死臭がする。
失礼ながらそう思う。もう、目の前のこの老人は死にかけだ。
真っ白い病室で、無数の管に繋がれ、眠っている姿はもう死んでいるのか生きているのかもよく分からない。
だというのに。
「……お前か」
気配に気づき、開かれたその目には生々しいほどの力がある。ぎょろりとその目に射抜かれる。
「何のようだ……ああ」
「コーカです。ノブリスネームはコーカを使っていますよ、大先輩」
「は」
痩せた老人はから笑い、
「お前といいクロイツといい……私を元総理とは呼ばないな。それで?」
「今回、行政会と外務会の頼みを我々生徒会は聞き入れた。その借りとして、あなたにお会いする権利を手に入れました」
「ああ、確か、料理コンテスト、だったか。そこで、何か、『外』の連中の生き残りが、動いたらしいな」
「ええ。それを、指示通りに泳がせました。もっと穏便に、犠牲者を出さずに片付けることも可能だったのですがね」
「施設の出の『虫』が死んだだろう? それで、いい。そうなって欲しいから、私が依頼した」
真っ白い天井を見上げて、老人が独り言のように呟く。
「端的に訊きます。何故です?」
「……施設は、『外』の連中の養成機関、いや……飼育箱と言っていい。そこから巣立ったものが、工作員となる、が」
一度に喋りすぎたのか、ふう、と疲れ果てた息を吐いてから、
「同じ飼育箱で……学園の人間も育てられる。良くも悪くも、優秀な人材が育てられたのなら、それを、学園が、見逃すはずがない」
「……それは、つまり」
彼にしては珍しく、コーカは目を開いて、
「二重スパイ、ということですか? 寝返ってこちら側につくものもいる、と?」
「ああ……少々、事情がある……司法会が『怪物』を捕獲したことは?」
「代表会議で、聞きました」
「おそらく、これから、学園内は荒れる。始まるか、終わるか……」
老人の目がゆっくりとコーカに向いていく。
「少しでも、力が必要だ。学園にいる……多くの『飼育箱』出身者。優秀な彼ら、彼女らが足を引っ張られることがあっては、ならない。『虫』は、徹底的に、潰さねば」
「そのために、ですか? 一体、何が始まると? 『怪物』の正体はご存知ですか?」
コーカの矢継ぎ早の質問を受ける頃には、既に老人の目は閉じられている。
また、死体じみた風貌に戻った老人を前に、しばらくコーカは待っていたが、何の反応もないことを確認して、
「……また来ます」
そう言って背を向ける。
「曾孫は、元気でやっておるか?」
その背中に、老人が問いかけてくる。
振り返るが、老人の目は閉じられたままだ。
「虎のことですか? ええ、元気ですよ。代々の有名政治家の家系とは思えない男のようですが」
「うちの血筋は、代々山師だ……それでいいさ。奴もまともには生きていない人間だ。敵がいなければ、戦い続けなければ生きていない。哀れなことだ」
「こっちの質問には答えていただけないのですか?」
「……あの、戦争」
「え?」
「第二次世界大戦が、どうして形だけとはいえ日本の勝利で終わったのか、それを知っているか?」
「それは、後のことを考えずに序盤に全戦力を投入した日本の連戦連勝に、敵国側で厭戦気分が広がって――」
「教科書通りの、説明だな……ああ、その教科書の文面を考えたのは、私だったか」
くく、と口を曲げてから老人は目を開くが、その目はもうさっきまでの力は宿っていない。
「戦争に勝った理由。どうして、この学園ができたのか。『限定能力』とは何か。色々ある、が……ああ、あの男、クロイツは、『血染めの八月』を知りたがっていたな……そうだな、私の口からそれを聞き出したければ……殺せ」
「は?」
「今回の件に関わった連中、外も学園内も全て、どの会の所属であろうとも、皆殺しにしろ。そうしたら……教えてやる」
「初代生徒会長とも思えない発言ですね」
恐ろしい提案に対して、コーカは爽やかに笑いで返す。
「なるほど、しかし分かりましたよ」
「……何?」
「あなたは誰かを、恐れている。その誰かが生きていたら、口を開くことはないということですか―― いえ、もうひとつ、ありましたね。その恐れている誰かを、ここに連れてくればいい。その誰かになら、口を開くでしょう」
「威勢のいい小僧だ。その威勢を買って、ひとつ教えてやろう。『雨陰太郎』という屋号を持つ殺し屋が学園に入り込んでいる。標的の中には、お前も入っているはずだ。精々気をつけるがいい」
「ご忠告どうも」
それでは、と今度こそコーカは病室を出ていく。
「……やれやれ」
誰もいない病室で老人はため息をついて、
「今も昔も、学園は化け物揃いか」
少しだけ嬉しそうに呟く。
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