超絶政治闘争学園ノブリス改

片里鴎
片里鴎

入学式

公開日時: 2020年9月1日(火) 16:12
文字数:6,261

 なめられてはいけない、という妙な虚栄心から、教室に駆け込むことはせずにドアの前で立ち止まり、一呼吸おいてから「いやー俺落ち着いてますよ」みたいな感じで夏彦はドアを開ける。


 ガラリ、と音をたてて昔ながらの引き戸を開けると、その先には机と、席についている学生服の集団が並んでいる。


 同じ服装の奴らがこれだけいると何か不思議な感じだな。と、自分のことは棚に上げて夏彦は思う。


 教室はイメージしていたものよりも少し広い以外は、ごくごく普通のものだ。壁一面にある巨大な窓からは、街とその向こうにある街を囲む山々までが一望できる。


 教室に入ると、黒板には「空いている席に座って式が始まるのを待つように」と書かれている。

 もうほとんどの席は埋まっている。


 空いている席は教室の真ん中にしかなかった。


 おいおい、やめてくれよ。遅刻寸前で入った俺の自業自得とはいえ。こういうの苦手なんだよ、コミュ障気味なんだから。

 そう内心愚痴りながら席に座ると、机の上に「ノブリス学園について」という小冊子が置いてあるのに気付く。

 それを取り上げてパラパラとめくりながら、教室を見回す。

 生徒の数は三十人以上ってところか。ノブリス学園は制服という縛りはあるがそれ以外はかなり自由なため、髪を伸ばしたり金色に染めてる奴、制服をもう既に改造している奴までいる。


 しっかし、なんだかチャラチャラしてる奴が多い気がするな。気のせいか?


 首をひねりながら小冊子の中身を読む。結構な部分で「入学のしおり」と重複しているが、この小冊子で初めて見ることも書いてある。


 たとえば全寮制で、しかも一人一部屋。これはもう夏彦が知っていたことだし、むしろこれも一人暮らしに憧れる学生がノブリス学園を志望する理由のひとつになっている。

 あるいは学生自治のため、生徒会の活躍と月一回の学生投票によって常に校則が変化していること。これも有名だ。


 逆に知らないこともいくつか書いてある。

 ノブリス学園には、生徒会以外にも五つの会があるらしい。

 「生徒会」「行政会」「司法会」「風紀会」「公安会」「外務会」

 合わせてこの六つだ。

 ただ妙なことに、この六つの会については、存在が書かれているだけで詳しい内容がどこにもない。相当不自然だ。大体、こんな妙な構造になっているなら、ホームページやらでこのことをもっと宣伝したっていいはずなのに、今の今まで夏彦はこの六つの会のことを全く知らなかった。


 なんだこりゃ、と夏彦は首をひねる。

 気のせいかもしれないけど、何だか胡散臭いな。

 そう思っているうちにドアが開いて、教師が入ってくる。


「はい、どうも。皆、揃ってるね」


 そう言って微笑む若いスーツ姿の男。大学生といっても通用する若々しい教師だ。ストライプのスーツの着こなしや長めの髪をきっちりとセットしているところからして、かなり外見には気を使っているようだった。


 教師は教壇に立つと、人の良さそうな笑顔を浮かべる。


「おはようございます。僕が1-90の担任をすることになったライドウです。名前は覚えなくても結構。というのも、クラスというものがこの学園ではあまり意味を持たないからです。ご存知のように、ノブリス学園では月一回テストがあり、その結果とその他の学園活動、そして本人の希望を考慮して、クラスを移動してもらいます。つまり、来月も君たちがこのクラスにいるかどうかは分からないということです」


 随分はっきりという人だな、と夏彦は感心する。新入生にいきなりそこまで話すか、普通?


「さて、では確認ですが、皆さんは筆記用具は持って来ましたか? とりあえず入学式にそれだけは持ってくるように連絡していたはずですが。忘れてる人はいませんね? 結構。それでは、これから同意書と校則集を配ります」


 ライドウと名乗った教師は片手に一枚のプリントを、もう片手には一冊の本を掲げる。


 プリントの方が同意書ってことは、あの本が校則集か。っておいおい、あれ、本屋とかで見る六法全書と同じくらい厚いぞ。誰が読むんだよ、あんなもん。

 夏彦はうんざりする。


 同意書と校則集が配られる。校則集の方を軽く見てみるが、細かい字でいくつも校則が書かれていて気分が悪くなる。

 同意書の方には、入学するにあたって校則に従って健全な学園生活をおくるよう努力する旨が記されている。


 同意書と校則集を両手に、周りの学生はきゃいきゃい騒いでいる。こんな妙なものを持って、ようやくノブリス学園に入学したことを実感したのかもしれない。


「同意書の方にはサインをお願いします。あ、そうそう、サインのことだけど、本名ではなくてノブリスネームでお願いしますね」


 聞きなれない言葉に、夏彦だけではなく周りの学生も急にしん、と静まり返る。

 言っている意味が分からない。


「ああ、ノブリスネームというのは、これからノブリス学園の中で使っていくあなたたちの名前です。好きな名前を作ってもらって結構ですよ。ゲームの主人公に名前をつけるくらいの気持ちでお願いします。僕のライドウという名前もノブリスネームです。決めたら、そのノブリスネームでサインをしてください。後日、その名前の学生証も作られます。この学園内では、ノブリスネームを使うようにしてくださいね。本名は一切禁止です」


 ライドウの説明に、教室のあちこちから興奮した声があがる。

 使う名前すら変える。完全に外の世界の自分とは、今までの自分とは別の人間になるってことだ。ライドウの言うようにまるでゲームだ。興奮するのも分かる。


 分かるが、ちょっとおかしくないか?

 夏彦はひっかかる。


「ノブリス学園の完全な自立性を目指すため、ここでは外での自分の情報、これまでの経歴、その他を晒すことは推奨できません。ネットゲームやったことありますか? あんな感じですね。一種のロールプレイだと思ってください」


 ほら、やっぱりおかしいぞ、これ。疑問が膨れ上がる。


「ああ、それとこれも校則集にきちんと書いてあることですが、家族や友達にノブリス学園の秘密というか、ホームページや外部向けの資料で公開していること以上のことは教えないでくださいね。うちの神秘性が薄れてしまいますから」


 冗談めかしてライドウが言って、生徒たちはどっと笑う。


 いやいや、笑ってる場合じゃないだろ。

 恐ろしく思いながら校則集をめくると、その校則が書かれているのを見つける。

 更に、その関連の校則として目を疑うようなものが載っていた。


『当学園に所属する生徒の通信は、当学園の自立性及び機密性保持のため傍受、及び規制される』


 夏彦は思わず声をあげそうになる。

 いやいやいや。

 いやいやいやいやいや。

 これはまずい。いくらなんでもまずい。ノブリスネームといい、この校則といい、自立性とかいう問題じゃなくて、治外法権というか、もはやこのノブリス学園が別の国のようだ。

 ようするにこの校則集が六法全書で、ここに書かれている法律に従ってこの学園は動いているってことだ。

 そこまで考えて、夏彦は決心する。

 よし、とりあえず、まだ同意書にサインはすまい。


「実際の授業が始まるまでの間、一週間後までの間にサインした同意書持って来てくれればいいですよ。ああ、もちろん今日この場ですぐサインしても結構です」


 ライドウが言うと、わらわらとほとんどの生徒がサイン済みの同意書を持ってライドウに集まっていく。きゃいきゃいと楽しそうに話しながら。


 えー……いくらなんでも危機感なさすぎだろ。呆れると同時に恐ろしくなる。

 ひょっとしてまだサインしてないの自分だけじゃないよな、と見回すと教室内に二人、夏彦と同じようにライドウに寄らずに席についたままの生徒がいる。


 一人は男子学生。金色に脱色された髪と、目と口が大きな目立つ顔立ちをしている。学生服もかなり崩して着ている。教壇に殺到している他の生徒たちを、にやにやと笑って眺めている。


 もう一人は女子学生。おさげ髪にメガネ。大人しそうな娘だ。学生服をかっちりと着こなしている。かなり真面目な印象で、あの男子学生とは好対照だ。落ち着き払った態度で姿勢よく座っている。


 夏彦を含めた三人の視線が交差する。

 しばらく見つめ合った後、誰からともなくゆっくりと頷いて、全員同時に同意書と校則集を鞄に入れる。





 その三人の様子を、ライドウはじっと窺っていた。笑顔のまま、しかし目だけは笑わずに。





 ノブリス学園生として誇りを持って生活するように、一週間後に会えるのを楽しみにしている、とライドウの訓示のようなそうでないような言葉で入学式は締めくくられた。


 ざわざわと楽しげに喋りながら学生たちは教室を出て行く。寮の自分の部屋を見に行くのか、それとも街に出るのかもしれない。

 ノブリス学園には大勢の生徒と教師が存在している。彼らのために、山奥でありながら学園の周りをぐるりと取り囲むように発展した街が存在している。完全にノブリスの学生を相手にした街で、そのために学生が楽しむにはこれ以上ない街になっている。なにせメインターゲットなのだから。あまりにもノブリス学園に依存しているため、街の名もノブリスに改名してしまったというのは有名な話だ。当然、改名が議論された時にはかなり異論は出たようだが。ともかく、完全なる学園都市だ。


 夏彦は街に繰り出す気はない。教室で席に座ったまま、他の学生たちが教室を出て行くのを待っている。

 やがて残っていた学生も一人減り、二人減り。ついに、教室にいるのは三人だけとなった。

 例の男子学生と女子学生、そして夏彦だ。


 三人は、示し合わせたように教室の隅に集まる。


「どうも」


 夏彦が頭を下げると、


「あーどうも」


「ど、どうも」


 と、二人も頭を下げ返してくる。


 自己紹介からしようと思ったが、ノブリスネーム以外を使うと校則違反になることを思い出した。ノブリスネームなんて決めてなかったので、単に「夏彦」とだけ名乗る。


 見た目が派手な男子学生は「虎」と名乗り、大人しそうな女子学生は「つぐみ」と名乗る。


 馬鹿馬鹿しい気もしたが、この学園の異常性を考えるとこうして話していることも監視されていて、本名を名乗ったとたんにペナルティを負わされてもおかしくない。


「で、どう思うよ、夏彦」


いきなり馴れ馴れしい口調で喋りかけてくる虎に驚きつつ、


「どうもこうも。怪しすぎるよ。この学園、別の国みたいだ」


夏彦が言うと、


「そ、そうですよねっ、この校則集も、こんな立派な校則集なんて見たことないです。数が多すぎです」


 まるで本物の法律書みたい、とつぐみが言う。


「こんな校則も書いてあった」


 と夏彦は例の通信傍受の校則を見せた。


 虎とつぐみは驚き、他にもまずい校則が載っているんじゃないかと校則集を探し始める。


「しかし、ここまで差別されるとはね。まあ、反応見る限り妥当だから差別じゃなくて合理的な区別ってやつだな」


 校則集をめくりながら虎がぼやく。


 意味が分からず夏彦とつぐみが顔を見合わせると、


「あれ、気づいてなかったのか? あの入学式、多分クラスによって全く内容違うぜ」


「え、ど、どうしてそう思うの?」


「あの教師の説明で不審に思わない奴は馬鹿だからだ」


 つぐみの質問に、虎はこの上なく簡潔に答える。


「少なくとも上位のクラスであんな説明をしたら、誰も同意書にサインしねぇだろ。逆に下位のやばい奴らのクラスだと、ノブリスネームだとか同意書にサインとか、面倒臭いからって全く無視する奴らだって出てくるだろうし。上位の奴らは理で、下位の奴らは力で納得させないと無理だろ」


 虎の説明はいちいち腑に落ちる。


「な、なるほどー」


 つぐみはただ感心しているが、夏彦はむしろ疑問だ。


「というか、どうしてうちのクラスの連中は皆同意書にサインしたんだろうな」


 こっちの方が不思議だ。あんなのサインするわけない。


「ああ、そりゃ、うちのクラスっつーかここら辺の中位のクラスはそういう奴らが集まるからだ。このクラスが上の最下位か中の最上位くらいじゃないか? 誰でも入れるから、ノブリスは下と中の層が厚いんだよな。で、うちのクラスにいる連中は、馬鹿でもなけりゃそこまで賢くもない。ノブリスの名前に憧れて、何も考えず何も努力せずに入っただけの一流になれずに二流の上の方にいて満足してる連中だ。流されるだけなんだよ、あいつらは」


 虎はその大きな口を皮肉に歪ませる。


「そういう言い方、よくない、と、思う、けど」


 つぐみが反論するが、どんどん語尾が弱くなっている。


「でも、夏彦もつぐみも、そういう奴らとは違うだろ?」


 虎の質問に、夏彦は考える。

 自分ってどうだっけ?


「……いや、俺は結構そんな感じだったと思うけど。何も考えずに憧れだけでノブリスに入ったし。ただ、違いがあるとすれば、俺は必死に努力した結果このクラスだったってことだ」


つまり頭の悪さを露呈したわけだが。


「ははっ、なるほど、必死さが他の奴らとは違うわけだ」


 虎が噴き出す。


「つぐみは?」


「え、あ、あたしは、その、うち、あんまりお金なくて、ずっと家事の手伝いとかしてて、卒業したら働こうと思ってたんだけど、その、お父さんもお母さんも進学しなさいって言ってくれて。それで、ノブリス学園なら頑張れば授業料とか生活費とかまで免除されるから、あたし、それまで手伝いとかばっかりで勉強してこなくって、でも頑張れば何とかなると思って頑張ったけど、上のクラスにはいけなくて」


「あ、もうやめてくれ。心がもたない。俺、つぐみちゃんに比べれば駄目人間だ」


 夏彦はギブアップする。自分のなんて薄っぺらいことか


「まあまあ。つぐみだって、これから頑張ればいくらでも上のクラスいけるだろ。頑張らなかったら下に落とされるだろうけどよ」


 ひひひ、と虎は笑う。


「あっ、ありがとうございます。あの、ちょっと考えたんですけど……この学園、トラブルが起きることを想定してませんか?」


つぐみの言葉に、今度は夏彦と虎が顔を見合わせる。


「えーっと……ちょっと、どういう意味が説明してくれない?」


 夏彦が頼むと、


「は、はい。あの、ノブリスネームで呼び合って本名とか素性とかを知らないのって、何かあったときに通報とか外の人に知らされる時に大変かと思って」


 ああー、と夏彦と虎は同時に声を出す。


「なるほどねえ。たとえば、夏彦が殺されたとする」


「おい」


 不吉なこと言うな、と夏彦は文句を言うが虎は気にも留めない。


「で、俺がそれを知ったとして、警察とかマスコミとかに何て言えばいいのかって話だな。どこの誰かもしらないし名前も知らないんですけど、夏彦って名乗ってたクラスメイトが殺されましたって通報して、警察がどこまで動いてくれるのか疑問だぜ」


「そもそも通報とか出来ないのかもしれない。こんな山奥なんだ。電波やネットに関してノブリス学園が全て管理していて、不都合な情報は外に出せないようにしていても不思議はない……なーんちゃって」


 馬鹿げた陰謀論だと冗談のつもりで夏彦は言ったが、つぐみと虎は真剣な顔をしている。


 夏彦も段々と、ノブリス学園ならやりかねないな、という心境になってくる。


「いやいや、素晴らしい。中々頭が切れる。1-90とは思えませんね。まあ、入学試験で分かる頭の切れなどたかが知れてしますが」


 突如として柔らかい声がする。


 ぱちぱちと拍手をしながら、ライドウが教室に入ってくる。

 その横には、学生服を来た背の高い女が付き添っている。女は長い黒髪の整った顔立ちの美少女だが、見ただけで夏彦をたじろがせるほどの冷たく鋭い目をしている。


「さて、それでは本当の入学式を始めましょう」


 ライドウが言う。

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