
「うーん……」
言われて、夏彦は考え込む。
どちらだろうか? 勘だが、どうもいいように使われている気がする。だが。
「多分、向こうは俺たちを利用するつもりだ。問題が起こったら俺の責任するつもりだろうね。けど、逆に言えばそれを承知でなら、ある程度自由に動いていいって許可をもらえた。生徒会長相手に一方的に有利な条件を取り付けられるとは、あの部屋に行く前から思ってなかったし、想定内って意味では勝ったとも言えるかもな」
もっとも、司法会長までいるとは思わなかったから、そこは完全に想定外だったが。
夏彦は思い返してぶるりと震える。
まったく、よりにもよって自分のとこのトップに、あんな無茶してる姿を見られるとは。
「にしても、後ろで黙って見ておけばいいのに、随分とつぐみちゃんもやんちゃしたよな」
獣のようなつぐみの姿を思い出して、ふと夏彦が言うと、
「うっ! あ、あれは、ほら、突然パンチされてたから、つい、ね。あたしの方にも攻撃くるかもしれなかったし。必死だったのよ」
つぐみはばつの悪そうな顔をする。
「いやあ、でも、味方だっていうのに俺、震えたぞ。あれが本性なんでしょ、きっと。料理教えてくれる時にもその片鱗が見えたしさ」
なごますために軽口をたたいていると、
「へぇ……そんな風にあたしを見てたんだ……」
つぐみの両目が吊り上っていくのを見て、夏彦は慌てる。
「久々津みたいな顔するなよ……冗談だって、冗談。あ、あと、何か最後の方に生徒会長と妙なやり取りしてなかった? あれ何だよ?」
約束という言質をとって、にやりと笑うつぐみの姿のことを夏彦は指している。
「あ、あー、あれねー……気にしないで。ちょっとした保険よ、保険」
はぐらかして、つぐみは特設ステージに目をやった。顔色は大分マシになっている。
「それはそうと、生徒会長の言うように、問い合わせが本戦までに間に合う保障もないわ。今のうちに、捜査をしておきましょうか……もちろん、来るでしょ?」
「え、一緒に行っていいのか?」
夏彦は驚く。
捜査に風紀会以外の人間が付き添っていいのだろうか?
「これまでの経緯が、既に無茶苦茶やってるんだから今更何しようが一緒でしょ。大体、生徒会の顔色窺って料理大会の不正を一時的にせよ見過ごそうとする風紀会よりも、夏彦君の方がこの事件の捜査の相棒には相応しいもの」
つぐみの眼鏡の奥の目がきらりと光り、
「それで、まずは捜査どうする?」
「もちろん付き合わせてもらうよ、相棒」
冗談めかして夏彦が言うと、つぐみは悪戯っぽい笑みを共に、
「それじゃあ、まずは本戦出場選手への聞き込みから行きましょ。アイリスにタッカー君、律子さんに秋山さんにも会いたいしね。せっかくだから、本戦出場した感想なんかも訊いちゃおうか」
はしゃいでるつぐみを見て、夏彦は苦笑する。
「いいのか? これから捜査するっていうのに」
「だからこそ、よ。腕が鳴るって感じかな。ようやく話が進むじゃない」
「話が進む、か……」
嬉しげなつぐみとは違って、夏彦はどうしてもこれからの捜査についてポジティブな考えを持つことができない。
大会前にタッカーから感じた不吉さを思い返し、夏彦は不安になる。
それでも、タッカーが今回の不正に関わっている、という気だけはしなかった。
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