まずは落ち着こう、ということで隠れ家に入って一人一人、それぞれに部屋を割り振られる。
夏彦も部屋を割り振られ、警戒しながらもとりあえずその部屋に入る。
部屋は安いビジネスホテルの一室程度の広さで、ベッドと机、そして椅子だけの殺風景なものだった。窓すらない。
別にここまで来て贅沢しようとは思わない。
夏彦はベッドに腰掛け、そして大きく息を吐く。
襲撃にあって以来、ようやく体の緊張を少しだけ解く。とはいえ、こんな状況でリラックスできるわけもない。風呂に入ったり、寝たりするなんてもっての他だ。
それに多分すぐに緋桜か月から何らかの提案があるだろう、と予測した夏彦は、ただただ事態が動くのを待つことに決める。
それにしても、まさかこんなことになるとは思っていなかったから、荷物の一つも持っていない。
ふと、夏彦は自分のポケットが膨らんでいることに気づく。
「何だ?」
取り出してみると、それはクロイツから渡された木彫りの犬のパズルだった。
そう言えばこれをもらっていたな、と思い、時間つぶしも兼ねて夏彦はその犬の首や手足を適当に回転させる。
しかし、いくら回転させても何も起こらない。正しい順序で回せば開くとか言っていたが、その正しい順番を知らなければどうしようもない。ヒントがないのだ。パズルとして成立していない。
「何だよこれ、どうすりゃいいんだ?」
時間つぶしのためにしていたつもりが、いつの間にか夏彦は犬の首と手足を回す作業に没頭していく。
そのうち、どうやら右手と首、左手と右足といったように、特定の組み合わせのパーツが連動して、片方を回転させると僅かながらもう片方が逆回転していくことに気がつく。
なるほど、この縛りがかかった上で、首と両手足を全て180度回転させてやるのがゴールらしい、と夏彦は気づく。
気づいてからも、夏彦は犬のパズルに没頭する。
「もしもし」
だから、ドアが開けられたことにも不覚にも気づかなかった。声をかけられるその時まで。
もっとも、それは彼女が明らかに気配と音を殺したドアの開け方をしたことにも多分に原因があるが。
「……緋桜さん」
驚いたが、夏彦は気づかなかった恥ずかしさもあって、必死で冷静な振りをする。が、顔がどうしてもひきつってしまう。
「ああら、随分可愛らしいもので遊んでるじゃん。余裕だね」
緋桜は服装はもちろん、片手に銃を持っているところまでビルに入った時と変わっていない。
「ちょっと話し合いしましょうよ、皆で」
「皆って、外務会と俺たちですか?」
「何言ってるの? アタシとあなたたち三人だけよ」
「ああ」
やっぱりそうか、と夏彦は納得する。
この雑居ビルに入った時、人の気配がしなかったし、それ以降誰かが入ってきた様子もない。
「どうしてですか? まさか、緋桜さん以外の外務会の人全滅とか……」
「んなわけないでしょ。今だってアタシが指示出してるわよ。少人数でバラけて潜伏したり活動したりしてるの」
「それにしたって、ここに外務会が緋桜さん一人だけっておかしくないですか?」
「ああら、ちっともおかしくないって。要するに、あなたたちが怪しいから、いざ乱戦になっても大丈夫なようにこういう配置になってるわけ。アタシが何の気兼ねもなく銃を乱射できるでしょ」
「なるほど」
ぞっとするような真実だ。
夏彦はうんざりしつつ、緋桜の銃を見る。
「それ、散弾銃ですよね」
確認のつもりで夏彦は言う。
「うん。正確には、散弾銃のガスガンだけどね」
「ガスガン!? 本物じゃあないんですか?」
一発で数人の男を吹き飛ばした時のことを思い出す。
あれがガスガンだとはとても信じられない。
「玩具よ、これ。もっとも、改造して至近距離なら本物並みの威力が出るけどね。硬質ゴム製の散弾が敵を吹き飛ばすってわけ。本物の散弾銃だと、撃ったら即相手ぐちゃぐちゃになっちゃうから、結構不便なんだよね」
「ぐちゃぐちゃって……」
明らかにぐちゃぐちゃにした経験がある口ぶりだ。
夏彦はぞっとして身震いする。
「さっ、じゃあ、お話し合いしよっか」
丸く大きな目が、夏彦を飲み込む。
「……そうですね、行きましょう」
気持ちを落ち着かせ、表情を冷静なものにして、夏彦はその目を正面から見返す。
「ああら、さすが司法会の夏彦。なかなか肝が太いじゃない」
「こういうのは飲まれた方の負けですからね」
とはいえ、実際にはもう飲まれているんだけど。
夏彦は自分の強がりを密かに自嘲する。
飲まれていない振りをしているだけだ。
緋桜に連れられて雑居ビルの一室に夏彦が向かうと、そこには既に月と顔色の悪い男がパイプ椅子に座って待っていた。
月は優雅に湯のみで緑茶をすすっている。
対照的に男は顔色をますます悪くしてきょろきょろと落ち着きなく視線を彷徨わせている。
「やあやあ、お待たせ」
相変わらず銃を持ったまま、緋桜はつかつかと無造作に歩くとベッドに腰掛ける。
「どうも」
夏彦はそう言って、座らず立ったままでドアの近くに落ち着く。
有事の際に、一番有利な位置、そして体勢を保っておくためだ。
「じゃあ、話し合いを始めましょうか。ええっと、まずは現状確認からの方がいいのかな?」
銃を片手に、緋桜は小首を傾げる。
「当たり前だろうっ、何がどうなってるのか説明しろっ! この責任はどうしてくれるんだ!」
男が怒鳴る。
「まあまあ、落ち着いて。で、外務会が把握してる限りでは、どういう状況なんですか?」
夏彦はドアの横にもたれながら諌める。
「うちが把握してるのは、取引現場が襲撃されたこと。襲撃してきた連中は、二束三文で雇えるようなチンピラだけだってこと。今のところ、その襲ってきたチンピラは全員外務会が確保済み。警察との交渉にも入ってるって話ね」
「へえ、あれはチンピラだったんですの。でも、狙撃してきた連中もいましたわ。チンピラにそんな芸当ができますの?」
月が冷静に疑問を口にすると、
「チンピラって言い方は悪かったかな。要するに、でかい親のいない暴力団と二流の殺し屋の集団よ、あいつらは」
そんな連中をチンピラって一言で切って捨てるか、普通?
夏彦は緋桜の適当さというか豪胆さに呆れつつ、
「つまり雇われ人ってことですね。誰が雇ったかは、今のところは?」
「仲介屋を何人も通してるらしくてね。誰が黒幕かは不明。だから、今回の騒動を企んだのは、外務会の勢力を削ごうとした他の会かもしれないし、外務会の主流派じゃあない一派かもしれない。それに」
すっ、と緋桜は銃口を男に向ける。
男は当然ながら震え上がる。
「あなたたちかもしれないってわけ」
「じょ、冗談じゃあないっ、いいか、俺たちがそんなことをするはずないだろう、あそこでうちのほとんどの人間が殺されたんだぞっ」
「確かにそうですわね。けれど、あなた方にだって派閥はあるでしょう。他の派閥が何か企んだ、ということは?」
「ありえんっ!」
月の追及に対して、男は怒鳴るように断言する。そして、一転して肩を落とすと、
「……今のうちの状況くらい分かっているだろう? もう、うちはほとんど終わりなんだよ。詰み間近だ。どんな派閥だろうが、今一番に考えるべきは延命、ただそれだけだ。今、学園と喧嘩して生き残れるなんて、うちの連中は誰も思っていない」
と沈んだ声で説明する。
「ああら、ごめんね、言いづらいこと話させちゃって。でも、そうよね。そっちは切羽詰ってるわけだし、どんな派閥であろうと学園とこれ以上揉めるわけにはいかない、か」
そこで、緋桜はふと男が抱えている金属ケースに目をやる。
「そうだ、それ、中身が例のメモでしょ、ちょっと確認させてもらえない?」
「こっ、断る」
男はケースを抱きなおす。
「今となっては、これが俺の命綱だ」
「その理屈も分かるけどさ」
にやりと緋桜は邪悪な笑顔を浮かべる。
「今、この場においては3対1なわけじゃない。その命綱を守るために命を捨てるわけ?」
「なっ……くっ」
男は顔を蒼白にして絶句する。
だが、そこでお茶を飲み終えた月が言う。
「正確には1対1対1対1ですわ。気づいているんでしょう? 我々は、誰一人として自分以外を心から信用などしていませんわ」
「そうですね。今、緋桜さんが無理矢理にそのケースを奪おうとするなら、緋桜さんを信用できない俺としては止める側に回るしかありません」
夏彦と月の言葉に、猫科動物のように緋桜の瞳孔が拡大する。
「ああら、止める? あなたたちで、アタシを止める? できると思ってるの?」
ぴしりと場が凍って、息苦しいほどの緊張が溢れる。
だが。
悪くない。悪くない流れだな。
夏彦は何故かそう感じる。これまで何度も修羅場を経験してきた、勘がそう囁いている。
もう少しこの流れに乗ってみるか。
「やってみますか? 俺だって、腐っても司法会課長補佐ですよ」
「そうですわ。それに、経歴からも分かるように夏彦君はかなりの武闘派ですし。それに、生徒会顧問のわたくしもいることをお忘れなく」
ふわり、と月は立ち上がる。
「司法会の麒麟児・夏彦に『仏心鬼面』の月か……けど、ここは学園の外。限定能力のない外で、外務会処理部隊に勝てるとでも?」
長いツインテールをはためかせて、緋桜はゆっくりとリズムをとるように体を揺らす。
「やってみないと分かりませんわ。ねえ、夏彦君?」
「一応、学園長直伝の格闘術もあるんで、それなりには抵抗させてもらいますよ」
それきり、無言。
お互いの顔が険しくなり、今にも場に満たされた緊張がはじけとぼうかというその瞬間。
「ま、待てっ、分かった、分かったから……こんな、いつ襲撃されるかも分からない状況で、内輪揉めなんて馬鹿じゃないのかお前ら」
疲れたように男が言って、金属ケースを差し出す。
「ほら、好きにしろ」
「ああら、では遠慮なく」
緋桜はそう言ってケースを受け取り、こっそりと夏彦と月に向かってウインクしてくる。
全く、疲れる芝居を即興でさせて。
夏彦はため息。横を見れば月も同じように息を吐いている。
「さてさて、鬼が出るか蛇がでるか」
そうして、緋桜が金属ケースを開くと、
「それが……」
傍から見ていた夏彦が声をあげてしまう。
金属ケースから出たのは、くしゃくしゃに丸められ、ケースに無理矢理詰められていた古い紙の束だった。何やら細かい字で書かれている。
これが、例のテキストか。
感心する夏彦だったが、緋桜の表情が険しいことに気づく。
「ダミー……? どういうこと?」
緋桜が呟いて、その丸められた紙を広げる。
「ダミー? それ、偽物ですの?」
月が訊くと、
「うまく偽装しているけど、これは古い紙に古いインクを使って最近書かれたものよ」
緋桜は言いながら紙の束を広げ、その内容に目をはしらせて、
「――それに書かれている内容も、どうやら会の役職者レベルだったら誰でも知ってそうなことばかりね」
「馬鹿なっ、そ、それが例のテキストじゃあないっていうのか!? お、俺が渡すように言われたのは間違いなくそのケースの中身だぞっ」
混乱したらしく男が叫ぶ。
「ああら」
と、広げられた紙の束から、ころりと小さな破片のようなものが落ちる。
傍目には紙に紛れていたゴミとしか思えないそれを、緋桜は拾い上げ、
「GPSと盗聴器……舐められたもんね」
ぐちゃり、と握りつぶす。
「どっ、どういうことだっ!」
取り乱した男の声と重なるように、ガラスの割れる音が響く。
「困りましたわね」
月は相変わらず優雅に、しかしそれでも身を低くする。
「これは……」
夏彦も身構える。
「ああら、アタシたちが気づいたことに、盗聴器で向こうも気づいたってことね」
緋桜は銃を両手で構え直す。
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