翌日。
「授業をさぼってもいいから朝から来てください」という教師とは思えない発言でライドウに呼び出され、夏彦は電子計算機室に来ていた。
「夏彦君。研修終わったので、もう私は君のトレーナーではなくなるので、最後にこれからどうすればよいかを教えましょう」
「それ、最初に教えるべきことなんじゃないですか? 護身術とかよりも先に」
「まあまあ、気にしないで。君は『ノブリスネット』を知っていますか?」
「ああ、そりゃあ、一応」
「ちょっと入ってみてください」
言われるままに、夏彦はスマーフォンからノブリスネットにアクセスしてみる。
ノブリスネットはノブリス学園の関係者だけが利用できるネットサービスだ。学生番号とパスワードを入力することによってログインできる。同じノブリスネットのユーザーへのメッセージの送受信、掲示板、そして学園でのイベントスケジュールや校則の変更点の確認ができる。
一般生徒でも当然利用できるし、夏彦も入学して以来何度も利用している。
「ほら、ここの一番下、『その他』っていう項目、今まで利用できなかったのが研修終わったから利用できるようになっているでしょう」
言われて見れば、確かにこれまでグレーで表示されていた「その他」の項目が、黒く表示されている。
クリックしてみると、別のページに飛んだ。
「あっ、これ」
そのページには、自分の名前、学生番号、そして所属している会、会の中の所属まで書かれていた。きちんと、司法会監査課所属と書かれている。
「データベースと新規情報って項目があるでしょう。データベースでは、自分の所属している会についてのデータが、限定能力も含めて閲覧できます。ただし、閲覧の程度は役職によって変わりますから、今の夏彦君では誰の限定能力も見れないと思いますけどね」
確認のために、夏彦はデーターベースをクリックしてみる。
「おっ」
ずらずらと名前が出てくる。所属もだ。だが、やはりライドウの言うように限定能力は書かれていない。
自分の所属している監査課について調べてみる。どうやら現在監査課に所属しているのは十数人。そして。
「あれっ、サバキだ。こいつも監査課か」
前に事件で世話になったサバキの名があった。
こいつも新入生で監査課所属か。やるな。
「ちなみに直属の上司――君にこれから指示を出すのは監査課の課長になります。そのうちノブリスネットのメッセージで呼び出しが来るんじゃないですか」
言われて、夏彦は課長の名前を確認してみる。
監視課の課長の名は胡蝶。名前からは男か女かすら分からない。まあ、本来ノブリスネームというのはそういうものなのだろう。本名をそのままノブリスネームに設定している自分がうかつすぎるだけだ。
そういえば、律子さんもそのくちなのかな。と、今更夏彦はふと疑問に思う。
「新規情報の方には、いずれかの会に所属している人間なら知っておくべき情報が新しい順に掲載されています。確認してみてください」
新規情報の項目をクリックすると、ずらっとトピックスが並んでいる。
「ほお」
思わず夏彦は息を漏らす。
自分の関わっていた例の事件、あの事件についての情報もトピックスに並んでいる。
「あれ? 司法会の会長と副会長って、交代したんですか?」
最新のトピックスに、「司法会の新しい会長と副会長、正式に就任」とあった。
「ああ、そうそう。君が事件に巻き込まれている裏で色々あって、会長と副会長が新しくなったんですよ。内々のことでしたが、この度、正式に発表となりました」
へえ、と夏彦はそのトピックスをクリックする。
そして、出てきた情報に仰天する。
「――え、会長、一年生!? 俺と同じ新入生ですか?」
まさか、新入生がいきなり会長?
ありえるのか、そんなこと。
「そうなんですよ、異例中の異例ですが」
事も無げに説明するライドウ。
「……あれ?」
そうして、夏彦はそれ以上に驚くべき情報を見つける。
「あの、ライドウ先生?」
「はい?」
「新しい副会長のところに……ライドウ先生の名前が書かれているんですけど」
「気づきましたか、そうなんですよ」
嬉しさを隠そうともせず、ライドウはにこやかに言う。いや、にこやか、というよりも顔が緩みきっている。だらしないことこのうえない。
「この度、棚からぼた餅的に司法会副会長に就任しました、ライドウです。よろしく」
どういう経緯で会長と副会長が変わったのかは知らないが、これは自分としても棚からぼた餅だな。
夏彦は内心喜ぶ。
これで、司法会副会長にコネができたことになる。外務会の副会長とも面識があるし、これはこれからの活動においてかなりやりやすくなるんじゃないか。
「これで夏彦君への講義は終了なんですが……これは、完全に別件ですけど、昨日言っていた料理研究部の件、どうなりました?」
「ああ、そのことなんですけど――」
昨日、何だかんだ言いながらアイリスとタッカーの料理を試食した夏彦は、ある計画を企てていた。
最近ちょっとおかしい律子、幼馴染の男女の間に入る気まずさ、そしてこれからの活動全般。これら全てにおいていい影響を与えるのではないか、一石三鳥なのではないかと考えている計画だ。
「実は、相談したいことがありまして」
夏彦は自分の構想をライドウに伝える。
司法会としてそれをしても大丈夫か、そもそも実現可能性はいかほどか、そして自分の気づいていない落とし穴はないか。
それを確認するためだった。
「いいと思いますよ、非常に」
対するライドウの返答は簡潔なものだ。
「それだけ、ですか?」
「ええ。多分、実際にやったら色々と問題は起こるとは思いますけど、でもメリットの方が大きいんじゃないかな。はっきり言って、夏彦君の人徳次第だと思いますよ」
それが一番自信がないし不安なんだが。
不満そうな夏彦の顔を無視して、ライドウは続ける。
「いや、ぶっちゃけた話、全てにおいて最重要なのは人柄だったりしますからね。誰かがやったら大問題になるのに、他の誰かが同じことをやったら許されるなんて多々あることです。まあ、自分の人間力を試すつもりでやってみたらどうですか?」
軽い。
大して責任を背負っていない、役職者でない夏彦から見ても、ライドウの言葉は軽い。副会長とは思えない。
それで、夏彦はむしろ安心する。副会長になったとたんに、ライドウが権力に憑かれて別人のようになることはないようだ。
「素晴らしいアドバイス、ありがとうございます。さすがは司法会副会長」
「そうでしょう、そうでしょう」
皮肉のつもりの夏彦の言葉に、満足げにライドウは頷いている。
放課後、夏彦はアイリスの部屋まで向かう。
もちろん、前もってメールで行くことは伝えておいた。授業をサボったくせに部活動はするのか、とメールで怒られたが。
「来たよ」
言いながらノックして夏彦はドアを開ける。
「待ってたね」
「こレデ部員全員集合だワ」
既にタッカーとアイリスが、冷蔵庫から材料を出して準備をしていた。
「全員か……そのことなんだが、部屋に入って早々なんだけどちょっといいか?」
「うン?」
「実は、俺、知り合いをこの部に誘おうかと思うんだ」
「おっそれはいいね」
タッカーは準備をしていた手を止めずに、とびきりの笑顔を夏彦に向けて嬉しさを表現する。
「アイリスはもっと大勢の人にこの部に入って欲しがってるし、友達だってもっと欲しいもんね」
「ちょ、チョット、勝手なこト言わナいでよ」
赤面したアイリスが手をパタパタと振る。
「……マ、まあ、間違っテは、ないケド」
そうして、何かを思い出したかのようにアイリスは顔をぱっと明るくする。
「そうカ、ひょっとシテ、昨日来れなカった律子さんっテ先輩?」
「律子さん『も』来る」
「『も』?」
アイリスの疑問の声が終わらないうちにドアがノックされる。
「今開ける」
自分の部屋でもないくせに夏彦がドアを開けると、
「おーここかよ、部室って。完全にただの寮じゃねえか」
虎が盛大に大声で言い放ってから部屋に入ってくる。その後を続くように、ぞろぞろと入ってくるつぐみ、律子、秋山。
突然、部屋に入ってきた四人に、アイリスもタッカーもぽかんとしている。
「とりあえず、ここに来た四人は仮入部ってことで」
と夏彦は言う。
「え、俺はもう正式に入部するつもりなんだけど。だって、別にそんな厳しい部じゃねえんだろ。幽霊部員で時々顔を出す感じでいいんじゃねぇの」
虎が異を唱える。
「そうだな、そこの辺りは部長に確認するか」
そう言って夏彦をアイリスを見る。
視線を受けて、しばらく戸惑っていたアイリスは、ようやく事態を理解したのか微笑んだ。
「もチロん、来たイ時に来てくレレバいい。ここは、楽しく皆デゴ飯を作っテ食べル部なんダモん。部員が増えルナら、あタシも嬉シい」
「ほらな。なら正式に入部ってことでいいだろ。秋山さんも入部しろよ」
「え、俺っすか。いや、構わないっすけど、虎、なんか俺に厳しくないっすか」
秋山がぼやいて、夏彦は思わず笑ってしまう。
この二人の関係性は変わってないらしい。
「わ、私も、にゅ、入部する。み、皆と、同じ部活……えへへ……」
律子の顔がにやけているのを見て、夏彦は一瞬安堵するが、いやいやこれからだ、と気を取り直す。
律子さんが妙に俺に執着しているのは、他に誰もいないから。普段の冷たく鋭い印象や風紀会で日本刀を振り回しているという恐怖から、周りの人が律子さんに壁をつくっているからだ。
夏彦はそう仮説を立ててみた。それはある意味で嬉しいことではあるが、これから自分が上を目指すのに障害になるかもしれない。ならば、どうするか。
つまり、律子さんに対して壁をつくらずに親しく接してくれる友人が少ないのが根本の原因だ。だからこそ、律子さんはその数少ない友人、具体的にはつぐみちゃんや俺に対して妙な執着を見せる。逆に言えば、律子さんは友人が増えれば変な行動を起こさなくなるはずだ。
ならば、律子さんに友達をどんどん作ってもらおう。律子さん自身は凄い魅力的な人なんだから、人となりさえ知ってもらえば友人はすぐに増えるはず。
これが夏彦が立案した「律子さん友達沢山計画」であり、その一端として律子をこの研究部に誘ったのだった。
というか、そもそも男女の幼馴染(しかも明らかに互いを憎からず思っている)の間に自分ひとりが入るというのが夏彦はかなりきつい。なので、できる限り多くの人間を入部させようと手当たり次第、電話番号をしってる相手に入部を勧めたのだ。
プラス、「律子さん友達沢山計画」によって厄介な爆弾を解除し、更にこの部を異なる会に所属する者同士の友好の場にすることによってコネを強化する。
まさに一石三鳥の策だ、と夏彦は自分では思っている。
「だけどこの部屋、さすがにこの人数で料理したり食べたりするのには狭いわね」
つぐみが冷静な発言をする。
確かに、総勢七人ともなると、かなりの大所帯だ。
正式に部室を用意した方がいいだろうな、と夏彦は思う。
「あたしが学園に許可とって部室使えるようにしておくわ。ところで、夏彦君」
「ん?」
「確か、ノブリス料理コンテストの予備審査員になるから、そのために料理を勉強したいのよね?」
第三料理研究部に誘う際に、どうして夏彦がそこに入部するのかについては言ってあった。
「あ、ああ。そうだよ」
「もう時間がないわよね。ちょっとスパルタになるけど、あたしが料理の特訓をしたげようか?」
「え、それは」
助かるな、と言いそうになって、慌てて夏彦は言葉を止める。
『最良選択』が勝手に発動している。嫌な予感がとめどなく溢れてくる。
こいつに料理を教わるのはまずい。それだけはよせ。
頭の中で警鐘が鳴り響く。
だが。
「それはいいね。この部のコンセプトは気楽に楽しくだから、短期間で料理上手くなりたいんならそうやってマンツーマンでスパルタ式がいいかもね」
タッカーが悪意の感じられない声でそう言う。
てめえ余計なこと言うんじゃないよ。
夏彦はそう思ったが、しかしどう考えても、つぐみの提案を断る都合のいい理由が見つからない。
「えーっと、じゃあ、お願いしよう、かな」
「任せておいて。こう見えても料理は得意なの」
胸を張るつぐみ。
夏彦は、自分の勘が外れていることを、今感じている悪寒にも似た嫌な予感が気のせいであることを強く強く願う。
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