超絶政治闘争学園ノブリス改

片里鴎
片里鴎

『虚言八百(スティング)』1

公開日時: 2020年11月19日(木) 17:00
文字数:3,347

 夏彦は、目の前の光景に瞬時に反応できない。


「おっ」


 夏彦が無意識のうちに声をあげ、足に力を入れようとしたところで、大倉の拳が胴に突き刺さる。


「ぐ」


 瞬間、夏彦は間近で大倉の顔を見る。

 血だらけで、白目を剥いている顔。おそらく完全に意識はない。

 もはや、本能のようなもので暴れているだけだろう。


 ふわり、と夏彦の体が浮く。


 胴体にはいった攻撃、その衝撃で夏彦の体が宙に浮いている。

 痛みは感じなかった。ただ、肋骨があげるみしみしという音が、身体の内部で響いた。


 まさか息を吹き返してくるとは。相手は死にぞこないとはいえ、これはまずいか。虎もいるから、実質的には二対一か。

 宙に浮いたまま、口からこぽりと血をこぼしながら夏彦は冷静だ。

 身体を宙に浮かすほどの攻撃、確かに凄まじい。しかし、この感触、おそらく腕は折れている。折れている腕でこんな攻撃をしてくることが脅威だが。


 ずちゃり、と夏彦の足が床につくと同時に大倉が二撃目を繰り出す。


「あああああ」


 大倉の叫び。叫ぶことすら体に無理をしているのか、叫びと一緒に血が流れ出る。

 獣のような叫びと共に、大倉が拳を振り下ろす。


 折れた手足、いかれた身体、失われた意識、それにも関わらず、相変わらず大倉は脅威だ。

 暴力の天才。化け物。そんな表現でも生易しい。人間と思っていたのが間違いだ。大型の肉食獣とでも思っていればよかった。獅子を相手に、素手で挑む奴はいない。拳銃を持っていたって怪しい。猟銃や機関銃、できるなら重火器ぐらい欲しいところだ。


 振り下ろされた拳を夏彦は避けようとする。

 だが、避けきれない。

 虎の言葉を借りれば、もともと常人とは違う殴り方であるうえに、体が無茶苦茶な状態のため、攻撃の軌道が更に不規則なものになっている。回避するための「読み」が全く通用しない。

 拳が夏彦の側頭部をかする。


「おっあ」


 ぐにゃり、と大倉の姿が歪んだ。

 限界を超えて大倉の体が滅茶苦茶になったか、と夏彦は思ったが、すぐに違うことに気づく。

 これは、俺の視界が歪んでいるだけか。


 がくり、と勝手に片膝が落ちて床に着く。

 夏彦は大倉を見上げる形になった。その見上げた先の大倉の姿は、ぐにゃぐにゃともう原型をとどめていない。


 どうする?

 ふと、夏彦は意識の隅で虎のことを気にする。

 奴は乱入して来ないのか?

 来ないだろうな、とすぐに結論が出る。こんな暴走した機械みたいな状態の大倉に近づいたら、虎も一緒に殴られるだけだ。今の大倉に、相手を選ぶ能力があるとは思えない。

 だとすればこいつだけに意識を集中すればいいのか。


「くっ」


 視界が歪み体にも力が入らないまま、夏彦は完全に勘だけを頼りに斜め前に飛んで転がった。

 今度は右肩をなにかがかする。おそらく蹴り。

 びりびりと衝撃が走り、右腕が痙攣する。

 だが、かわせる。

 そのまま転がり続けると、どんと何かにぶつかった。

 死体か。

 起き上がって大倉に向き直る。大倉からは何とか距離をとれていた。視界の歪みも戻りつつある。体に力を入れる。ちゃんと、動く。いける。


 だがどうすべきか。

 向こうが満身創痍とはいえ、こちらも大分ダメージを負っている。はっきり言って、勝てる気がしない。

 虎の話が事実なら、大倉は放っておけば回復していく可能性がある。時間が経てば不利になるか。いや、待て。虎の話が、事実なら、だ。

 夏彦は限定能力のことを失念していたと気づく。

 そうだ、虎の限定能力は『虚言八百スティング』。嘘を信じさせる能力。

 もし、あいつが時間稼ぎに喋っていた本当らしきことが、全て嘘だったらどうする? いや、だが勘では奴の話が嘘だなんて感じなかった。俺の強化された勘と奴の限定能力、どちらが優先されたかという話か?

 いや、何か。何かがおかしい。


「もう終わりだな」


 瞬時のうちに様々なことが頭をよぎった夏彦の耳に、虎の声が入ってくる。

 終わり? いや、終わってたまるか。

 夏彦は立ち上がり、自分から大倉への距離を詰める。


「があっる」


 血と共に吼えながら、大倉は夏彦を迎撃しようと蹴りを出す。


「ちっ」


 避けず、防御しながら夏彦は前に出る。

 今の大倉の攻撃なら耐え切れる。ここは、一撃でも多く大倉に攻撃を入れないと。


 そして、夏彦のガードの上から大倉の攻撃が炸裂する。


「ぐぐうっ……」


 その衝撃を防御して耐え切る。痛めた肋骨に響いて、それまで受けた全身の傷の痛みが一気に吹き出る。

 それら全てをかみ殺して、夏彦は前に出た。攻撃範囲内。


「しっ!」


 明らかに折れかけて、曲がってはいけないレベルに曲がりかけている大倉の首。それに向かって拳を突き出す。


「がっあ」


 だが、大倉はそれに反応して、避けるでも防ぐでもなく、


「なっ!?」


 その夏彦の拳に向かって、正面衝突させるように拳をぶつけてくる。


「ぐっ」


 ぐしゃり、と音がして、信じられない激痛。

 目の前で自分の拳が砕けるのを、夏彦は見る。

 向こうの拳もダメージを受けただろうが、元々向こうの拳はいかれてる。拳だけでなく身体全体が。

 差し引きでは、こっちが損か。


「ははっ」


 横から、虎の耳障りな笑い声が聞こえる。


 痛みで視界が赤く染まったが、夏彦は退かない。痛みも奥歯で噛み殺す。

 ここだ。ここで一撃入れれば、終わりなんだ。

 夏彦は今度は蹴りを首に向かって放つ。


「ぎっ」


 それを大倉は肩で受け、血を吐きながらそのまま突進してくる。


 強烈なタックル。

 夏彦の息が止まった。動きも止まる。


 そして、拳。大倉の殺人的ともいえる拳が迫る。


 動けない。避けられない。防げない。


 死。


 くそ、もう駄目か。

 死を意識した瞬間、これまでのことが走馬灯のように蘇る。時系列もばらばらに、断片的に。

 入学。三人のクラスメイト。ライドウ。料理大会。稽古。限定能力。同意書。ナイフ。刀。屋上。タッカー。胡蝶。アイリス。料理について指導してくるアイリスとつぐみ。

 途切れ途切れの映像が、断片的に頭に浮かぶ。

 大倉の暴力。学園長との密談。律子と秋山。生牡蠣。虎との会話。つぐみとの約束。廃工場。沢山の死体の山。虎の笑い。血を吐きながら、ゾンビのように吼えて向かってくる大倉。


「ぐおっ」


 走馬灯は中断され、背骨ががりがりと音を立てる。

 大倉の拳は、夏彦の横腹にめり込んでいた。そのまま夏彦は吹っ飛ぶ。


「ぐううぅ」


 苦痛と衝撃、そしてダメージで、夏彦はしばらく起き上がれない。追い討ちには絶好の機会。


「ぐっう……」


 だが、殴った方の大倉も無理をしたのか、その場でたたら踏んで、数秒をよろめいてしまう。


「……ら、ラッキー、だな。終わるかと、思ってた」


 血を吐き呟きながら、夏彦はその隙に体を起こす。


 もう一撃食らったら、多分立ち上がれない。

 そう思いながら、夏彦は構えをとる。

 その顔は血を吐きながらも、自信に溢れている。

 さっきの走馬灯のおかげで、これまで感じていた違和感を総ざらいできた。おかげで、何がおかしかったのか、これからどうすればいいのか分かった。


「しかし、俺も鈍いな。こんな死ぬ寸前にならないと気がつかないなんて」


 口の血を拭うと、夏彦は目前にまで迫ってきている大倉を見る。


「大倉さん、今のあんたじゃあ、もう俺には勝てない。動くのをやめて、大人しく休んでいてもらえませんか?」


「ああっがっ」


 呻き、叫び、血を吐きながら大倉は止まらない。

 言葉が届いているのかすら怪しい。


 やれやれ、と夏彦は喋るのをやめる。


「さっきから一方的だな。そろそろ反撃しろよ、夏彦」


 にやつきながら虎が言葉を吐く。


 確かに、今の大倉は隙だらけに見える。今の俺なら、殺せる。

 そう思いつつも、夏彦は動かない。大倉が近づくのを待つ。

 がくがくと体を揺らしながら進む大倉が、ついに夏彦の目前に立つ。


「虎」


 夏彦は今にも襲ってきそうな大倉を見ながら、虎に呼びかける。


「あ? 何だ?」


 自分に話しかけてくるわけないと油断していたのか、意識の隙を突かれたかのように、虎は無防備にきょとんとした声で返事をする。


「タネは割れた。もう、その手は通用しない」


「――ほう」


 夏彦の言葉に、虎は笑みを消して真顔に戻る。


「見せてみろよ」


 虎のその言葉と同時に、


「がっ」


 血と叫び声を吐き出し、大倉が崩壊寸前の体を躍らせて、夏彦に襲い掛かってくる。


 夏彦は『最良選択サバイバルガイド』を全開で使用、全ての集中力を勘につぎ込む。


「来い」


 小さく、自分自身に言い聞かせるように夏彦は呟いて、構え直す。

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