人数も増えて、正式な部室も手に入れたので、第三料理研究部は週三回、月水金に部活動をすることになった。最初の時こそ、二年生組が遅れはしたものの全員集合したが、それ以降は皆そこそこ忙しいらしく、全員が揃うことはなかった。
とはいえ部長であるアイリス、その幼馴染のタッカー、そして何とか短期間に料理を習得したい夏彦とその指導役であるつぐみの四人は、ほぼ毎回部活動に参加していた。
特に夏彦はライドウにも釘を刺されたように、鍛錬を欠かさず行いつつ部活動に参加するようにしたため、かなり学園生活が忙しくなった。
そんなこともあって、金曜日の部活動に参加した時には、夏彦はかなり疲弊していた。
「お疲れだね。どうしたんだね?」
部室で座り込んでいる夏彦を見て、タッカーが声をかけてくる。
「いや、別に。今日は、何だ、お前とアイリスと、あとつぐみちゃんだけか」
見回して、夏彦は長く息を吐く。疲れたため息。
「お前らは幼馴染だけでいちゃいちゃして、俺は鬼軍曹のスパルタか」
大分、タッカーに大しては親しくため口を交わす仲になってきた。それからあまりつぐみ本人には言えない愚痴も。
「いいじゃんね。つぐみちゃんみたいにいい娘と二人きりで。こっちなんてロボだね」
「ロボの方がいいだろ、こっちは油断してたら喉輪喰らうんだぞ……あと、ここだけの話なんだけど」
一般生徒であるアイリスに聞こえないように、夏彦は声をひそめる。
「昨日ノブリスネット見たらメッセージ来ててさ、直属の上司から。明日、土曜日顔を出せって。俺、直属の上司と顔合わすのは初めてなんだよね」
直属の上司とは監査課の課長、胡蝶のことだ。
昨日メッセージを見てから、夏彦は緊張してしまっている。
「へえ。そうなんだね。それでそわそわしてるわけか。結構小心者だね」
「結構じゃなくて思いっきり小心者だよ……ほら、今も心臓がどきどきしてるし」
「それは多分、あっちでつぐみちゃんが手招きしてるからだね」
「……やっぱり?」
気づかない振りも限界だと思い、夏彦は渋々つぐみに近寄る。
「夏彦君、今日も頑張ろう」
一切の邪気がない、だからこそ恐ろしい笑顔。
夏彦は弱弱しく微笑み返す。
そうして、つぐみの料理指導が始まる。
アイリスとタッカーが仲良く何か喋りながら料理しているのを尻目に、つぐみに監視されつつ夏彦は焼きそばを作っていく。
少しでも別のことを気にしていたり、手を抜いたりすると、つぐみに「心が入っていない」と注意され冷たい目を喰らうことになるので、集中して料理をする。
まずは野菜を切り分ける。夏彦としては食感が残っている方が好きなので、野菜はそこまで細かくは切らず、わざと雑に大きく切り分ける。
キャベツ、ピーマン、それからもやし。
次に肉。豚の細切れ肉を切る。
あとは、その野菜と肉をたっぷりの油で炒める。塩コショウをしっかりとしておく。野菜に火が通ってしんなりとしてきたら、そこにそばを投入。
しっかりと味のついている方が好きなので、全体的にソース色に染まるまでソースをどばどばとかけて、炒める。
集中して料理したが、それでも完成までに三回ほどつぐみの目が急に鋭くなり、夏彦がびくっとすることがあった。
ほとんど同時にアイリスとタッカーの料理もほぼ同時に完成する。
「いっショに食べヨうよ」
アイリスとタッカーはオニオングラタンスープを作ったらしく、四人で焼きそばとオニオングラタンスープを一緒に食べる。
「美味しいね。焼きそばもよくできてる。ちょっと味が濃すぎる気がするけどね」
「え、マジ? 俺、これくらいが好きなんだけど」
「確かに味が濃すぎて、素材の味を損なっている気がするわ」
つぐみの目がすこしだけひんやりしてくる。
「ちょっと、つぐみちゃん、目が怖くなってる」
夏彦は怯えつつも指摘する。
「あハハハ。二人とモ本当に仲いいネ」
「冗談じゃないよったく……前から思ってたけど、つぐみちゃんってどうして料理になるとそこまで神経質になるわけ? トラウマでもあるんじゃない?」
夏彦は焼きそばを口に入れる。
もっちりした太めのそばとしゃきしゃきした野菜、そしてしっかりとついたソース味と塩コショウからくるぴりりとした辛味。
我ながらよくできている。美味い。
「トラウマっていうか、うち、結構その、貧乏だったから。貧乏大家族、みたいな。ううん、貧乏だからっていうのも違うかな。しつけかな。お母さんは凄い優しい人だったけど、食べ物を粗末にすると凄い怒られたんだ」
つぐみは遠い目をする。
「一番お母さんが得意だったのが卵料理でね……貧乏だけど栄養はたっぷり取れるようにって、お母さんいっつも卵料理作ってたな。あたしたち皆、お母さんの卵料理が大好きだった。いつも真剣な目をしてつくってたな。お母さんがそうやってつくってる光景を眺めながら、待ち遠しく家族みんなで食卓で待ってて。あの、待つ時間が一番好きだった。ああ、特に絶品だったのはオムレツ、中に何も入ってないプレーンオムレツが大好きだったわ。とろとろの、口の中に入れるだけでとろけるオムレツ……だから卵料理は、特にオムレツは、ぞんざいに料理する人にはつくって欲しくないの。ちゃんと技術があって、心をこめられる人、そういう人じゃないとね。お母さんのオムレツの思い出、壊して欲しくないっていうか……うん、お母さんとの大事な思い出だから」
しばらく、誰も喋らない。
夏彦もアイリスもタッカーも、気まずげに口をつぐむ。
「……あー、何ていうか、その……」
勇気を出して夏彦は何か言おうとするが、どう言えばいいのか分からない。
「それにしても美味しい、このオニオングラタンスープ。チーズがとろけるのがまた。ボリュームもしっかりあるから、あたしなんてこれだけでお腹一杯になっっちゃうかも」
そんな夏彦の様子を気にかけることもなく、つぐみはオニオングラタンスープに舌鼓を打つ。
「あの、つぐみちゃん、随分軽いね」
ついつい夏彦は突っ込む。
「軽いって、何が?」
「いや、今は亡きお母さんの思い出の直後にオニオングラタンスープを食べだすから」
「今は亡きって、うちのお母さん全然元気だけど」
「ええっ、完全に亡母の思い出料理のテンションだったのに」
そもそも生きてるならどうして過去形で語ってたんだよ、と夏彦は口を尖らせる。
「でも思い出を壊されたくないっていうのは本当だから、もし半端な気持ちでオムレツつくったら、夏彦君、首引っこ抜くから」
笑顔だが声が真剣だ。
「ソれ、スープ飲みナガら言うセリフじゃナいよね」
和やかとは言えないが、それでも和気藹々としたままで全員での食事の時間は過ぎていった。
食事が終わり、後片付けも済むと、もう日は沈む時刻になっていた。
校門の前で、四人はそれぞれ別れの挨拶をする。そうしてばらばらに家路につく。
だがいつもとは違い、夏彦が寮に帰ろうとするとタッカーがついてくる。
何だろう、とタッカーの寮とは帰る方向が違うことを知っている夏彦は不審に思う。
「なあ、ちょっといい?」
アイリスとつぐみの姿が完全に消えてから、タッカーが夏彦に話しかけてくる。
「ん?」
「ちょっと話したいことあるんだどね」
「ああ、そうか……夕食、はさっき食べたようなもんだし……俺の部屋でいいか?」
「いいね」
「じゃあ、付いて来てくれ。そんなに学園から離れてないから」
寮に向かいながら、突然何の話だろうな、と夏彦は不思議に思う。
そうして、夏彦はタッカーを部屋に招く。
「ほら、こんなもんで悪いけど、どうぞ」
とりあえずのもてなしとして、夏彦は麦茶を出しておく。二人分。
「どうもね」
部屋の床に、向かい合って夏彦とタッカーは座る。
「……で、何だよ」
麦茶を口にしながら、夏彦は促す。
「ほら、今日あったじゃんね、つぐみちゃんが、お母さんの話ね」
「死んだ感じで語ったお母さんの話だな。あの紛らわしい」
「そうそう。あれで、ちょっと話しておこうと思ったんだけどね……アイリスって、変わってるよね」
「変わってる――まあ、そうだな。ロボットだし」
「うん。あれ、多分環境に影響されてるんだよね。アイリス、母親がいないんだよね。別に湿っぽい話じゃなくて、父親もいなくて、孤児院の出身なんだよね」
「孤児院? じゃあ――」
その幼馴染ということはひょとして、と夏彦はタッカーの顔を見つめる。
「そうだね。俺も同じ孤児院の出身。だからアイリスは物心ついた時から知ってる。もう気づいた時にはアイリス、ロボットの真似してたね」
「そいつは筋金が入ってるな」
「ロボットの真似は俺にはよく分からないけど、あいつが大人数で食事するのにこだわるのって、多分そこから来てると思うんだよね。家族がいなかったからこそ、みたいなね」
「なるほど」
クラスが変わって初日、食事についてきたアイリスの姿を思い出す。
孤児院で、友達と一緒に食事を食べるのが楽しみだったのだろうか。だからこそ、食事は楽しくしたい。だから、俺を選んだのか?
夏彦は自分を選んだアイリスの選択が正しかったのか間違っていたのかをふと考える。
現状を見る限り、あいつの選択は結構正しかったのかもしれない。あいつの勘も侮れないな。
「だからね、アイリスは最近、部活が賑やかになって、すごい楽しくなってるみたいでね。感謝してるんだよね、本当に」
軽く、タッカーは頭を下げてくる。
「ほんと、これからもアイリスのことよろしくね」
「おい、よせって。別にアイリスのためにやってるわけじゃないしな。俺も、多分他の連中も。楽しくて部活動してるだけだって」
慌てて夏彦はタッカーの頭を上げさせる。
「俺も外務会に所属してるから分かるんだけどね、これから夏彦君は司法会の色々な仕事していくうちに、人を利用したり、人を裏切ったりした方がうまくいく場面って出てくると思うんだよね」
タッカーの童顔に、思いつめたような表情が浮かぶ。
「それでも、アイリスだけは、あの部活動だけはそういうのに巻き込まないでもらっいたいんだよね。お願いだ」
「あ、ああ」
既に、色々な会の連中との友好の場にもしようという思惑を持って参加している夏彦には耳が痛い話だ。
それでも。
「分かった。約束する。俺は、アイリスを裏切ったりしない」
不意に自分よりも大人びた顔をしたタッカーにいい加減な返事をする気にはならず、夏彦はまっすぐタッカーの目を見て言い切る。
「にしても」
照れ隠しもあって、夏彦は話題を変える。
「お前、随分と幼馴染思いだな」
「ああ」
タッカーは何故か顔を歪めて、
「長い付き合いだからね」
と遠い目をして言った。
『最良選択』をもってしても、タッカーのその目の意味は読み取れない。
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