超絶政治闘争学園ノブリス改

片里鴎
片里鴎

雨の幽霊屋敷3

公開日時: 2021年1月17日(日) 20:57
文字数:4,731

 奇妙なことに、少年はその瞬間、逃げるのをやめた。

 それが何故なのかは、少年自身にも不確かだ。逃げてもあのスピードで動く巨人の前では無駄だと思ったのか、強くなりたいと願う自分がただ逃げることに嫌気がさしたのか、それともあまりに突然の展開に体が動かなくなってしまっただけか。

 多分、その全てだ。


「おいおい」


 刹那のうちに、自分に向けて振り下ろされる青く燃える棍棒のような巨人の腕と、それを助けようと走りこむ男の姿が見えて、そして男の呆れたような呟きが聞こえる。


 衝撃。

 視界が回り、轟音が耳を打つ。

 気がつけば少年は芝の上を転がっている。

 立ち上がろうとしたところで、激痛が全身を襲う。特に、右脚。


「ぐっあ」


 全身を強く打ったようだし、右脚はどうやら骨折している。何とか上半身を起こした少年は、自分の右脚が曲がってはいけない方向に曲がっているのを見る。


 だが、その激痛も、自分の右脚の状態もすぐに吹き飛んでしまう。目の前の光景に。


 そこには、悠然と立つ巨人、そしてその前に屈む男の姿がある。


 明らかにダメージを受けている男は、その顔の右半分を黒焦げにしている。

 巨人の腕によるダメージなのは、少年を庇ったから受けたダメージなのは明らかだ。


「さすがは、小物。卑劣で結構だ。あいつがあんたを選んだ理由も分かる。確かに、あんたみたいなのに力を与えたらどうなるのか、興味を抱くのも分かるな、兄弟」


 常人ならば苦悶の果てに死ぬようなダメージを受けながらも、男は憎まれ口を叩く。

 更に、男の顔の右半分は、ゆっくりとだが再生すらしつつある。


 少年も半分予想はしていたが、やはり男は人間ではなかった。


 だが、その速度は巨人のものに比べればあまりにも遅く、更に声は明らかに力を失っている。

 巨人とは違い、男は攻撃を受ければダメージを受けるのだ。そして、この様子だと、許容量を超えるダメージを受ければ、死ぬ。


「わしの信者とは違い、そこの小僧は貴様のために死ぬつもりはない。つまり、お荷物だ。ハンデを抱えた時点で、貴様の負けよ」


 勝ち誇ったように巨人が言う。


 その言葉に、お荷物、ハンデという言い方に、一瞬、少年の全身の毛が逆立つ。

 許せない。

 不安や恐怖、痛みを全て塗りつぶして、単純な怒りが全身を駆け巡る。

 強くなりたい。そう思って生きてきた。この状況になって、恐怖を感じて、無力な自分に失望した。だが、それでも。その言葉は許せない。俺は、そんなものにならない。

 俺は、お荷物やハンデじゃない。強者だ。


「自分のために死ぬ人間以外はハンデか。すげえ価値観だな、そこまでいくと逆に尊敬」


「俺は」


 嘲るように言い返そうとする男の言葉を遮って、少年が口を開く。


 ぼかん、として男が少年に顔を向ける。


「俺は、ハンデやお荷物なんかじゃない。そんなものにはならない」


 目の前の化け物二人に対して、こんな意味不明な空間で、片足を折って上半身だけ起こしている自分が言うのは滑稽だとは分かっていた。

 それでも、少年は言葉を止められない。


「もう、俺を守る必要はない。一人で大丈夫だ、あいつを、やっつけてくれ」


 何が一人で大丈夫なものか、と我ながら情けなくなりながらも、少年は必死で虚勢を張る。


「くく」


 嘲りの笑い声。

 巨人だ。巨人が、少年の虚勢を嘲笑っている。


 少年は、それも当然だと思う。


 だが、男の反応は違う。

 眉を顰め、唇を噛み、まるで今にも舌打ちでもするかのような不愉快そうな表情をしている。


 自分のした助けを拒否されたようで気に障ったのか?

 そう少年は予想するが、


「全く、これだから、道はどこまでも長い。こんな存在になっても、果てが見えない」


 疲れたように、だがどこか嬉しそうに男は言う。


「いくら彷徨って経験を積んでも、己を鍛えても、やはり尊敬に値する強者には出会ってしまう。キリがない。追い付けない。ふん、エリートか。心が折れそうになるな」


 その言葉とは裏腹に、力強く男は立ち上がる。


「さあて、それじゃあ、期待に添わないわけにはいかないな。こいつはあまり好きじゃあないが、仕方がない。これ以上みっともないところは見せられないしな」


 日本刀が出現し、男は右手でそれを握り、背負うように構える。


「愚か者が。そんな刀では神の偉大なるお力には叶わぬと何故分からぬ。卑小なる者よ、小僧共々燃え尽きるが」


 嘲る巨人の声が、止まる。


 男の握った刀、その刀が黒い瘴気のようなものに包まれている。

 男を中心に、黒いそれが渦を巻いている。


「何だ、『それ』は?」


 巨人の声に、少年からも判別できるくらいの怯えが走る。


「知らん。元々俺のものじゃないしな」


 刀を中心に、黒い竜巻が場を支配している。何の知識がなくとも、良くないものだと判断できる不吉な竜巻だ。


「これは無理矢理傭兵をさせられてた時に、俺と『ブービー』と『聖騎士』の三人がかりでようやく対抗できた力の渦だ。元々は人間だったのが現象へと成り果てた傭兵、『大災害』の能力だ」


 意味不明なことを言いながら、男は無造作に巨人へと歩み寄る。


 巨人は凍りついたように動かない。気圧されているのだ、おそらく


「破壊そのものだ。こいつで、何もかも破壊できる。ただし、制御できないんで大嫌いだがな」


 そして、


「即死はしない。まあ、我慢しろ。強いんだからできるだろう」


 その呟きが巨人に対するものではなく、自分へのものだと少年が気づいた時には、男の一撃が、黒い風を纏った刀が、金縛りのように動けなくなっている巨人へと叩きつけられている。


 次の瞬間、嵐が起こる。


 それはまさに黒い嵐だった。

 瞬間、跡形もなく巨人が掻き消えるだけでなく、巨人のいた地面から暴風が吹き荒れ、芝ごと地面を削りとり、オブジェを破壊し、空間までもが引き裂かれていく。

 その衝撃は真っ先に、男の持つ刀を襲い、刀身が粉々になった挙句に消滅する。そして、持ち手である男の体も、暴風に襲われてズタズタになっていく。

 衝撃の範囲は更に広がり、一瞬のうちに少年の目の前のにやってくる。


「このことか」


 呟いた瞬間、暴風に飲まれた少年は全方位からランダムに衝撃を受けて、視界は暗く沈んでいく。何故か痛みはあまりなく、ただ何もかもが奪われる感触だけがある。

 闇。





 雨の音で、目を覚ます。

 ループしているような不自然なものではない、ごく自然な雨音。


「あ」


 生きてる?

 少年は飛び起きる。


 世界は一変していて、そこは廃墟じみた屋敷の廊下だった。もちろん、延々と伸びる冗談のような廊下ではなく、ごく普通の廊下だ。


 自分の体を確かめる。怪我をしていない。右脚の骨折すら治っている。

 痛みもない。


「これは」


「お、目を覚ましたか、間に合わないかと思った」


 声に振り向くと、そこには男が壁にもたれかかるようにして立っている。かなり疲れているようだが、外傷はない。


「あ、お、おじさん」


「お兄さんで頼む。気分は学生なんだ」


「お、お兄さん、だ、大丈夫なの」


「いいや」


 疲れたように男は首を振る。


「一応表面だけ緊急回復しただけで、中身はぐしゃぐしゃだよ。あれからそんなに時間は経ってないんだ。俺の回復能力じゃあ、あそこから回復するには時間がかかる」


 回復能力、と聞いて合点がいく。

 そういえば少しずつだが回復していたな、と少年は思い出す。


「け、けど、俺は?」


「ああ、当然君も重傷だったけど、あれだ」


 少し口ごもってから、


「俺の血を飲ませた。で、めでたく回復だ」


「え、血? ひょっとして、吸血鬼みたいに俺もお兄さんの同類に……」


「違う違う、俺の味方には血が薬になるんだよ。まあ、そういう能力なんだ」


 そういう男の姿が、不意に薄れ始める。

 まるで、あの老人のように半透明だ。


「お、お兄さん、体が」


「ああ、来たか」


 男は面倒臭そうに肩をすくめるだけだ。


「別に消滅するわけじゃない、あの老人と違ってな。俺のは、この屋敷の中が普通の空間に戻ったから、別の場所に移動するだけだ。俺は時空が歪んだ場所にしか存在できない。あのストーカーをぶちのめしてズレを直してもらうまでな」


 言っている意味はよく分からないが、もうお別れだと言うことは分かる。

 少年にとって、別れを悲しむには短すぎたし、無言で別れるにしては世話になった。


 だから、自分のことを話すことにする。


「俺、強くなりたいんだ」


「ああ、だろうな。まあ、結構今も強いと思うけど」


「もっと、もっとだ」


「分かる」


 消えかけた姿で、男は頷く。


「あの、お兄さん、ノブリス学園って、言ってたよね、確か」


 老人との会話で、確かにその単語が出てくるはずだ。


「俺、将来はそこに入るつもりなんだ。入って、強くなりたい」


「あん?」


 不意に、これまで余裕たっぷりで消えようとしていた男の態度が一変する。

 不愉快なような、焦っているような。


「なあ、君いくつだ?」


 どうして年齢を? と不思議に思いながらも、少年は自分の年齢を伝える。


「マジか。ええと、被るかな。君、ノブリスネームってもう決めてあるか?」


 首を傾げながら男は更に質問する。


 ノブリスネームとは、学園内で使う本名以外の名前のことだ。

 まだ先の話だと思い、少年は全く決めていなかったが、


「雨」


 ふと、さっきからずっと降り続けている雨の音が気になる。少年のこのトラブルに巻き込んだ雨の音が。


「雨? ああ、よかった、知らないな」


「あ、ちょっと待って、さすがに安直すぎる。ええっと」


 悩むが、慌てているさいかアイデアは全く浮かばない。


「あ、じゃあ、英語にする。レイン」


 少年がそう言った途端、男が仰け反る。


「嘘だろ!?」


 それから、かなり薄れている顔を少年に近づけ、


「ぐっ、ね、年代はあうし、何より面影があるな」


「え、何のこと? それより、これで最後なんだからお兄さんの名前教えてよ」


「絶対に嫌だ」


 何気ない少年の言葉に、男は激しい拒絶を示す。


「どんなことになるか想像もつかん。それはダメ、絶対。ああ、あと、それから」


 男の姿が消えかけ、声が遠くなる。


「いいか、俺からアドバイスだ」


 だがそんなことはどうでもいいとばかりに男は喋り続ける。


「まず、人のことを貴兄とか呼ぶような気取ったマネをする大人になるな」


「いや、何それ、恥ずかしい」


「お、いいぞ、その感覚を忘れるな。あと友達を選べ。危なそうな奴とは距離を取れ、親友になるなんてもっての他だ。それから」


 言っているうちに、男は消える。


 後に残された少年はぽかんとする。


 やがて、もう何も起こらないのが分かって、ゆっくりと屋敷を出る。


 雨が酷い。軒先で雨宿りしながら、うんざりした気分になる。カメラもどっかにいっちゃったし、傘なんて迷い始めた序盤で無くした、確か。


 あの男の態度、まるで未来の自分を知っているみたいだったな。時空が歪んでいるとか言っていたし、ありえないことじゃない。

 少年は思う。

 けど、途中までは気づかなかったところを見ると、どうやら未来の俺は今の俺の面影があまりないらしい。

 強くなっていればいいな。今度は、あの巨人に立ち向かえるくらいに。


 よし、と決心して雨に濡れるのを覚悟で少年は一歩踏み出す。

 途端にずぶ濡れになる。

 雨に濡れた頭で、少年は愉快なことを思いつく。

 あの男の言動からして、ひょっとしたら自分は男とまた再会できるかもしれない、ノブリス学園で。

 それなら、再会した時に、一発で自分だと分かるようにしておこう。人が変わったみたいに強くなった自分を見せて、あの男が驚いたら愉快だな。


 くすくすと笑いながら、少年は雨の中を足を進める。

 じゃあ、まずはノブリスネームはレインに決定だ。人を呼ぶ時は貴兄と呼んで、なるべく危なそうな奴と友達になろう。

 ええと、それから。

 強くなろう。


 雨は止みそうにないが、もうそれは気にならない。雨に負けるような弱い存在じゃあない、と少年は胸を張って歩く。

 俺はノブリス学園の強者、レインだ。

終了です。

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