おどろく程のスピードでメールの返事は来る。
すぐにパズル研究部、その部室まで来てくれ、という内容だった。
どこか分からないので夏彦が律子に訊くと、律子も分からないとのことだった。仕方がないので二人して職員室に行って教師に訊くと、第六校舎――つまり、今夏彦たちがいる校舎の地下にあるらしい。
「律子さん、で、これから会いに行く人のことを教えてくださいよ」
地下への階段を降りながら、夏彦は質問する。
「え、えっと、クロイツさん。三年生だけど四年留年してる」
「ははあ、ということは結構年上ですね」
ちなみに、ノブリス学園では留年している人間は結構いるというのは情報として知っている。この学園では留年したとしても、それからの先の人生においてはそこまでのマイナスにはならないらしい、という希望的観測にしか思えない噂も。
地下に降りると、薄暗い廊下には教室の引き戸のものとは明らかに違う、普通の家庭にあるようなノブ付きのドアが並んでいる。それぞれのドアには何の部室かが書かれている。
どうやら、ここには文化部の部室が立ち並んでいるようだ。
「あと……クロイツさん、外務会の副会長」
えっ、超大物じゃないか。
夏彦は驚いて、
「それ、大丈夫なんですか? こんな、突然会って」
「うん、多分……クロイツさん、凄いいい人だし」
信用できないな。この人ちょろいからな。
夏彦は首をひねる。
「お、ここですね」
ドアには、「パズル研究部」と表札が打ち付けられている。
「入りましょう」
夏彦が言うと、背筋をぴんと伸ばして涼しげな顔をした律子は無言で頷く。
ノックをすると、「どうぞ」と柔らかな男性の音がした。
ドアを開けて中に入る。
部室は、寮の一室と同程度の狭いものだった。その部屋に、ワークデスクがいくつか転がっている。デスクの上には雑多なものが隙間なく積み上がっている。雑誌、おもちゃ、フィギュア等々。
部屋の中心にもデスクがあり、それを取り囲むようにソファーがひとつ、そしてパイプ椅子がいくつか並んでいる。
ソファーに男が一人座っている。
学生服だが、かなりだらしなく着ている。着こなし以前に、学生服自体がしわだらけでよれよれだ。目に掛かる程度に長い髪はぼさぼさ、無精ひげも生えている。
だらしない、を体現したような男だった。
体も顔もほっそりとしていて、また目を細めてにこにこしているので、どう見ても暴力的な男には見えない。
「ようこそ、この穴倉へ。パズル研究部の部長で外務会副会長、クロイツだ。つっても、他は幽霊部員で俺しか部室にいたことないんだけどね。どうでもいいけど」
「あ、どうも、司法会に入会した夏彦です」
「お久しぶりです、律子です」
律子は予めどういう風に挨拶するか決めていたのだろう、表情を崩すことなくそう言うと軽く会釈をした。
「どーもはじまして、律子ちゃんは久しぶり。ま、座ってよ。お茶とかないけど勘弁ね。どうでもいいけど。いや、よくないか」
ははは、とクロイツは笑う。さっきからずっと笑顔を崩さない。目は糸のように細いままだ。
「で、俺に話って? 黒木のことって、何?」
夏彦と律子は腰を下ろした。
そして、少しためらってから夏彦は口を開く。
「その前に、よろしいですか?」
言いながら夏彦は解除していた『最良選択』を起動した。
ここからは、どこまで話すべきか、そしてどこまで訊くべきかは勘に頼るしかない。
「いいよ」
クロイツは笑顔のままだ。
「今回、新入生について外務会が公安会に連絡したって話ですけど――」
「あーストップ」
笑顔のまま眉を寄せて困った顔をつくると、クロイツは片手で遮る。
「さすがにそれについては詳しい話できないよ。ほら、会同士、協力することもあるけど基本的には足の引っ張り合いでさ、なるべく自分の会が有利になるように立ち回るじゃない。俺としてはどうでもいいけど、副会長だから中々ね。貴重な財産である情報を他の会の人間に教えるのはね」
そうか。まあ、予想の範疇の反応だ。
むしろ、嘘で適当なことを言えたのに正直に話してくれた分、信用できる気がする。
「だったら、まずは俺の話を聞いてください」
そうして、夏彦はこれまでの経緯を一通り話す。
特に、教室で黒木が首を刺したことに疑問を抱いたことを。
「面白い。まあ、俺が面白いと思うかどうかなんてどうでもいいけど」
クロイツは笑顔で言う。
「――で、答えは出たわけ?」
「ええ」
答えて、ふと横を見ると律子が興味津々という顔でこちらを見ているので夏彦はちょっとびっくりする。
律子は目が合ったとたん、ちょっと顔を赤くして目を逸らす。
「どう考えても、あそこで首を刺すのは妙でした。誰かの限定能力のせいか、ともちょっとだけ考えましたけど、それで胴体を刺すのが首にしたからって誰が何の得をするとも思えません。そうなると、考えられるのは大まかに分けて二つ。黒木は俺たちには理解できないこだわりや理由で、首を刺した。もしくは、普通に胴体を刺そうとして手元が狂って喉を貫いた」
「理解できないこだわりや理由……? そのままじゃないか。黒木って奴は狂ってたのか? 秀才タイプだったって聞いたけど。手元が狂ったっていうのも納得できないなあ。一体どうやったら、一世一代の大勝負で胴体を刺すのを首を刺すような手元の狂い方をするんだい?」
「秀才タイプだからって、品性高潔だとは限りません――黒木は、クスリをやっていたんじゃないでしょうか?」
夏彦の言葉に、律子は息を呑む。
一方でクロイツはそれを聞いても大した反応は返さず、がりがりと頭をかく。
続けろ、という意味だろうと解釈して夏彦は続ける。
「クスリの中毒症状で幻覚幻聴、あるいは常人には理解できないような思考回路になるくらいは知っています。詳しくはないですが。あるいは、その影響で大きく手元が狂ったとしたら。その両方だった可能性もあります。ともかく、黒木が薬物中毒だったと考えれば、計画の上で人を殺す直前、その緊張の一瞬に奇妙な行動をしてもおかしくはありません。それに、つぐみも言っていました。黒木は挙動不審になるところがあったと」
そして、あの震える刀身。そう、黒木はあの時、全身を震わせていたのだ。緊張から? 確かにそれもありうるだろう。だが、もしもそれがクスリからくるものだったら?
「で、黒木が薬物中毒だったからってどうなるんだい?」
「札付きのワルである秀雄と優秀である黒木、二人を繋げる線が見つからないってことで両方と接点のあったつぐみが拘束されるはめになりました。でも、クスリって線があれば二人が繋がるでしょう。クスリを使う男と札付きの不良、関わりがあったって何もおかしくない」
「ふむ」
笑顔のままで、ぱちんとクロイツは指を鳴らす。
「素晴らしい。続けて」
まるで、話には続きがあると確信しているような口ぶりだ。
事実続きはあるので、夏彦は続ける。
「一番分かりやすいのは、クスリを買う側と売る側って関係です。そうだとして、じゃあクスリの売買がされて二人が知り合いになったのはいつ、どこでか。ノブリス学園とは思えません。入学してからの一週間ちょっとの間に、黒木がクスリを売っている生徒を探し出して売買して、更に六つの会全てに喧嘩を売るような計画を立てて、二人でそれを実行する。ちょっと現実的じゃない」
うんうん、と無言で頷いて横の律子は相槌を打っている。
「となれば、入学前、ノブリス学園の外で黒木と秀雄はクスリの売主と買い手という関係で、そこから二人ともにこの学園に入学したってことです」
ということは、どうなるか。そこから更に新しく疑問が湧いてくる。
だから夏彦は悩んだのだ。
「クスリの売主と買主が偶然、ノブリス学園にどちらも入学した。それだけなら偶然でありえますけど、入学後にその二人があんな事件を起こす計画を立てたところからすれば、偶然というよりは、二人はもともと計画があった上で入学してきたと考えるのが自然です。となれば――」
「外からこの学園に、計画を立てた上で二人を送り込んだ誰かがいるんじゃあないか、君はそう考えたわけだ」
ほんの少しだけ、クロイツの糸のような目が開いて、ひやりとする目が夏彦を捉える。
「だから外務会が今回の件に先立って動いていたというのは、君にとっては自分の推理を裏付けるものだったわけだ。そして、そこを確かめにここまで来た、と」
すぐにクロイツは、元の非の打ち所のない人の良さそうな笑顔に戻る。
「なるほど、なるほど。ふむ、夏彦君だっけ、君は中々優秀みたいだね……そうだな、こっちとしても今回の件がさっさと解決して、裏が見えればそれに越したことはないんだ。ま、正直、俺にはどうでもいいんだけどね」
へへ、と笑ってクロイツは肩をすくめる。
「よろしい、君の知りたがってることを教えようか。外務会がどうして公安会に、新入生に注意するよう呼びかけたのか――」
そのタイミングで、夏彦の携帯電話から着信音が流れ出す。
思わず夏彦は律子と顔を見合わせ、そしてクロイツに顔を向ける。
出てもいいよ、と顔だけでクロイツは答える。
「もしもし」
電話に出た夏彦の耳に、必要以上に大声で喋る虎の声が届く。
「もしもし、虎だ。虎&秋山ペアだけどよ、大変なことになっちったよ」
虎の言葉を証明するように、虎の背後で人の叫び声や動き回る気配がしている。
夏彦は嫌な予感がする。
『最良選択』を使用しているためか、この上なくはっきりと。
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