超絶政治闘争学園ノブリス改

片里鴎
片里鴎

ノブリス学園料理コンテスト予選2

公開日時: 2020年10月11日(日) 16:40
文字数:3,704

 ナポリタンが甘いのは限定能力によるものだ。

 そう夏彦が考えたのは、まずひとつにはそのナポリタンがあまりにも甘すぎたためだった。味付けの失敗というには、甘さが酷すぎる。

 塩と砂糖を間違えたというベタな失敗をしたとしても、こんなに甘くなる量の砂糖を間違えて入れるということは、元々ありえない量の塩を入れようとしてたということで、さすがに料理の大会に出ようとする人間がそんな無茶苦茶な味付けをするとは思えない。


 そして疑問に思った夏彦が、口の中で具であるソーセージだけを味わってみたところ、ソーセージも甘かった。ソースが染みこんでというレベルではなく、肉自体が甘い。もちろん、自然な肉の甘みとは全然違う。


 確信したのは、まだ他の審査員が甘いナポリタンを妙な顔をして味わっているうちに、さっさと食べ終えた夏彦が口直しの水を飲んだ時だった。

 甘い。水が甘い。

 注意せずに飲んでいたら甘いナポリタンの後味だと思っていただろうが、確かに水自体を甘く感じた。

 さっきまで普通の水だったものが、突然甘くなる。こんなことはありえない。

 これは、ナポリタンや水が甘いというよりも。


「舌か」


 夏彦は呟く。

 そうとしか思えない。俺の、いや審査員全員の舌の方がおかしくなったと考えるべきだ。味覚を操作する限定能力。


 気づけば、いつの間にか口の中を支配していた甘みは消えている。

 くそ、仕方ないな。

 夏彦は舌打ちしつつも、その料理についてはバツをつける。不公平な気がするが、しかしどうにも味の判断のしようがない。

 水を飲めば、既に普通の水の味しかしなくなっている。


 能力を解除したのか?

 夏彦は疑問に思う。

 何だ、これは。一体、何の意味がある?


 味覚を操作する能力を使用したとして、だ。それが誰の料理の時に当たるか分からない。今審査員が食べているのが誰の料理かは、選手も審査員も分からないようになっている。つまり、能力で味をめちゃくちゃにしたら、それが能力者の、あるいは能力者が勝ち残らせたい選手の料理だった、という可能性がある。

 唯一どれが誰の料理なのか分かるのは、大会運営側、か? つまり、生徒会。生徒会の誰か、大会運営のスタッフが特定の誰かを勝ち残らせるため、あるいは落とすために能力を使用した。

 ありえるか、そんなこと?


 次のナポリタンが来る。

 普通の味のそれにバツをつけながら、夏彦はなおも考える。

 その特定の誰かが予選で落ちたとして、その誰かには特にペナルティはない。ただ優勝できないってだけだ。嫌がらせにしてもしょうもない。

 じゃあ、特定の誰かが勝ったら? その場合、優勝すれば一千万がもらえる。一千万。大金だ。

 だが、協力している運営スタッフがその一千万円を丸々もらえるとしても、だ。

 生徒会に所属しているということは、それなりに六つの会のことを知っているはずだし、校則違反がどうなるかも知っているはずだ。

 こんな公の大会で限定能力を使った不正をすれば、バレて捕まった時にどんな目に遭うか、も。

 もちろん、特に裕福な家庭の生まれでない夏彦には一千万がどれほどの大金かということはよく分かる。別に命をかけても釣り合う額ではある、と思う。一千万以下の金を手に入れるための犯罪なんて世に溢れている。

 そういうことではなくて、あまりにも犯行がずさんすぎる。

 夏彦は首をひねった。

 本当に、どう考えてもこんなやり方はありえない。味覚操作できるなら、もっと目立たない方法があるはずなのに。


 現に周りの顔を見る限り、さっきの甘いナポリタンがいくらなんでもおかしいと、疑問に思っている審査員がちらほらと出てきている。

 いずれかの会に所属している審査員は、そのうち限定能力の可能性に気づくだろう。


 ずさんな犯行だ、と夏彦は思う。

 こうならないためのやり方ならいくらでも思いつく。あそこまで甘くせずとも、少し味のバランスを崩して普通に不味い程度にしておけば――ひょっとして、そういう調整のできない限定能力なのか? だとしたら、わざわざ限定能力を使わずとも。


「……待てよ」


 呟いた夏彦のもとに次のナポリタンが来る。

 普通に美味い。これはマルだ。


 考えを戻す。

 そうだ、限定能力を使ったことがそもそもおかしい。大会運営スタッフなら、限定能力を使わずに、それこそ砂糖をこっそり混ぜてしまえばそれで済む話じゃあないか?

 逆に、限定能力を使用したために犯人がいずれかの会の人間だと絞り込まれてしまった。

 しかも、もう限定能力を解除してしまったようだ。

 一食だけ限定能力でとてつもなく甘くする。そんな行為に、一体何の意味がある?


 夏彦が悩んでいるうちに、ナポリタンの審査は終わる。





 一時間足らずの休憩時間。

 夏彦は会場から出て体育館の裏まで向かうと、そこで携帯電話をかける。

 相手はもちろん直属の上司だ。ノブリスネットで胡蝶の番号は受け取っている。


「もしもし」


 すぐに眠そうなかすれ声が電話に出てくれる。


「お疲れ様です、夏彦です」


「ああ……どぉしたの……?」


 夏彦は現在起こったことを手短に胡蝶に報告する。


「そう、ねぇ……」


 報告を聞き終わった胡蝶が、電話の向こうで考え込む気配がする。


「結局、ある一組の料理だけ、限定能力で味が変えられたわけよねぇ」


「そういうことですね」


「予選である一組を落としたって他の組が得るメリットは微々たるものでしょ。なら、素直に考えれば、勝つことや有利になることを目的としたんじゃあなくて、その一組を落とすこと自体を目的として限定能力は使われたってこと?」


「そう、なるんですが」


 前述の通り、そうすると違和感があるのだと夏彦は説明する。


「違和感があろうがなかろうが、そうとしか解釈できなくないかしら? そして、そうだとしたらもうその目的の一組が落とされた以上、もうこれ以上の不正はできないでしょう」


 あの甘いナポリタンの組が落ちたことを前提に述べているが、夏彦もそれには賛成だ。あの料理が予選を通過したとは思えない。


「だとしたら、静観しておけばいいんじゃないかしら。犯人探しをしても仕方ないでしょう」


 あふぅ、とあくびが受話器を通して聞こえる。


「それで、いいんですか?」


 夏彦の声が硬くなる。


「そもそも、どうやって犯人探しをするつもり? これ以上犯人が何もしないつもりだったら、どうやって犯人を捜すつもりなの?」


「――犯人は、味覚を操作する能力者です」


 ごくり、と唾を飲み込んで夏彦は続ける。


「だから、味覚操作の限定能力の持ち主を探せば――」


「夏彦君」


 優しく柔らかく、しかしぞっとするような、冷たい声だった。


「ライドウ先生――いえ、副会長から教えられなかったのかしら? 他人の限定能力を探るのは禁じ手だって。公表されているもの以外の限定能力は、基本的に極秘。同じ会の人間の限定能力が知りたいなら、それを知れる立場まで出世するしかない。他の会の人間の限定能力が知りたいなら、当人から教えてもらうしかない」


 囁くように胡蝶は続ける。


「それ以外の方法で他人の限定能力を知ろうとするなら――それはその人と、あるいはその人の所属する会と殺し合いをしたいっていうのと同義よ」


「……はい」


 夏彦は、震えだそうとする声を押さえつける。電話越しだというのに、喉元に刃物を突き付けられたような感覚がある。


「もちろん、正式な手続きを経れば話は別だけど、あなたの地位ではそれはできないわ」


 分かっている。役職なしの自分にできないってことくらい。

 夏彦は歯噛みする。


「だから、課長であるあなたに報告してるんです。あなたなら――」


「そうね。でも、あたしはそれをしない」


 きっぱりと言い切られる。

 そうか。

 大会前に保健室で胡蝶に言われたことを夏彦は思い出す。

 あるひとつの料理の味が台無しにされた。そんなくだらないことで、今は生徒会を刺激したくないってことか。


「あなたの推理だと犯人は生徒会に所属しているんでしょう? 間違っても、生徒会の人間に『味覚を操作する限定能力の持ち主は所属してませんか?』なんて訊かないでね。それをやっちゃうと――」


「司法会と生徒会が戦争になる、と?」


「まさか」


 胡蝶は軽く笑う。ちょっとした冗談を聞いたかのように。


「そこまで会があなたを庇うわけないじゃない。あなたを生徒会に差し出して終わりよ。仁侠映画で言うところの、けじめをつけるってやつね」


 電話を切って、夏彦は空を見上げる。


「――くそっ」


 そしてその空に向かって悪態をつく。

 さっきの話は、胡蝶の方に理がある。

 そのことは夏彦にも分かっていた。

 きっと、胡蝶先生が言うことの方が正しいというのに、俺は何を熱くなっているのか、自分でもよく分からない。だが、犯人を見逃したりしたくない。

 別にこの料理大会で予選敗退したからといって、その限定能力で落とされた一組がどれだけ精神的ダメージを受けたかなんて分からない。案外、何も感じていないのかもしれない。そう、被害者さえ案外けろっとしているかもしれないのだ。このコンテストはしょせんはお遊びなのだから。

 だが、それでも。


 ――この犯人の無罪放免にするのは、絶対に嫌だ。


 自分のその感情が何に由来するのか、どう扱うべきか分からず、夏彦は戸惑う。

 時計を見れば、休憩はもう終わろうとしている。

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