結論から言えば、アイリスとつぐみの急造コンビは決勝戦で惜しくも敗れた。
夏彦はその試合を見ることはできなかったが、かなり健闘したとは聞いた。結局、僅差で第二料理研究部のベテラン組が優勝をもぎ取ったという。
タッカーは生き別れになった両親が見つかったために急遽として会いに行き、そしてその家で暮らすことになったために学園を辞めた、というストーリーになったらしい。そのストーリーの組み上げと証拠の捏造には、外務会がかなり協力してくれたそうだ。
全て、夏彦が病室にいる間に聞いたことだ。
一週間ほど、夏彦は病院の一室に、面会謝絶の状態で入院していた。といっても、本当に一週間の間、生死の境をさまよっていたわけではない。確かに体力気力の消耗や全身の怪我はあったが、それは死に至るようなものではなかった。
ようするに、軟禁されていた。
今回の件についての情報を報告させるため、情報漏えいを防ぐため、そして今後の打ち合わせをするため。
包帯でぐるぐる巻きの夏彦を見て、今回の件についての話をしにきたライドウは苦笑していた。
「包帯がとれたと思ったらすぐそれですか」
「言わないでくださいよ」
夏彦は苦い顔をする。自覚はある。万全の状態であることの方が珍しくなっている。
一週間という軟禁されていた期間からも分かるように、話自体はかなりスムーズに進んだ。生徒会長のコーカが借りを返すつもりか働きかけてくれたのと、司法会副会長のライドウが他の関係者との間をとりもってくれたおかげだろうと夏彦は推察していた。
「君からの相談があったのに動かなかった胡蝶、そして司法会上層部。君はそれらのフォローを命がけでしてくれた、ということになっています。現に、今回の件で司法会は生徒会からは感謝されています。君のおかげですよ」
「つまり?」
ベッドで体を起こして、夏彦は促す。
「君は生徒会への強力なコネを手に入れて、同時に司法会上層部の弱みも握ったということですよ。今回の件の報酬と君のコネへの評価、そしてうちの上層部の失態の口止め料。それらを要求しますか? 要求するなら、会は君に支払うでしょう。ただし、それと引き換えに君は茨の道を進むことになりますが」
そう言って、ライドウは夏彦の底を見るように覗き込んでくる。
意味するところを夏彦は理解している。
ここで支払われるのは金品などではなく、地位。そして、それをよこすように要求するならば、あまりにも早すぎる出世と、事実上上層部の不手際を指摘して地位をかすめとるようなマネをしたという事実から、夏彦は会上層部の多くの人間から敵対視される。
そういうことが言いたいのだろう、と。
「ください」
だが、それを理解してなお、夏彦はほぼ即答する。
意外そうに目を丸くしながら、それでも嬉しそうな顔をしたライドウが印象的だった。
一週間が経ち、ギブスと包帯だらけながらも登校ができるようになった。といってもちゃんとリモートで勉強の方はちゃんとしているのでそこまで問題はない。
携帯電話が解禁になって夏彦がさっそく確認すると、律子とつぐみ、アイリスからうんざりするほどの量の着信履歴とメールがあった。その他、ライドウや虎、秋山、コーカからのものもあるのはあったが、律子たちからのものと比較するなら、一対二百くらいの量の差があった。
いちいち返すのは面倒なので、いきなり登校して、ちょうど部活のある日らしかったので第三料理研究部の部室に入る。
「久しぶり」
声をかけながら夏彦はドアを開ける。
ちょうど、今日は何を作るかの相談をしているところらしかった。中央のテーブルに全員集まっている。珍しく今日の部活は全員参加しているようだった。
皆、突然入ってきた夏彦を見てぽかんとしていた。
そもそも、包帯だらけで顔も六割程度出ていないので、誰かすら分かっていないのかもしれない。
「……あれ?」
一番に気づいたのは、律子だ。
「なっなっなっなっなっなっなっ……夏彦君っ!」
律子はすぐに飛び出してきて、顔を真っ赤にして思い切り胸に向かって頭をぶつけてくる。
「ぐえ、痛い……律子さん、お、俺怪我人なんで……」
夏彦の言葉を意に介することなく、律子は頭をぐりぐりとこすりつけてくる。
「あれ、本当に夏彦かよ。うおー、すげえ。交通事故に遭ったって聞いたけど、結構やばかったみたいだな」
虎が大声で言いながら近づいてきて、そうしてウインクしてくる。
なるほど。
夏彦は意図が分かった。
対外的には、そうなってるわけか。少なくともアイリスは、そう信じている、と。
「ほらほら、久しぶりで感動してるのは分かるんすけど、相手怪我人すよ」
と、秋山が離れようとしない律子を羽交い絞めにしてべりべりと夏彦から引き剥がす。
「ああ、秋山さん、お久しぶりです」
「うぃっす」
そうこうしているうちに、ゆっくりと近づいてくるのはアイリスだ。
「元気ダッタんだ」
アイリスの顔を見た途端、「アイリスを頼む」というタッカーの声がまた耳元で聞こえた気がした。
多少、顔がやつれているように見える。
無理もないか、と夏彦は思う。
幼馴染が突然消えたんだ。
「元気に見えるか、これで?」
夏彦は包帯だらけの体をアピールする。
「あハハ」
乾いた声で笑って、アイリスはぽつりと言う。
「デモ、帰っテキてくれテよかった。タッカーは、いナクナッちゃっタから」
「……両親が見つかったんだってな」
「ウン。あたシ、嫌な奴よネ。本当なら、タッカーが幸せニナルンだかラ、喜ばなきゃいけないのに……突然イナくなったノ、寂しインだ……連絡してモ繋がラナいし。過去を捨てルツモりなのかな」
「……かもな」
返す言葉がなく、そんなあやふやな言葉を口にする。
「でも、寂しくなるのは仕方ないだろ。ずっと一緒にいた幼馴染なんだから」
「そウネ……アタシにとってハ。でも、向こウカラは、どうだッタのかな? タッカーにとって、あたしはどウデもいい存在だったンジャナい?」
「いや」
絶対に違うから、夏彦は首を振る。
「少なくとも、あいつはアイリスの料理のことは好きだったよ。星空の下での手料理は、いい思い出みたいだ」
「……ありガトウ」
一度、ぼそりと礼を言うと、アイリスは何かを吹っ切るように息を大きく吸い込んだ。
「――ヨシっ! じゃあ、夏彦君復活トイウことで、今日は盛大に料理シチャおウカ!」
「いいっすねえ」
「賛成だぜ。俺、超腹減ったし」
アイリスを中心に盛り上がる虎と秋山。三人は今日は何を作るか相談しだす。
「……夏彦君」
そうして、ようやくつぐみが静かに夏彦に寄ってくる。
「ちょっと、いい?」
「ああ」
二人は、アイリスたちから少し離れて、教室の隅の方で話をする。
「どうだ、アイリスは?」
開口一番、夏彦は慰め役の業績を訊く。
「まだ落ち込んでるわ。仕方ないとはいえ……でも空元気は出せるレベルにはなったし、それに彼女はもとから強いわよ。きっと、立ち直れる」
「そっか」
夏彦もそんな気がしている。
この勘だけは、外れないでくれよ。
内心で、夏彦は祈る。
「そっちこそ、どうだったの、処分の方は?」
どうも、つぐみは一番そのことを気にしているようだ。
あんな暴走行為をしてしまったのだから気になるか。いや、ひょっとしたらつぐみは、自分が俺を巻き込んでしまったと思って責任感を感じているのかもしれない。
夏彦はそう考えて、
「全然。むしろ、出世しないかってオファーが来たよ」
ことさらに気楽な口調で言う。
「出世? ……ねえ、夏彦君、それ、受けるの?」
どうやら、話を聞いただけでそれがどういう性質のものか見当がついたようだ。
心配そうな顔をして、つぐみが夏彦を問う。
「ああ」
「ど、どうして?」
あまりにもあっさりと返事をしたからか、つぐみは面食らっている。
「力が欲しいからな」
夏彦は、ナイフの刺さったタッカーを、二回目の予選でも味覚を操作された時の怒りを、手がかりがなく役職者が協力してくれなかった時の途方に暮れた光景を思い出す。
「力があれば、こんな結果にはならなかったんじゃないか、そう思ってさ」
だから、夏彦は決心した。
漠然とした憧れとは別に、上に昇ろうという動機ができた。
「正義の味方にでもなるの?」
「まさか」
そこまで世間知らずでもない。
「散々頑張って、命懸けて、それで結局誰も助からない。そんなのは馬鹿らしい、ただそれだけだよ」
「……少なくとも、あたしとアイリスは、夏彦君が何もしなかった場合に比べれば救われてると思うけど」
つぐみの言葉に何と言えばいいのかどうしても分からず、夏彦は黙って肩をすくめる。
「そうそう、知ってる? タッカー君の限定能力、公表されたのよ」
「へえ」
夏彦は知らなかった。
とはいえ、外の組織の内通者で、おまけにもう死んでしまった者の限定能力を隠しておく理由もないから、別に不思議な話ではない。
「能力は範囲内の人間の味覚の操作で、名前が『舌先三寸』だって」
幸せな記憶か。できすぎだな。
夏彦は軽く目を閉じて、今はもう回想の中にしかいないタッカーに語りかける。
お前、無茶苦茶好きだったんだろ、アイリスの手料理を星空見ながら食べる時間が。
「あっ、ねエ、なあに二人でこそこそシテルノ?」
何をつくるかの話し合いに全く参加していない夏彦とつぐみにアイリスが気づく。
「ああ、悪い悪い、すぐ行くよ」
「うん、ごめんね。あたしもいく」
すぐに夏彦とつぐみは料理の話し合いに参加する。
「さっきまで話してて、一人一品ずつリクエストしないかって話になってよ」
と虎が教えてくれる。
「それだと五品作ることになるんじゃないか?」
あまりにも量が多すぎるだろう、と夏彦は思う。
「いや、そこを夏彦君復活記念ということっすよ」
「ソウソウ。材料も今かラ買っテクレばいいし」
秋山とアイリスに言われて、なるほどと夏彦は納得する。好意は素直に受け取っておくべきだろう。嬉しいし。
「じゃあ、俺は、あれだ、大会の予選で作ってたアイリスのナポリタンがいいな」
あの不思議な美味さのあるナポリタンが、無性に食べたくなる。
「モチロンおーけーヨ」
「え、あ、あたし、のは……? あたしも、ナポリタン、大会で作ったのに……」
「えっ!? えーと……」
律子が愕然とした表情をするので、夏彦は言葉に詰まる。
「肉じゃが食べたいんすよね、律子流の肉じゃが。アイリスのはナポリタン、律子のは肉じゃが。そうっすよね?」
すかさず、秋山が助けを出してくる。
「そ、そうそう。そうです、律子さんの肉じゃがすごい美味しそうだったんで」
「俺のリクエスト分で肉じゃがお願いするっす。俺も、あの肉じゃが食べたいし」
「えっ、ふ、二人とも、あ、あたしの肉じゃがを……秋山君も、夏彦君も?」
途端に、律子の頬は赤く染まった。言葉があうあうとうまく出てこなくなる。
相変わらず律子さんは単純だが、それはそうと秋山さんが律子さんに慣れてきたな。
夏彦は妙な感心をする。
「ああ、料理人を指名してもいいのね」
と、黙っていたつぐみが確認するように言って、
「じゃあ、夏彦君、オムレツつくって。オムレツの材料くらいならあるから、先に前菜みたいな感じで料理しちゃってよ」
「え?」
その言葉に、夏彦は耳を疑う。
オムレツ? だって、オムレツは料理の心技体ができてる人しか……
「免許皆伝よ」
にやり、と似合わない笑いをしてつぐみはウインクをしてくる。
しばらくきょとんとしていた夏彦は、やがて聞き間違いでないことを確認するようにつぐみの顔をもう一度見る。
そうしてしっかりと目を見たまま頷くと、リクエストに応えるため、卵の入っているであろう冷蔵庫に向かって痛む体を引きずる。
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