辺りは明るくなり、『三千苦界』の範囲は視認しにくくなる。
だが夏彦にとっては問題ない。既に感覚で覚えている。
「さて、まだまだ手品のネタは尽きないのかな。もっと楽しませてくれ」
余裕たっぷりに、怪物は歩き始める。
「ああ、しっかり味わえ」
言うなり、夏彦は渾身の力を込めて、上段から刀を振り下ろす。
「まだまだ」
強制的に軌道は逸らされ、刀身にひびが入る。
斬撃は当たらない。
まだだ。
即座に夏彦は、逸らされた刀を逆手に持ち替えて切り上げる。
「ふふ。なるほど。刀による攻撃なら、手足を『三千苦界』内に入れなくても攻撃できるわけか。即座に二撃、三撃を入れてくる、と」
薄く笑った顔を崩さず、怪物はその一撃も逸らす。
刀身のひびがより大きくなる。
「けれど、言っただろう? 一度見たんだ、その太刀筋は。もう、僕には当たらないよ」
その通りだ。もう、この攻撃は怪物には当たらない。
夏彦にもそれは理解できていた。
この美しい、鍛錬の末にできあがった太刀筋が見切られたなら、どうすればいいか。
たとえば、真逆。鍛錬とは関係のない、荒々しい、才能そのものによる攻撃。
忌々しいが、夏彦の目に未だ焼き付いている、強烈な才能のみの斬撃。
あれならば。
「――む?」
突如として、足が浅く切り裂かれ、怪物は戸惑いを見せる。
逸らしたはずの斬撃が、逸らし切れなかったからだ。
「太刀筋を変えたか、小細工だね」
そうつぶやいた怪物の顔が、縦に割れる。
「――?」
何が起きたのかと、斬り飛んだ怪物の右半分の顔が、その攻撃を確認しようと目を動かす。
「へえ、二刀流」
次の瞬間、斬り飛んだ右顔を元の位置に戻しながら、怪物はその攻撃の正体を口にする。
新たに召喚された二本目の刀を持ち、夏彦は二刀流のスタイルに変わっている。
「久々津、太刀筋ごと借りるぞ」
呟いた夏彦は、そのまま明らかに腕の力だけで振るった、さっきまでとは違う素人のような斬撃を繰り出す。
左の刀と右の刀が、何の規則も論理もなく、ただ乱暴に踊る。ただし、尋常ではない速度と鋭さで。
「なるほど、これは、読めない」
必死でかわしながら怪物が言った瞬間、その片手片足が斬り飛ばされる。
「む、これは」
その片手片足を『三千苦界』で元の位置に戻そうとしたのか、怪物は宙に舞う手足に目をやる。
瞬間、縦横無尽に振るわれる二本の刀が、怪物を切り裂く。
「ぐっ、あ」
一瞬のうちに、浅いものと深いものを合わせて数十か所を斬りつけられる。
怪物の全身はばらばらにされようとしていた。
あと少し。
完全に全身を斬り刻んでやれば、夏彦の勝ちという状況で。
「ははは」
すでに半分以上が斬り飛ばされた顔で、怪物は嗤う。
「なっ!?」
驚きの声は、圧倒的に有利だった夏彦のものだ。
立っているのが不可能な状況で、おそらくは能力によって立ち続けていた怪物は、そのまま一気に夏彦の懐まで飛んでくる。
そうか、自分自身を、全体を移動させることもできるのか。
今更ながら、怪物の能力の応用性に夏彦は舌を巻く。
それよりも問題なのは、範囲内に入ってしまったことだ。
「くっ」
両手の刀を振るいながら、夏彦は後ろに跳ぶ。
「判断ミスだな」
その刀の軌道を逸らすことなく、怪物はその斬撃を食らう。
代わりに、後ろに跳んだはずの夏彦は無理矢理に怪物に引き寄せられる。
斬撃を食らい、今にもバラバラになりそうな怪物は、そのまま千切れかけている腕を伸ばしてくる。
「くっ」
夏彦は刀を十字に組んで防御する。
だが、すでに刀身に無数のひびの入っていた二本の刀は、怪物のただ単に腕を突き出すだけの攻撃の前に砕け散っていく。
そのまま、怪物の腕は夏彦の胸に命中する。
肋骨がたやすく折れる。
「ちぃ」
口から血をこぼしながら、夏彦はその場から逃げようとするが、体が動かない。体全体を、空間が締め付けている。
「ふふ」
一切、能力を自分の回復に使おうとせず、夏彦を殺すことに集中させている怪物は、ぼろぼろの体で笑って、今度は夏彦の頭に腕を伸ばす。
「こっ……の!」
瞬間、筋力を強化させて無理矢理に動き出した夏彦は、自ら怪物の伸びてきた手に頭をぶつける。
要するに、頭突きだ。
「む」
車の正面衝突のような音がして、夏彦の額が割れた。同時に、怪物の手もぐしゃぐしゃになる。
不意を突かれて動きが止まった怪物を、夏彦は蹴り飛ばすと同時に自分も後ろに跳んだ。
「――ちっ」
そうしてようやく能力の範囲外に逃れたが、夏彦は舌打ちする。
自己再生能力と耐久力の強化によって、頭のダメージは消えつつあった。
問題は、怪物も同様なことだ。
能力によってずたずたに切り裂かれた体を本来の位置に固定した怪物は、すでに見た目はダメージを食らっていないのと変わりなかった。
おそらく、傷自体を能力で無理矢理に縫合しているのだろう。食らったのが斬撃だったために、それと自己再生によって怪物は一瞬のうちに完全な状態に回復しつつあった。
「きりがないな」
漏らす夏彦に、
「さて、どうかな? 今ので、君の手品のタネはさらに減った。君は僕の不意を突き続けなければいけない。それが終われば、君は、僕に殺される。ちゃんと、終わりはあるよ」
「希望のある話をありがとう。安心したよ」
「いえいえ」
「ほら」
再び召喚し直した日本刀を、夏彦は思い切り投げつける。
「それは僕には通用しないよ」
日本刀は怪物に近づいた途端、あらぬ方向に吹き飛んでいく。
もちろん、折り込み済みだ。
すでに、それと同時に夏彦は踏み込んでいる。
両手にはそれぞれ刀。
それを無茶苦茶に振り回す。
「それも、もう慣れた」
全ての斬撃はまるで打ち合わせでもしていかのように、ちょうど怪物をするりするりと避けていく。
「同じことは何度やっても――」
言いかけた怪物の頬が斬られる。
「がああああああっ!」
喉が壊れるような絶叫と共に、夏彦の斬撃の速度が上がった。
「これは、速い」
さっきまでと同じ斬撃のはずが、スピードが上がり怪物は対応しきれず、いくつか傷を負う。呟きながら。
「ぐっうぁっ!」
呻きながらなおも刀を振る夏彦の目が、赤く充血している。
「こ、れは」
怪物の指が飛ぶ。
「ああああっ!」
夏彦の目からは血涙が流れ出した。それでもなお、怪物を見据えている。
「ふ、む」
怪物は斬撃の軌道を逸らし、また体を動かして攻撃を避けようとしているが、それでも避けきれない。
極端なダメージを避けながらも、怪物の体には傷が刻まれていく。
「筋力強化、それに速度の強化、二刀を扱うのに特化した能力。見たところ、同時に三つ、覚えた限定能力を使用しているね。無茶をする。脳の限界をオーバーしているみたいだが」
傷を受けながらも、怪物は余裕をなくさず、丁寧に解説さえする。
だが、怪物は能力を刀を逸らすのに使用しているために回復に使えず、そしてダメージを負う速度は確実に自己再生の速度を上回っている。
ここだ。
「る、ああ、ああああっ」
目だけではなく、鼻と耳からも血を流しながら、夏彦は刀を猛烈な速度で振り続ける。その速度はさらに上昇した。
明らかに肉体的な負担が無視できないレベルの速度だ。すぐに体がはじけ飛ぶような無茶。
「――『人間強度』、それも使うか!」
それを、夏彦は、さらに自らの耐久力と再生力を強化することで可能にする。
「ぐ、おお」
体中の穴という穴から出血しながら、血と叫びを吐き出しながら、夏彦は止まらない。
「これは、何とも」
怪物のダメージはどんどん大きくなっていく。
さっきのように『三千苦界』を使って攻撃に転じようにも、夏彦の攻撃の激しさはさっきの比ではない。軌道を逸らすのをやめてしまえば、その瞬間にばらばらにされてしまうだろう。
「あああああああああああああああああああ!!」
だが一方で、限界を超える能力使用をしている夏彦のダメージも甚大だ。
今や、動くたびに血を撒き散らしている。
つまり、これは。
怪物がずたずたにされるのが先か、それとも夏彦が壊れてしまうかが先かの、チキンレースだった。
そしてそのチキンレースは意外な形で終わる。
「あっ、があ」
血を吐きながら、夏彦の顔が苦悶に染まる。
限界なのが、怪物にも見て取れた。
一方の怪物自身も満身創痍だ。普通ならば動くことはおろか生きることすらできないくらいに全身を刻まれている。
さきに、動きを止めたのは、夏彦だった。
まるで、操り人形の糸が切れたかのように、かくりと膝を折って、その場にうずくまるようにして倒れる。
「おわ――」
傷だらけの顔で、怪物が言いかけた瞬間、
「う、あああ!」
うずくまった状態の夏彦は跳ね起きながら、両手の刀を突き出した。文字通り、全身全霊をかけた、最後の一撃だろう。怪物には分かる。
それを、
「『三千世界』」
怪物は、能力を全て集中させて、逸らす。
刀は、怪物の肩を少し切り裂いてそのまま怪物の上方へと突き出される形になった。同時に、限界だったのか、二本ともの刀身が砕ける。
そして、怪物は攻撃を逸らしながら、自ら一歩踏み出して、夏彦の懐に入っていく。
「終わりだ」
改めて言い直した時には、全力の最後の一撃をかわされてバランスを崩し、茫然とした顔をしている夏彦の、その血だらけの顔に向けて、怪物の拳が突き出されている。
避けることなどできないその攻撃は、夏彦の顔に命中し、たやすく頭全体を、脳髄を打ち砕く。
その、はずだった。
「何?」
怪物は、拳が命中する寸前、夏彦の目が死んでいなかったことにかすかに困惑を覚えている。
そして、その困惑は拳が命中した後で、いや命中したはずの後で、さらに大きくなった。
拳は命中していなかった。
避けられたのでも拳が逸らされたわけでもなかった。ただ、命中するはずの怪物の拳が夏彦に当たらなかっただけだ。
怪物は、それが雨陰太郎という一流の殺し屋が学園に来て手に入れた『仏心鬼面』という限定能力だとは知らなかった。
ただ、拳が当たらなかった一瞬のロス、その間に夏彦が無手で構え直したのは分かった。そして、自分が誘われたことにも。
「ブラフか」
呟いた怪物に、夏彦の拳が、右手の正拳突きが向けられた。
カウンター。拳を突き出した直後の怪物はかわせない。
「終わりだ」
今度は、夏彦が呟いた。吐血と共に。
右拳が怪物の頭に突き進む。
避けられない。今から能力で逸らしても、逸らし切れずに頭の大部分を潰される。
瞬時にそこまで判断した怪物は、全能力を、軌道を逸らすのではなく、
「壊れろ」
ただ単純に、右腕を破壊することだけに集中させた。
壊れた右腕の攻撃なら、脳を粉々にされるのは免れる。
怪物の『三千苦界』が、夏彦の右腕を、全力で捻じり潰そうとする。
だが、
「何?」
意外そうな声を最後に、怪物の頭は、まるで破壊されなかった右腕による正拳で砕けた。
「――さすがに、鋼鉄製の右腕を一瞬で破壊するのは無理だろ」
そう呟いてから、夏彦は今度こそ力尽きたように、片膝をついた。
ぼろぼろの体は、ほとんど自己再生をしていない。
あらゆる意味で、限界が来ているらしかった。
そして、しばらく遅れてから、頭を失った怪物の体が、ふらりと揺れてそのまま地面に、
「……な、に?」
倒れなかった。
唖然とする夏彦の前で、ゆっくりと怪物の頭が再生していく。
「どうして……」
夏彦は、その様を茫然と見守ることしかできない。
頭を、脳髄を粉々にすれば、それで終わりなんじゃなかったのか。
「素晴らしい。惜しかったね」
おそらくは『三千苦界』の能力をフルに使っているのだろう、見る見るうちに形を成していく怪物の頭に出来上がった口が喋る。
「最後の瞬間、もうだめだと思ったよ。壊れないし、逸らせない。だから、能力を使って君の攻撃を避けることにした」
そして、怪物の顔は再生した。
その他の肉体のダメージも、凄まじい勢いで再生していく。
「乱暴な手段だけど、脳髄を圧縮して多少破壊しながら、自分の心臓の辺りまで押し下げたんだ。通り道はぐちゃぐちゃになるし脳へのダメージだって心配だったけど、背に腹は代えられない。緊急避難だ。そんなことをして生きていられるか、再生できるか自信はなかったけど、どうやら僕は賭けに勝ったらしいね」
そうして、精も根も尽き果てた夏彦の前で、怪物は少なくとも表面上は、傷一つない姿に戻った。
「さて、続けようか。君も多少は回復しただろう?」
そう言って笑う怪物に、夏彦は立ち上がることすらできない。
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