「その仕込みがあってから、大分時間経っているんでしょ? その間に、外の組織もからくりに気づいたんじゃないですか? それで、それを逆手にとって、自分たちが持っている『はず』のテキストを取引材料に延命を図った」
「だがそれじゃあ外務会がそれに……いや、そうか」
夏彦に反論しかけて、レインは一人で納得する。
「そうです。外務会、というかクロイツ副会長としては、分かっていてもはねつけるわけにはいかなかったでしょう。はっきり言ってしまえば外の組織からのテキストの取引は、断ったらテキストが存在していないことをバラすって脅迫ですから」
「なるほど。面白い。そこを断って問題になれば、外務会としては行政会と公安会に責められるわけですね」
目をらんらんと輝かせるコーカ。
権謀術数や裏切り姦計が好きなのかもしれない。
「逆に言うと、外の組織からしても賭けだったはずだ。下手をすれば、外務会と行政会、そして公安会から全力で潰されかねない脅しだ。だが、今年に入ってからの外の組織はなあ」
そこまで言って、学園長は思わずといったように苦笑した。
「座して死を待つよりは、ということですわね。ギャンブルをしてでも、延命措置をしなければならなかった、と」
つられたように苦笑する月。
「そういうことだな。だが、問題は、その取引が一回で終わるか、ということだ。脅迫の常だが、一度で終わる保証はない」
学園長の指摘に、夏彦ははっとする。
「そうか、そうですね。ああ、そう考えれば例の襲撃事件も説明できる。取引現場で襲撃が起きて、その際にテキストも紛失。そういうストーリーを作るためのものだとすれば、納得できます」
「確かに。そうなれば、それ以降に外の組織が何を暴露したところで、取引を潰された負け犬の遠吠えとしか思われない。説得力はゼロだ」
レインは目を尖らせて続ける。
「そうなると、さっきの学園長の話が本当だとするなら、襲撃事件の黒幕は外務会という目も出てきた。いや、その可能性が高い、か」
「それと、さっきのクロイツが殺されたのが偽装の可能性が高いって話を併せて考えれば、何となくストーリーが浮かんでこなくもないですね」
夏彦は既に頭の中で大筋は組み終わっている。
だが、全てを説明するにはやはり何か決定的に足りない気がする。
周りが盛り上がる中、胡蝶は沈痛な表情で俯いて、話を聞いているのかどうかも分からなかった。
「一度、仮説を立ててから整理するのが無難」
「確かに」
瑠璃の提案はもっともなので、夏彦がそれを引き取り、仮説を話し出す。
「昔々、存在しないテキストをつかまされた外の組織。その組織は、近年大ピンチでした。多大な時、金、力を費やして学園の中に入れた工作員のほとんどが殺され、組織自体が存亡の危機に立たされていた」
喋りながら夏彦の頭には、これまで自分が遭遇した様々な事件が浮かび上がってくる。どの事件も、外の組織が関与していた。
「組織は何とかして延命したい。その時、学園にテキストが存在していないことをばらされたくない連中がいることを知った。組織は、そいつらをテキストの件で脅すことにした。通常危険すぎる方法だが、組織には策を選んでいる余裕がなかった」
「その連中とやらの代表格が、外務会のクロイツだったわけだな」
学園長の確認に、夏彦は頷いて続ける。
「一方のクロイツ副会長は、その取引の皮を被った脅迫を受けた。ただし、唯々諾々と従うつもりはなく、取引をダメにした挙句、これ以上脅されない状況を作り上げようとした。そして、取引現場を襲撃させた。自分の部下や取引相手が殺されることも織り込み済みで」
言いながら、夏彦は意識して笑みを浮かべる。そうしなければ、怒りが顔に出てしまいそうだからだ。代わりに、両手を強く握り締める。
「そして、クロイツはその件について徹底的に隠蔽しようとする。公安会が協力することも分かっていたでしょう。そして、その上で隠蔽がいずれバレることも」
「貴君のような人間が探るだろうしな」
レインの言葉に、ふっと夏彦は笑みを苦いものにする。
「まあ、そうですね。そこで、どういう方法かは知りませんが、自分が殺されたことにして逃げた。こんなところですか」
言ってから、やはり全然話として未完成だと改めて夏彦は痛感する。
「方法は置いといて、逃げる意味がよく分からないわね」
ようやく、呟くようにして胡蝶が発言する。まだ表情は沈んでいるが、それでもさすがは課長、ずっと黙って落ち込んでいる気はないらしい。
「逃げるくらいなら、最初から取引や襲撃を計画する必要がない。取引や襲撃を、行政会や公安会と協力せずに行ったのは、明らかに自らの保身――あるいは今回の件を逆に利用しての躍進をもくろんでいたはずだ」
もっともな学園長の指摘に、レインは獣のように口の両端を吊り上げる。それが笑みを意味しているのに夏彦が気づいたのは、少し遅れてからだ。
「貴君らはある前提の上で話しているが、そもそもそれが間違っていると思った方がいいな」
「ある前提?」
夏彦の疑問に、レインは笑みを深くし、
「外の組織が一つの目的、一つの意志の上で動いているという前提だ。だが、考えても見ろ。このノブリス学園は中に六つの会があり、そして会の内部にも派閥がある。おそらく、外の組織も同様に一枚岩ではない」
「でしょうね。で、そうだとすれば、どういうことになります?」
コーカは楽しそうだった。ただ、その目だけが冷たい光を放っている。
「俺たちも覚えがあるだろうが、敵対する派閥が何かすれば足を引っ張り、自分たちが出し抜いてやろうとするのが権力闘争というものだ。クロイツに取引という名の脅しをかけた勢力がいるならば――」
「逆に、クロイツに救いの手を差し伸べた勢力もいるかもしれませんね。もちろん、善意からではなく、脅迫している派閥を蹴落として有利になるために」
夏彦は暗澹なる気分になってくる。
取引が事実上は脅迫だったことも、それが襲撃して台無しになることも、外の組織内で派閥争いがあることも。
どれも、あの現場で死んだ連中は、あの名前も知らない組織の男やレッドたち外務会の人間は、知らなかったはずだ。
彼らは、知ったことじゃあなかった。
「つまり、こういうことですわね。脅してきたのとは別の派閥が、クロイツ副会長にその脅し、というか取引を襲撃で潰すように言ってきた。それに協力する、とも。そして、クロイツ副会長はそれに乗った。確かに、ありえない話ではないですわ」
月が頷くと、コーカが続く。
「クロイツ副会長にしても、テキストの不存在がバレずに済む。願ったり叶ったりでしょうね。で、レイン副会長、それがクロイツ副会長が逃げたこととどうつながります?」
「簡単な話だ。今回の件で、クロイツ副会長は他の会に貸しを作ることなく、厄介ごとを片付けた。これで更に出世をして卒業、エリートコースを歩むというのが第一の道。だが、クロイツは安心できなかった。そうだろう? 企みごとをすれば、それを暴いて破滅させ、代わりに上に昇るような連中がこの学園にはいくらでもいる」
そう言ってレインに見回され、皆は居心地悪そうに顔を見合わせる。
夏彦も、自分が名指しされているように感じて乾いた笑いを浮かべる。
「だから保険をかけておいたとしたら、どうだ? 外の組織の協力派閥に、更にいい立場を約束させる、とかな。少しでも事件の全貌が解決されそうになったら、そいつらの協力で逃げ出す」
「げっ」
それを聞いて、夏彦は顔をしかめる。
「じゃあ、ひょっとして、偽物の殺人事件が起きたのって俺が原因ですか?」
「確かに貴君が派手に事件について調査をしていたようだがな。実際のところ、誰のどの行動が引き金になったのかは分からん」
「レイン、妙に想像力が豊かだな。そこまでくれば妄想だ」
静かな声を出して学園長は指を組んだ。
「そして、お前は妄想を垂れ流す人間ではない。何か根拠があるな?」
「さあ」
対するレインはとぼけた顔をしながら、
「ただ、ひょっとしたら俺の知り合いの知り合いから、つい最近外の組織の人間と接触するクロイツ副会長の姿を見たなんて情報が入っていたのかもしれない。もっとも、その情報だけでは俺としてもどういうことか意味は分からなかっただろうが」
その知り合いの知り合いっていうのは公安会のことだろうな。
夏彦は察する。
「けど、そうなると雨陰太郎はどうなるの?」
復活した胡蝶の当然と言えば当然の問いに、
「さあ」
レインは首を捻る。
「確かに妙な話なんですよね。本来、襲撃やクロイツ副会長の殺人事件に、雨陰太郎という殺し屋の噂は何の関係もない。唯一、信憑性の薄い署名だけがそれらを繋げているわけです」
ううむ、とコーカも顎に手を当てて考え込む。
誰からも建設的な意見は出ず、考え込む。
そうだな。どう考えるべきか。
夏彦も同じように考え込む。
そもそも、あの取引の前後、選挙に関連して雨陰太郎の噂が流れた。それも、不自然なほど。取引に関して何人かが漠然と危惧を抱いていたのも、その噂が原因だった。
ようするに、襲撃を起こす立場からすればあんな噂が流れても百害あって一理なしだったわけだ。
「雨陰太郎の話は別の話だと思った方がいいかもしれませんね」
夏彦はぽつりと呟く。
「あれって、元々選挙に関する噂ですよね?」
「そうそう。副会長が選挙を有利にするために殺し屋を雇ったって噂です。それ以前から、殺し屋が入り込んだという情報は『御前』も知っていたようですが。もちろん、それは偽の情報で、実際は昔から潜入していたということですが」
コーカがにこにこと笑う。
「あの噂って、流したところで誰も得しませんよね。本当に雇ったなら噂を流す意味がないし。強いて言えば、その不穏な噂で副会長派が不利になって生徒会長が得しますけど」
「僕が流したわけじゃありません」
その言葉が終わらないうちに、全員の視線が瑠璃に集中する。
「私の能力の限り、生徒会長の言は真実」
「ほらね」
「だとしたら、素直に考えた方がいいんじゃないですか?」
「つまり?」
レインはがりがりと頭をかく。
話がややこしくなっていらだっているようだ。
「だから、あの噂は自然発生で、しかもある程度は真実なんですよ。副会長が雨陰太郎を雇った。それだけの話です。で、それとは全く別の話で、外務会の取引と襲撃の事件があった」
「じゃあ、ひょっとして僕、本当に雨陰太郎に狙われてるのかもしれないんですか?」
驚愕と呆れの中間のような顔をしてコーカが自分を指差す。
「まあ、ひょっとしたら」
「いや、だが貴君の説明では、肝心の署名の件が説明がつかないぞ?」
レインが意見するが、夏彦は首を振る。
「いえ、だから、あの署名があるのが間違いなんでしょう。例の取引と襲撃の話と、生徒会副会長が雨陰太郎を雇った話、全く別々の話が時期が重なったのと、署名があったことで繋がってしまっただけです。どういう経緯であんな署名があるのか知りませんけど、あれを無視すればそれぞれの話は説明できますから」
「すっきりはしないが……それが現実的だな」
学園長が長いため息を吐いた。学園長に似合わない、疲れの見えるため息だ。
そして、会議室内の空気が弛緩する。
「では司法会はこれから引き続き雨陰太郎の捜索、情報収集。そしてそれとは別にクロイツの追跡。それには学園長の協力が必要」
瑠璃が会議を締めるように言う。
「分かっている。行政会から、公安会を動してクロイツを追わせよう」
学園長のその言葉を最後に、ようやくこの長く前例のない会議は終了する。
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