もう昼休憩の時間は過ぎて、午後の授業が始まっている時間帯だった。
そのためだろう、食堂内はかなりすいている。
腹が減っていたので、夏彦は思い切って普通でさえ量が多いと言われている麻婆丼の大盛りを頼む。
「かなり量多いけど大丈夫?」
と食堂のおばちゃんに言われたが、夏彦はここはひるむまい、と、
「大丈夫です」
と断言する。
だが、出てきた、山のように盛られた白米とそれにかかった予想以上の量の麻婆豆腐に、
「うわ……」
と軽く引きながらも、それを受け取って律子の待つテーブルに座る。
正面に座っている律子も、夏彦が持ってきたその量を見て、
「うわ……」
と同じようにひいている。
律子の前に置かれているのは焼き魚とごはんの小、それに味噌汁。
日本刀を使うだけあって純和風なんだなと夏彦はぼんやりと思う。
「では、いただきます」
美しい所作で律子は手を合わせる。
夏彦もそれに合わせる。
そうして食事が始まる。
「……」
「……」
何となく、お互いに黙って食べる。
食事を箸で口に運ぶ律子の立ち振る舞いは、大和撫子というのに相応しく、その凛々しい姿に夏彦は麻婆丼を食べるのを忘れて、つい見惚れてしまう。
「……?」
ずっと自分を見ていることに気づいて、律子は訝しげに夏彦を見る。その冷たく鋭い、それこそ日本刀の刃のような顔で見られると、まるで責められているように感じて、夏彦は慌てて目をそらして食事を再開する。
と、携帯電話が鳴る。夏彦が画面を確認すると、そこにはサバキと表示されている。
間がもたないし、天の助けだとばかりに夏彦は電話に出る。
「はい、もしもし」
「うーっす。分かったよー、例の生徒会の奴」
早い。早いだろうとは思っていたがその想像よりも大分早い。
優秀なクラスに入ると、こういうところで差が出るのかと夏彦は嫉妬すら感じる。
しかし、ライドウが言っていたように、最終的にはクラスでの繋がりはほとんど意味がなくなるのだから、これから会の内外で人脈を作っていけばこの遅れは取り戻せるか、と自分で自分を納得させる。
「助かるよ、本当に。ありがとう、で……問題の奴は、誰?」
生徒会に所属して、あの時、あの裁判に月を向かわせた人物、それがネズミと同じくノブリス学園内にいる事件の関係者の一人であることは間違いない。
「舞子って、生徒会所属の二年生だねえ。庶務官っていう、緊急性を要するけど軽微な事件に対する対応を任されてる職務に就いてる。緊急かつ軽微な事件では、迅速な解決をするために立場関係なく庶務官が事件を振れることになってるらしーねー。昔、どうでもいい事件でふらっと生徒会長が来たこともあるらしいから。とはいっても、今回はその舞子ってのが結構無理矢理に月先生って上の立場の人を動かしたらしくて、内部でもおかしいんじゃないかーって言われてはいるみたいねー」
ああ、そうか。
そういえば気にしていなかったが生徒会顧問っていう生徒会のナンバースリーがあんな裁判に来たことがまずおかしかったな、と夏彦は思う。
「その舞子ってどんな奴なの? あ、その前に名前からして女だよな?」
「そりゃねえ。女子生徒だよ。まー、どうして入会できたんだってくらい、何も考えてないっつーか、今がよければいいっつーか、チャラチャラしてるっつーか、まあ、結構異色の奴っぽいねー。でも、結構能力はあるんだってさー」
「そうか……その人に会おうと思ったら、どこに行けばいい?」
今の夏彦にはクロイツからの委任状がある。場所さえ分かればいけるはずだ。
「さあ? 結構ふらふらしてる人らしいからねー。ま、ずっと仕事さぼるわけにもいかないし、いつかは生徒会の庶務部に現れるんじゃないのー?」
いつかは、じゃあ困る。
とはいえ生徒会の仕事のシフト表でも手に入れてくれ、と頼むのはさすがに虫が良すぎることくらいは分かっている。
この委任状を持って、生徒会の役員に訊いてみるしかないか?
「あと、ひょっとしたら偶然見かけるかもよ」
冗談のようで、サバキの声には笑みが含まれている。
「だって、結構派手なギャルらしいからね。学生服改造してかなりスカート短いし、髪も白に近い金に脱色してるらしいし、あと太股に蜘蛛のタトゥー入れてるらしいよ。気合入ってるよねー」
確かにそれは目立つな、と夏彦は一応その情報を頭に入れておく。
「それじゃあ、ありがとう」
「いーよいーよ。その代わり、この借りはいつか返してよー。あ、そうだ、つぐみって人のことだけど」
「え? つぐみちゃんがどうかした?」
「脱走したらしいよ、詳しいことは分からないけど」
う、と喉がふさがるが、
「……そう、分かった、ありがとう」
無理矢理動揺を押さえ込んで、夏彦は冷静に返事をした。
ここで動揺したら、つぐみになにかあったのが目の前の律子に知られてしまうからだ。
おそらく自分の比じゃないくらい動揺するであろう律子のことを考えて、しばらくこの情報は彼女には秘密にしようと夏彦は決心する。
「んじゃねー」
最後まで間延びした声のままサバキとの通話は終わる。
「舞子……よくは知らないけれど、良くも悪くも有名な女子生徒ね」
電話での会話を聞いていたらしく、律子はそう言って箸を置く。いつの間にか食事を終えていた。夏彦が電話を切った言うべき文章を頭の中で組み立てていたらしく、すらすらと発言してくる。
「そんなに有名なんですか。まあ、目立ちますよね」
窓の外を見ながら、夏彦は麻婆丼を口に運ぶ。
「白っぽい金色の髪にミニスカート、で、蜘蛛の刺青――」
夏彦はそこで絶句して固まる。
何が起きたのかと、律子も夏彦の視線を追って、同じように固まる。
窓ガラスの向こう。
まさしく、白っぽい金色の髪にミニスカート、そしてこの距離でも分かる蜘蛛の刺青を太股に刻んだ女子生徒が、二人のいる食堂のすぐ外を歩いている。
「……あれ、ですよね?」
言ってから、夏彦は慌てて麻婆丼をかきこむ。
早く食べて彼女の後を追わないと、と思ったのだ。
冷静に考えれば、全部食べ終えないと彼女を追えないという法律があるわけでもないのだが、夏彦は混乱している。
「た、多分……あれ?」
落ち着きなくあたふたとしていた律子が、ふと動きを止めて、外を歩いている女子生徒を凝視する。
「んんんぐっ……どうしました?」
早く食べ終えようと口一杯に詰め込んでいた夏彦がもごもごと言う。
「いや……あの、あ、あの人……誰でしょう?」
「え?」
よく見てみると、夏彦にも律子が言ったのが誰のことか分かる。
舞子と思われる女子生徒の横を、男子生徒が歩いている。
ただ、偶然に一緒に歩いている学生。そんな風に思うことも可能だろう。その男子生徒が普通ならば。
その男子生徒は、綺麗な顔をしていた。女性の顔だと言われてもおかしくないくらいの。そして髪もまた、女性のように長く美しい。フレームなしの眼鏡をかけていて、インテリ風でもある。だが、何よりもその学生を特別たらしめているのは、その両目だった。敵意や殺意というものを具現化したらこうなるのではないか、と思えるくらいに、その両目は吊り上り視線で射殺そうとでもするかのようにあたりを睨みつけている。周囲に喧嘩を売りながら歩いているかのようだ。
「あの人、怪しいですね」
明らかに怪しいな、あの男も。
それが夏彦の結論だった。
「あ、あの、それより……ご飯、食べるの、やめたら? の、残せばいいんだし」
「え、ああ! そうですね、そりゃそうだ」
ようやく夏彦は食べるのをやめる。
やがて、一言二言、男子生徒と女子生徒は言葉を交わし、二人は別れて別々の方向に歩いていく。
まずい、どうする?
すぐに夏彦には答えが出る。
困った時の『最良選択』だ。
能力を使用してから、これからどうすべきかを夏彦は考える。
普通に考えたら、ここで声をかけるか、それとも追跡してみるか、だが。
あの男子生徒の方からは、明らかな死の気配が漂っている。
あっちはまずい。できるだけ関わらないのが正しい。
とはいえ女子生徒の方に今、声をかけても、それで核心まで辿り着くかは難しい気がする。むしろ、あの男子生徒を呼ばれて、修羅場になる可能性すらあるな。
どうやら、ここはあの女子生徒、舞子の方を尾行するのが正解らしい。
「よし、じゃあ、あの女の方を追いましょう」
夏彦がそう言って立ち上がると、律子は首を振る。
「ううん……」
「え?」
「……あたし、あの人を追う」
律子が言っているのが男子生徒のことだと分かった夏彦は慌てる。
「え、いや、あの人は絶対やめといた方がいいですって。やばい気が――」
そこで、言葉を止める。
律子の目は、鋭く冷たく、そして今までにはない決意で満ちていた。
「お願い、いかせて……あの人、まるで獣……それも、今にも暴れそうな。風紀会として、放っておけない」
おそらく自分が感じている危険など百も承知の上で、彼女は譲れない理由からあの男を追いたいのだ。
そう理解した夏彦は、
「……くれぐれも、気をつけてくださいよ」
そう言って頷く。
それしかできない。風紀会の人間としての、決意と責任を見せられては。
「ああ、そうだ。分かれる前に携帯電話の番号、交換しときましょう」
急がないと二人とも行ってしまう、と夏彦は携帯電話を取り出した。
「えっ……で、電話番号交換、って……!」
両手で頬を押さえ、いやいやをするようにして律子は照れだす。さっきの姿が嘘のように。
「ちょっと何やってんですか、急がないと!」
焦った夏彦がせかし、ようやく電話番号を交換して律子と別れたのは、男子生徒と女子生徒の後姿が見えなくなる寸前だった。
夏彦は、女子生徒を、舞子をつける。
尾行なんてしたことはないしスキルもないので、できるだけ離れて、なるべく気づかれないようにするしかない。
何度も姿を見失いかけたが、幸運にも慌てて探せば舞子の後姿を何とか見つけることができた。
舞子はどうやら学園の外に出るようだ。
ふと、夏彦の頭を不安がよぎる。
俺は舞子の姿を見失わずに、運よく尾行できている。しかし。
そもそも、俺の能力は勘の強化で、運の強化じゃあない。初めからして、俺が舞子のことを知ったとたんに食堂の前を舞子が通りかかるって、運が良すぎないか?
あまりにも自分が幸運すぎる、という妙なことが気になって、夏彦は尾行しながら気分が重くなってくる。
考えすぎ、ならいいけど。
しかし嫌な予感がしてきた。強化されているとはいえ、勘だからこの嫌な予感が外れても全然おかしくない、が……
どちらにしろ、夏彦にはもはや、舞子を尾行するしか思いつく事件解決への道はない。
やるしかないな、と開き直る。
結論から言えば、夏彦の嫌な予感は当たっていた。
三十分近く尾行した末、人気のない路地裏で舞子に待ち構えられていた時に、夏彦は自分の勘の正しさを知ったのだった。
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