超絶政治闘争学園ノブリス改

片里鴎
片里鴎

後始末2

公開日時: 2020年9月28日(月) 22:55
文字数:2,224

 ノブリス学園附属病院の最上階。

 夏彦の病室よりも遥か上。

 許可された人間しか使用できない、専用のエレベーターでのみ入ることのできるその階に、クロイツは踏み入れる。


 数メートル間隔で立ち警備をしている黒いスーツ姿の護衛者たちの間を、ひょこひょこと頭を下げながら進み、廊下を曲がり、目的の病室の前まで辿り着く。


 もっとも、そこから実際に病室に入るまでには更に三工程必要だ。


 カードキーを通して第一の扉を通り、そこからすぐにパスワード入力式の第二の扉。それを通過してから細く狭い通路を通って、最後に網膜認証の装置へと右眼を近づける。


 かちり、と音がして第三の扉が開き、とうとう病室へと入室する。


 消毒液の臭い。

 目に痛いくらいに真っ白い床、壁、天井。窓はない。置かれているのはベッドだけ。そのベッドもまた白く、背景に溶け込むようだ。


 その白の中、色のあるものが浮かび上がるように目立っている。


 点滴装置、そこに入っている薬剤、そこから伸びるチューブ、そしてその先の注射針が刺さっている患者――ベッドに寝ている彼こそが、クロイツの目的だ。


「どうも」


 ベッドの近くまで歩み寄り、クロイツは声をかける。


 周囲に溶け込むように白い髪をしたその痩せた老人は、ベッドに寝たままで、ぎょろりと目だけをクロイツに向けてくる。


「……話せ」


 かすれた声で、それだけ言う。表情はない。


「ええ、まあ。予想通りですよ。新しく入った夏彦がうまく動いてくれて、それでまあ、こっちの想定内の結果におさまった……外務会としても、この後の仕事はやりやすくなった。貸しをつくれましたからね。俺個人としては、どうでもいいけど」


 ざらり、と無精ひげの生えた顎をクロイツはひと撫でする。


「これで『外』の連中を、うちの会が音頭を取って潰すことができそうです。感謝しますよ」


「別に外務会の肩入れしたつもりはない……『外』への対処は外務会がするのが自然。ただそれだけだ」


「それでも、です……ただ、多少時間がかかりそうです。予想通り、こっちにちょっかいかけてきた連中は全員下請けの下請けみたいなもんで、なかなか芋づる式に、とはね。特に、手掛かりのうちの一つ、久々津に関しては今、下の階で緊急手術の真っ最中です。あれは、しばらくまともに喋れはしないでしょうな。そちらの後輩がやってくれたんですよ?」


「コーカ、だったか……?」


「ええ、そうですよ、初代生徒会長


 そう呼ばれた老人は、初めて表情を浮かべる。口の端を曲げたそれは、おそらくは苦笑だ。


元総理と呼ぶ人間はいくらでもいても、私をそう呼ぶ人間は、お前くらいのものだ」


 そして咳き込んでから、またすぐに表情を消して、


「……心配はいらん。どうせ、どこの組織の差し金かは予想がついている」


「おっと。それは?」


「忠君愛国のために何をしてもいいと思う連中と……好きなことをするために忠君愛国を大義名分にする連中の境目は、曖昧だ……」


 老人は力尽きたかのように目を閉じる。

 だが、口をほとんど動かさないままに、喋り続ける。


「あの大戦で、日本が勝ってしまったのが間違いだった。――あれは負けに近い勝ちだ。こちらは崩壊寸前で何とか勝ちを拾い、連合国側は負けたがそれぞれの国には余裕があった。結局は、戦後のイニシアティブは合衆国に握られ、戦勝国でありながら、我々は敗戦国のように泥水をすすり、ほとんど属国のようにして……」


 ふう、とそこで息を突き、老人はしばらく黙る。


 寝てしまったのではないか、とクロイツが心配になってきたくらいで、


「……だが、形の上では勝ったという、それが、問題だ。そのために、連中は生き残った。忠君愛国さえ叫べば、神風が吹くと大言していた連中……形だけの勝利が、奴らを生き延びさせた。生き汚く、奴らはもはや、大義名分を元にした営利団体にすぎん」


「ええっと……それが、今回ちょっかいをかけてきた連中ってことでいいですか?」


「もはや奴らに目的はなく、信念もなく……ああ、生き延びるために新しい餌を必要としている、つまり動物か何か近い……組織が、動物的に動いているだけだ」


「ああ、もう」


 がりがりとクロイツはため息とともに頭をかきむしる。


「またあっち側いっちまったか、爺さん」


「だが、やつらの芯にあるのは……ああ、恐ろしい」


 目を閉じて、うわごとのように老人は呟き続ける。


 肩をすくめて、クロイツは踵を返す。

 報告すべきことはした。もうこれ以上付き合う義理はない。そうして部屋から出ようとして。


「恐ろしい、恐ろしい……復讐だ、奴らの行動原理は、復讐だ。あの八月の」


 老人のその言葉に、ぴたりと足を止める。


 それきり黙ってしまった老人へと、向き直ったクロイツは真剣な表情で静かに歩み寄り、体を屈めて耳元で、


「――教えてくださいよ。『血染めの八月』って、何です? あなたが生徒会長だった時の八月、学園で何があったんです?」


 その質問に、次の瞬間老人は大きく目を開き、至近距離でクロイツを凝視する。


「……小僧」


「はい」


 これまでのかすれた声とは明らかに違う、重く低く、そして力のある声で。


「知りたけりゃ、全員殺せ。今回、学園にちょっかいをかけてきた連中、その関係者、全部だ。皆殺しにしろ。そうしたら、全部教えてやる」


 そうして、また老人はゆっくりと目を閉じる。


「……行け」


 しばらく黙って立っていたクロイツは、目を閉じたままもう微動だにしない老人に向かって軽く頭を下げると、今度こそ病室を出ていく。その指先は少し震えている。

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