「よって、私はここに誓います。必ず、この学園をより皆さんにとって素晴らしい場所にすることを」
中庭で、まだ若い生徒会員が演説をしている。
全く無名の役員候補者だが、それなりにギャラリーは存在していた。
その理由は、候補者の横で威風堂々と立っている、快活な笑みを浮かべた男にあるのだろう。
「では、ここで応援に駆けつけてくださったコーカ生徒会長より皆さんにお話があるそうです」
候補者の呼びかけに応じて、横に立っていたコーカがマイクを片手に一歩前に出た。その姿は堂に入っていて、国会中継に映る政治家達と比べても遜色なかった。
「皆さん、僕は、彼がこの学園を変えてくれる人材だと確信しています」
コーカの応援演説が始まった。
演説が始まった瞬間、コーカの声、身振り手振り、表情に観衆が引き込まれていくのが傍から見ていてよく分かった。
「大したもんですね」
少し離れた場所で缶コーヒーをすすりながら、夏彦は呟いた。
「コーカも今回はかなり力を入れていますから。副会長派閥と現在かなり接戦ですの」
夏彦の横で佇んでいる月が言う。
「そんな忙しい中、アポとってもらってすいませんね」
「あら、とんでもないですわ。先日はお世話になりましたし、それに夏彦君は例の殺し屋について調べているんでしょう?」
「ええ、まあ」
「でしたら、わたくしの代わりに調べてもらっているようなものですわ。元々、わたくしがコーカを心配してあなたに色々とお願いした立場ですし」
「そうとも言えますが、ね」
肝心な部分で嘘をついている夏彦にとっては少々心苦しかった。
夏彦は月にコーカとの面談のアポイントメントを頼んだ。理由としては、この前外で巻き込まれた騒動に生徒会副会長が関与している可能性があるから、同じように副会長が雇ったとされている殺し屋雨陰太郎についての情報交換を監査課の業務の一環として行うため。
もちろん、嘘だ。
この前の騒動の真相は闇の中でこれ以上の調査は会からも止められている状況だ。雨陰太郎について調べるのは、個人的な興味、そして昨日レインから頼まれたからだ。
結局、一晩考えて夏彦はレインの頼みを聞くことにした。別にレインを全面的に信用したわけではない。
夏彦としても、あの襲撃事件の真相を知りたい。あの事件に深く関わっているであろうクロイツが雨陰太郎に殺されたらしいというこの状況。雨陰太郎について調べることが事件の真相に近づくことになるかもしれない。
少なくとも、夏彦はそう自分を納得させて、嘘までついて月にコンタクトをとった。
というより、他に動きようがないのだ。あの事件については、勝手に調べられないように公安会が動いているらしい。不用意に調査できない。
唯一、雨陰太郎についてはその公安会に所属しているレインからの頼みだから、自由に調べられる。
結局、ただそれだけのことだった。
「それだけじゃあなく、一応俺、今回の選挙の監査責任者でもあるんで」
「ああ、そうでしたわね。この選挙で何か問題があったら夏彦君の責任に……」
「そういうことです。色々と怪しい噂もありますし、ここいらで話をしておこうと思いまして」
月と夏彦が話しているうちにコーカの演説が終わった。
拍手の中、コーカがゆっくりと後ろに下がり、そしてそのコーカと夏彦の目が合った。
目だけで夏彦が頷くと、コーカは崩れない笑顔の中でも目を光らせて、そうしてすぐに夏彦たちの所まで近づいてきた。
「どうも、素晴らしい演説でした」
「いや、夏彦君、お待たせしましたね。ええと、近くの食堂で少し話でもしましょうか。料金は少し高めですが、個室があって落ち着ける場所があります」
「ええ、是非」
「それじゃあ、会長、夏彦君。わたくしはここで。仕事もたまっていますので」
ぺこり、と月が頭を下げた。
「ああ、月先生、ありがとうございます」
夏彦も頭を下げ返した。
「月先生、何か問題があったらすぐに携帯に連絡をください。夏彦君との話が終わったら、すぐに本部に戻るつもりではありますが」
コーカは携帯電話を取り出して顔の前にかざすようにした。
「了解ですわ。それでは」
袖を振りながら月はしずしずと去って行った。
夏彦はコーカに連れられて、近くにある食堂に入った。
食堂というよりも、その外観も内装も落ち着いた喫茶店に近かった。薄暗い店内に時代物らしきテーブルとソファーが並び、夏彦でも聞き覚えのあるクラシック曲が流れていた。
まるで時代が違うようだ。
昭和の香り、とでも言えばいいのか。別に昭和を生きてきたわけではないけど、そんな印象を夏彦は受ける。
「ブレンドを」
店員にコーカはそれだけ言って、夏彦に目を向けて促す。
「ああ、俺も、同じものを」
夏彦がそう言うと、店員は無言で頭を下げて去っていく。
「それで」
コーヒーが来ると、コーカは角砂糖を山ほど入れて、ティースプーンでくるくるとかき混ぜる。
「話というのは、雨陰太郎のことでしたね?」
「え、ええ」
夏彦もコーヒーを口にする。何となく、なめられないようにブラックでだ。
苦い、がいつも飲んでいる缶コーヒーよりも香りがあってコクもある、気がする。
「僕が知っているのは噂だけですよ」
「副会長が雇ったとかいう噂ですね」
「ええ」
たっぷりと砂糖のとけたコーヒーをコーカはゆっくり口に運ぶ。
「他には、何も。その噂だって、信憑性はないに等しい」
「副会長はそんなタイプではない、と?」
「どうかな……?」
コーヒーを片手に首を傾げるコーカの姿は、本当に迷っているように見える。
「僕の中では、副会長はそんなことをするタイプではない。優秀な事務屋、というのが彼の器ですね。けれど、本質は違う。不幸なことにね」
「不幸?」
「ええ、彼の本質は支配者ですよ。目に付くもの全てを支配したくてたまらない。けれど、それは彼の器ではない。もしも、彼の本質が器を溢れるか、それとも器を壊すかすれば、どうなるかは分かりませんね」
「ふうむ」
「情報交換ということですが、そちらは雨陰太郎については何を?」
と訊かれたので、夏彦はあの死んでしまった男から聞いた、雨陰太郎についての情報を一通り話した。ずっと学園に潜入しているらしい、という情報も含めて。もちろん、確実な話ではないが、と前置きした上で、だ。
それでも、それを聞いたコーカの目は大きく見開かれる。
「まさか……いや、しかし、それならば信憑性も出てくるか。『あれ』も不可能ではない」
そのコーカの呟きに、夏彦はピンときて、
「『あれ』っていうのは、クロイツさんの件ですか?」
「知っていましたか。緘口令が敷かれているはずですが」
見開かれていたコーカの目が細く、こちらを窺うようになる。
油断のならない相手を前にした目だ。
「その反応からして、本当なんですね?」
「カマをかけられましたか」
諦めるようにコーカは肩を落として、
「ええ、各会のトップしか知らない話ですが、クロイツが殺されました。雨陰太郎の署名もありました。夏彦君の話を聞く限り、眉唾ですがね」
「眉唾? どうして?」
「少なくとも学園の中にずっといたとしたら、今まで学園での仕事では署名なんてしてこなかった殺し屋だからですよ」
そうか。過去に署名ありで殺人事件が何度も起こっているなら、雨陰太郎が学園内に潜んでいることは周知の事実のはずだ。
「それなのに今回に限って自分が殺したと証明するようにサインを残す。まるで、雨陰太郎が殺したことにしておいたらいいことがあるみたいじゃあないですか?」
「例えば、雨陰太郎を雇ったという噂のある奴に捜査の手が及んだり?」
「ええ、その場合、それで得をするのは誰でしょう?」
「当然、そいつの競争相手、この場合――」
一気に飲み干して夏彦はコーヒーカップを空にすると、そのカップをノーモーションでコーカに投げつける。
「あなたですね、生徒会長」
「そういうこと、です」
表情を変えることなく、コーカは投げられたカップを二本指でキャッチする。
「そんなわけで、実は秘密裏に僕が疑われているんですよ」
ため息と共にコーカは二本の指でカップを投げ返してくる。
「まったく、いきなりカップを投げつけるとは、夏彦君も行儀が悪くなりましたね」
「いつもこういうの、やられる方なんで、偶にはやる側になってみたかったんですよ。あと」
「あと?」
「俺は勘がいい方なんですけど、コーカ会長はあまり読めないんですよね」
常に自信に満ち溢れていて、表情や動きから中々感じ取ることができない。
「だから、多少揺さぶってみようと思って」
「で、カップを投げて何か分かりましたか?」
「何も」
お手上げ、と夏彦は両手を挙げる。
「ただ、会長」
「はい?」
「つまり、被害者が外務会副会長で容疑者が生徒会長の事件、そう認識されているわけですか?」
「ええ、そうですね」
「それは……」
大事件だな、と夏彦は想像する。
多分、風紀会はフル稼働でこの事件に当たるだろうし、公安会も動くか。
「あ」
そこで思い当たって夏彦は思わず声を出してしまう。
そうか、それでレインさんは自分に調査を頼んだのか。自分と生徒会の間にそれなりに関係があるのは周知の事実だろうし、そして監査のために他の会に調査に行くこともおかしくない。
いいように動かされているのか。ちょっと癪だな。
「どうしました?」
突然小さく声を出した夏彦にコーカは訝しげな顔をするが、
「いえいえ、別に。けど、そうなると逆に今回の選挙、やりにくいんじゃないですか? 今、監視とかされているんじゃあ?」
「それはそうですが、すぐに終わりますよ」
「終わる?」
「クロイツを殺した犯人は、すぐに見つかります」
コーカは薄く笑みを浮かべて言う。その口ぶりは、はったりを言っているようには見えない。
「ど、どうして?」
なら、俺が雨陰太郎の調査する意味、ないんじゃないか?
夏彦は思う。
「夏彦君の言ったように大事件ですからね、今回の事件の捜査、風紀会の会長が担当するそうです」
「会長って――」
天井に目を向けた夏彦の頭に浮かぶのは、今にも壊れそうな華奢な人形のような少女の姿だ。
「千里眼の瑠璃。彼女が出る以上、事件は解決したも同然ですよ」
何故だか少しつまらなそうなコーカは、一息に残りのコーヒーを飲み干すと、
「しゅっ」
と、手首から先をぶらすようにしてカップを高速で投げつけてくる。
勘で、『最良選択』で、それを予測していた夏彦は天井を見上げたままでそれを受け止める。
「とりあえず、僕が知っていることは全部喋りました。そちらからも中々面白い話を聞けましたし、有意義な情報交換でした」
コーカは夏彦の返事を待たず席を立つと、そのまま隙のない足運びで出口へと向かう。
「いえいえ、こちらこそ」
もう届かないだろうと分かっていながら返事をしてから立ち上がろうとして、夏彦は自分が受け止めたカップの中に紙幣が入っていることに気づく。
「いやはや、何から何までそつがない」
ため息をひとつついてから、夏彦はその紙幣で支払いを済ませて店を出る。
店を出ると、すぐに強烈な日差しを浴びて一瞬立ちくらみを起こす。
もう、夏だな、こりゃ。
襲撃事件の真相を調べるつもりが、どんどん回り道をしている気がするが、仕方がない。
次は風紀会にあたるべきだろう。
会長の瑠璃とはどんな人物なのか。もし彼女が捜査すれば即時解決するならば、どうしてレインは自分に調査を頼んだのか。そもそもレインは信用できる人物なのか。
調べなければならないことは山ほどある。
「けど、まずは、今日の分の書類整理か」
手で日差しを遮りながら、夏彦は口を歪める。
選挙期間中は一日で相当数の書類が溜まる。
これをほっとくと部下からも上司からも殺されかねない。ただでさえ選挙でぴりぴりしているんだし。
仕事ついでに、一応は雨陰太郎についてライドウ副会長と胡蝶課長に訊いておくのもいい。今回の件に限っては、あの二人は数少ない仲間サイドなわけだ――多分。
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