勘と身体能力の全てを使って、夏彦は跳ぶ。
大倉をぎりぎちまで引きつけてからの回避。
「ぐっえ」
跳躍するだけで、限界寸前の体が悲鳴を上げる。
夏彦は思わず呻く。
呻きながらも、全力で横に跳ぶ。攻撃をかわすというよりは、文字通り飛び跳ねる。
さすがにそこまで跳べば攻撃は当たらないが、その代わりにバランスを崩し、着地後に大きな隙が生じる。次の攻撃に対して完全な無防備だ。
だから、通常は戦いの最中にそんな回避の仕方はしない。
だが、夏彦はそれをする。
そして、追撃は来ない。
「がっあ……」
全力の攻撃を空振りした大倉は、その激しい動きをしたために体をみしみしといわせ、血をこぼしていた。よろめき、追撃ができるような状況ではない。
「ぎぃっ」
それでも、数秒の後には再び夏彦に向かって突進してくる。
「ふっ」
だが、数秒あれば夏彦も着地してから体勢を整えられる。
大倉の攻撃を、再び跳躍して避けることができる。
「ぐっああ」
空振りで大倉は呻き、血を吐く。一撃目よりも激しく。
「ああ、あ」
大倉は止まらない。
すぐに、体をよろめかせながらも夏彦に突っ込んでくる。
だが、その動きは確実に鈍くなってきている。
「――はったりじゃあなかったか」
虎の呟きを背中に聞きながら、夏彦は大倉の攻撃を避ける。
今度は大きく飛び跳ねてではなく、体をずらすことで避ける。通常の回避だ。明らかに動きの鈍くなった大倉の攻撃なら、これでかわせる。
「ぐっぎっあっあああ!」
血と絶叫、そして体の軋む音。
それらと共に、大倉は拳を振るい続ける。
夏彦はそれを避ける。全神経、直感を全て回避に注いで、ただ避け続ける。
拳を振るえば振るうほどに、大倉の動きは鈍く、ぎこちなくなってくる。
当然だ。
夏彦は攻撃を避けながら思う。
崩壊寸前の体で無理矢理に全速全力の攻撃を繰り出す。それもひっきりなしに。それによって蓄積していくダメージと限定能力による自然回復。これが釣り合ったり、あるいは回復が上回ることなんてあるはずがない。そんなレベルの頑強さと回復量なら、そもそもいくら攻撃したところで崩壊寸前までダメージを与えられるはずがないし、虎と話しているうちに全快しているはずだ。
考えてみれば当たり前の話だ。つまり、一刻も早く相手を打ち倒す必要なんてない。大倉が獣のようにひたすらにこちらに攻撃をし続ける限り、勝手に自滅していくわけだ。
俺は、攻撃を避け続ければいい。
「がっあっあ……」
ぜろぜろと喉を鳴らしながら、大倉は拳を振るう。
もはや、その攻撃は子どもが手を振り回した程度のものだった。避けるまでもない。
「――大倉さん」
夏彦は、あえてその攻撃を受けながら前に一歩出て。
「終わりです」
全力で、手刀を、大倉の首に打ち込む。
もう二度と回復することのないよう、確実に命を奪うように。
ばき、と音がして大倉の頭がほぼ半回転した。
目、鼻、耳、そして口からぼとぼとと血を滴らせ、
「ずっ」
断末魔の声と一緒に、大倉はその場に崩れ落ちる。
どしゃり、と床に倒れた大倉からじわじわと血が広がる。
その赤い水溜りを眺めながら、
「ぜっ……ぜっ……」
さっきから聞こえる、この耳障りな風切り音のようなものはなんだろうか、と夏彦は首を捻る。
そして、大倉を倒したという安心で緊張が緩み、どっと疲れを感じたところで、
「ぜっ……ぜっ……はっ……ふぅ……」
さっきから聞こえていたのが、自分の荒い、今にも死にそうな呼吸音だったと気づいた。体も、小刻みに震えている。
俺は、疲れきっている。
夏彦は自覚する。
そして、もう一度倒れている大倉に目をやる。
「……はぁ……ふぅ……」
必死で、荒い呼吸を整えて体の震えをとめようとする。
殺った、か。
夏彦は自分の心を探る。
自分の中に、驚くほど動揺がないことにむしろ動揺した。タッカーを殺した時のことを考えても、どうも俺は冷たい人間らしい。
「……随分、人を躊躇いなく殺すもんじゃねえか」
声。
後ろ?
夏彦の脳髄が凍る。
「とっ――!?」
気づいた時には、後ろから組み付かれ、うつぶせに床に倒される。
「ぐっ……虎……」
不覚だった。いや、大倉という強敵を倒したことで緊張があまりにも一気に緩んでしまったのか。
夏彦は唇を噛む。
一瞬とはいえ、虎から意識を割いて、疲れ切った心と体を休めようとしてしまった。
「よう、まさかあの大倉さんを殺るとはな、見直したぜ」
夏彦を組み敷いたまま、虎は世間話でもするかのような口調で言う。
「けど、どっちにしろこれで終わりだな。隙だらけだったぜ。さて、律子さんや秋山さんが来ないうちに終わらせるか」
ゆっくりと虎の腕が夏彦の首に伸びる。
「俺を殺したのがお前だってばれるぞ。どう言い繕うつもりだ?」
必死で首をねじって、夏彦は自分に乗っている虎を睨む。
「ははっ、心配いらねえぜ、俺はこれでも、適当なことを言って人を丸め込むのは得意なんだぜ?」
虎の指が夏彦の首にかかった。
「限定能力のおかげか? 『虚言八百』だったな」
それでも、夏彦は怯えを見せない。
「はっ、知ってたのかよ、ああ、あれか、学園長にでも教えてもらったか」
自分の限定能力が筒抜けだったと知っても、虎に動揺は見えない。
虎の指に力がこもる。
「教えてもらいはしたが――」
首をしめられる寸前、夏彦は睨みつけながら虎に言う。
「どうせ、それが虚言だろ?」
「――っ!?」
虚を突かれたように虎の力が緩んだ。
その瞬間を見逃さず、
「ふっ」
夏彦は思い切り暴れて組み敷いている虎を振り落とそうとする。
「このっ」
バランスを崩しながらも虎は夏彦を止めようと、首を締め上げようとする。
「かっ……!?」
だが、虎の動きが止まる。顔を強張らせて、両腕を夏彦から離し空中を彷徨わせる。
明らかな隙。夏彦は今度こそ、全力で虎を振り落とした。
そのまま転がって距離をとり、立ち上がる。
「喧嘩しないって約束しただろ。約束破るからそんな羽目になるんだ」
「ぐっ、うう」
夏彦の言葉には答えず、虎は転がったまま、自分の腕を噛んで唸る。
「さて……」
夏彦も同じように自分の腕に軽く噛み付くと、そのまま走って転がっている虎に思い切り蹴りを入れた。
「ぐがっ!?」
蹴りを受けた虎が呻いて距離をとろうと更に転がる。
「ぐっ……むっ」
一方の夏彦も、蹴った瞬間に『愚者妄言』が発動し、口が勝手に動いて舌を噛もうとする。結果として、軽く噛んでいた腕に歯が突き刺さる。噛み千切らんとばかりに歯が食いしばられる。
だが覚悟しておいた分、再び動くのは早かった。まだ立ち上がろうとしている途中の虎に、夏彦はもう一度、全力で蹴りを繰り出す。
「がっは……」
直撃。
虎は体を泳がせる。が、その腕が口から離れる。
時間切れか。
夏彦は反撃を予想し一歩退く。
予想通り、『愚者妄言』が切れたことにより自由になった虎は攻撃をくらいながらも反撃をしてくる。体を泳がせたまま、足一本でバランスをとりつつ蹴り返してくる。
夏彦はそれをかわし、噛み締めていた腕を口から放して構える。
「……こりゃ、つぐみのか。なるほど、面白い能力じゃねぇか」
二発の蹴りを食らった虎は明らかにダメージを受けている。だが、それでもその口ぶりに焦ったところは見当たらない。口元には獣じみた笑みすらある。
「で、どうする? まだ、ダメージはこっちの方がでかいが、俺にはお前を倒さないでも時間を稼げばいいってアドバンテージがある。それでもやるか?」
外面は不敵に、けれど内心では祈るような気持ちで夏彦は虎に言う。
もう、体も精神も限界だ。戦えるとは思えない。
だが。
「ははっ、確かに、お前がのらりくらりと時間を稼いだらきついかもな。けどよ、お前のその問いかけは意味がねぇぜ。どうするっつわれても、こっちとしちゃあ道が一本しかねえ。そうだろ? お前をここで消さないと、生き残る道がねえんだからよ」
言葉が終わると同時に、虎が全速力で突っ込んでくる。
「ちっ」
舌打ちと共に身構える夏彦に、虎の拳が飛んでくる。
まるで大倉を思わせる、全力を使った一撃。
「そこっ」
夏彦はそれを直感で避ける。
同じ全力を使った一撃とはいえ、大倉と虎の一撃では質が違う。常人の単純な全力の一撃なら、満身創痍の状態でも勘でかわすことは可能だ。
全力の攻撃をかわされた虎の体勢が崩れる。
隙だらけだ。
今踏み込めば攻撃をあてられる。
夏彦の直感もそう囁いていた。
だが。
「……なんだ、バレてたのかよ」
あえて逆に後ろに跳んだ夏彦を見て、虎は詰まらなそうに呟く。
隙だらけだと見えた虎は一瞬で体勢を整えていた。
「大倉さんの時もあれだし……本当に分かってんだな」
「……ああ、ヒントはいくらでもあったしな。むしろ、この時点まで気づかなかった俺が迂闊だった」
慎重にいけ。
夏彦は自分に言い聞かせながら構え直す。
「お前の限定能力は、『虚言八百』じゃないんだろう?」
夏彦のその言葉を聞いて、虎の目が鋭くなる。
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