翌日は、大倉に万が一にも出会わないように更に早朝に夏彦は家を出た。それでも相変わらずライドウの方が先に来ていたのには驚いたが。
昨日の大倉の様子からして、普通に授業を受けていてもそこに乱入してくる可能性すらあると夏彦は判断していた。それくらい限界だったように感じたのだ。
そこで、授業に出ることなく、朝から行政会の本部で仕事として助言や、あるいは資料室で次の会議に必要な資料作りをしていた。
資料室で必要な資料を探していると、
「おっ、授業さぼってこんなとこにいるとはめずらしいじゃねぇか」
声をかけてきたのは虎だ。
夏彦としては資料室に虎がいる方がイメージにないので驚きだったが、さすがにそれを口に出す気にはならず、
「ああ」
と短く答える。
「ついさっき、つぐみも見たぜ」
「え? つぐみちゃんも?」
聞き返した途端、
「あら、珍しいね、夏彦君」
と後ろから声。
振り返ると、見たことのある眼鏡の少女の姿がある。
「えーっと……」
訝しげに夏彦が目を細めると、
「ちょっと! いくらなんでもその反応はひどいじゃない!」
本気で憤慨してつぐみは顔を赤くする。
「ごめんごめん、結構久しぶりな気がしたんで、ちょっとからかってみたくなって」
笑いつつも、夏彦は反省してぺこぺこと頭を下げる。
「まったく……」
「いや、でもちょっと夏彦の反応も分かるぜ。例の料理大会以降、夏彦部活にあんまり来てないからな。そうすると、自然と俺たちとの接点なくなるよなぁ。特に、つぐみちゃんなんて影薄い方だし」
「な、何よその言い方! あたしのどこが影薄いっていうの!?」
「えっ……」
「いや、だって、なあ?」
夏彦と虎は困った顔を真剣に見合わせる。
「え、ちょっと、嘘でしょ……?」
その態度からあながち冗談でもないと気づいたのか、つぐみが不安そうな顔をする。
「ま、まあまあ、積もる話もあるだろうから、飯でも行こうぜ、ちょうど昼前だし」
取り繕うような虎の発言で、久しぶりに三人で食堂に向かうことになる。
「眼鏡をかけているのと委員長キャラっていうのが個性なんじゃないか、やっぱり」
食堂で食事をしながら、夏彦たちは結構本気でつぐみの個性について語り合っていた。
「いや、それだけじゃなくてさ、ほら、あたし、料理にこだわりがあったりとか……」
「アイリスとかぶってんじゃん」
「虎の言う通り、アイリスの登場と同時期に料理のこだわりの話が出たからなあ。あっち、喋り方がロボットだし」
「え、ええっ!? じゃあ、なに、あたしも語尾に何かつけたりとか口調変えればいいの?」
「んな単純な話じゃないだろうけどよ、ほら、つぐみって見た目も結構地味だしよ」
虎がにやつきながら失礼千万なことを言う。
「ぶっ殺すわよ……」
「何か、つぐみちゃん、初対面の時と比べて、風紀会に入ってから一気に過激な性格になったよね。まあ、会が会だけに荒事が多いんだろうけど」
夏彦の指摘に、
「あ、そ、そうね。まあ、それが個性って言えば……」
「別に特に個性になんないだろ。風紀会には凶暴な奴なんて腐るほどいるし」
「そうよね……」
虎の指摘につぐみがうなだれる。
「んな本気で落ち込まなくても……つぐみちゃんの何倍も個性のない奴がすぐ傍にいるのによ」
言いながら虎がちらちらと夏彦を見てくる。
「ん、俺のこと? いや、まあ、そうだな。個性は、乏しいか……見た目も普通だし、性格的にも普通だもんな」
「普通っつーかまともなんだよな、夏彦の場合。別に悪人じゃないけどそんな善人ってわけでもないしよ」
虎の言葉に反論できず、夏彦は黙ってパンを口に放り込む。
「そうね、夏彦君ってあたしたちの中では出世頭のくせに特徴ないよね」
「いつの間にか俺が弾劾される流れになってんだけど」
夏彦は苦笑する。
「でも実際、影が薄い濃いは別としてさ、つぐみちゃんに会うのは本当に久しぶりだよね」
「夏彦君が出世してからはあんまり会えてないわね、確かに」
「こいつ、出世した途端、俺たちみたいな下々の者には興味なくなったんだよな」
けらけらと笑う虎を、しらじらしいなと思い夏彦は顔をしかめる。
裏で俺を利用して脅迫で力をつけてるくせに。
「あ、そうだ」
昨日、宿題のように出された学園長からの問題。結局一晩考えても夏彦には見当もつかなかった。
あれを、学園長と同じ行政会の虎に質問してみたらどうだろうか、と夏彦は思いつく。
「あのさ、話変わるんだけど」
夏彦は、行政会が情報の面で優遇されていないか、そして公的機関の人間を取り込めば一気に有利になるんじゃないか、と虎に投げかけてみる。
「へえ、そんなこと考えたこともなかったわ」
つぐみは驚いて、顎に手を当て考えている。
「それ、夏彦が思いついたのか? いきなり?」
一方の虎は、疑わしげに夏彦を見る。
「いや、いきなり思いついたってより、入学した時からずっと気になってたことなんだけど」
内心冷や汗をかきながら、夏彦は言い訳する。
「ふうん、いいけどよ……確かにそうだな、言われてみれば、そうだな。考えたこともなかった。けど行政会が有利って話については、結局そういう情報を手に入れれるのって理事長とかそういうごく一部の人間だから別にいいんじゃねえか?」
その虎の発言に、夏彦は違和感を抱いた。どうにも、嘘くさい、
「役人を抱きこむうんぬんの話については、結局汚職の話だろ? それを言うなら、例えば他の会の役職者を抱きこんだって話は同じじゃねぇか。別に深く考える必要ないんじゃねぇか?」
その言葉にも違和感がある。
わざと話を逸らしていないか?
夏彦は疑念を抱く。
学園外の人間を抱きこむことで学園内での闘争に圧倒的に有利になってしまうという構造で、学園の自主自立がどう担保されるのかというのが問題のはずだが。
「にしても、んなことまで考えるなんて、よっぽど出世したいんだな?」
からかうように虎が言って、
「悪いか。出世してしたいことがあるからな。必死にもなるさ」
「そう……ね」
夏彦が答えると、つぐみがふと遠い目をした。あの大会の日のことを思い出しているのかもしれない。
「あ、お前、目的があんのかよ、出世してどうにかしたいって」
「はあ?」
あまりにも間抜けだと思えるその発言に、夏彦は困惑する。
「目的もないのに、必死になって上に昇ろうとするわけないだろ。誰だって、上でしたいことがあるからだろうが」
「そうか?」
きょとん、と心底意外そうな顔をした虎は、どこか猫を思わせる。
「俺はそうは思わねぇけどな。だってよ、凄い金持ちとかいるだろ、社長的な。外資系の取締役ですみたいな奴。ああいうのってさ、何十億も金ためて、やることあんのか? いや、そりゃ、ある奴はいるだろうけどよ、ない奴も結構いるんじゃねえか? もう、資産額がゲームで言うところのポイントみたいなもんでよ、どこまで伸びるか、ハイスコアを目指すだけみたいな奴」
「……まあ、な」
そう言われて夏彦は考えてしまう。
確かに、大金持ちが更に金を稼ごうとする時、皆が皆、もっと金がないとできない何かを目的にして稼いでいるかといえば疑問だ。
「一杯お金稼ぐ人は、金銭感覚が常人とは全く別物になってもおかしくないもんね。スコア感覚かあ……想像できないな」
眼鏡を直してつぐみはため息をつく。
「つぐみは家庭の事情で特にな」
虎が揶揄して、
「喉握り潰すわよ」
つぐみの目が鋭くなる。
「おお、怖ぇ怖ぇ」
わざとらしく虎は震える。
「ま、とにかく、だから出世もゲームみたいに捉えててよ、出世どこまでできるかってルールの上で自分の力を試してるのかな、とも思ったんだよ、夏彦が」
「――虎は」
言うべきではないかもしれないが、夏彦は我慢できずに口を開く。
「虎は、そうなのか?」
脅迫までして俺の名を利用して成り上がっていこうとしているのは、ゲーム感覚なのか?
夏彦の思わず出てしまった本心からの疑問に、
「……何言ってんだよ、そもそも、俺出世してねぇし」
笑いながら虎の目は獣のそれさながらに殺気を帯びる。
そうして、しばらくの間無言のまま、夏彦と虎の視線が絡まる。
お互いの腹の底をえぐろうかというような、視線の刺し合い。
こいつ、何を考えてる?
夏彦には読めない。勘でも何も分からない。
虎がよく分からない。
油断できない馬鹿。
秋山の表現が蘇る。
虎は笑み、夏彦は無表情。
表情は対照的だが、視線は同じように冷たく鋭い。
お互いの目の底を見ようとする。
「ちょ、ちょっと」
あまりにも剣呑な雰囲気に、慌ててつぐみが割って入ってくる。
「やめてよ、喧嘩は。虎君と夏彦君が喧嘩なんて、やめてよ……せっかくの、入学した時からの友だちなのに……」
「ああ……いやっ……」
「け、喧嘩はしてないぜ、する気もねぇって、なあ、夏彦」
段々と弱弱しくなっていくつぐみの言葉に、夏彦と虎は慌てて言いつくろう。
「ほんとに?」
少し潤んでいるように見える目で、眼鏡越しに上目遣いでつぐみはふたりを見る。
「もちろん、なあ、虎」
「ああ、そうだぜ、つぐみ。別に喧嘩はしてねえよ。しねえし」
「約束、してくれる?」
「ああ、もちろんだ、お前もするよな、夏彦」
「するよ、そんな約束くらい……あっ」
約束してしまった後で、つぐみ相手に約束をすると言質をとられることの恐ろしさに夏彦はハッと気づく。だが、もう後の祭りだ。
蒼白になる夏彦の顔を、何も知らないらしい虎は不審そうに眺める。
「よかった、二人とも喧嘩しないって約束してくれて」
にっこりと微笑むつぐみに恐怖を感じながら、夏彦は苦笑いと共にコーヒーを流し込む。
友だちに争って欲しくないって純粋な気持ちからの行動なだけに、逆に怖い。
やや強張った顔で笑う夏彦、にこにことしているつぐみ、不思議そうに二人の顔を見比べる虎。
三者三様のままに、久しぶりの三人の昼食は終わる。
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