超絶政治闘争学園ノブリス改

片里鴎
片里鴎

エピローグ

公開日時: 2020年12月22日(火) 16:20
文字数:4,254

 もう、学園では夏休みに入っているのか。

 窓から広い庭を眺めていて、庭のプールに反射する光があまりにも強いことに目を細めて、クロイツはそれに気づく。

 空調の効いた室内は快適だが、外はさぞ暑いのだろう。


 豪奢な天蓋付きのベッド、本革張りの黒いソファーとデザインテーブル。赤い絨毯の敷かれた広い部屋で、スウェット姿のクロイツはロッキングチェアに揺られながらぼんやりと外を眺めていた。


 ここ最近は、クロイツはずっとこんなぼんやりとした時の過ごし方をしていた。


 学園内の話は、わずかながら入ってきた。


 核だったクロイツが抜けた外務会が一気に力をなくしたらしい。

 生徒会はもっと悲惨で、生徒会長のコーカは再起不能、副生徒会長は風紀会に逮捕され、顧問が死亡。選挙も混乱のうちに終わり、生徒会自体が崩壊しかけているそうだ。


 そして司法会が外務会、行政会と対立を深めているらしい。どうも司法会副会長ライドウと監査課課長胡蝶が原因のようだ。

 おそらく、今回のことでテキストについての陰謀が露呈したのだろう、とクロイツは見ていた。

 同志の死の意味を託していた二人にとって、そのテキスト自体が幻だとすれば、その幻を作り出した会に対してわだかまりを感じてもおかしくない。


 そうやって全ての会が混乱しつつある状況で、唯一平静を保ち、相対的に勢力を強めている風紀会。

 裏に潜み続けてきた公安会も、この混乱した状況を収拾しようと、ついに表に出つつあるらしい。


 もはや、完全に学園のバランスは崩れた。

 学園自体がおしまいになるのも、近いかもしれないとすらクロイツは思っていた。


 だが、そんなことはどうでもいい。

 もう、自分には関係のないことだ。


 ロッキングチェアに揺られながら、クロイツは惰性のように炭酸水を飲む。


 チャイムの音。

 分厚い、鋼鉄が中に仕込まれている木造りのドアの向こうに、誰かが尋ねてきたことを意味している。


「……どうぞ、開いてるよ」


 何重のセキュリティーシステムで守られ、更に外の組織の腕利きによって警備されている屋敷の一室ということで、部屋の鍵はかけていなかった。

 いや、ひょっとしたらそんなものがなくても、部屋に鍵をかけるようなマネはしていないかもしれないな、とクロイツはふと思う。

 どうでもいい。全ては、どうでもいいことだ。


 部屋を入ってきた男の姿を見て、クロイツは最初、眉をひそめる。

 誰なのか分からなかったからだ。

 見ず知らずの人間だと思って、もう一度よく頭の天辺から足の先まで見直して、


「……ああ」


 とようやく誰なのか気づいてクロイツは息を漏らす。


「珍客だね……最初、誰なのかと思った」


「私服だからですか?」


「いや、それもあるけど……雰囲気が変わったね、少し。どうでもいいけど。まあ、ようこそ、夏彦君、お茶でも飲む?」


「いや、結構です」


 暗い色のシャツとジーンズ姿の夏彦は、その目にも暗い色を宿していた。髪も幾分伸びており、顔が髪で隠れがちなところもまた、印象を暗くしている。


「そう……結構、危なかったみたいだね、今回。コーカに助けてもらわなきゃ、死ぬところだったとか聞いたよ」


 クロイツはぼんやりとした目を夏彦から窓の外に移し、チェアを揺らす。


「運がよくて死ななかっただけ、なんて、いつものことですよ」


「それもそうか……どうでもいいけど。しかし、よくここまで来たね。会の役職者ともなれば、学園を出るだけでも制限がつくのに、海外なんて」


「それはこっちのセリフですよ。まさか、こんな南の島にいるとは思っても見ませんでした。おかげで、探すのに手間取ったみたいですよ」


「俺を探し出したのは、やっぱり風紀会と公安会か」


「はい」


「それで」


 ゆるゆると、目を夏彦に戻す。


「それなのに、どうして司法会の夏彦君がここに?」


「志願したんですよ。色々と根回しが必要ですし、借りも沢山作りましたが」


「俺に、何か用かい?」


「ええ、直接訊いておこうと思って」


 言葉を切って、夏彦の暗い目が細くなってクロイツの目を捉える。


「何故です?」


 その、単純で何のことを訊いているのかはっきりしない質問に、しかし、クロイツは揺られながら目を閉じてしばらく考える。そして、しばらくして目を開いて、思いをはせるように天井を見上げる。


「どうでもよかったんだ」


 その声は老人じみている。


「学園に入って、上に昇れば昇るほど、将来の成功が約束されればされるほど、どうでもよくなっていったんだよ。俺には、もともと大した理想なんかなかった。そこそこ有能なのは自覚していたから、それを活かして成功したいと思っただけだ。学園で出世ゲームを勝ち抜くのは、面白かったしね」


 クロイツは両手で、ルービックキューブを回すゼスチャーをする。


「ほら、パズルと同じだ。どんどんクリアしていくのは面白いだろ。でも、ずっとパズルばっかりやってると、ふと、何のためにこんなことしてるのかなあって思うこと、ない?」


「パズルは好きではないので」


「そりゃあ残念。ともかく、飽きたんだ、俺は。でも惰性で、出世したり優位に立つために画策するのはやめられなくてね。そんな時、今回の話が来た。成功すればまた優位に立てる。失敗すれば、逃げるだけだ。逃げた先で結構いい暮らしさせてくれるって話だし、乗ってもいいかな、と思った。どっちにしろ、どうでもいいんだ、俺は」


「生徒会副会長が、吐きましたよ」


 突然、話の本筋とは関係ないかに思える一言。


 だが、それを聞いたクロイツは虚を突かれた顔をした後、ゆっくりと緩い笑いを浮かべる。


「ああ、根性ないな、全く」


「生徒会長の暗殺を企てたのはあなたに煽られたからだとも、雨陰太郎を紹介したのもあなただと言っています」


「ああ、そう。外の組織とべったりだったから、俺。実は月先生が雨陰太郎だってことは知ってたんだ、そこそこ昔からね。生徒会の会長と副会長を争わせて、そこで駒になるのが生徒会顧問だったら面白いじゃない。うまくいけば生徒会潰れるかな、と思って」


「実際、ほとんどその狙いは的中ですね」


「まあ、そうらしいね。けど、もう、どうでもいいけど。俺が外務会にいなけりゃ、生徒会の混乱を利用して勢力を強めることなんてできないし。いや」


 どろり、とした目を夏彦に向けて、クロイツは乾いた笑いを漏らす。


「本当は、外務会にいたとしても――どうでもいいかもね。で、他に聞きたいことは?」


「ああ、そうだ」


 夏彦は懐をごそごそとまさぐる。


「これ、解けましたよ」


 取り出したのは、取引に同行する前に、クロイツから暇つぶしにと渡された木彫りの犬だ。


「パズルが苦手なんで、解けるまで結構かかっちゃいましたけど」


「ああ、そう。そういえば、それあげたね」


「中身、もらってもいいんですか?」


「え? もちろん」


 クロイツは肩をすくめる。


「パズルを解いた人へのプレゼントみたいなもんだよ。どうぞ。嬉しい?」


「これですか。色々、役には立ちそうですね」


 夏彦が摘んで示したのは、どこにでもあるメモリースティックだ。


「内容は、クロイツさんが外務会副会長として知った重要情報の数々、ですか」


「うん。今の崩壊しかけている外務会なら、その情報をうまく使えば君が牛耳れるんじゃない? 外ともコネクションできるし。どうでもいいけど」


「……けれど、よく分からない情報も入っています。パスワードと、住所。それから、一緒に入っていたコインロッカーの鍵。あれの意味は?」


「どちらも同じだ。『御前』に会うために必要なものだよ……事、ここに至ればもう、君は直接『御前』に会うべきだろう。それがあれば会える……ああ、そうだ、虎を連れて行くといい。きっと役に立つ」


「どうして、これを?」


「さあ? 何となく」


 本当に自分でも分からず、首を傾げてから、


「ああ、でも、ひょっとしたら、君をあの取引に同行させて、死ぬかもしれない危険に晒すことを、ちょっと申し訳なく思ってたのかも。まあ、お詫びの品だよ」


「それを言うなら、あの場にいた全員がそうでしょう。あなたの部下も、何も知らずに平穏を望んでいた向こうの組織の人間も、皆死んでいった」


「まあね。だから、そうだな、ああ」


 納得して、クロイツは頷く。


「多分、君が結構好きだったんだろうな、俺は」


「どこが?」


 驚いたように、髪で隠れかけた目を少し大きくする夏彦。


「さあ、それこそ、分からないな。でも、君、結構人に好かれるほうなんじゃない? いや、違うな」


 がりがりとクロイツは頭をかく。


「君が、人を好きになりやすいんだろ。だから人に好かれるんだ」


「……かも、しれませんね」


 それきり、二人は黙る。


 窓の外ではさんさんと太陽が照っている。


「ところで、護衛はいなかったのか?」


 投げやりに、椅子を揺らしながらクロイツが質問する。既に目は窓の外の眩しいプールの水面に向いている。


「外の組織は手を引きましたよ。あっちこそもう完全に崩壊状態です。学園があなたを引き渡せと言ったら、是も非もなく従いました」


「だろうね。あんな弱体化した状態で派閥争いで延命拒否じゃあ、先は見えてる。それでも、争わざるを得ないのが組織の業なんだろうけど」


 興味なく、外の風景を見たままで、クロイツは呟く。


「ということは、今、俺を守る人間は誰もいないわけだ。そのメモリースティックがあれば、俺の利用価値もない」


「そういうことです。ああ、ところで」


「ん?」


「最期に訊いていいですか?」


「ああ、何?」


 夏彦はさらりと『最期』と口にし、クロイツもそれを当然のように受け入れていた。


「どうやって、殺人事件を偽装したんですか?」


「お察しのように限定能力だよ。俺の下らない限定能力だ。詳細は別にいいだろ。名前は『十三階段ロードムービー』。まあ、瑠璃がいるから多分ばれるとは思ってたけど、やらないよりはましだったろ」


「確かに、多少は混乱しました」


 言いながら、夏彦は懐から小さな銃を取り出す。


「まあ、どうでもいいだろ。どうせ、ここは学園でもなければ日本でもない。限定能力は使えないんだ」


「そうですね」


 夏彦は銃をクロイツに向ける。


「こっちの警察に捕まったりしないか?」


「後始末も含めて、外の組織にお願いしてあります」


「いいように使われてるな」


 プールを見たまま、クロイツは苦笑する。


「じゃあ……どうぞ」


「ええ。ケジメはつけさせてもらいます。


「――ああ、そういう感覚なのか。恨みとか仇じゃなくて?」


「ええ。ただ敵として見るには、もう――」


 疲れたため息と共に夏彦は答える。


「――あなたと親しくなりすぎました」


「因果な性格だね」


「我ながら、そう思います」


 そうして、引き金が引かれる。

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