風に揺れる木々の間を縫うようにはしる道を、バスが進む。
やがて途中に設けられたゲートで、バスの運転手は許可証を警備員に渡す。それを確認した警備員がゲートを開けて、バスは更に進む。
「これで、ノブリスの外に出たわけか」
バスに乗っていた夏彦は呟く。誰に聞かせるつもりでもない独り言だ。
「そういうことですね」
独り言のつもりだったが、それに答える声がある。
隣に座っている七三分けに眼鏡の男、外務会のレッドだ。
選挙管理委員に関する会議で顔を合わせて以来だ。
相変わらず、自分の個性を消し去ったような雰囲気を漂わせており、意識していなければ隣に座っているというのにレッドだと気づかなかったかもしれない。
「外務会は外での活動多いから外に出るのは珍しくないけど、司法会さんは中々外に出る機会がないでしょ。精々、休日に家族や友人にに会いに出るくらいで」
ちろちろと蛇が舌を出すように、レッドは目を小刻みに動かす。
「いや、入学して以来一度も出てませんよ。色々忙しかったもので。ところで、俺の名前は夏彦です、レッドさん」
司法会さん、と呼ばれるのを止めるために夏彦が言う。
「これは失礼」
爬虫類のような温度のない目でレッドは見てくる。
「にしても、大所帯ですね」
小型のバスとはいえ、座席は全て埋まっている。そのほとんどが外務会の会員だろう。生徒とそれ以外が半々くらいだろうか。
誰もが静かに座席に座り、これからの活動に向けて集中している。
「今回の件は、外務会としてもかなり力を入れていますから」
「そうみたいですね」
弾まない、どこかぎこちない世間話をしている夏彦の目に、自分の斜め前に座っている、やけに目立つ細身の少女の姿が飛び込んでくる。長い髪を紅いリボンで結び、ツインテールにしている少女だ。
他の人間は、教師ならばスーツ、学生ならば制服を基調とした服装をしている。だというのに、その少女だけは赤と黒のワンピース、そして両手を紅いレースの手袋、両足も同じく赤いピンヒールを履いている。尖った服装だ。
服装と同じく、顔もどこか尖っている。小さな顔、大きな目、鋭い眉、薄い唇、広い額。全てがアンバランスなのに、彼女の中でどこか調和がとれている。紛うことなき美少女だが、こんなバランスで美少女になるというのが目の当たりにしてもよく分からない。
「彼女が気になりますか……? 目立つから、当たり前か」
そんな夏彦の視線に気づいたレッドが言う。
「あの人は?」
「彼女は二年生、外務会処理部隊総括隊長の緋桜です。ノブリスの外での荒事の専門家、そのトップですよ」
「外の荒事……」
その言葉に、夏彦は驚きを覚える。
外の世界の荒事イコール、限定能力を使えない、純粋な戦闘力同士のぶつかり合いということだ。
そのトップを、あんな少女が。
「ところで」
ふいに、レッドが目を細める。
それは迷惑だという心情を表しているようにも、こちらの心理を窺っているようにも見える。
「どうして、あの人がついてきているんですかねえ?」
レッドの顎で指し示す先には、和服の少女、いや少女に見える女性がいる。
窓の外の流れる景色をぼんやりと眺めているのがまるで一枚の絵のように様になっている。
月だ。
「俺に言われても……直接訊いたらいかがですか?」
夏彦の本心だ。
出発の時刻、バスに乗り込む月を見て驚いたのは夏彦も一緒だった。
「まあ、いいですけどね。普通にこのバスに乗るってことは、上と話はついているんだろうし」
レッドはそう言って目を閉じる。どうやら、眠るつもりのようだ。
これからどうなるか分からない。眠れるうちに睡眠をとっておくというのは正しいんだろうな。
夏彦もそう思い、目を閉じる。
もともと、乗り物の中で寝るのが得意ではなかった夏彦は、結局数時間後にバスが目的地に着くまで眠れなかった。
目的地は繁華街だった。
ノブリスが学園のおかげで発展しているとはいえ、本物の都会と比べればやはり少し大人しいな、と夏彦は改めて思う。
既に日が沈もうとしているが、夕日に染められたアスファルトの上を人の大群が忙しなく行き来しているし、巨大なビル群は見上げているだけで圧倒される。
「さて、例の取引は深夜からです。時間が空きますが、どうしますか?」
ぼんやりと街を眺めていた夏彦は、レッドに声をかけられて慌てて視線を向ける。
「どうって、外務会の皆さんは色々と準備にかかるわけでしょ?」
「そりゃあ、まあ。でも、役割分担もあるし、全員ばらばらですよ。それをいちいち監査するなんて不可能でしょう」
皮肉の色を滲ませながらレッドが言う。
「まあ、それは、まあ」
それを言われると痛い。
夏彦は言葉を濁す。
「事前の書類と事後の報告書の辻褄があっているかどうか、後はちゃんと現地で監査したというアリバイ、重要なのはそこでしょう? 本来、うちの活動を監査しようとするなら活動する人数と同程度の監査課の人間が必要なんだから」
「仰る通りですけどね、ただでさえそんな人数の外出許可が出るわけもないうえに、この選挙の忙しい時期ですから。こっちとしてもそこは目をつぶってもらわないと」
「分かってますよ、司法会さん」
レッドは冷たい目のまま口の端を歪める。
「深夜零時、例のビジネスホテルで取引が行われます。だからそれまでは精々だらだらしておいてください。観光にでも行けばどうですか?」
「ご親切にどうも。それと、俺の名前は夏彦です」
「おっと、失礼」
少しも悪いと思っていない顔でレッドはそう言う。
「いえ、分かってくれればいいんです」
また同じことするな、と思いながら夏彦は言う。
こんな安い挑発でぶれるような心臓は持っていない。
レッドと別れ、夏彦はある人物を探す。
こんな人の多い街でも、和服姿は目立つため、すぐに道をふらふらしている月を見つける。
「月先生」
「あら、夏彦君」
声をかけると、にこりと微笑み、月は振り返る。見返り美人図のようだ。
「どうしてここに?」
「どうしてって、バスに乗って来たからですわ。一緒に来たのですけれど、気づきませんでしたの?」
きょとんとした顔で本気で訊いてくるので、
「いや、そういうことじゃあなくて、どうしてこの街に来たのかってことです」
「ああ、ちゃんと許可は取りましたわよ。副部長の監視は部下に任せて、わたくしは現地を調査しようと思って」
調査って、どう調査するつもりだ?
夏彦は疑問に思うが、それを口には出さず、
「そうですか」
と納得した振りをする。
今もパンク寸前なほどにやることが多い。この上、自分から厄介ごとの可能性がある事情を聞く必要もない。
「ところで、ここの辺りはノブリスと比べても都会ですわね」
「え? ええ、そうですね」
「実は、新しい服が欲しかったのですけれど、ノブリスにはいい店がなくて」
「ああ、確かに和服専門店――呉服店って言うんですっけ、数が少なそうですね」
「ここならいい店が見つかるかもしれませんわ。夏彦君、ちょっと携帯で調べてくださる?」
「えっ、ええ、別に、いいですけど」
仕方なく、夏彦は周辺にある和服の店を検索する。
「おお、結構ありますね。さすが都会」
結果を月に見せる。
「なるほど。それでは、一緒に回りますの」
「は?」
意味が分からず、夏彦はぽかんと口を空ける。
「どうせ取引が始まるまで暇でしょう? 買い物に付き合って欲しいんですの」
「それ、本気で言っているんですか?」
「もちろん本気ですの」
やれやれ、と夏彦は肩をすくめる。
とはいえ、実際にやることに困っているのも確かだ。外務会の誰か一人、的を絞ってそいつの監査を行うのもいいが。
むしろ、月先生を見張るのが一番重要かもしれない。何しろ、どうしてここにいるのかがいまいち分からない。
とすれば、この話に乗るのもあり、か。
「俺、和服はもちろん、そもそもファッション自体に興味ないんですけど」
「別にいいですわ。ボディーガード代わりしていただければ」
「生徒会顧問ともあろう方が軟弱なこと言いますね」
冗談のつもりで言うと、
「ノブリスならともかく、ここでは限定能力も使えませんもの。わたくしの細腕では振るかかる火の粉を払うことなどできませんわ」
そう言われて、夏彦もふと気づく。
今の自分には、最良選択を使用することすらできないことに。
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