「つまり、賽は投げられた、ということだ」
「学園の混乱のことを言っているのか?」
「そうだ」
「あんたなら、治めることができるはずだ。それをしないのは、つまり、もうする必要がないってことか?」
「そうだ」
「探し物が、見つかったと?」
「そうだ」
夏彦と男の問答のさなかから光景の再生は始まった。
「俺だって言うのか、その探し物が」
「そうだ。何度も言わせるな。お前が選ばれた、いや、お前が選んだのだ」
「俺は、何も選んでいない」
吐き出すように言った夏彦に、
「いいや、選んだ」
男は即答する。
「いいか、お前は自分の意思でノブリス学園に来た。自分の意思で司法会に入り、自分の意思で事件に関わり、上に昇った。全てが、お前が選んだ結果だ」
どこからか、電子音がする。
「それの、何がおかしい? 俺は、エリートに憧れていた。だから、憧れに近づこうと努力しただけだ。それの、何がおかしい」
「いいか、人は皆、誰かが何かに憧れている。だが、憧れに追いつける人間は一握り、選ばれた存在だけだ。チャンピオンに憧れたボクサーの誰もがチャンピオンになれるわけではない」
「だろうな」
「いいか、いくらお前がエリートに憧れていたとはいえ、お前には実際にエリートとなる素質はない。選ばれた人間で構成されたノブリス学園の会の役職者ともなれば、なおさらだ。だが、お前は昇りつめた。お前の素質ではけっして辿り着けない場所に。お前はイレギュラーなのだ。私が追い求め続けた、イレギュラーだ」
耳障りな電子音は鳴り止まない。
「そんな大したもんじゃない。俺は、ただ、運がよかっただけだ」
「そうだ。お前は運に恵まれた。私の除く五人の王と親交を持ち、頼りになる人間を味方につけた。天運。だが、それに頼っていただけではない。実際の力を、権力を、人脈を、そのすべてを身につけ、今やお前はいずれかの会の王となってもおかしくないだけの力と実績を積み上げた」
「五人の、王? おい、勘違いだろう。俺は、公安会の会長とは、まだ」
「お前はイレギュラーだ。後は、お前が本物のイレギュラーであることを、証明しろ」
男は夏彦の言葉を無視して続ける。
「証明? どうやって証明しろって言うんだ。馬鹿馬鹿しい。大体、それを証明して、俺に得があるのか?」
「お前が『最良選択』の限定能力を手に入れた時から、全ては動き出し、そうして今や引き返せない場所まできている。いや、あの限定能力であった時に、もう戻る道はなかったのかもしれない」
「……勘の強化、それがどうしたんだよ? それが、一体どうしてーー」
「もう賽は投げられた。お前には証明するしか道がない」
「何だよ、学園が崩壊するのを、あんたが止めてくれるって言うのか?」
「お前が望むのならばな。もう、学園の役目が終わったから、私は手出しをしていないに過ぎない。もはや、学園が存続しようが潰れようが興味はない」
影に隠れた男の顔は笑っているようだった。
電子音はどんどん大きくなってくる。
「ところで、身体は大丈夫か?」
「何?」
唐突な男の問いかけに、夏彦は怪訝な顔をする。
「しばらくの間は、何かの拍子に手術跡が浮かび上がるかもしれない」
「手術、跡?」
電子音がうるさくてたまらない。
「記憶の方は大丈夫か、夏彦? お前は、今が何時なのか分かっているのか?」
「理事長、あんた、何を言ってる。 どういう意味だ?」
周りの景色が水飴のように溶けていく。
誰か、このうるさい電子音を何とかしてくれ。
「今、この会話をしているお前は、本当に今のお前か? それとも、レインの能力でこの記憶に戻ってきたのか?」
男の影が歪む。
「あああああ!」
絶叫し、飛び起きた夏彦は、目を見開く。
自分の部屋だった。ベッドに、汗をびっしりとかいた夏彦は立ち上がってしまっていた。
「うっ……」
周りの景色がぐるぐると回る。
気分が悪い。
洗面所にふらつきながらも駆け込むと、こみ上げてくるものをすべて吐き出す。
「はぁっ……はぁっ……」
ふと見れば、両手にびっしりと蚯蚓腫れが。
手術跡が浮かび上がるかもしれない。
男の言葉が蘇る。
「くそ、何なんだよ」
呻く夏彦。
電子音はずっと続いている。
「これ、電話か」
ようやく気づく。
電子音は、携帯電話の着信音だ。
ベッドに戻った夏彦は、枕元でなり続けている携帯電話を取り上げる。
「もしもし」
「おっす、俺俺」
「虎か」
能天気な虎のいつもの声に、夏彦はほっと息を吐く。
ようやく、現実に戻れた気がする。
「死にそうな声してるな」
「まあ、いいだろ。それより、どうした?」
「約束、とりつけたぜ。明日の深夜だ」
誇らしげな色を滲ませて虎が言う。
「学園長か?」
「おお、理事長について教えて欲しいらしいってのも、ちゃんと伝えてある。その上で、会ってくれるってよ」
「……それは、ありがたいな。まさか、こんなにうまく行くとは」
本心だった。
「ま、それはそうと、夏彦」
「ん?」
「要するに、明日の深夜にはお前は死ぬかもしれねえわけだ」
「はっきり言うな、お前は」
苦笑してしまう夏彦だが、確かに言う通りだと納得もしている。
理事長について、もはや会の人間でもない自分が踏み込もうとする。それも、こんな学園の混乱している状況で。
殺されても、おかしくはない。
「だからよ、明日は、思い残すことのないように、色々やったら?」
「特にないよ、やること」
笑いながら夏彦は答える。
「はっ、そうかよ。ま、悪かったな、こんな夜中に」
「いや……」
時計を確認すると、深夜の三時だった。
「電話で起こしてもらって助かった。悪い夢を見てたんだ」
嘘っぽいが真実だ。夏彦は本心から感謝する。
「ふん、そう言ってもらえると助かるぜ。じゃあな」
あっさりと電話は切られた。
息を吐き、ベッドに腰掛けた夏彦は、しばらくの間蚯蚓腫れだらけの自分の両腕を眺める。
結局、日が昇るまで夏彦が眠ることはなかった。
朝。
シャワーを浴びてぼうっとしているうちに、全身の蚯蚓腫れは消えていた。
「さあて」
学校はさぼるつもりだった。
どうせ、深夜には学校に向かわなくてはならない。
虎の、思い残すことのないように、という言葉が蘇る。
どうせなら、今まで絶対に行けなかった場所に行くとしよう。
夏彦は身支度をさっさと整えると、家を出る。
バスに乗って、二十分。バス停から歩いて十分。
丘を登る。
どんどん民家はまばらになり、緑が増えてくる。
「ふう」
昼の日差しが、頭を貫通して直接脳を焼くようだった。もう秋とはいえ、やはり昼間は暑い。
ようやく見えてきた。
小高い丘の上にある、ノブリスの共同墓地。
大抵は、死因等々を偽造して遺体は外の親族に送るらしいが、稀にどう考えても偽装できないような場合や外に遺体の引き取り手がいない場合等がある。
その時、ノブリスで死んだ人間はこの墓地に葬られることになっている。
「ああ、あったあった」
墓地を歩く夏彦は、探していた名前を見つけて、その墓石の前で足を止める。
「はっ」
そして、思わず笑ってしまう。
「こっちに埋葬されると、墓石にもノブリスネームが刻まれるのかよ」
小さな、ほとんど石造りの柱のようにシンプルな墓石には、タッカーの名前が刻まれている。
ずっと、来れなかった。
ここにタッカーが埋葬されたらしい情報は入っていたが、だからこそ墓を見に来る気にはならなかった。
自分が殺した人間の墓など。
だが、最後になるかもしれないなら、一度、参ろう。
そう思って、夏彦はここに来た。
「おい、すぐに会えるかもしれないな」
墓石に語りかけながら、夏彦はしゃがむ。
触ってみたら、墓石は日差しのために熱せられていた。
さもありなん、夏と秋の中間のような空には、雲ひとつない。
墓は綺麗で、簡単なものながら花まで飾られていた。
「何だよ、花まであって。俺なんか、下手したらここにさえ葬られないかもしれないのによ」
文句を言う夏彦に、
「死んだ後に墓がどうなるかなんて、本当に気になる?」
後ろから声がかかった。
聞き覚えのあるような、初めて聞くような少女の声。
「――え?」
振り返った夏彦は、そこで思いもよらなかった顔を見る。
「……アイリス?」
顔を見ながらも、半信半疑で夏彦は名前を呼ぶ。
そこには、風で制服を揺らす、小柄な少女の姿があった。
「こんにちは。意外ね、こんなところで会うなんて」
「お前、喋り方が」
それきり夏彦は絶句する。
混乱して、言葉は出てこない。目は見開かれているし、喉もからからだった。
「ロボット? あれは、この場所では封印」
言いながら、アイリスも夏彦の隣に座る。
赤毛が風に舞う。
「私が掃除してるのよ、毎日。この花を供えたのも私」
静かな声だった。
いつものアイリスからは想像もつかない声。
「アイリス、お前、知ってたのか?」
ようやく、夏彦はそれだけ言った。
何を、とは言えなかった。タッカーが死んでここに埋められていることを知っていたのか。夏彦が殺したことを知っているのか。ノブリス学園の、六つの会や権力闘争のことを知っているのか。
それらを言葉に出す勇気はなかった。
「……それなりにね。後悔してるの、たとえそれしか道はなかったとしても」
謎のようなことを言って、アイリスは墓石に向かって目を閉じて手を合わせる。
それが、祈っているようにも、謝罪しているようにも見えて、夏彦は言葉もなくその光景を眺めていた。
「タッカーが選ばれたように、私も選ばれた。タッカーがどうしようもなかったように、私もどうしようもなかった」
目を閉じたまま、手を合わせたままで、アイリスは呟いた。
「そして、裏切ったのはお互い様。でも、それでも、やっぱりそれでも、苦しい。苦しくて仕方がない。嫌なものね」
懺悔するように言うアイリスに、夏彦は何も言うことができない。
「だから、夏彦君」
そこで、アイリスは目を夏彦に向ける。
「死んだ後にどうなるかなんて考えるよりも、生き延びた後に後悔するかどうか、気にした方がいいわよ」
「――ああ」
何を言っているのかはよく分からなかったが、夏彦は素直に言うことを聞くべきだ、と感じてその直感に従う。
「分かった。できるだけ、生き延びて後悔しないようにしてみるよ」
「そう」
嬉しそうに頷くアイリス。
「さて」
夏彦は立ち上がる。
「もう行くの?」
「別に、長々と墓場にいてもやることないしな」
「それもそうね。それじゃ、頑張って」
どこまで知っているのか分からないが、アイリスにそう応援されて、夏彦は少しだけ余裕を取り戻した気分になる。
「ああ、頑張るよ」
そう答えて、夏彦は共同墓地を後にする。
夏彦が去ってしばらくして、アイリスの携帯電話が鳴る。
「もしもし」
「どーも。サバキだけど」
「ああ、どうしたの?」
アイリスは立ち上がる。
「どうも、今夜、動きがあるみたいだねえ。どうする?」
「……好きにどうぞ」
「えっ!?」
予想外の言葉だったらしく、サバキが驚きの声をあげる。
「夏彦の監視はいらないわけえ? 何するか分からないじゃんかー」
「それでもよ。命令はしないわ。あなたの好きにして」
そうアイリスが言うと、しばらくの沈黙の後、
「だったら、ほっとくかなあ。あいつが、したいようにさせてやりたいからねえ。俺、結構あいつのこと、好きなんだ」
「そう。私もよ」
短くアイリスが答える。
「了解了解。公安会の一員として、好きにしろって命令に従うことにするよ、会長」
そうして電話が切れる。
アイリスは、しばらく携帯電話を片手に持ったまま立ち尽くし、そして目を墓にやる。
「タッカー、あんたも、祈っといて。夏彦君が後悔しないように。友達なんでしょ」
呟いて、アイリスはまた目を閉じる。
何かを祈るように。
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