死んだ目で律子は夏彦を見て、
「この……女……誰、どういう、こと……な、なな夏彦君……こ、この女……」
ぶつぶつとあらぬことを呟いている。
どういうことだ?
何がきっかけでどうなっているのか分からないままの死の予感に怯えながら夏彦は、
「あっ、ぐっ、偶然ですね、律子さん。あっ、ど、ど、どうです、一緒に食べませんか?」
と律子に提案してみる。
「えっ……」
律子の瞳に光が宿り、開きっぱなしだった瞳孔も元に戻る。
よかった、いつもの律子さんに戻った。
安堵してこっそりと息を吐く。
「あっ、な、い、いいい、いいの? おっ、お邪魔なんじゃあ……」
「イエ。食事ハ皆でしタ方が楽シいでショう?」
アイリスの許しをもらったとたん、飛ぶようにして律子はカウンターまで食事を頼みに行き、あっという間にカレイの煮付け定食を持って帰ってくる。
そうして、ようやく食事再開となる、が。
「うっうう、う……」
「とコロで夏彦クン、アタし、その人よく知らナイんだけド、どウシて顔真っ赤ニシて唸っテルの?」
「は、はは、初めまして。あた、あたし、律子。夏彦君とは、その、その、えっと、どういう関係かっていうと、えっと、いや、まあ、うう、ううううう」
「癖だろ。お前のと同じ」
「あア」
変人同士のシンパシーがあるのか、アイリスは簡単に納得してしまう。
説明したこちらが不安になるくらいだ。
いいのかよ、それで。
「――で?」
「デ?」
「そろそろ、教えてくれ。どうして俺と一緒に食事に来たのか。どうして俺にグルメレポーターのマネをさせようとするのか? そもそも、お前は何者だ? どこの会だ?」
夏彦が一気に言い切ると、アイリスはきょとん、と首をひねり、
「えート、昼ごハンは一人よリモ人とタベた方が美味しイからツイテきたダけだけど。グルメレポーターのまネハ、面白イカなと思って。で、そモソも会って何ノコと?」
「……え」
まずい。一般生徒!? こいつ、ただの変人かよ!
一気に血の気が引く。
確かに上位クラスとは言うものの、所詮は通常クラス。クラスの全員がどこかに入会しているわけじゃあない。確か、通常クラスの上位では入会しているのは平均七割程度だとは聞いていた。だから、教室で会や限定能力の話をするのは、上位クラスに入っても厳禁だと。
それは知っていたが、しかし。ここまで思わせぶりで、ここまで変な奴だったら絶対どこかの会の奴だと思うだろ、普通。
誰ということもない、虚無へと謎の言い訳をしてしまう。
助けを求めるように律子の方を向いた夏彦の目に映るのは、真っ赤になって目を回している律子の姿だ。
ええい、頼りにならん!
「あノ、会って生徒会とか? 一体、何ノコと言ってルの?」
「よーし、じゃあカレー食べるぞ。あれだよな、グルメリポーターっぽいことを言えばいいんだろ? 言えるかなー、いやー、難しいかもなー、どうだろうなー!」
大声と勢いで誤魔化そうとそう言いいつつ、夏彦は頭の中ですばやくグルメレポーターっぽい文章を組み立てる。
よし、いける。
「うーん、まずこの色、普通の家庭で食べるカレーよりもかなり黄色が強い。おまけに具が少ない。いわゆる、お袋の味的な日本式カレーよりも、見た目としてはインドカレーの方に近い」
そして、カレーにスプーンを入れる。ライスの部分ではなく、カレーだけをすくう。
「けど、スプーンですくってみれば実態はインドカレーとは全く違うことが分かる。なにしろ、このとろみだ。スープに近いインドカレーとはかけ離れた、日本式カレーよりも強いとろみ。一体、このとろみはどこからきてるのか」
夏彦はスプーンを口に入れて、カレーだけを純粋に味わう。
生まれてきて今まで使ったことのない脳みその部分を使っているのだろう、頭の変な部分が痛くなってくる。
「一口、口の中にいれれば、どこか懐かしい日本式のカレーの味が広がる。でも、それだけじゃあない。この風味、このとろみ。これは、小麦粉だ。普通のカレーよりも多く小麦粉を入れてとろみをつけているから、こんなとろみがついているんだな。というか、入れすぎていて多少粉っぽいというか。けど、同時にそれによって優しい味にもなってるな」
今度は、カレーがライスにたっぷりかかっている部分をスプーンですくい、口に入れる。そうして、目を閉じてゆっくりと味わう。
そろそろいったん下げておくか。
「……正直、そんな高級な味はしない。というよりも、はっきり安っぽい味だ。ルーは業務用の安いルーを使っているから深い味わいなんてしない、ただ単にカレーなだけの味だし、具は少ないからそこから旨味が出ていたりもしない。具の少なさを誤魔化すために小麦粉で思い切りとろみをつけてあるが、そのせいでカレー自体の味が薄まっている……けど」
よし、ここから一気に上げてやろう。
「そのカレーがライスと一緒に思い切り口の中に詰め込むと、どうしてこんなに美味いのか。多少薄くて単純で安っぽいカレーの味と、このとろみ、そしてご飯が渾然一体となると、まるで少年時代の思い出が蘇ってくるみたいに懐かしくてたまらない味になる。とろみのおかげでカレーがライスによくからまって、そのおかげで喉をするっと通る。この喉越しすら、美味い。いやー、美味すぎる」
と夏彦は喋りながらどんどんカレーをかきこんでいき、一気に食べ切る。
「……ふう」
一息ついて、誤魔化せたかな、と夏彦がアイリスの顔を窺うと、アイリスはぽかん、と口をあけていた。
横を見ると、律子はひきつった笑みを浮かべながら若干距離をとっている。
「あノ」
若干強張った顔でアイリスが苦笑いしてくる。
「夏彦君って変ワッた人ダね」
お前に言われたくないよ。
食事が済むと、順序が逆な気もしつつ、夏彦は間に入って律子とアイリスをお互いに紹介させた。もちろん、律子と夏彦はちょっとしたことで知り合った単なる先輩後輩ということにした。
「意外ですネ、てッキリ、夏彦君の彼女さンダと思ってまシた」
「えーっ!? えっえっえっえ、ななあなななああ何、を」
顔を真っ赤にして律子はがたがたと椅子を揺らしている。
「にしてもアイリスもよく初対面の男にいきなり声をかけられたな。フレンドリーというか、何と言うか」
「ロボットでスカら」
しれっとアイリスは嘘をつく。
「えっ、あ、アイリスさんって、ろ、ロボットなの!? さっきハンバーグ食べてたのに!?」
「律子さん、こいつはロボットじゃあないですし、驚くところもちょっとずれてますよ」
「冗談はサテオキ、だって誰カトお昼ご飯食べたかったンダモん。他のクラスメイト、皆、昼休憩なノニまともにご飯を食べようトシナい人ばっかりダッタんで。消去法で夏彦君を選ンダの」
消去法、のところをやけに強調してアイリスが言う。
喧嘩売ってんのか、と夏彦は思いながら、
「初対面の人間にグルメレポーターのマネさせるし、そのくせ自分は何もせずに普通にハンバーグ食ってるし」
「グルメレポートなんテできマせん。ロボットですから。それはサテオき、夏彦君に提案がアルんだケど」
「提案?」
予想外の話の展開に夏彦は首をひねる。が、そこまで不安はない。さっきの律子の瞳孔が開いてた時以上のピンチが襲ってくるとは思えないからだ。
「今度開催さレル、料理コンテストを知ってル?」
あれ、話が繋がってきたぞ。
と思いながら夏彦は頷く。
いつの間にかパニックから回復していた律子さんも、クールビューティーを装った顔で話に耳を傾けている。
「あタシ、第三料理研究部ニ所属シテイるんでス」
料理研究部、の前に第三と数字がついているのは、ノブリス学園では別に珍しいことではない。なにせ、学生の数が普通の学校とは文字通り桁違いなのだ。あまりにもクラブが巨大にならないように、同じ活動内容の部を複数作ることは認められている。
「今度ノ大会にうチノ部かラモ出場すルンデすけド、さっきのグルメレポーターの力を活かシテ、是非うチノ研究部に大会が始まる間だケノ仮入部デモしテクれませんか?」
「いや、俺、料理できないんだけど」
「別にいイデス。そんナことは期待してイマセん。問題は、料理を審査サレた経験がうちの部員にハ全くなイコとです。その経験が必要なンデす」
つまり、どういうことだ?
夏彦は考えをまとめる。
「えっと、つまり、俺に審査員役をしてくれってこと?」
「そうデス」
それ、いいのか?
夏彦は考え込む。
予備審査員をやる人間が、出場予定の人間に個人的に協力する。そんなこと許されるのか? だが、それを禁止するという話は聞いていない。大体、正式な審査員じゃなくて予備だし。いいのか?
いいなら、これに乗っとくのは悪い話ではない気がする。
コンテストの監査をしようにも、料理のりの字も知らない状態では、何かイカサマがあったり会の介入があっても気づかない可能性だってある。これから大会まで、料理の勉強をしようと思っていたところだから、この申し出は渡りに船だ。
ただ、部活動をすると放課後の特訓はできなくなるが。
「ちょっと待ってくれ」
席を立つと、トイレに駆け込んでライドウに電話をかける。幸運にもすぐに繋がる。
「はい、夏彦君、どうしました?」
夏彦はライドウに今の状況を素直に全部話す。
「ああ、いいんじゃないですか」
対するライドウの返事はかなり軽いものだ。
「ちょうどよかったですよ。もうそろそろ、夏彦君の研修期間を終わらせようと思っていたところなんです。もう、放課後の特訓はなしで。でも自主鍛錬はしておかないとすぐ錆付いてしまいますから、それだけはしておいでください」
そうして大会についても、
「君たち予備審査員って、予選の審査をするだけですし、予選ではどの料理が誰のものかは知らずに審査するから問題ないですよ」
とのことだった。
「大体、うちの学園って会の政治闘争はあるし、クラスの入れ替えはあるしで、あんまり普通に青春っぽいことができないでしょう。どこかのクラブに入部して、クラブ活動して青春するっていうのはいいことだと思いますよ。いっそのこと、正式に入部したらどうですか?」
「先生……久しぶりに教師らしいこと言いましたね」
「たまには言いますよ。この前割り勘してしまいましたし」
一応あのことを心苦しくは思っていたらしい、と夏彦は安心する。
テーブルに戻って、アイリスに
「オッケーだったよ。入部するよ、君の部に。その代わり、料理教えてくれよな」
夏彦がそう言うと、アイリスはぱあっと顔を明るくする。
「そウ! どうぞ、どウゾ、さっそく今日の放課後、一緒に部室に行コウよ」
「ただ、もう一度言うけど、俺は料理できないし、そもそも大会に出場は無理なんだ。予備審査員することになってるんだよ」
「へエー、予備審査員、すゴイ」
と、夏彦とアイリスの会話が盛り上がっていると、
「……」
いつの間にか律子の瞳孔がまた開いている。
何か無条件に背筋が冷たくなって咄嗟に、
「あっ、り、律子さんも今日の放課後、一緒に行きましょうよ、料理研究部」
と夏彦が誘うと、
「え……えっ、い、一緒に料理……?」
律子はすぐに赤くなって顔をぶんぶんと振る。
夏彦とアイリスは顔を見合わせた。
これ、爆弾だぞ。いつ爆発するか分からないタイプの。
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