「うーっす」
電話から聞こえてきたのは、久しぶりの声だった。
「サバキか?」
「お、よく分かったねえ。最近話してないのにー」
「もう上司でも何でもない俺に、何の用だよ」
電話で起こされた夏彦は、眠い目をこすりながら体を起こす。
「いやあ、どんな感じかと思っててねえ」
「あん?」
「ほら、君って今まで、どうしようもない状況から、思いもよらない反撃したりしてきたから。今回も、何か企んでるかなーって」
「何も企んでないよ」
苦笑しつつ、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、夏彦は一気に呷る。
「どうしようか迷ってるんだ、本当に」
「迷ってるって、何を?」
「逃げるか、留まるか」
夏彦の答えに、電話の向こうのサバキは少し沈黙してから、
「……本来の役目なら、逃げて欲しいっていうのが、正しいんだろうけどねえ。君は、混乱を呼ぶからさあ」
「本来の役目?」
「公安会ってこと」
あまりにもあっさりとそんなことを告白するので、夏彦は反応できない。
「けど、留まって欲しいなあ」
「……どうして?」
「見てみたいんだよ、これからもねえ。夏彦ってイレギュラーが、学園でどうやって足掻いて、騒動を巻き起こすかを」
「悪趣味だな」
「そう? 多分、結構君のファン、多いと思うよー」
「いねえよ」
思わず乱暴に否定する。
「どこにファンがいる要素があるんだ」
「運、縁、実力、そして心根。全部揃って、だから色んな事件で活躍できたわけじゃない。主人公としてさあ。ドラマ性があっていいと思うよー。人は、ドラマが好きなもんだよ」
「はん」
うまく返せず、夏彦はただ鼻を鳴らす。
「ま、元気でねー」
「そっちこそ。公安ともなれば、いつ闇に葬られてもおかしくないだろ」
「まあね。じゃ、運がよければ、また」
最後は、何故か似合わない静かな声で締めくくられて、サバキからの電話は終わる。
「部長がいないのか」
第三料理研究部に顔を出した夏彦は第一声でそう言う。。
アイリスの姿がないのは珍しい。というか、それどころかつぐみ以外の誰の姿もなかった。
「部長は補習だって。料理ばっかり作ってて成績がかなりまずかったみたい。それで、その他は、ほら」
つぐみは首をすくめる。
「色々、忙しいから、最近。分かるでしょ?」
「ああ。逆に、つぐみちゃんがここにいるのが妙なくらいだ」
「誰も来ないから、夏彦君と二人きりになれるじゃない」
「え?」
「ん? あっ、へっ、変な意味じゃないわよ!」
顔を赤くしたつぐみに、首根っこを掴まれる。
「わ、分かったから」
「ほんとに?」
「分かったって。で、何か、話したいことがあるんだろ?」
「うん」
ようやくつぐみは手を離すと、
「とりあえず、お茶にしよう。紅茶はもういれてあるし、ケーキだって買ってあるのよ」
そして、部室でお茶会が始まる。
つぐみがいれてくれたお茶は、簡単なティーパックのもので、ケーキもどうやらコンビニで買ったもののようだった。
「食事にはこだわり持ってるつぐみちゃんには、らしくないな」
思わず口に出すと、
「はは」
つぐみは少し弱弱しく笑う。
よっぽど追い込まれているのだろう、と夏彦は推測する。
学園が混乱の渦にある中、風紀会は休む暇もないはずだ。真面目な性格のつぐみならばなおさら。
「……ふう、落ち着く」
たっぷりと砂糖を入れた紅茶をすすり、つぐみは一息つく。
「で、俺に話って?」
一方の夏彦は、無造作にケーキを口に放り込む。
「話っていうか……ねえ、夏彦君」
不意に真剣な顔になったつぐみが、夏彦に目を向ける。
眼鏡の奥の目は鋭い。
「うん」
「死なないわよね」
「俺?」
「ええ」
「うーん……」
何と答えたものか、フォークを手にしたまましばらく悩んでから、
「そりゃあ、病気とか交通事故で死ぬ可能性はあるけど……別に自殺するつもりはないし」
「そうよね、死ぬ気はないわよね」
安心したようにつぐみが言う。
「どうして、今頃そんなことを? だって、逆だろ、普通。会に入ってた頃の方が、色々と危険だったはずだ」
「会に入って、がんがん実績上げてた頃の夏彦君は、確かに暴走して、燃え尽きて死にそうだったわね。でも、今の夏彦君は、逆に火が消えてひっそり死にそうだわ」
「おいおい、辛らつだな」
「ふふ、ごめん」
ケーキを几帳面にフォークで崩し、口に運ぶ。
「ねえ」
「ん?」
「約束してよ」
「何を?」
「急に、私の前から消えないでよ」
「怖いな」
「え?」
「つぐみちゃんとの約束って、嫌な思い出しかないんだけど」
夏彦が本心から言う。
そうして、二人は顔を見合わせて、そして同時に噴き出す。
「まあ、いいよ、約束する」
笑いながら夏彦が言う。
「ほんとに?」
「ああ、といっても、ずっとつぐみちゃんの傍にいるわけにもいかないから、そうだな、一年。一年以上、つぐみちゃんの前から姿を消すことはないように頑張るよ」
「ええー、一年は長いわね。一週間とかにしてよ」
「長期の旅行も行けないじゃないか」
「まあ、妥協しますか。いいわ、約束して」
「了解。一年以上、つぐみちゃんの前からいなくなることはない。約束するよ。指切りする?」
「子どもじゃあるまいし。別にいいわよ。夏彦君は、そんなことしなくても約束守るでしょ」
「そんな印象、俺にある?」
「普通の人なら避けるはずのものを避けずに真っ直ぐ進む、そんな印象かな」
ケーキを食べ終えたつぐみは紅茶を優雅に口にする。
「嘘? 俺、そんな感じ?」
「うん」
カップを置いて、つぐみは真っ直ぐに夏彦を見つめる。
「恥ずかしいけど、夏彦君って、結構、憧れなんだ。正しいと自分が思うことをやって、それで出世したわけじゃない。理想よね」
「おいおい」
照れくさくなって、夏彦は視線を逸らして頭をかく。
同時に、自分がそんな風に見られていたことに気づいて、驚きもする。
こうして、和やかなうちにお茶会は終わる。
「私は神のことを知っている。ずっと古くからだ」
逆光で顔のない男が言った。
「はっ、そりゃすごい」
夏彦は鼻で笑う。
「じゃあ、あんたもその神様とやらの一種なのか?」
「私が? まさか。私など雑魚だ。ただ、お前達よりは神に近い。例えば、お前達に分かりやすい言い方で言うところの、スーパーコンピューター並みの演算能力くらいは持っている」
「その、スーパーコンピューターで演算した結果、神様に絶対敵わないって分かったわけか」
「そうだ。話が早い。その通りだ」
「……ふう」
あくまでも真面目な態度を崩さない男に、夏彦はため息を吐いた。
「分からないな。それと、俺が何の関係がある?」
焦れたように、夏彦の声から余裕が消える。
「まあ、聞け」
対照的に男の声は落ち着いている。
「自分の能力の限り、絶対に敵わない相手がいるとする。どうすれば敵う?」
「そりゃあ、誰かを頼ればいいんじゃないか?」
言ってから、夏彦は気づく。
「……まさか、それが俺だって言うのか?」
「そうだ」
男の声に迷いはない。
「嘘つけ。俺より凄い奴なんて学園にごろごろいるだろうが。大体、神に近いあんたが、ただの人間の俺達に頼ってどうする?」
「お前の力自体に、私が頼ることなどない。神より遥かに劣る私から見ても、お前達など蟻同然だ。だから、私がお前に頼るのは力ではない」
「じゃあ、何だ」
「言っただろう。絶望の話だ」
「絶望?」
「そうだ。絶望は、未来が確定されるからこそだ。だからお前に頼るのだ」
「イレギュラーってことか? この、俺が」
「そうだ」
「あんたの、スーパーコンピューター並みとやらの演算能力でも、演算できないってのか、俺が?」
「そうだ」
「そんな馬鹿なことがあるか」
夏彦は笑ってしまう。
「さすがに、俺なんて平凡な人間だ、とまでは言わない。曲がりなりにもこの学園で上に来た。けど、あんたの演算範囲外だってほど滅茶苦茶なつもりもない」
「そういう問題ではない。お前は選ばれた。そして、お前が選んだのだ」
「俺が、何を選んだって言うんだ」
「学園に入ることを。そして、会に入ることを」
「それは……」
「そして、お前の決断で、行動し、学園の上層部へと昇り詰めた」
「俺より出世してる奴なら沢山いるだろ」
「そうだ」
「たとえば、俺と同じ一年で、会長にまでなった雲水。あいつこそ、イレギュラーってもんじゃないか?」
「違う」
「どうして?」
「雲水。奴は会長になるべくしてなった。奴にはその素質があった」
「何だよ、つまり、俺が分不相応な出世してるって言いたいのか?」
「そうだ」
「だから、俺を選んだ?」
「そうだ」
「ふざけてるのか?」
「違う。そして、私が選んだと同時に、お前が選んだ道だ」
「冗談じゃない。冗談じゃない、俺は……」
「お前が選んだのだ」
「うるさい。もう、いい加減にしろ。お前の妄想話に、これ以上……」
「私が何者なのかは分かったか?」
「何?」
突然の話題の転換に夏彦は戸惑う。
「私が誰なのか、分かったのか?」
「あんたは……いや、分からない」
「何故、分からない?」
男の問いに答えられず、夏彦は黙る。
「いや、何故、分からない振りをしている?」
「あんたは、どうして……」
「受け入れろ。私が何者なのかを。そして、神と絶望の話を」
「そんな、誇大妄想に、俺は」
「証明しろ」
「ううっ!」
叫び、夏彦は飛び起きる。
ベッドの上、汗まみれになっている。
「……ああ、何だ」
喉がからからだった。
転がるようにしてベッドから冷蔵庫へ、中に入っているミネラルウォーターを一息で飲み干す。
「……ふぅ」
記憶が混濁している。
夏彦は、空のペットボトルを手にしたまま、目を閉じて記憶を整理する。
昨日は、サバキからの電話で起こされて、一応授業に出て、放課後には部活に行った。そこで、つぐみと出会い、お茶会をした。
「その後は、普通に帰って、寝たんだよな……」
口に出して確認しながら、夏彦は汗を流そうと浴室に向かう。
「……おいおい」
その途中、姿見で自分の姿を見て、思わず呟く。
蚯蚓腫れ。
それが、手首だけではなく、そこから広がって首元にまで伸びていた。
結局、その蚯蚓腫れは、シャワーを浴びているうちに消えた。
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