会場は基本的にはにぎわっている。観客、敗退した選手、係員、皆が浮かれている。
特に盛況なのは出店だ。それも飲食店。それはそうだろう。審査員たちが色々と食べ飲みしているのを見ているそれ以外の人々も、当然何か口に入れたくなるというものだ。
串焼き、たこ焼き、お好み焼きにから揚げ、等々……色々な店が会場と観客席を取り込むように並んでいて、そこにたくさんの人々が列をなしている。
その中を、夏彦とつぐみは人と人の間を通り過ぎていく。
時間はない。早く捜査に向かわなけば。つぐみの緊迫した表情には、それがはっきりと書かれている。少なくとも夏彦には簡単に読み取れる。
「……うーん」
なんだか、まずそうな気がする。
失敗しそうな感じだ。
夏彦の勘――直感がそう囁いている。熱くなりすぎている、つぐみが。
「つぐみちゃん」
「な、に――」
声をかけるとつぐみは夏彦の方を向いて、口をあんぐりと開ける。
「あそこの店、人気がないんで誰も並んでなかったんだ。すぐ買えた。ほら、これ」
さっと通り過ぎ様に素早く金を渡して商品を受け取ることで、マジックのように一瞬で手にしたたこ焼きとジュース。それを夏彦はつぐみに渡す。
「んなっ、何を考えてるの、こんな状況で――」
「ちょっと行儀悪いけど、歩きながら食べよう。こんな状況だし、いいでしょ」
「いや、そういう問題じゃあ――」
言いかけて、つぐみはふっと顔を緩めて、
「仕方ないなあ。じゃあ、いただきます」
そう言って少し固そうなたこ焼きを口に放り込む。
「はふっ、あちち」
多少熱がりながらもおいしそうにそれを食べて、つぐみはジュースを一口。
「ふう」
夏彦もそれに倣って、たこ焼きをひとつ食べる。
二人で、人通りの中を歩きながら。
普段ならば行儀が悪いだろうが、他にも歩きながら食べている人間はいくらでもいるこの環境では別に目立たない。
「……ねえ、どうひてなつひほは……」
「たこ焼き口に入れたまま喋るなよ」
「ふへへ」
しまらない笑みを浮かべて口の中のたこ焼きをごくんと飲み込んでから改めてつぐみは、
「ねえ、どうして夏彦君はここまでしてこの件、捜査するの?」
「ええ?」
何か、今更な質問だな。
少し悩んでから夏彦は、
「……自分でもよく分からない。ただ、まあ――人のつくった料理の味を滅茶苦茶に不味くするっていう手法が、こう、腹が立って仕方がないんだよ」
多分それは理由の一つではある、と自己分析する。
「ふうん」
たこ焼きをつまむつぐみの顔はいつもの生真面目なものに戻っているが、声色は少し嬉しそうだ。
「そういう、つぐみちゃんは? 司法会だっていう、それだけ?」
「んん? あー……」
少し言い淀んでから、
「ほら、夏彦君分かっていると思うけど、あたし、料理にはこだわりあるのよ」
「料理指導の時の感じから、まあ、分かる」
正直に答える。
「でしょ? 結構素直なのよ、私。母子家庭で、大事なものは全部お母さんに教えてもらった。だから嫌いなものは嘘。好きなものは料理。趣味はバードウォッチング」
「それでノブリスネームがつぐみなのか」
なるほど、確かに素直というか、分かり易い。
「まあ、ちょっとね、うちが苦しかった時期があってさ。弟妹結構いるし、お母さんパートで」
遠い目でたこ焼きをもう一つ、口に入れるつぐみ。
「忙しい中でも、お弁当つくってくれて。お弁当には必ず卵料理があってさ。少しでも手伝いたくて料理を教えてって言ったら、いつも優しいお母さんが料理教える時だけは凄い厳しくて。料理は心を込めて丁寧にやれば、必ずおいしくなるから、だからちゃんとやりなさいって。他の人に、おいしいものを食べさせてあげたいって、そう思うのが、人間にとって一番大切なんだって」
ふふ、とつぐみは笑う。これまでとは違う、吹き出すような笑い。
「違った。ごめんごめん。厳しいのは他にもあった。嘘をついた時、めちゃくちゃ怒られたわ。嘘も厳しかったなあ。それから、たまの休みには疲れているだろうに私たちを皆、近くの大きな公園に連れて行ってくれて、そこで鳥のことを色々教えてくれた」
「前も言ったと思うけど、何だか故人の思い出みたいな語り方だからやめろよ。誤解するぞ」
「ふふ、失礼な。お母さん、ぴんぴんしてるわよ。とにかく、お母さんの教えが、私の根本にあるっていうのは、どうも確かみたい。だから、その料理に泥を塗るような真似をする奴はね」
ぱしん、と拳を掌に打ち付ける、似合わない勇ましいゼスチャーをしてつぐみは、
「ぶっ飛ばす」
「いいね」
と、そこで夏彦はたこ焼きを食べ終えたつぐみの口の端にソースがついているのを発見する。
「なんだ、そういうところあるんだな」
「え?」
目を丸くして首を傾げるつぐみの口に、ペーパーナプキンを近づけてやると、
「うわっ、な、なに?」
「ソースついてる」
「え、本当? ちょっと、自分でできるから。恥ずかしいわよ」
「いやいや、弟子に師匠の世話させてくださいよ」
へへへ、と卑屈に笑って、料理の師匠の口を拭く。
多少恥ずかしそうにしながらも、つぐみは大人しくされるがままにされる。
ああ、と夏彦はそこでひそかに納得する。
自分がこの事件に拘っているのは、料理の師匠であるつぐみを汚された気分がしているかもしれない。師弟の絆ってやつだ。
「――さて、じゃあ、いこうか」
夏彦は空になったたこ焼きの容器をくしゃくしゃに握りつぶすと、少し離れた場所にあるごみ箱へとシュートする。見事に入る。
「ん……え、ええ、休憩はこれでおしまい」
我に返ったようで、つぐみも空にした容器を、きちんとゴミ箱に捨ててから、
「……捜査開始ね」
「うん。犯人を見つけて、ぶっ飛ばすとしよう」
夏彦の言葉に、つぐみはにやりと笑って足を速める。
それから、
「ところで、夏彦君」
「うん?」
「今回は見逃すけど、女の子に気軽に今みたいなことをするような人なら、次からは夏彦君もぶっ飛ばす対象だから」
声が本気っぽいので夏彦はふう、と息を吐いて呼吸を整えなければならない。
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