「――学園長」
呟くが、律子はその方向を向きもしない。ただ、久々津だけを見ている。構えも解かない。
「あんたか」
搾り出すような声。
久々津は目を血走らせている。
「ふむ。君の姿には覚えがあるぞ。入学式の日に私が特別危険クラスの学生を『指導』していた姿を屋上から見下ろしていた男だな。そして、そちらは去年活躍した風紀会の執行人、律子君か。噂は聞いていたが、こうやって会うのは初めてか」
「てめぇ、どうしてここに来やがった!?」
ちらちらと血走った目を学園長に向けつつ久々津は言う。
「風紀会の友人から、君が血相を変えて管理棟の屋上へ向かった、という話を聞いてね。こうやって部下と共にやってきたわけだ。ああ、もちろん風紀会に話は通しているから安心したまえ」
「――ちっ」
久々津の両刀の剣先が、ゆらゆらと揺れている。
動揺している、と律子は見てとる。
それも当然か。邪魔が入らないと思ってこんな場所に来たのに、よりにもよって学園長たちが来てしまった。学園でも単純な戦闘力で言えば最強とすら言われている学園長が。
「ここに来たのは、無駄な争いを止めるためだ。久々津君だったね、君に対してのサービスでもある」
「サービスだと?」
「そうとも。君は秀雄君や黒木君と違って、保身なんて考えていないだろう? だから、彼らのように裁判を壊して逃亡するなんてマネをしなくても、学園を混乱させるだけならば手当たり次第に学生を斬りつければそれで済む」
薄ら寒いことを言って、学園長は一歩踏み出す。
「それをせずに、斬り合いたい相手を探して、律子君とわざわざ邪魔の入らないこんな場所まで来てくれた。私は感謝しているんだよ、久々津君。君は、学園の被害が少ない方法を選んでくれた。だからこそ、君にサービスとして伝えに来た」
「ほう?」
少し余裕が出てきたのか、傷のある右頬を歪めるようにして久々津は笑う。
「投降したまえ。もう、秀雄君は私たち行政会が押さえている」
その事実に衝撃を受けたのは、久々津よりもむしろ律子だった。視線は相変わらず久々津に定めたままだが、目を見開いてしまう。
「はっ、それがどうしたよ?」
久々津は何を感じることもないらしく、そう吐き捨てる。
「分からないかね。我が行政会はもちろんのこと、どの会であろうと、本気で取り組めば簡単なことだったのだよ。君や秀雄君、黒木君、その他を捕まえるのはな」
だったら、どうしてそれをしなかったのか?
律子には意味が分からず、刀を構えながら頭に疑問符が浮かんだ。
「本気で取り組むには問題があったということだ――だが」
「秀雄の馬鹿が捕まったってことは、その問題はもう解決したってことか」
それでも久々津は笑みを崩さない。吊り上り血走った両目、血の流れ出る傷、そして壮絶な笑みが合わさって凄惨な顔になっていた。もともとが美しい顔だからこそ、なおさらに。
「そうだ。もう、君は逃げられない。だから無駄な抵抗はせずに投降したまえ。悪いようにはしない」
「――知るかよ」
久々津は取り合わない。
「俺はただ、斬りたい奴を斬るだけだ」
「仕方ないな」
残念そうに学園長はため息をついて、
「私と律子君で取り押さえるとしようか」
「くく。さすがにあんたと律子さん二人相手にはできないな。退かせてもらうぜ」
傷口から血を流しながらそう言い放つと、突如として久々津は走り出す。
「――っ!」
大きく律子を迂回するように走って屋上のドアに疾走する。
不意を突かれたのと久々津本来の俊足、そして蓄積していた疲労によって律子では追いつけない。
だが、学園長がドアの前に立ち、久々津を通すまいとしている。学園長の実力ならば、久々津を止めることは可能なはずだ。
「ひゃあっ!」
奇声をあげた久々津は、律子の予想外の行動に出る。突然、両手の日本刀を同時に学園長に投げつけたのだ。
二本の刀は、まるで投槍のように真っ直ぐに学園長に飛んでいく。
「ふん」
学園長は表情を変えず、両手を軽く前に突き出した。飛んでくる二本の刀を掴み取ろうとしたのかもしれない。だが。
乾いた破裂音。
「ぐっ」
がくん、と学園長の頭が揺れる。
日本刀を投げ捨てた久々津の手には、小型の拳銃が握られていた。さっきの日本刀は囮か。
明らかに撃たれたらしい学園長は、それでも両腕で今にも体に突き刺さろうとしていた日本刀を両方とも跳ね飛ばす。
人間じゃあない、というのが律子の素直な感想だ。
「ひゃっ」
久々津は、学園長の横を全速力で通り過ぎつつ、空中を舞っている二本の刀を両方とも回収する。
サーカスでも見ているようだ。ついつい、律子は見とれてしまう。
「くくくかかかか」
笑いながら、両手に刀を持ち直した久々津はドアを抜けていく。
「――まっ、待て」
すぐに我に返り、思わず後を追おうとする律子を、
「よせ、もう間に合わん。逃げる獣を追っても益はない」
撃たれたはずの学園長は止めてから、顔をしかめる。
「しかしあんな玩具まで持ち込んでいたとはな。不覚をとった。こんなことなら部下の一人でも連れてくるんだったわい」
よく見れば、学園長は奥歯で何かを噛んでいる。
「――ぷっ」
学園長はそれを吐き出す。
それは、弾丸だった。吐き出された形の歪んだ弾丸は、屋上に転がる。
ころころと転がる弾丸をつまらなそうに見ながら、学園長は携帯電話を取り出すと、久々津という男が逃げ出した旨を誰かに連絡し出す。
その姿を、見て。
ようやく、律子は構えを解いて肩の力を抜く。戦いが、ひとまずは終わったのだと実感して、長く息を吐く。
「――学園長」
律子は、刀を消して学園長に向かい合う。そうして、学園長の電話が終わるのを待って、頭の中で既に組み立ててある文章を使って質問をする。
「先程言われていたことの詳しい内容、教えていただけますか?」
「それはいいが」
学園長はにやり、と髭に包まれている口の端を曲げる。
「その前に病院に行きたまえ。顔に傷があるぞ」
「いえ――」
こんな傷などどうでもいい、と律子は言おうとしたが、
「それに君の相棒も、ちょうど病院に運びこまれていることだしな」
「……え?」
相棒? 何のことだろう?
意味が分からず、律子は動きを止める。
「夏彦君、だったか。黒木君と戦って倒れたらしい」
その言葉に、律子の顔から血の気が引く。文字通り、顔が蒼白となる。
「だっ……だだだだだいじょ、大丈夫なんですか、な、夏彦君!?」
と質問をしたというのに答えを聞く前に我慢できずに、
「夏彦君!」
律子は全速力で駆け出す。久々津と闘っていた時すら出していないほどのスピードだ。
この街、ノブリスで病院といったらノブリス学園付属病院のことだ。学園からならすぐに着く。
目に涙を溜めて、律子は必死で階段を駆け下りる。
まさか、ひょっとして、夏彦君が……
あってはならない事態を想像しては、頭を振ってそれを打ち消す。
数少ない、自分にとっての友達。それを失うことを想像しただけで、頭がおかしくなりそうだ。
早く、早く。
律子は、自分の限定能力が早く走るためのものではないことを心底恨んだ。
走り去る律子を見送って、若い娘は元気だな、と学園長は苦笑する。
だがあれでいいのだろう。学生が自分のように落ち着いてしまっては新しい物が一つも産まれない。若者は何かを激しく求め、自分のような老人は何かを残そうと、守ろうとする。それでいい。
「さて……」
守るというなら、自分がこれからすべき役割は完全は後始末だ。
学園長は憂鬱そうに眉を寄せる。
政治的後始末など、面倒で仕方がない。敵を殴る蹴るでカタがつく世界が好きな自分としては、身の丈に合わないことをしていると自覚がある。立場があるというのは、つらいものだ。今回の件にしても、学生に血を流させて自分が裏で工作するなど、歯痒くて仕方がなかった。
自分が出て殺し合いをして終わりなら、どれほどよかったことか。
そうして、政治嫌いの学園長は自己嫌悪から自らの拳を握り締める。
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