「俺が雨陰太郎か。貴君がそう思う根拠は?」
リラックスした面持ちのレインは、机に軽く腰掛けるようにした。年代ものらしい机は、それだけでぎしぎしと音がする。
「ほら、夏彦君が言ってたじゃないですか。雨陰太郎は偽名をおざなりにつけるって」
同じようにリラックスした顔でコーカは両手を広げる。
「まさか、それで? 貴君は、雨陰太郎の雨から、俺のノブリスネームがレインだから雨陰太郎だと疑ってるのか?」
この男にしては珍しく、レインは無防備に驚いた顔をする。余りにも予想外だったのかもしれない。
「え、ほ、本当にそれだけですの?」
横にいる月もその理由は意外だったらしく、コーカに驚きの目を向ける。
その様を見て、どうやら月は詳しいことを聞かずにコーカについてきたらしいな、とレインは推測する。
「はは、まあ、基本的には。一応、他にも理由はありますけど」
「ほう? 聞きたいな」
「いいですよ。レイン副会長、あなた、公安会でしょう?」
突然のコーカの言葉に、レインは顔を強張らせて一度立ち上がって、そしてまた表情を緩めると机に浅く腰掛ける。机が鳴る。
「どうして、そう思う?」
「あら、その反応、本当に公安会みたいですわね」
月が意外そうに言う。
「僕を信じてなかったんですか、月先生」
その反応にコーカは不満そうに口を尖らせ、
「まあ、いいや。そう思うっていうか、知ってるんですよ、俺。これでも、公安会にパイプがありますので。そんなに大したものじゃあないですけどね」
「そうか、なるほど……それで、俺が公安会だと、どうなる?」
否定も肯定もせず、レインは先を促す。既に表情は余裕のあるものに戻っている。
「僕は、人の本質を見破るのが特技でして、その僕の目からすると、レイン副会長、あなたは秘密を溜め込むタイプの人間です。秘密を持てば持つほど、そのことに優越感を覚える」
「ふむ。心当たりがあるな」
にやりと笑って、レインは上半身を少し前に倒す。獣が飛び掛る直前のように。
「つまり、あなたの持つ秘密は公安会所属であるというだけではない。もっと深い秘密がある。そして、それはあなたのところの瑠璃会長への予防線にもなっている」
「どういうことですの?」
意味が分からないらしく月が後ろからコーカを覗き込むようにする。
「瑠璃会長が人に隠し事があるかどうか分かる能力者だというのが重要です。その瑠璃会長の前で公安会所属であることを隠せば、秘密があることは分かってしまう。そして、おそらく瑠璃会長はレイン副会長が公安会所属であることに勘付いているでしょう」
コーカは人差し指を立てる。
「けれど、それでいい。瑠璃会長が、隠している秘密とは公安会に所属していることだと思ってくれればいいわけです。他の秘密を隠せるから」
「その秘密が、雨陰太郎だと? 妄想の域を出ないな」
まるで、その程度だったことをがっかりするようなレインの声色。
「そもそも、だ。貴君は先程夏彦君――ああ、いや、ある筋からの情報を引き合いにしたが、同じく彼からの情報で、雨陰太郎は長年学園内に潜入しているというものがあった。あれは、どう説明する? 俺はまだこの学園に三年しかいないぞ」
不満そうなレインは、見ようによっては自分はまだまだ若者だ、と憤っているようにも見える。
「雨陰太郎は人に紛れることにかけては天才的な殺し屋です。人から疑われることなく、目標を殺害する。彼がこの学園で、自らを偽装する限定能力を身につけていてもおかしくないでしょう? それを使って、身分を偽っているのかもしれない」
コーカはぶれない。指を立てたままで、そこまで言い切る。
「そうか」
納得がいった、とばかりにレインは身体の緊張を解き、伸びをする。
「それが、貴君が俺を疑う一番の根拠か。俺の限定能力が精神操作系だという噂が流れているのは知っている。俺があまりも簡単に人との距離を縮めるからそんな噂が流れるのだろうがな。もし、俺に『どんな人間の懐にも入っていける能力』があるとすれば、それと『どんな状況にも馴染み誰からも疑われない能力』には確かに類似が感じられるな」
そこまで言ってレインはアメリカのドラマのように大仰に肩をすくめ、
「俺にそんな能力があるとすれば、な」
「つまり、ないと?」
「ちょ、ちょっと生徒会長」
追求しようとするコーカを慌てて後ろから月が止める。
その月を、レインは目で制してから、
「いいですよ、別にここで俺の限定能力を聞き出そうとしたのを問題にはしません。コーカ、その上で教えるが、俺の限定能力は精神操作系ではない。貴君の期待に沿えず申し訳ないが」
特に強さも動揺も感じさせない、世間話の延長のような口調でレインは言う。
「そう、ですか……」
レインの言葉に嘘はないと見てとって、コーカは残念そうに肩を落とした。
「ちなみに、貴君は本当に自分が雨陰太郎に狙われていると思っているのか?」
純粋に興味本位なのか、立ち上がったレインがふと気になったように質問する。
「さあ? 最近うちの副会長が分不相応な野望に振り回されつつあるのは気づいています。だから、ない話ではないかな。ただ、そうだとしたらあんな簡単に噂が流れたりとか、稚拙に過ぎるとは思いますがね」
「そうかな」
そう言って、コーカと月に背を向けて、レインは出口へと歩いていく。
「違う、と言うんですか?」
「コーカ生徒会長、貴君は俺の知る限り、この学園でも完璧に近い人間だ」
出入り口のドアに手をかけて、レインは振り返らずに言う。
「バランスがいい。完全な球みたいなものだ。どの方向から何が来ても、貴君ならうまく対処できるだろう。逆に言えば、貴君は自然体が一番強い」
レインはドアを開けて、僅かに振り向いて片目だけでコーカを睨むようにする。
「俺が殺し屋だったら、まずは貴君の自然体を崩す。わざと暗殺を警戒させ、あるいは殺し屋を追うように仕向ける。その時にこそ、隙ができる。もっとも、返り討ちに遭う可能性も高くなるが」
「噂が流れたのも、僕がこうやってレイン副会長を疑ったりしているのも、全て計画の上だと?」
「さて、な。話は終わりだ」
レインが去っていく。
「……それで、これからどうするんですの?」
レインの姿が消えてしばらくして、後ろから月がコーカに問いかける。
「雨陰太郎を追いたいところですが、レイン殺し屋説以外に持ち玉がありません。性に合いませんが、向こうから来るのを待つとしましょうか。選挙中で、他にもやることはいくらでもありますしね」
「あら、意外に常識的なことを言いますのね」
「月先生、俺を何だと思ってるんですか」
苦笑しながらコーカが部屋を出ようとしたところで、暗い廊下から騒がしい足音が聞こえる。全力疾走している足音だ。
「ん?」
顔だけ廊下に出したコーカは、そこで遠くから走ってくる夏彦の姿を見つける。
「夏彦君……?」
「あっ、生徒会長!」
コーカの顔を見つけた夏彦は、全力疾走しながら大声で叫ぶ。
「無事ですかっ?」
「いや、無事も何も、何も起こってないですよ」
戸惑いながら答えて、
「ああ、ひょっとして、レイン副会長とのことを知ったんですか? 耳が早いですね。けど、ハズレでしたよ。彼は雨陰太郎ではないらしい」
「いえっ……」
ようやくコーカの前についた夏彦は、足を止めてぜえぜえと肩で息をする。
「れ、レインじゃなくて、その……」
息も絶え絶えで何か言いかける夏彦を見て、コーカは顔を引き締める。
「――夏彦君、ひょっとして君は、雨陰太郎が誰か分かったんですか?」
「い、いえ……分かったって言うより、単なる勘なんですけど――」
そこまで言って、ようやく体を起こしてコーカを向いて、そして夏彦は目を見開く。
信じられないものを見たかのように。
「こっ、コーカ会長、あの――」
「ん?」
「――に、逃げろっ!」
あまりに唐突な夏彦の叫びに、コーカがあっけにとられたのは一瞬。次の瞬間、コーカはともかくこの場から逃げようと身体を動かした、が。
とん、と。
それよりも早く、まな板を包丁で軽く叩いたかのような軽い音が響く。
そして、音の次にコーカは軽い衝撃を感じる。
「む」
下を向いて、コーカは自分の胸の辺りから何か銀色の細長いものが生えているのに驚く。
これは、刃か?
痛みを感じず、ただ強烈な熱を体内に感じながらコーカは自分の身体から生えているそれを分析する。
背中から、細くて刃の長い刀か何かで刺されている、のか。
僕の背後にいたのは。
ああ、そうか。
ようやく痛みを感じながら、コーカの意識は急速に薄れていく。
雨、陰、太、郎。逆にして、郎、太、陰、雨。
こんな簡単なことに気づかなかったなんてな。
コーカは痛みの中で自嘲する。レイン副会長も買い被ったものだ。何が完璧だ。
郎『太陰』雨。
太陰は、そのまま月のことだったな。
それにしても。
コーカは、意識を失う瞬間でありながら、倒れながらも笑ってしまう。
雨陰太郎は男じゃなかったのか。名前からして、男だと思っていたが。それとも、月先生が男なのか。だとしたら、少し面白いな。あんな大和撫子然としている人が、男なんて。
そうして、コーカはその場に倒れて、意識は闇に包まれる。
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