超絶政治闘争学園ノブリス改

片里鴎
片里鴎

理事長4

公開日時: 2021年1月6日(水) 18:07
文字数:3,640

 体中の痛み。目眩。頭痛。鳴り止まない頭の中の警報。


「う」


 呻いて、夏彦はふらつく身体を立て直す。


「くそっ」


 一瞬、意識を失ったか。


 そう思い、夏彦は辺りを見回して、


「は、あ?」


 絶句する。


 夜。

 日の沈んだ世界。

 夏彦は夜の校庭にいた。


「嘘だろ、だって、俺」


 記憶を辿ろうとして、愕然とする。


 記憶がない。

 アイリスと共同墓地で会ったところまでは覚えている。その後、別れて、そして。


「……くそっ」


 駄目だ。いつ、意識を失ったのかすら覚えていない。ついさっき感じた目眩や頭痛すら、それが原因で意識を失ったのか、それともそれで意識を取り戻したのかも分からない。


「ぐう」


 猛烈な吐き気と、再びの目眩。


 そのまま地面に倒れこむようにして、両手をつく。


「くっ、そ……」


 呻きながら、夏彦は自分の両手にはしる蚯蚓腫れを目にする。全身が痛い。


「今、何日、だ?」


 荒い息を落ち着けながら、夏彦は携帯電話を取り出して日付、そして時間を確認する。


 大丈夫だ。一日は過ぎていない。そして時間は深夜。


 これから、学園長に会わなければいけない。


「くそっ、がっ」


 多少は吐き気がおさまった。目眩も、もう大丈夫だ。


 それでもがくがくと震える体を無理矢理に動かして、夏彦は立ち上がる。


「イカレてきてやがる、俺の身体も、脳みそも」


 呟きながら、夏彦は息を吐き、一歩足を踏み出す。


「証明しろ」


 男の声が聞こえる。


 それだけでなく、男の姿までが瞼の裏にちらつく。


「くそ、幻聴に幻覚まで、か」


 体中に蚯蚓腫れが浮かび上がり、それらのひとつひとつが熱を持っているかのようだった。生きた蛇のように、熱と痛みと共にのたうちまわっている。


「まだだ、まだ、もうすぐだ、待ってくれ、頼むから」


 誰に言うわけでもなく、夏彦は呟く。


 ようやくだ。

 これから、学園長に会って、理事長について話ができる。

 決着をつけられるかもしれない。


 決着? 何に?

 頭の中を過ぎる不快な問いかけを、夏彦は必死で払いのける。


 タチの悪い風邪にかかったみたいだ。

 悪い思考が延々と渦を巻き、体は震え、悪寒がはしる。


 ともかく、行かなければ。


「そうだ、決着をつけろ」


「うるせえ」


 ぽたぽたと音がする。

 何の音かと夏彦が見回せば、何のことはない、夏彦の汗が地面に落ちる音だ。


 夏の炎天下の昼間に全力疾走でもしたかのように、夏彦の全身からは汗が滴り落ちている。


「全く、冗談じゃない、本当に」


 不平不満を言いながらも、夏彦は足を進める。


「証明しろ」


「だから、黙ってろよ」


 自分の幻聴にいちいち反論しながら、夏彦は目的の場所へ、第一校舎の地下三階、旧第一多目的教室へと歩いていく。





 薄暗い、かび臭い陰気な部屋。


 そこには学習机すらなかった。古びた黒板だけが唯一の装飾品とでも言えばいいのか。


 その殺風景を超えた、死んでいるとでも表現すべき部屋の中央に、圧倒的な存在感を出す肉の塊がある。

 厚手のコートを着てはいるが、それでは隠し切れない肉体を持つ巨大な老人。


「……どうも」


 かび臭い死んだ部屋に、息も絶え絶えでドアを開けてよろめきながら入ってきたのは、夏彦だった。


「調子が悪そうだな」


 かつて、間違いなく格闘技の世界で人類最強だと言われていた老人は、淡々と言う。


「ええ、まあ」


 背中から壁に寄りかかりながら、夏彦はゆっくりと入り口から老人へ、学園長のデミトリ・ラスプーチンへと近づく。


「ラスプーチン」


 ぽつりと学園長が呟く。


「え?」


 かすれた声で、夏彦は聞き返す。


「私のファミリーネームだ。帝政ロシアを崩壊させた怪僧の名と同じだ。あの怪僧の登場以降、不吉だということで改姓する家がほとんどだったが、私の家はそのまま名を残した。何故かは知らん。だが、周りの誰もが眉をひそめる私のファミリーネームを、ただ一人、褒めてくれた男がいた」


「学園長、何の、話です?」


 壁に体重を預けながら、夏彦は苦しげに、しかし途切れ途切れに言う。


「お前が聞きたい話だ。まだ、私は十五歳くらいの若造だった。当時、私のファミリーネームのことでからかう輩が多くてな。そいつらと一人残らず揉めに揉めていた私は、自分の命を守るため、そして敵を叩きのめすために、必死に身体を鍛えていた。金はなかったが、身体を鍛えるだけなら金はかからない」


 昔を思い出すように、学園長の青い目が宙を見つめる。


「だが、身体を鍛えからといって喧嘩に勝てるとは限らない。鉄パイプも銃も何でもありの喧嘩ならばなおさらだ。私は、ギャング共に囲まれていた。全身を破壊され、何もされずとも放置されるだけで死にそうな状況で、だ。そこに、あの男が現れた」


 苦悩するように、学園長の額の皺が深くなる。


「見たこともないような、高級そうなスーツと靴、腕時計。顔よりも、そんなものの方が印象に残っていた。男は私を囲むギャング共に声をかけた。ギャング共は、何か汚い言葉で反論したように思う。よく覚えていない。覚えているのは、次の瞬間、ギャング共の首がひとりでにねじ切られたことだけだ」


「そりゃ、すごいですね」


 ようやく、体調が少し良くなってきた気がした夏彦は、背中を壁から離す。


「気づけば、生きているのは私とその男だけだった。男が名前を聞いてきて、私がそれに答えた。男は、私のラスプーチンというファミリーネームを気に入った。それだけだ。ただ、それだけの話だ。夏彦、私にはそもそも、格闘の才能など大してない」


「え?」


 意外な、そして意味不明な言葉に、夏彦はそう聞き返すしかない。


「ただ、偶然出会って、そして名前を気に入られただけだ。私はその男にボディーガード役をしないかと誘われた。私はそれを受けた。そして」


 学園長の指が夏彦を指した。


「酷い手術跡だな。私の手術直後でも、そこまではならなかった。余程、大掛かりな手術を受けたと見える」


「学園長、あなたは、いや、あなたも、これを」


 思わず、夏彦は自分の腕にはしる蚯蚓腫れを指でなぞっていた。


「そうだ。改造された。最強の格闘家として。そして最高の環境、最高のトレーナーを準備された。後は、世間が知っている通りだ。私は格闘家として勝ち続け、最強の称号を手にした。下らん、全て、あの男のお膳立てだ」


 そこで、学園長はふと、遠くを見るような目をして、まるでなぞなぞを考える子どものような口調で、


「しかし、今でも不思議だ。どうして、あの男がボディーガードなんてものを必要としたのか。そんなものなくとも、危険などありえないのに。ひょっとしたら、全て口実なのかもしれない。私を傍に置くための。あの男は言っていた。私の名前が気に入ったと。少し前に死んだ、友達の名前と一緒だと」


 そこまで話して、学園長はようやく目を夏彦に向ける。


「夏彦。これが、私の知る理事長の全てだ。共にこの国に来て、学園を設立し、私はボディーガードから学園長という立場へと変わったが、本質は何も変わっていない。あの男にいいように使われているだけの男だ。夏彦、お前と何も変わらない」


「だから、俺に訊いても無駄だ、と?」


「そうだ。メールで送られてくる理事長の意向の通りに動いているだけだ。私は中間管理職に過ぎない。それ以上でも、それ以下でもない。ノブリス学園についても、私は何も興味がない。ただ、命令の通りに運営しているだけだ」


「それは、嘘ですね」


 ようやく、夏彦は調子を取り戻してくる。

 腕の蚯蚓腫れも消えつつある。

 『最良選択サバイバルガイド』が、学園長の発言を否定している。


「学園長、やっぱり、あなた、学園長として、この学園のこと、気にしてるんじゃないですか? できれば、このまま崩壊なんてさせたくない。違いますか?」


「……さあな。そうかもしれん」


 答えながらつくため息に、夏彦は過ごしてきた年月の重みを見る。


「私は、長くここに関わり過ぎた。愛着が湧いているのは、否定できんな」


「だったら、理事長についてもっと教えてください。俺からも、理事長に学園を存続させるように頼んでみますよ」


 最後の手段として、取引めいて口にしたその提案は、


「無駄だな」


 学園長の一言で斬って捨てられた。


「いや、しかし」


 食い下がろうとする夏彦に、


「無駄だ。そんなことをする必要はない。夏彦、全ては理事長の予定通りだ」


 そう学園長は落ち着いて言う。


「え?」


「お前が私の元に来ることも、既に理事長に一週間前から知らされていた。全ては予定通りだ。夏彦、もうすぐ、お前は理事長に会える」


「何を……」


 周りの景色が歪む。

 頭がきりきりと痛み、全身が熱を発する。

 一度は消えていた蚯蚓腫れが、再び現れるのを視界の端に見る。


 これは。

 夏彦は吐き気をこらえる。

 これは、何だ。


「心配するな」


 エコーがかかったようになった学園長の声。


「これが最後らしい。改造の反動はこれで終わり、お前は理事長と会話する。全て予定通りだ。心配するな」


 そして、意識が闇に溶けていく。

 その寸前、


「理事長の人形とはいえ、この歳まで磨き続けた技術は本物だ。だから、死ぬなよ。まだ、お前に伝えていない技術は無数にある」


 少し寂しそうな、普通の老人のような学園長の言葉が聞こえる。

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