「ひとつ、追加で報酬を請求してもいいですか?」
「ほう。言ってみたまえ」
夏彦の一言に、学園長は鷹揚に頷く。
運ばれてきたお茶を一口飲んで、夏彦は言う。
「俺に、稽古をつけてもらえませんか?」
「む?」
予想外の言葉だったらしく、学園長の動きが止まる。
「それは、どういう意味だ?」
「いや、そのままの意味です。俺は現場で斬った張ったすることが多いんです」
その証拠とばかりに、夏彦はまだ治りきっていない顔の傷を撫でる。
「だから護身術については結構興味があって。最近は金払ってプロに教えてもらったりもしてます」
夏彦は近くのジムにいるプロの護身術インストラクターと、週に一回は稽古をしている。だが、それで充分だとはとても思えなかった。
「心技体のうち、体は鍛えて、心は経験で変えていくしかない。技は、人から学ぶのが一番早いでしょう? そこで、単純な戦闘力なら学園一とも言われる学園長からも是非レッスンを受けたいと思いまして」
「ふむ」
宙を睨むようにして何事か考えながら、学園長は生牡蠣を飲む。
あれほど大量にあった生牡蠣も、今や残り十数個になっていた。
「単純な戦闘力では学園一、か。ちなみに、他に候補は誰がいる? 武力の学園一位の候補だ」
「他の候補ですか? そうですね、俺の知る限りだと……風紀会の律子さん、生徒会長、あとよくは知らないけどうちの会長ですかね」
「悪くない人選だな。律子は精神面で不安が残るが、戦闘技術は大したものだ。それに刀を使う。剣道三倍段という言葉があるのように、当然だが武器を持っているだけ強い。単純な真理だ。雲水が強いというのも間違ってはないだろう。正確な実力は把握していないが、得体の知れないところがあるしな」
だが、と学園長は話を続ける。
「コーカの奴を挙げるのは間違いだ。もちろん、奴がかなりの強さなのはそうだ。並みの相手なら勝負にならん。だが、私なら例えば空手の試合をすれば、百回やって百回勝つ自信がある。今の老いさばらえた私でもな」
「へえ。そこまで手ごわくないってことですか?」
意外な言葉に夏彦が驚くが、
「まさか。さっき君が挙げた三人のうち、一番戦いたくないのはコーカだ。試合ならともかく、実戦ではな。奴は利用することに長けている。環境、状況、自らの地位、双方の戦闘力の差、情報量の差、限定能力、何であろうと。奴はその全てを利用して勝利をもぎ取る。君も、もしも奴と敵対することがあれば気をつけることだな」
「はは」
思わず、という感じで夏彦は乾いた笑いを漏らす。
「誰であろうと役職者と敵対したら気をつけますよ」
「いい心がけだ。役職者は、怪物どもの集まりだからな」
まがうことなき怪物の一人である学園長はそう言うと、
「まあ、心がけの方も問題はないな。伊達や酔狂で覚悟もなしに言っているわけでもないようだ。よかろう、稽古をつけてやろう」
無造作に牡蠣の殻を投げ捨てる。
瞬間、
「ぬわっ」
突然頭の中に響き渡った危険信号に、夏彦は腰を浮かしかける。
だがそれよりも早く、巨体を夏彦に向かって伸ばしていた学園長の指先が、夏彦の目にそっと触れていた。
金縛りにあったように、夏彦は動けない。
見えなかった。テーブルを挟んだ学園長が体を傾けるのも、腕を伸ばすのも。夏彦が気づいた時には、既に指が眼球に触れていた。
「これ……」
囁くように学園長が言う。
「少しでも力を入れれば、大変なことになるな」
その言葉に、夏彦はいやでも眼球に触れている指先を意識してしまう。
「さっそくの稽古、ありがとうございます」
体を硬直させたまま、夏彦はそう言う。
「ふむ。いや、今の、完全に意識の隙間を突いた攻撃に君は反応していた。素晴らしい。中々見所があるな」
「勘ですよ」
牡蠣の殻を投げ捨てた瞬間、意識の数割がその殻に割かれる。そこを狙われたのだと夏彦はようやく理解する。
無論、それだけではここまで見事な攻撃はできない。一連の動作が、言葉通り流れるようだったのだろう。
「ふむ。私も忙しい。たまになら時間を割けるが、その時でいいか?」
「結構です」
やりとりが終わると、ゆっくりと学園長は指を夏彦の眼球から離す。
「――そうだ」
緊張がとけて、肝心のことを訊いていなかったことに夏彦は気づく。
「虎の限定能力を教えてください」
部下である虎の限定能力を、学園長は知っているはずだ。
「いくら極秘だからって、止める対象の限定能力くらい教えてくれてもいいでしょう? 頼んできたのはそっちですし」
「構わないが……万が一にも、私から聞いたということを誰にも言うなよ」
「もちろん」
「言った場合、お前を殺す」
「了解しました」
確かに、そうなっては殺されても仕方がないか。
夏彦はそう思い、即座に返事をする。
「いい反応だ」
嬉しげに学園長は頷き、いつの間にか最後の一つになっていた生牡蠣に手を伸ばす。
「データベースで確認したところによると、虎の限定能力の名は『虚言八百』。嘘を相手に信じやすくさせる能力らしい」
「……なるほど」
やっかいな能力だ。
心の中で夏彦は能力の内容を刻み、立ち上がる。
「それじゃあ、ごちそうさまでした」
「ん、もう帰るのか?」
「ええ」
夏彦は首をこきりと鳴らして、学園長を見下ろす。
「明日から、忙しくなりそうですしね」
「期待しているよ」
胡坐をかいたまま、学園長は個室を出て行く夏彦を見送す。
これもまた、必要な試練だ。
ノブリスネームをレイン、というその男は、ずっと見ていた。
夏彦と学園長の会食、その密談の様子を。見て、聞いていた。
とある技術によって。誰にも気づかれることなく。
とは言っても、ここで手に入れた情報を何かに利用するつもりはレインにはなかった。
そんな必要がない。何故なら、話の内容は既に知っているのだから。
薄暗い部屋で、レインは椅子から立ち上がる。
そう、彼がやったのはただの確認。本当にその話がされるかどうかを確かめただけにすぎない。
必要な試練が課されるのを。
「別に報告自体は苦にならないが」
彼は呟く。
「わざわざあんな場所に――封鎖地区の奥深くまで行かなければならないのは、正直面倒ではあるな」
そして友人に電話をかけるために、スマートフォンを取り出す。
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