超絶政治闘争学園ノブリス改

片里鴎
片里鴎

怪物2

公開日時: 2021年1月8日(金) 18:45
文字数:3,822

 いつもの男。記憶の中のスーツの男が脳裏に映る。


 溶ける意識の中で男が言う。


「殺し合いを断った割に、随分遠慮なく蹴るじゃあないか。確実に致命傷を与えるレベルの蹴りだ」


「正当防衛だ。それに、俺の蹴りはあんなものじゃなかった」


 夏彦は反論する。


「全力で蹴ったからといって、あんな馬鹿げた威力が出るものか。俺は筋力を強化するような能力じゃあないんだぞ」


「言っただろう、もう人間ではないと。身体能力の方も上がっている」


「そうか」


 暗く染まった意識の空間で、夏彦は妙にさっぱりとした声で相槌を打つ。


「まあ、それならそれでいい。どっちにしろ、相打ちってことだな。残念だったな、あんたの思い通りにならなくて」


 夏彦にしては珍しく、嘲りの色を滲ませながら続けると、


「何を言っている」


 男の声には、純粋な呆れがある。


「もう人間ではない、と言っただろう。これくらいで死ぬものか。お前も、怪物も」





「どぅああああっ!」


 奇妙な叫び声で意識が覚醒する。


 その叫びが、自分の出したことだというのに夏彦が気付くには数瞬かかった。

 喉に何かが詰まったような不快感。その不快感のある喉から勝手に搾り出されている叫び声だ。


 痛み。死ぬほどの痛み。気が狂いそうなほどの痛み。

 なのに、意識が冷静なままで保たれている。

 不思議な感覚だった。普通なら、こんなレベルの痛みを感じたら何も考えられないだろうに。


 みしみしと。

 音をたてて、自分の首が勝手に元に戻ろうとしているのが夏彦にも分かった。無茶苦茶だった視界が、ゆっくりと通常のものに戻ろうとしている。


 それが、痛い。痛くてたまらない。


「ぐっう!」


 気合を入れて、夏彦は両手を使って無理矢理に首を元の向きに戻す。


 ばきりと完全に何かが壊れる音と、鮮烈な痛み。

 だが、それだけで、視界は完全に元に戻り、喉の不快感も消える。


 完全に首の骨が折れたはずなのに、夏彦は生きている。おまけに、もう痛みはなく、軽く首を動かすことすらできた。


「ごほっ」


 何かが喉に張り付いたような感覚がして、夏彦が吐き出すと血の塊が口から飛び出す。


 だが、それで全て終わりだ。


 まるで、さっきの一撃がなかったかのような、何もダメージなど受けていないような状態になっている。

 夏彦はそんな自分の状態に、変わってしまった自分の身体と精神に戸惑って、自らの両手を凝視する。


 一方、怪物もまた、何事もなかったかのようにその場に立っている。

 口の端から血を一筋たらしているが、それだけ。


「どうしたんだい、妙な顔をして」


 背筋が冷えるような、古い人形の目で怪物が言う。


「いや、何……」


 夏彦はどう答えたものか迷ってから、


「自分が、人間じゃなくなったことを痛感してるだけだよ」


「ふふ」


 怪物が含み笑うのと同時に、夏彦はのけぞる。


 鼻先をかするようにして、何かが目に見えない速度で通過する。


「へえ、今のを避けるか。投げナイフ、かわされたことなかったんだけどな」


「勘だ。反射神経や動体視力じゃあ、絶対に避けられなかった」


「なるほど。噂通りというわけだね」


「どんな噂だ?」


「力づくで、聞き出してみたらどうかな」


 ゆらり、と怪物が近づいてくる。


 夏彦は警戒する。

 さっきの一撃で分かった。怪物は、こちらを軽々と破壊するほどの膂力を持っている。

 いや、しかし、それはこちらも同じか。それに、破壊されたくらいじゃあ、こっちも相手も死なない。

 ふと夏彦は不安になる。

 この勝負は、どうやったら終わる?


「集中していないな」


 軽く声をかけられた時には、既に拳が夏彦の目前にきている。


 絶対にかわせないであろうタイミング、速度のそれを、夏彦はバックステップと同時に体を捻じってかわす。


「あそこからかわすか」


 少し呆れたような怪物の声。


「勘がいいんだよ」


 呟くように答えながら、その身体の捻じりを利用するように夏彦はカウンターで胴回し回転蹴りを放つ。


 その蹴りが怪物の肩に命中し、肩の骨が砕かれる。


「ふふっ、痛いな」


 奇妙にも怪物は笑い、


「たまらないな、全く」


 呟くうちに、砕けたはずの肩が再生して、怪物は普通に両腕を広げて夏彦につかみかかってくる。


「――カッサバ」


 初めて、夏彦は怪物の名を呼んだ。

 同時に、心臓に目掛けて、前蹴り。


「ぐ」


 くしゃり、と体ごと心臓が潰れたような感触。

 体をくの字に曲げて、怪物は吹っ飛ぶ。


「がっは……ふふ」


 それでも、血を吐きながら、なんでもないような顔をして怪物は即座に起き上がる。


「どうするつもりだ。どうやって、決着をつける?」


 とうとう、夏彦は敵である怪物に決着のつけ方を訊いてしまう。


「つれないな。せっかく、楽しくじゃれているのに、さっさと終わらせようだなんて」


 怪物は笑い、夏彦に飛び掛ってくる。


「じゃあ、とりあえず俺は逃げる」


 夏彦は宣言して、くるりと怪物に背を向ける。


「――?」


 本当に逃げ出すのかと疑ったのか、一瞬、気勢を削がれて戸惑う怪物の気配を夏彦は背中に感じる。


 ただ一瞬の隙。だがそれで充分だ。


 次の瞬間、夏彦は背を向けたまま身を屈めて、全身の力を溜める。


「むっ」


 ようやく、何が起こるか気がついた怪物が回避しようとするが、既に空中で飛びかかろうとしている動きは止められない。


「学園長、直伝だ」


 そう言って、夏彦はそのまま溜めていた力を全て解放した。


 全身全霊をかけた、全力の鉄山靠。


「ぐ」


 夏彦の背中に体を打たれた怪物は、そのまま空中高く打ち上げられた。


 ふわり、と怪物の体が宙を浮く。

 まるで映画のワンシーンだ。いかに全力で体当たりしようとも、普通なこんなに人間が飛ぶことなんてありえないだろう。


 改造されているからこそ、だった。


「じゃあな」


 夏彦が声をかける。


 空中の怪物が夏彦に目を向ける。


 宙高く舞い上がっていた怪物の体が、放物線を描き、落下し始める。


 ただしそれは屋上へ、ではない。怪物の体は既に手すりの向こう側にある。


「君は」


 怪物が、何かを言いかける。

 だがその言葉が終わらないうちに、怪物の体は凄まじい速度で遥か下方にある地面へと落下していく。


「どうせ死なないんだろ、それくらいじゃあ」


 地面への激突を見ようともせず、夏彦は呟く。


「けど、時間稼ぎにはなる。逃げさせてもらう」


 走って階段に向かおうとする夏彦の頭に、男の声が響く。


「無駄だ」


「うるさいな」





 いくら走っても、息切れしない。

 しかも、その走るスピードも驚異的だ。おそらく、原付が全開で走っているのとほとんど変わらないスピードで走り続けている。


 夏彦はあっという間に学園を駆け抜ける。

 そのまま、街に出る。


「ノブリスの外に出るつもりか?」


 頭の中で男の声が問う。


「やめておけ。確かに今のお前ならばこの街を抜け出すことも可能だろう。だが、抜け出してどこに行く?」


「実家に帰るよ」


 走りながら、夏彦はぶっきらぼうに答える。


「ほう、それもよかろう。だが、お前を受け入れてくれるかな? 親が、社会が、人間が」


「別に。大人しくしといたら、お前に改造されたってことなんて分からないだろ」


 跳ぶように街を走り抜けつつ、夏彦は吐き捨てる。


「お前は老いない。お前は死なない。病にもならず、大抵の傷は瞬時に再生する。隠し通せるか、お前に」


「不老不死かよ」


 戸惑いを込めて、夏彦は呟く。

 あの『御前』が求めていたそれが、こうも簡単に。


「そうだ。お前は隠れられない。化け物扱いされるか、あるいはモルモットになるか、もしくはその両方だ」


「なるほど。じゃあ、家には帰らない。全国を隠れて逃げ続ける」


 半分自棄になって夏彦は言う。


「ほう」


 脳内の男の声が笑いを含んだものになる。


「どうやって金を稼ぐ? 目立たないように隠れながら、ずっと旅を続けるつもりか? いつまでだ? お前は老いない。永遠に逃げ続けるつもりか?」


「うるさいな。大体、老いないって何だよ。そんなこと、信じられない」


 現実離れしている。

 夏彦は男の言葉を否定するように首を振る。


「そうか? お前のお得意の直感で判断しろ。お前の居場所は、最早この世界にない」


「うるさい」


「証明しろ」


「うるさい」


「証明して、人を超えろ。そこにお前の進む道がある。その他には道はない」


「うるさい」


「来るぞ、もう一人のイレギュラーが」


「――何?」


 頭の内からの声に聞き返したのとほぼ同時に、夏彦は胴体がばらばらになるような衝撃を背中から受ける。


「ぐっ」


 凄まじい速度で、全力で走っていた夏彦はバランスを崩し、そのまま道路に激突。まるで車に撥ねられたように二回転、三回転する。

 回転するたびに、体のあちらこちらが地面にぶつかり、体が壊れる音が聞こえる。


 首の骨も折れたかもしれない。


 だが、最早夏彦はそんなものでは死なない。


 すぐに起き上がった夏彦の目に、藍色の世界を背中にこちらを向いている怪物の姿が映る。


「よかった」


 怪物は心底ほっとした顔をしている。


「夜が明ける前に追いつけて。でも、屋上じゃなくてこんな路上というのは、少し興ざめだな。せっかく、最終決戦に相応しい場所と時間を選んだのに」


「こっちだって、お前みたいなのがラスボスってのに驚いているよ」


 既に再生しつつある体の壊れた部位を気にしながら、夏彦はゆっくり身構える。


「普通、ラスボスっていうのは、一番最初からちらちら話が出たりとか、因縁があったりするんじゃないのかよ」


「ふふ、まあ、そう言わないでくれよ」


 怪物は、拍手に応えるように両手を広げ高く挙げる。


「ラスボスらしく、本気で行くから」


「本気で?」


「力を使わせてもらうよ」


 そう言って、怪物は


「『三千苦界ワンダフルユニバース』」


 朗々と能力の名を告げた。

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