即席裁判はすぐに始まりすぐに終わる。
事実関係に争いがない上に、その処罰の軽重に関しても争いがないと思われる場合に限られるからだ。事実関係と処罰内容の読み上げ、実質上はそれだけで裁判が終わる。
それが即席裁判だ。今回の事件は、事実関係は明白で争いはない。
「今回、処罰について争いはないんですかね?」
ふと疑問に思ったので夏彦は聞いてみる。
記憶にある限り、ライドウは事実関係しか確認していなかったし、そもそもが求刑する側、被害者の代理人である生徒会の人間は即席裁判を決定する際には到着していなかった。
「これも例年のことですからねえ。ぶっちゃけ、テンプレートみたいなのが決まってると思ってもらえれば。大体、こういうケースって風紀会からすれば明らかに自分のとこの馬鹿が一方的に悪いわけですから、とんでもない求刑されない限りは争いませんよ。こんなことで生徒会との仲を険悪にしたり、借りを作るのも馬鹿馬鹿しいでしょ」
そういう現場の慣例みたいなものがあるのか。
やっぱり校則集だけ読んでいても分からないものだな、と夏彦は嘆息した。
文章として載っているルールと、生きた政治上の慣例は違うってことか。
「さて、それでは生徒会の代理人の方は、事実関係はもうご存知ですか?」
裁判は、いつもより少し固い口調のライドウの言葉で始まり、
「ええ。どうせいつものことでしょう? 被害に遭われた方も軽傷のようですし、処罰の方は禁固刑一週間でよろしのではないですの?」
月の言葉に、秋山が頷く。
「妥当なとこっすね。弁護側としても異存はないっす」
「おいっ、てめぇら何わけの分かんねぇこっ」
喚いている秀雄だったが、秋山が彼を抱えていた腕に力を入れたらしく、息を止めて悶絶する。
「しかし、毎回のこととはいえ、よくそこまで質の悪い人間を引き入れますのね」
「意地の悪いこと言わないでくださいっすよ。この学園、他の学校には引き取り手がいない怪物が一杯在学してるんすから。当然、六つの会の中で風紀会が一番人手が、それも腕っぷしの強い人手がいるんすから。あんまし選り好みしてられないす」
二人の話を聞きながら夏彦は納得する。
なるほど、エリートの面ばかり見てきたが、確かにノブリス学園は同時に札付きのワルを相当数抱えた学園でもある。警察の役割を果たす風紀会が人手不足になるのは当たり前か。
ライドウは背筋を正すと、咳払いして口を開いた。
「それではいきますよ。風紀会所属、秀雄は一般生徒に言いがかりをつけ暴力を振るった。被害者は軽傷。以上により被害者代理人の生徒会顧問月の求刑は禁固一週間、弁護人たる風紀会所属秋山も同意。よって求刑通りの判決とします。よろしいですね?」
夏彦は頭の中で該当する校則を呼び出す。
最終同意だ。これに被害者側、というか検察たる月と弁護人たる秋山が同意すれば閉廷。裁判は終了だ。
「弁護人秋山は同意するっすよ」
秀雄を小脇に抱えたまま、秋山が言う。秀雄はぐったりとしていて動かない。
頷いたライドウは続いて月の方に顔を向ける。
「ええ。被害者代理人の月もどう――」
彼女の言葉が止まる。
瞬間、夏彦は目を疑った。
なんだこりゃ、夢か? いや、夢じゃないなら、これは、何だ、何が起こっている?
「――い」
月の喉から、刃物が生えている。
目を丸くしてる月。夏彦も、隣にいるライドウも突然のことに動けない。
刃物の、刃の部分が月の喉から生えている。それは、つまり。
夏彦の脳髄が、ゆっくりと算盤を叩く。
あれ、後ろから刀身の長い刃物で喉を貫通させられてるってことじゃないか。月先生の後ろにいたのって、誰だっけ?
黒木。
生徒会の新人。
ひっそりと、最初の挨拶以外何も喋らず、月の後ろに控えていた秀才然としていた男。
それが、後ろから月に刃物を突き立てていた。
彼女の喉から突き出た刀身が、ぶるぶると震えている。
「ぐあああ! あっちぃ!」
悲鳴。
夏彦がそちらに目を向けると、秋山が燃えていた。文字通り、火達磨になっている。
そして秀雄は秋山の腕から脱し、自分の足で立ち上がっている。
おいおい、どうなってる?
混乱する夏彦に、秀雄は飛び掛ってきた。
どうする、逃げるか? 迎え撃つか? 武器はもっていないようだ。ガードするか? 護身術、実践で使うのはやっぱりきついよな。
瞬間、夏彦の頭の中で、いくつもの選択肢が交差する。
『最良選択』
夏彦の脳内でその言葉が浮かんだ。
同時に、逃げるべきだ、と思った。根拠も何もなく、ただそう思った。
その場から飛び退く。
飛び掛ってきた秀雄は、懐から小さな袋を取り出して、夏彦の立っていた場所に投げつけていたところだった。そしてそれは、床に衝突した途端に爆発を起こして燃え上がる。
「うわっ」
危ない。
夏彦は後ずさる。
退いてなければ、火達磨にされるところだった。
「ちっ」
舌打ちをした秀雄に、するすると無駄のない動きでライドウが向かう。
突き。
普通にヒットして秀雄は吹き飛んだ。どうやら、格闘の方は素人らしい。
「――おっと」
だが追撃のため走り寄ろうとしたライドウをけん制するように、ナイフが飛んできた。伏せて避ける。
ナイフを投げたのは黒木だった。その両手には、更にナイフが一本ずつ握られている。
睨み合い。動いたら、黒木はナイフを投げて迎え撃ってくるだろう。
その緊張感の中、そろりと立ち上がった秀雄は、夏彦たちに背を向けないようにしながら、ゆっくりと教室を出て行く。
「あっちぃ」
ふと夏彦が見ると、秋山も立ち上がっている。どうやら床を転がって消化したようだった。
「くっそ、どうなってんだよ、マジで――あ、秀雄いねえし」
そうしてナイフを構えている黒木を見つけて、秋山は納得したように頷く。
「なるほど、黒木だっけ、てめぇがしんがりか。まあ、どういうことかはてめえ捕まえて吐かせりゃ済む話だ。まさか、そのチンケなナイフで俺を殺せるとでも思ってるわけじゃねぇよな」
どすのきいた声で言って、秋山は両腕を交差させて頭をかばいながら黒木に突進した。筋肉の塊である秋山の突進は、まるで猪か何かに見える。
黒木はナイフを投げる。ナイフは、秋山の腕に当たると、刺さりもせずに弾き飛ばされる。筋肉がナイフを弾いている。
「ちっ……化け物め」
だが、それと同時に黒木は教室の出口に向かって後向きで飛んでいた。異常な速度、そして異常な跳躍距離。
秋山の突進を食らうことなく、一跳びで黒木は教室の出口に到達している。
そして、そのまま黒木は獣のように両手両足を地面につけて着地すると、飛び跳ねて廊下に出る。
「おい、待ちやがれ」
突進が不発に終わった秋山が後を追って廊下に出る。ライドウも、そしてようやく我に返っていた夏彦もそれに続いた。
「なっ――」
それは、誰の漏らした声だったのか。
三人が見たのは、廊下の床、壁、そして天井までも使って飛び跳ねながら凄まじい速度で遠ざかっていく黒木の後姿だった。
しばらくは、ライドウと秋山は廊下で忙しく携帯電話を使ってどこかと連絡をとっていた。おそらく、会に今回の事件の報告をしているのだろう。
「報告は済みましたし、とりあえず教室に戻りますか。後片付けしないと」
「そっすね。暴れたんで机はぐちゃぐちゃだし、燃えちゃいましたしね。あーしんどい」
暢気に言うライドウと秋山の会話を聞きながら、夏彦は大変なことを思い出す。
「あっ――そ、それどころじゃないですよ! ひ、人が、生徒会の人がっ」
呻き、騒ぐ夏彦をライドウはたしなめる。
「落ち着いてください」
そう言いながら三人で教室に入ると、既に机は整理されていた。
月の手によって。
「逃げられましたわね。それも仕方ないですわ。黒木は既に限定能力を持っていますもの。こういう状況だから公表しますけれど、能力名は『疾走宣告』、手足を中心とした速筋の強化で、速く動くことに特化した能力だと思ってもらえばいいですわ」
「もう限定能力持ちだったのか。覚えが早いですね」
ライドウは感心したように言う。
「じゃあ、あのスーパーボールみたいに飛び跳ねて逃げ出したのは、技術じゃなくて限定能力か」
いや、それよりどうして生きてるんだ、この人?
そう尋ねたいが、自分以外は当然のように喋っているため夏彦は口に出せずにいる。
よく見れば、そもそも月の白く細い喉には傷がなく、血すら一切ついていない。床にも血痕のひとつもない。
「秀雄は限定能力持ってないんすけどね。いや、報告してなかっただけで実は持ってたのかな。あんな小さな袋を、投げつけただけで爆発させるなんておかしいっすよね?」
首を捻る秋山。
「ですね。そんな少量でも衝撃を与えれば爆発するような物質を懐に入れておくなんて自殺行為です。おそらく、彼には発火能力の類があるんだと思いますよ」
ライドウの考察に、夏彦は異常な状況も忘れて感心する。
そうか、あの小袋には点火したら爆発するものが仕込まれていたって考えればいいのか。ただの燃料。だから、限定能力を使って点火しなければ絶対に爆発しない。だから隠し持っておけた。
「あの様子からして、あの二人が組んでいたことは明白ですわ。けれど、組んで何をしたいのか、目的が分かりませんわ。黒木は通常の上位クラスの出身、特別危険クラスの人間と入学したばかりで関わりがあるとも思えませんし」
月が考え込む。
「そっすね。裁判めちゃくちゃにして何の得があるんすかね?」
「それはこれから風紀会の捜査で明らかになるでしょうね。ただ一つ、確かなことは――」
ライドウはため息と共に力なく言う。
「――我々は全員、始末書を書かないといけないってことです」
それを聞いて、月と秋山もため息を吐く。
学園のいたるところが騒がしい。
ばたばたと、学生たちが廊下や校庭を走り回っている。
そんな中を、夏彦とライドウは歩いている。
あの後、正式に捜査に来た風紀会の連中に事情聴取を受けて、ようやく解放されたのは日が沈んでしばらく経った後だった。
今日だけで終わるわけもなく、明日も事情聴取があるらしい。
「いやあ、大変でしたねえ」
人事のようにライドウは言う。
あまりの状況の変化に上の空だった夏彦は、ようやく頭がまともに働くようになっていた。
「あの、先生」
「ん?」
「あの月って先生が死ななかったのって、何ですか?」
どう質問していいか分からず、結局妙な質問になってしまった。
だが、ライドウには何を訊きたいのかは分かったらしく、
「ああ、ナイフで刺されたのに生きてたアレですか。あれは限定能力ですね。ただ、実は詳しいことはよく知らないんですよ。月先生は不死身だって噂だけ流れていて」
「はあ」
不死身。確かに、喉を貫かれても傷一つついていないのだから、不死身だ。
限定能力、という単語に反応して、夏彦は秀雄が襲ってきた時のことを思い出した。
「そういえば、限定能力なんですけど――」
そうして夏彦は説明した。
理屈ではなく、飛び退くべきだと思ってその場から飛び退いたこと。頭の中に響いた『優良選択』という言葉。
夏彦が話し終えると、ライドウは難しい顔をして、
「君がおそらく予想しているように、その『最良選択』というのが君の限定能力と考えていいですね。その内容ですけど、それも見当がつきます」
あれだけの材料で?
夏彦は驚く。
「本当ですか、で、俺の能力ってなんなんでしょうか?」
夏彦の脳裏にあったのは、日本刀を出現させた律子、蜘蛛のように跳ね飛ぶ黒木、不死身の月、そういった超人的な姿。
「護身術の覚えがよかったことから考えても、おそらくは――君の能力は、勘の強化です」
と、ライドウは言うので、夏彦は脱力してしまう。
勘?
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