超絶政治闘争学園ノブリス改

片里鴎
片里鴎

授業開始日

公開日時: 2020年9月7日(月) 23:06
文字数:5,468

 朝、目覚ましが鳴る前に目が開いた。

 野菜ジュースとシリアル、それから牛乳。

 それだけの朝食を腹に詰め込んで、夏彦は寮を出る。時間はたっぷりとある。とはいえ、寮からノブリス学園までは徒歩で三十分以上はかかるが。同意書の提出に行くのが面倒で、準備期間の間に郵送で送ったくらいだ。届けに行って帰る時間がもったいなかった、というのもあるが。

 見れば、同じようにノブリス学園の学生服を着ている者の姿がちらほらと見える。飲食店に入っている学生もいる。この街、ノブリスは学園の関係者で成り立っているので、登校前の学生や教師が朝食を食べることのできるように早くから開店している店は珍しくないらしい。

 それを横目に、かなり早めに校門まで来る。


 さて、校門から教室までが異常に遠い。具体的に言うとバスに乗らなきゃいけないくらい。

 教室に行くのは入学式の時以来なので、夏彦はしおりと取り出して、あらためて自分のクラスの教室、その教室がある校舎、その校舎に行くためのルートを全て確認する。


「あーそうそう、そうだ、ここの4番のバス停から行くのが早いんだったな」


 独り言と共に、夏彦はバス停に向かう。


 バスに揺られること十分。

 すぐに目的の第二校舎の前に着く。


 さて教室に向かうか、と三階に向かって階段を上がっていると、夏彦の足が三歩目くらいから痙攣し出した。


 うぐお。

 筋肉痛だ。さっきまで感じていなかったのに。今日から授業だというので舞い上がって、それどころじゃなかったのか。階段を上がる時になって初めて気付くとは。

 それにしても筋肉痛でスタートか。これまでの一週間のことを考えたら無理もないけど。

 諦めて、苦痛に耐えながら階段を一歩一歩上がる。


 教室について、ドアを開けて入る。


「あれ?」


 夏彦は入ってすぐに違和感を感じる。

 生徒があまりいない。ちょっと早めだからといって、いくらなんでも教室にいるのが数人ってのはおかしくないか?

 虎とつぐみがもう来ているので、夏彦はとりあえず虎に近寄る。


「おはよう」


「お、夏彦か。おっす」


 軽く手を挙げる虎。


 さっそく、「来てる奴、少なくないか?」と訊くと、虎は嘲りの笑みを浮かべた。


「この学園って、出席しないでも月一の試験でいい点とればクラスが落ちることはねーからな。もっと言うなら、クラスが落ちるのを気にしなかったらずっと学校に来なくても卒業はできる。留年だって自分で希望しなきゃ大丈夫だし。授業受けるも受けないのも自由だし、自宅で受けることもできる。ともかく、さっそくサボってる奴が多いんだろうよ」


「いやいや、いくら自由って言ったって、授業開始日だろ? 入学して初めての授業だぞ」


「このクラスだからな。やる気のない奴がほとんどのクラスなんてこんなもんだろ」


 話しながら虎は背後に目を向ける。


 夏彦がそちらを見ると、そこには必死で授業の予習をしているらしいつぐみの姿があった。


「やっぱつぐみちゃんは真面目だな」


「そりゃそうだろ。モチベーションが他のチャラチャラした奴とは段違いだぜ」


 虎が笑う。


 虎は学生服の下にフード付きのロングTシャツを着ている。だぼだぼのシャツのせいで分かりにくいが、気のせいかほんの少し、一週間前よりも体つきがよくなっているように夏彦には見える。


 つぐみに関しても、顔が一週間前に比べると凛々しくなっている、気がする。


 そうこうしているうちに始業時間が近づく。

 結局、生徒で埋まった机は半数といったところだった。


「おはようございます」


 ライドウが入ってくる。

 教室のこの状況を見ても、慣れているらしく顔色一つ変えない。その代わり、夏彦の顔見ると手招きしてきた。


 教壇に寄ると、


「一週間ぶりですね。身体改造は一週間で大きな成果が出るようなものでもありませんけど、顔を見ればサボってなかったことくらいは分かります」


 とライドウは言う。


「放課後、正式に司法会に入会、研修を始めましょう」


「はい」


 緊張しながら、夏彦は返事をした。

 不安と期待が、ちょうど同じくらいだけ内心に渦巻いている。


 とうとう始まる。


 夏彦は気合を入れなおして、席に着いた。





 予習していたのもあって、夏彦にとって授業は退屈なものだった。精々が、予習の時点でどうしても完全に納得できなかった部分を教師に質問するくらいだ。


 ここ、ノブリス学園では生徒数が膨大なために、授業と言っても映像授業となる。授業時間、机に備え付けのタブレットで授業を受けるのだ。それなら各自の自宅で授業を受けてもよさそうなものだが、それでも出席する意味はある。教師への質問もそうだし、休憩時間等での生徒同士の交流、部活動。そして俺たちにとっては、会の活動だ。


 昼休み。

 暗黙の了解として夏彦と虎、つぐみで集まって学生食堂で食べることにする。学生食堂は学校内にいくつもあるし、それぞれの学生食堂でメニューも微妙に違うらしいのだが、初めてということもあって、第二校舎に一番近い学食に向かう。


 さぞ混んでいるかと思っていたが、学校に来ている人間自体が少ないためか、結構がらがらだった。


 隅の方に三人分の席を確保しておいてから、それぞれ好きなメニューを頼んで受け取る。


「お、夏彦はカツ丼に月見うどんかよ。食うなあ」


 席に戻ると、虎が夏彦の食事を覗き込む。


「本当はもっと小食だけど。体作るために、運動して無理してでも食ってを繰り返してるんだ」


 つらいけど効果がちょっとは出てるから、と夏彦は説明する。

 実際、この一週間で体重は増えたし、体つきも少しは違ってきている、気がする。


「むしろ、お前がそれでいいのかよ」


 夏彦が言うのも無理はない。

 虎が席に持ってきた食事は、カレーの半ライスだった。


「いいんだよ、俺、小食だし」


 言って虎は懐からチューブのようなものを取り出し、口に咥える。


「え、な、何それ、虎君?」


 クロワッサンにサラダ、スクランブルエッグにカフェオレという組み合わせのつぐみが怯える。


「これ? プロテインだけど。 俺、小食だからこういうので補わねぇとさ」


 いただきます、と三人で手を合わせ、食事が始まった。


「で、どうなってるんだよ、そっちは? 俺のとこ、ようやく研修なんだけど」


 うどんをすすりながら夏彦が尋ねると、


「あたし、今、律子さんに色々教えてもらったり、護身術教えてもらったりしてる、けど」


 おどおどとつぐみが答える。


 え、マジかよ。

 多少夏彦が驚いていると、


「あー、俺もあの入学式の日に、職員室まで行って適当な人に行政会に入会するっつって、で、この一週間はトレーナーみたいは人とマンツーマンで特訓したり勉強したりだ。ほら、このプロテイン飲むのもその人に言われたからだよ」


 と、虎が言う。


 ことここに至って、どうも自分はかなりほっとかれているらしい、と夏彦は渋々認める。というか認めざるを得ない。不愉快だが。

 というか、ようやく今日の放課後入会って、この二人と待遇違いすぎるだろ。


「皆、律子さんも、いい人ばっかりで、あたし、風紀会に入ってよかった」


 夢見がちに言って、つぐみは顔を上気させている。


「行政会入ったのは失敗だったかもなーって、今になって思ってんだよ、俺、実は」


 対照的に苦虫を噛み潰したような顔をしているのは虎だ。


「え、どうして?」


 今日までほっとかれてる司法会よりマシだろ、と思いつつ夏彦が尋ねると、


「行政会の会長は理事長が兼任することになってんだってよ。考えてみりゃ学校運営するわけだから当たり前だけど。いやーなんか萎えるなー。トップに立つのが絶対に無理なんて。やっぱ軽はずみに入る会決めなきゃよかったわ」


 がしがしと虎は頭をかく。


「そもそも、つぐみちゃんは分かるけど、虎はどうして行政会に決めたんだよ、あんな短期間で」


「だって行政会って内閣だろ? 男だったらトップ中のトップ、つまり内閣総理大臣に憧れるもんじゃねえの?」


 イメージとしては分かる。実際には意味合いは異なるとはいえ、国のトップ、頂点という印象はあるからな。

 不思議と夏彦は納得してしまう。


「あたしは風紀会でよかった。本当に、そう思うの。あの、会員の人から勧められて部活動も始めたし」


「「え」」


 夏彦と虎の声が重なる。


 まさか、つぐみちゃんがそこまでアグレッシブに動いているとは。


「書道部なんだけど、入学式終わった後から、仮入部してるの。えへへ。楽しいんだ、皆で字を書いて」


 皆で字を書くことの何が楽しいのか夏彦には分からなかったが、それはともかくとしてつぐみが自分よりも色々なことに挑戦していることに驚く。


 こりゃ、うかうかしてられないな。


 その後は、これからの自分たちの抱負を語りながら三人は食事を勧めた。上位クラスに移る、だとか、最短で役員になる、だとか、夢物語を語りながら。

 最後に携帯電話の番号をそれぞれ交換して、食事は終わった。





 特に何もなく放課後。

 ライドウが終礼をすると共に、生徒は一気に教室を出て行く。

 虎とつぐみも出て行く。おそらく会としての活動をするのだろう。もしくは研修か。


 当然ながら、夏彦は待つ。教室で、ただ独りじっと座って待つ。


「じゃあ、まずはテストといきますよ」


 教室から夏彦以外の生徒が居なくなったのを見計らって、ライドウが言う。


 テストはこれから一週間の間に授業で出るであろう範囲の予習テストと、校則集の司法会関係の校則についてのテストだった。

 この一週間、必死で夏彦が取り組んでいたものだ。


「--できました」


 十分足らずで夏彦には全て解けた。

 ずっとこれをやってきたのだから当たり前だが。


「よろしい。それでは行きますか」


 そう言ってライドウは、テストを確認もせずに教室を出て行こうとする。


「え? ちょ、ちょっと、採点は?」


「必要ないですよ、どうせ満点でしょう。夏彦君のテストを受けている態度で大体分かります」


 ライドウは教室を出て行く。

 夏彦は慌てて後を追った。


「あ、そうそう、君の入会登録の方は済ませておきましたので。君はもう正式に司法会の人間です。といっても、何の資格も役職もないですがね。ちなみにお目付け役は僕ですので、よろしく」


 廊下を歩きながらライドウは言う。


「それはありがたいんですけど、先生、ちょっとだけ、歩くスピードを緩めてもらえませんか?」


 かなり早足のライドウについていこうとして、夏彦の体が筋肉痛に耐え切れず悲鳴を上げている。


「我慢してください。これから、もっとつらいことが待っているんですから」


 ぞっとするようなことを言われて、夏彦は必死にライドウを追う。


 やがて校舎を出て、第二校舎に併設されてある施設へと向かう。

 その施設を見ただけで、夏彦は惨憺たる気分になってきた。


 武道館だ。ノブリス学園内にいくつかある武道館のひとつ。空手部やら柔道部やらが使っている、あの武道館だ。

 となれば何をするかは決まっているよなあ、と夏彦はため息をつく。


 武道館の入り口の前で、ライドウは足を止めて振り返る。


「自分の身は自分で守らなければならない。今日から、護身術の特訓をしてもらいます」





 体育系の部活動がされているとはいえ、二人で練習する程度のスペースはあった。

 レンタルの武道着に着替えて、そのスペースでライドウから護身術の特訓を受ける。

 ライドウいわく、実は体を毎日必死で鍛えても回復の方が間に合わなかったりして効率的でないこともあるらしい。なので、体を徹底的に鍛えるのは一週間に二、三回にしておいて、それ以外の日は技術を高めろとのことだった。そのために護身術を特訓してくれるらしい。

 そういうことは一週間前から教えてくれよ、と夏彦は思ったがライドウは「まず根性を試したかったから徹底的に体と頭を鍛えてもらったんです」と笑うだけだった。


 こうして始まった特訓だが、護身術というよりも、それは捕縛術といった方が正しかった。

 おまけに特訓の方法はかなりシンプルだ。まず、ライドウが言葉で説明する。次に、夏彦が技をかけられる。例えば殴りかかったところを腕を極められる。かなり本気で、タップしても中々解放してくれずに。次に、夏彦が技をかけてみる。さっきの例で言えば、ライドウが殴りかかってくるのでその腕を極める。もちろんうまくいかず、単に殴られて終わる。

 ひたすら、この繰り返しだ。


 一時間もしていると、夏彦の武道着は汗でびしょびしょになり、痛みで叫び続けたため、声が枯れてしまった。ふらふらで、まともに立っていられずに常に倒れそうになってバランスをとっている。


「ふむ、妙だな」


 開始から一時間ちょっと経った頃、、ライドウは特訓の手を休める。彼は汗一つかいていない。


「えっ……どうかしましたか?」


 荒い息のまま、がらがらの声で夏彦が訊くと、


「夏彦君、この一時間で大分骨子を掴んできたんじゃないですか?」


 確かに、一時間の最後の方では、何度かに一回はライドウに技をかけることに成功するようになっていたし、逆にライドウにかけられた技も返すことができるようになっていた。


「武道に関しては初心者ですよね? いえ、確かに才能がある人間なら特におかしくはない成長度合いではありますが……失礼ながら、どうも夏彦君にはそういう才能があるようには見えないんですが」


「ううーん……」


 実はさっきから夏彦にも不思議だった。

 これまでの経験上、俺はそこまで運動神経がよくないことは分かっている。それなのに、一時間やっているだけで何となく技ができてしまっている。技をかけるためのコツをあっさりと掴めてしまっているというか。


 首をひねる夏彦。





 当然、彼は気づいていない。

 現在自分に何が起ころうとしているのか。


 それは、夏彦の限定能力が目覚めつつあるための現象に他ならなかった。

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