超絶政治闘争学園ノブリス改

片里鴎
片里鴎

五里霧中1

公開日時: 2020年12月27日(日) 16:39
文字数:3,768

 シンプルな真っ白い病室に、同じくらいに白い顔色の男が一人。

 コーカだった。ベッドに上半身だけを起こして、白い顔で天井を睨みつけている。


 窓を遮るカーテンの隙間から、赤い光が差し込んで病室を照らしている。


「元気そう、ってわけにはいかないですね」


 はは、と乾いた声をあげながら病室に夏彦は入る。


 コーカはゆっくりと顔を夏彦に向ける。


 青白く生気はないが、それでも自信に満ち溢れた表情に変わりはなかった。


「ああ、君か。元気がないのはお互い様でしょう。夏彦君、会から出されたんですって?」


 かすれた声でコーカが言うと、夏彦は頭をかく。


「まあ、クビですね」


 課長補佐だった時と比べて、夏彦は特に見た目に変わりはなかった。

 髪が伸びたことと、目の暗さが少し増しているくらいだろうか。


「ああ、そうだ。お見舞い、遅くなって申し訳ないですね。あれなんですよ、少し前ーー俺が記憶失う前に一度ここ、来たんですけど、その時はまだ面会謝絶だったんで」


「気にしないでいいですよ。しかし、もったいないな。君なら、2年生で会長レベルになるのも夢じゃあなかったのに」


 残念そうにコーカは一度目を閉じる。


「有能さが評価されないのは、他人事ながらイラつくものだなあ」


「会長か……どうですかね、うちの会長、同い年ですし」


 鉱物的な同学年の司法会会長の姿を夏彦は思い浮かべる。

 あと一年か二年で、あの男と並べるとはとても思えない。


「ああ、そうか。雲水君も化け物ですね」


 新鮮な驚きを顔に表して、コーカは乾いた唇を指でなぞる。


「あ、これ」


 夏彦は袋に入った林檎を持ち上げて示す。近所にある果物屋で買った、普段買うものよりも5割ほど高いブランドものの林檎だ。


「ああ、ありがとう。まあ、座ってください」


 椅子を勧められ、夏彦は林檎を置いて座る。


 静かだった。

 窓の外、カラスの鳴き声だけがわずかに響く。


「しばらくは退院できないんですか?」


 一息ついてから、夏彦はそう話しかける。


「生きてるだけでも幸運、という状況らしいですからねえ……」


 コーカは自分の胸の辺りを撫でて、


「僕がこんな状況で、副会長も逮捕されて、今、生徒会はどんな感じなんですか?」


 やはり自分の古巣のことは気になるのか、そう尋ねてくる。


「さあ。解放されたのがつい昨日のことなんで……司法会にも戻れないし、今、各会がどうなっているのかは、どうにも」


「立場はなくなったとはいえ、人脈は繋がっているでしょう?」


「ま、そうですけど……今さら、学園長に会いに行くのもあれですし、ライドウ副会長や胡蝶課長も、今は色々忙しいでしょうしね」


「確かに」


 コーカは顔を曇らせる。


「あの二人は、例の一件以来、外務会、行政会、公安会への不信感を隠そうともしていないと聞いています。彼らの心情的には無理もないのでしょうが、今の混乱した状況下でそれでは、逆に混乱を加速させていると言って非難されても仕方ないでしょうね」


「やっぱり? あの二人の立場、どんどん悪くなってるんじゃないかと心配してたんですよ」


 その夏彦の言葉に、コーカは白い顔をにやりと歪ませる。


「変わりませんね。そんなになっても、人の心配ですか」


「いやいや、仕事から解放されて、人の心配しかすることがなくなっただけですよ」


 首を振って、


「ともかく、そんな状況で俺がのこのこ接触して、立場を更に微妙にすることもないでしょう」


「なるほど」


 コーカは頷いて、


「ああ、ところで」


 日常会話の延長線のように切り出す。


「夏彦君、本当に記憶がないんですか?」


 答えず、夏彦は少し困ったような顔で笑う。


 その後、林檎をちゃんと食べてもらうように念を押してから、夏彦は退散した。


 最後まで二人とも基本的には笑顔だった。


 ただ、コーカの笑顔が死相さえ浮かびつつある中でも相変わらず自信と野心に満ちているのに比べて、夏彦の笑顔はどこか諦めの気配が漂うものだった。

 それに気づかないコーカではないはずだが、結局何も言うことはなかった。





 夕暮れ。

 病院を出た夏彦は、その日差しに眉をしかめる。

 この病院の最上階にコーカが入院しているというのは夏彦がまだ課長補佐だった時に、そう、あの『御前』に会いに来た時には知っていた。もう現場復帰が絶望的であり、それゆえもうVIP待遇からは外されてしまっている、というのも。


 あれだけ優秀だったコーカが、誰からも無視されて病室に一人、という状況だということに当時の夏彦は言葉にできない憤りを感じたものだった。

 

 だが、今や夏彦も同じような立場だ。


 会に出ることができず、かといってまだ生きている人脈や情報をフル活用して再起しようという気にもなれず。

 結局、取調から解放されてまず向かったのは、コーカがの病室だった。


「……暑いな」


 9月とはいえ、夕暮れの強烈な日差しを浴び続けていれば汗が吹き出る。

 日差しを暑さにうんざりとしながら、夏彦は帰りの道を歩く。


 相変わらずカラスの鳴き声が遠く聞こえる。


 夏彦が再起に奮い立たなかった理由は二つある。


 一つは、自分でもはっきりとは言葉にできない。ただ、クロイツに向かって引き金を引いたあの時、自分の中で何かが折れたのは感じていた。

 憧れに近づこうと必死で昇ろうとしていた意志、そのどこかの部分が折れた。いや、あるいはそれはタッカーを殺した時に、月に裏切られた時に、もしくはもっと前に折れていたのかもしれない。ただ、その引き金を引いた時に折れていることに気づいただけで。

 あの『御前』から、学園の秘密につながる話を聞かされた時に、それを使って上に行こうという気が全く起きなかったのも、それが原因だろう。ただ、惰性で動いている。


 そして、二つ目の理由。

 それは、夏彦にも現状がわけが分かっていないからだ。

 そう、夏彦には本当に記憶がなかった。

 クロイツに引き金を引き、部屋を出たところまでは鮮明に覚えている。だがそれから、どこで銃を処分したのか等についてはどんどん記憶があやふやになっており、『御前』との会話については病室での会話の内容以外は曖昧で、そして途切れた。

 気がついたら、ノブリス市内のホテルで呆然としていた。


 そんな状況で、それはそれとして切り替えて再起も出世もできない。

 どうして自分の記憶がないのか。記憶がなかった間、何をしていたのか。

 疑問が渦巻いていて、もはや会のことを考える余裕がなかった。

 本来ならば会の力を利用して調べてやろう、という発想にもなるが、今回はその会が全力を挙げて結果、何があったのか分からなかったらしい。

 となれば、夏彦としてはもうお手上げだった。どうしていいか分からない。


「まったく」


 歩きながら愚痴って、夏彦は汗を拭う。


 これからどうすればいいのか。

 途方に暮れている。

 もう、何もかも忘れて、普通の学生として生活をおくるのもいいかもしれない。

 ただ学生をするにはノブリス学園は妙な学園すぎるが、それもそれで面白そうだ。

 ということは会関係以外の人間関係が必要になるな。これまで会に入ってない友人といったらアイリスぐらいしかいない。


 ただ、まあ、まだ一年生だ。

 これから頑張れば挽回できるだろう。


 熱に浮かされた頭で、夏彦は歩きながらぼんやりとそんなことを考える。


「お前が選ばれた」


 声。


 熱気で歪みつつあった周りの景色が、水飴のように急激に歪んだ。歪みながら暗くなって、これは暑さのせいで気を失う前兆か、と夏彦は思う。


 だが意識が遠くなることはなく、逆に薄暗く歪んだ景色の中に夏彦は取り残される。


「いや、お前が選んだのだ」


 再び、声が響く。


 聞いたことのない、落ち着いた男の声だ。

 低い声。


 だが、その声を聞いているときりきりと頭が痛み出した。

 頭の内側から、いくつもの触手が這い出ようとしているかのように、頭蓋骨が割れそうだ。


 違う、聞いたことのない声じゃあない。

 これは、どこかで聞いたことのある、何か。


 吐き気がして、夏彦はその場にしゃがみこむ。

 頭痛はますます酷くなっていく。


 耳鳴りで、世界がうるさくて仕方がない。


「うるっせねな、くそっ」


 しゃがみこんで耳を塞いだまま、夏彦は毒づいてから目も閉じる。


「どうなってるんだよ、これ」


 呻いているうちに、耳鳴りはゆっくりと収まり、そして、頭痛も軽くなってくる。


「……ったく」


 目を開けると、あたりの景色も元のものに戻っていた。暑さで歪みかけている、夕暮れの通りの風景。


 人通りの少ない道で助かった。

 ここがもしも大通りだったら、今ので確実に警察か救急車を呼ばれていただろう。何せ、突然しゃがみこんで目を閉じて耳を塞いで、その上でぶつぶつ何か言ってるわけだから。


 夏彦はゆっくりと立ち上がった。


「……おいおい」


 そして、自分の両手を見て思わず声を漏らす。


 両手首に、びっしりとみみず腫れがのたうちまわっていた。まるで重い切り爪で何度も引っかいたかのような跡だ。


「何だよ、これ」


 いよいよオカルトじみてきたな、と夏彦は嘆息する。


 そして、それと同時に一つ、直感だが間違いないと思えることがある。


 さっきの声。聞いたことのないはずのあの男の声だ。


 おそらく、俺はあの声を聞いたことがある。

 夏彦には自信があった。

 この直感は、間違っていない。


 夕暮れの小道、一人立ち尽くして自らの手首を眺めながら、夏彦は天を仰ぐ。

 一体、自分に何が起きているのかは分からない。

 ただ、確かなこともある。


 あの声は、記憶が失われている間に聞いた声だ。

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