メールを見て慌てて飛び出したが、寮の出入り口で学生服の面々――風紀会だと名乗った者たち――に囲まれて、夏彦は学園まで車で連行されることとなった。
車中は完全な無言。
こちらの問いかけに彼らは何も反応しない。
学園に着くと、そのまま校舎ではなく学園の隅にある、フェンスで囲まれた場所に車は向かう。
入学式の小冊子に載っていた地図では、こっちの方面は関係者以外立ち入り禁止って書いてあったよな。
限定能力を使うまでもなく、夏彦には嫌な予感がする。
見張りのいるゲートに着くと、見張りが寄ってきて運転手と一言二言話す。そして車はゲートを通って、ついにフェンスの向こう側へと進む。
車窓の外の景色は、それまでとは違う、どこか陰鬱なものへと変化していく。
校舎とは似ているが明らかに違う、不気味な雰囲気の古びたコンクリートの塊が、ぽつりぽつりと建っている。
車はそのうちの一つの近くに止まり、夏彦は連れだされて中に連行される。そして、ある部屋の前で、
「入れ」
と言われて放り込まれる。
ドアが閉められる。がちり、という音。おそらく、鍵もかけられた、外から。
部屋は、四方に壁しかない、夏彦の寮の自室と同じくらいの広さの殺風景なものだった。かろうじて家具と言えるのは、パイプ椅子がいくつか並んでいるだけだ。
そのうちの一つに腰を下ろして、夏彦は絶望のため息をついた。
おそらく、ここは取調室か何かだろう。
このフェンスに囲まれた地区にあるのは、どれも六つの会の施設、それも一般の生徒には間違っても入られては困る施設に違いない。
落ち込んでいてもしょうがない。
朝起きてメールを確認して、混乱したままここに連れてこられので、夏彦はここで落ち着いて事態の整理を行うことにする。
まずは現状の分析だ、と夏彦は思う。
つぐみが拘束された。虎からの情報だし、どこまで信用していいのかって話になるけど、ここを疑う必要はないよな、多分。あいつが騙そうとする理由はないし、今自分がここに捕らえられているのがあいつの話の証明になっている。自分がこうなってるってことは虎も同じ状況の可能性が高い。
となると、どうしてつぐみが拘束されたのかって話になる。新入生で同じクラスだって理由だけで俺を連行するくらいだから、それなりにつぐみの容疑は濃いってことか。
しかし、虎の話が正しければつぐみはあの事件の重要参考人ってことだ。あの事件――やらかした風紀会のアホと生徒会の新人がどうやら手を組んでいて、即席裁判を駄目にしたって事件って理解でいいと思うけど。あの事件と、つぐみがどうやったら結びつくって言うんだ?
いや、片方は分かるか。あの秀雄とつぐみは同じ風紀会に所属している。けど、もう一方の黒木とやらとつぐみの接点が分からない。
そもそも、そこでつぐみが怪しいとなったとして。同じクラスにいるってだけで俺たちがこんな扱いを受けるのはさすがに妙だ。
疑問はぐるぐると頭の中を巡る。
事態を整理した結果出た結論としては、「訳が分からない」ということだけだ。
そう夏彦が悩んでいると、不意にドアが開く。
「あ」
ドアから入ってくる人物を見て、夏彦は声を漏らす。
取調べが始まるだろうとは思っていた。
そして取調べの担当が当然ながら風紀会の人間だろうとも。
だが、まさかよりによってこの人だとは。
風紀会所属、『斬捨御免』の律子が取調室に入室する。
長い黒髪、整った顔、冷たく鋭い眼差し、そして一分の隙もなく着込んでいる制服。ただそこにいるだけで、律子は周囲を緊張感で満たす。
夏彦は、日本刀で男子生徒の指を切り落とした律子の姿を思い出して、一度だけ震える。
だが、それだけだ。
ここで怯えて唯々諾々と従っていたら、ひょっとしたらやってもない罪を押し付けられるかもしれない。ライドウ先生も言っていた。自分の身は自分で守れ。あれは、護身術のことだけじゃない。こういう状況でも、やるだけやってやる。
よし、と夏彦は気合を入れなおす。
「これより尋問を開始します」
見た目と同じような冷たく鋭い声と共に、律子は座っている夏彦の前に立つ。
おかしいな、と夏彦は疑問を抱く。
こういう尋問って、普通は二人一組でやるんじゃないのか? 少なくとも俺が見た刑事ドラマなんかでは刑事は一人二組だった。そりゃもちろんドラマじゃないし刑事でもないけど、それにしたって尋問相手と一対一ってのはいくらなんでもないだろ。律子さんが武闘派だからって、隙をつかれたらどうするんだ?
「では、まずあなたとつぐみさんの関係を教えてください」
淡々と律子は話を進める。
「その前にちょっといいですか? やっぱり、つぐみの関係者ってことで俺、ここに連れて来られたってことでいいんですか?」
「そちらからの質問は許可されていません」
「いやでも、まずどうしてつぐみが疑われてるんですかね? あの事件ですよね、俺とライドウ先生も巻き込まれた」
「そちらからの質問は許可されていません」
「じゃあ、質問に答えます。クラスメイトです。以上。で、こっちの質問に答えてくれませんか?」
「そちらからの質問は許可されていません」
まるで機械のように律子は同じセリフを繰り返す。
夏彦は半ば本気で、自分の前に立っているのが高性能律子型ロボットなのではないかと疑う。
「こっちの質問は絶対答えないわけですね、了解しました」
夏彦はため息。駄目だ、どうしようもない。
「それでは、ここ最近のつぐみさんの様子に不審な点はありませんでしたか?」
「ここ最近も何も、入学式の時初対面で、二度目が昨日でしたから。つぐみちゃんが言ってましたけど、律子さんが鍛えてたんですよね? そのおかげかどうか、多少はきりっとしてた気はします」
夏彦が言うと、律子は立ったままで何やらメモに書き込んでいる。
「つぐみさんが、この学園及び特定の団体、人物に対して不平不満を口していることはありませんでしたか?」
「いや、別に。律子さんも風紀会の皆もいい人だって喜んでましたよ、昼食の時」
「っ……分かり、ました」
続けて何か書き込んでいる律子の、手が微妙に震えているように見える。
さっき一瞬息呑んでなかった、と夏彦はいぶかしむ。
ひょっとして、何か動揺してるのか?
律子のイメージから信じられないし、今見ても平静を保っているように見えるが、さて。
試してみるか。
『最良選択』を使用する。
「……ふむ」
とたんに、律子の冷静沈着な態度が、夏彦には薄っぺらに感じられる。もう少しつつけばボロが出そうに思える。
ただ、これ完全に単なる勘だからな。
夏彦は悩む。
別に相手の心を読んでいるわけでもない。勘だから、外れる時は外れる。
しかし、ここで相手の質問に答えるだけでも埒があかない。
強引にでもいってみるか。
「では次に、つぐみさんの――」
「ちょっといいですか」
夏彦は強引に遮る。
「そちらからの質問は許可されて――」
「つぐみちゃんが事件に関係しているというのは本当なんですか?」
「……そちらからの質問は許可されていません」
同じような返答。だが、かなり揺らいでいるような気がする。いけるか?
「俺、つぐみちゃんがあんな事件に関わってるなんて、信じられないんです」
これは嘘だ。
夏彦の印象ではつぐみは真面目で大人しい女子学生で、確かに事件に関わっているような娘には見えない。
けれど、所詮二回会っただけだ。信じるも何もない。まだ、つぐみという人間については全然分かっていない。
それが夏彦の本音だ。
「……私語は、禁止されています」
明らかに律子は動揺している。勘ではなく、見た目から夏彦はそう結論付ける。目が泳いでいるし、指先が震えている。
情に訴えるのに弱いのか?
こんな風に計算している自分に軽い自己嫌悪を抱きつつ、夏彦はやるだけやろうと決心する。
「律子さん、つぐみちゃん言ってました。律子さんには色々教えてもらってるって。凄い尊敬してるって。律子さん、本当につぐみちゃんが事件に関係してると思ってるんですか?」
嘘を混ぜつつ情に訴えかけてみる。
さすがに臭すぎるか、と夏彦は危惧したが、
「……ううっ」
予想以上の効果をもたらした。
「ううっ、うぐっ、うぐぅ」
体を震わせながら、律子は涙をこぼしている。
その光景が信じられずに、夏彦は呆然とする。
幼女のように顔を真っ赤にしながら、律子は泣いている。
「ううっ、あ、あたしだって、つ、つぐみちゃんが悪いことしてる、なんてっ、思ってないけど、ううっうううぅぅ」
「あの、律子さん、落ち着いて」
慌てて夏彦は立ち上がって律子をなだめる。
これは違う。ここまでの効果を狙っていたわけではない。
「ぐううううう」
律子はふらふらと夏彦の胸に顔をうずめると、
「ずびびびっ」
と、夏彦の制服で鼻をかんだ。
「うわっ、ちょっと、汚ねぇなあ」
思わず夏彦は叫ぶ。ついつい本音が出てしまう。
「ぐうう……」
その声も耳に入らないのか、律子は顔をうずめたままで唸っている。
「あー……律子さん、落ち着いてください」
何となく、夏彦はぽんぽんと律子の背中を叩いた。
やがて、律子の唸り声も小さくなっていく。
落ち着いたのか、ゆっくりと律子は夏彦から離れた。顔が真っ赤だ。
「大丈夫ですか、その、色々と」
「……うん」
律子は蚊の鳴くような声で答える。
「あの、とりあえず、律子さんはつぐみちゃんのことを信じてるってことでいいんですね?」
「そう、だけど……」
語尾はごにょごにょと何を言っているか分からない。
しかしよく考えたら、授業が始まるまでの一週間につぐみちゃんと律子さんがずっと特訓していたなら、律子さんがつぐみちゃんに情が移るのも当たり前だな。
夏彦はそう考えて納得する。
「つぐみちゃん、凄くいい娘だから」
ぽつり、と律子が言った。
「ああー、でしょうね。イメージ通りって感じですね」
「あたし……うまく喋れないのに、喋ってくれたし」
「え? 喋ってるじゃないですか?」
無口な方ではあるかと思うが、尋問の時だってちゃんと喋っていた。
「ううん、あたし……口ベタだから……ううっ、頭の中で文章作って、それを読んだりするのはできるけど、お話とか、無理で……」
そういえばこの人いっつも一方的に喋るのが多かったな、と夏彦は思い出す。
「喋るの苦手だから……ずっと、剣術の道場でも、お友達できずに……ずっと竹刀振ってて」
ぼそぼそと喋り続ける律子。
顔はまだ赤い。余程人と会話するのが苦手らしい。
大分印象違うな、と夏彦は驚く。
この分なら、詳しい話聞けるんじゃないか?
「律子さん」
「う……うん……何……?」
「何度も言いますけど、つぐみちゃんがあの事件に関わってるなんて信じれませんし、そもそもつぐみちゃんと同じクラスだってだけで俺がここに連れて来られた意味もよく分かりません。一体、何が起こってるんですか? 教えてください」
「う、うん。いいよ」
夏彦が拍子抜けするくらい簡単に律子は承諾する。
本当にいいのか?
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