超絶政治闘争学園ノブリス改

片里鴎
片里鴎

デート1

公開日時: 2020年12月1日(火) 16:40
文字数:3,602

 雨陰太郎という男は、己を変化させることに長けていた。

 いや、それは殺し屋としては当然の資質と言うべきかも知れない。いかに隠れ潜むか。それを彼は熟知していた。

 彼は標的の傍に近寄る時、見事に潜んで見せた。それも、驚くほど大胆に。

 目立たないようにと気を配ることもなく、自然体で標的の傍に寄っていった。自分の素性を隠すことにもほとんど頓着せず、いやむしろ自己顕示をしてやろうという意識から、「雨陰太郎」という名前を一文字だけ変えたり、並び替えたりしただけの偽名を使用したことさえあった。己の継いだ名を有名にしてやるために。

 本能的に、彼には分かっていたからだ。

 潜むために必要なものは、そんな瑣末なものではないと。

 もっと本質的なところで、彼は己を変化させ、環境に馴染ませた。どんなに警戒している標的にも、簡単に近づいていった。

 そう、彼には、生まれつき、相手の心の隙間にするりと滑り込むことのできるある種の才能があった。いや、特殊体質といってもいい。

 だからこそ、彼は殺し屋として仕事をこなし続けた。成功し続けた。

 彼は潜み続け、殺し続け、そして名を成していった。

 やがて殺し屋として名を成した彼は、その腕を買われ、ノブリス学園への潜入を依頼されることになる。





「でもよ、外に行ったら限定能力使えなくなるぜ」


 高級料亭の一室。

 懐石料理のコースを、まるでファーストフードを食べるかの如く猛然と食い散らかしながら虎が言う。


「あっ」


 箸で赤貝を口に運んでいた夏彦は、思わず声を上げる。


「そうか、全然気にしてなかったな。外に出るっていうのは、そういうことか。ノブリスの外じゃあ能力は使えないんだよな」


「そうだぜ。逆に言うと、外に出た限定能力者はいいカモだな。攻撃する側からすれば大チャンスだ」


「ははあ。もし、俺を殺したがってる奴がいるとしたら、そのタイミングを狙われるかもしれないわけだな」


 こりこりと弾力のある赤貝を噛み締めて、夏彦はクロイツとの会話を思い出す。

 俺も気をつけろ、ということだったな。狙われる側という実感は全くないが。


「そういうことだ。お前も気をつけろよ」


「肝に銘じておくよ。で、お前の方も頼む」


 夏彦が頭を下げると、


「お前がいない間、各会の動向を注視して報告ってか? ったく、面倒な頼まれごとだぜ」


「いいだろ、こうやって料亭の食事まで奢ってやったんだし」


「その金は元々俺のだろうが!」


 料亭に似つかわしくない大声で突っ込んで、虎はけらけらと笑う。


「冗談はさておき、俺の知り合いで一番手が長くて力を持って、そしてなにより信用できるのはお前だ。だからお前に頼んでるんだ」


「信用? 俺をか?」


 心底驚いたように虎は目を見開く。


 当然だろう。

 少し前には、お互いに騙しあい殺し合っていたのだから。


「お前は自分の利益に正直だからな」


「だからこそ、てめぇが死んでくれた方が俺には有利なんじゃねえか? 今、俺の持ってるもんは全部お前に吸い取られてるんだぜ?」


「全部って」


 夏彦は苦笑して、料理を口に運ぶ。


「嘘ばっかり。お前が全部俺に渡すタマかよ……でもまあ、言いたいことは分かる。それでも、だ。今の俺とお前は一種の運命共同体だ。俺が出世した方がお前にも利益がある。違うか?」


「俺を引っ張り上げるって言うのか? ああ?」


 料理にがっつきながら、上目遣いで探るように虎の目がはしる。


「手形なら切る」


 そうして睨み合うこと数瞬、


「まあ、いいぜ、友達のよしみだ。引き受けてやる」


 視線を料理に外し、虎が言う。


「ありがたい」


「けどよ、お前の話を聞く限り、お前が外に行っている間特に注意すべきなのは、生徒会の副会長と司法会のライドウ・胡蝶ペアだろ。全体を俺、生徒会を月先生が抑えるのはいいとして、だ。司法会をどうすんだよ?」


 虎に痛いところを突かれて、夏彦は頬杖をつく。


「それなんだよな。俺がいない間、選挙の管理も部下に任せることになるけど――」


「お前の部下っつったら監査課の連中だろ? そんなもん、課長の胡蝶の命令で好き勝手に動くぜ」


「だよなあ。一応、会長が注意はするって言ってたけど」


「逆に言うと、注意だけで手は打たないってことだろ。まあ、会長がそんなところにまでわざわざ口出ししたら不自然だわな。逆に余計な火種になりかねないか」


「どうすればいいかな?」


 夏彦の質問に、虎は顔をしかめて、


「俺に訊くかあ? まあ、監査課にいて、副会長や課長よりもお前の命令をきいて、影響力があって、コネを持ってて、臨機応変に対応できる。そういう奴にお願いすりゃいいんじゃねえか? いれば」


「いないこともないな」


 夏彦は浮かない顔をしながら携帯電話を取り出す。


「ただ、あいつに借りを作るのは本当に嫌なんだよなあ。どうも得体の知れないところがあるというか……」


「この学園に何人得体の知れてる奴がいるんだよ。いいから、背に腹は代えられないっつうだろ」


「珍しく的確な助言だな」


 夏彦は気が進まないながらも、電話帳に登録してある電話番号をかける。





 窓のない、長い廊下。

 そこにもたれるようにして、並んで立っている人影が三つ。


「了解了解。そーしますねー」


 電話を切ると、人影のひとつ、サバキはふっと体の力を抜く。


「失礼。終わりましたよー」


「やはり上司との電話は貴兄でも緊張するものか?」


 目の前に立つ二つ目の人影、レインに言われて、サバキは首を振る。


「違いますよー。あの人、勘が鋭いから、ひょっとして、今俺の前にレインさんがいることも気づくかなーとちょっと警戒しただけですよー」


「なるほど、確かに相手はあの夏彦。警戒しすぎるってことはないか……で、電話の内容は?」


「これから外で例の件の監査があるからちょっと留守にするけど、その間ライドウ・胡蝶の動きを監視しといてくれって話でしたよー」


「ふん」


 レインは浅黒い精悍な顔に会心の笑みを浮かべる。


「素晴らしい。指示も的確なら、人選も的確だな。貴兄にそれを頼むとは」


「んー……そうですか? 俺みたいに裏でこそこそ動いてる奴にそんな重要な役を回すなんて、いい選択とは思えませんけどねー」


「確かに、夏彦にとって貴兄は信頼できない。敵味方で言えば敵に近い立場かもしれない。だが、それでも、だ。それでも、貴兄こそが適任だ。能力のない味方は能力のある敵以上に脅威なりえる。多少信用できずとも、能力のある人間に任せるべき仕事ってのはあるってことだ」


「今回が、その仕事だと?」


 サバキの問いに、レインは肩をすくめる。


「司法会、それもできれば監査課に所属していて、なおかつ副会長と課長に逆らう気骨と、そして逆らえる能力を持っている人間。この条件に当てはまるのが、貴兄以外にいるか?」


「なるほど……しかし、そうなると俺も忙しくなりますねえ。公安会の仕事しながらそっちもこなさないといけないなんて」


 ため息とともに愚痴るサバキの腹に、レインはぽん、と軽く拳を入れる。


「踏ん張りどころだ、サバキ。例のテキスト――公安会が処分するはずだったあのメモが、外の世界で生き残っているのがそもそもの間違い。先達の尻拭いを俺たちがしないといけないのは面倒だが、仕方あるまい。今こそが清算の時だ」


「分かっていますけど、ねえ」


 もう一度ため息をついてから、サバキはこきこきと首を鳴らす。


 きりきりきり、と。

 薄暗い廊下に硬いものをこすり合わせるような音が響く。

 その音に反応するようにサバキとレインは会話を止め、その音の主、第三の人影に目を向ける。


「貴兄の望みは分かっている。が、勝手に暴れられても困るんだ。分かってくれよ」


 レインがたしなめる。


「そうそう。それに、そっちの体だって万全ってわけでもないんでしょー。安静にしてないと。本来なら、今立ち上がって普通に動いているだけでも驚きなんですからねえ」


 サバキも忠告する。


 きりきりきり。

 二人の話を聞いているのかいないのか、音は止まない。

 その音の正体は歯軋りだった。


 首と右肩そして両足に窮屈そうにギブスをした大倉が、憤怒の表情で歯軋りをしている。


「心配しないでも、そのうち貴兄が夏彦と戦う機会はある。俺が保証しよう」


 レインが言うが、大倉は反応せず、ただ濁った目を宙に向ける。

 無精ひげがまばらに生え、いくぶんやつれた大倉はしかし、その表情だけが手負いの獣のように鋭さを増している。

 触れれば切れるほどに。


「早く機会作ってあげないと、大倉君暴発しちゃうんじゃないですか?」


 ひそひそとサバキはレインの耳元に口を寄せ、心配そうに囁く。


「だな。まあ、心配はいらない。今回の件で、大倉君にはひと暴れしてもらうさ」


 レインはそう答えると、品定めするような目で改めて大倉を見る。まるで、道具がきちんと動くかどうか観察しているかのようだ。


「……夏彦」


 だが、そのレインの目には頓着せず、大倉は歯軋りの合間に搾り出すように夏彦の名を呼んで、濁った目をより鋭くする。

 ばきり、と音を立てて、大倉のギブスの何処かが割れる。

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