超絶政治闘争学園ノブリス改

片里鴎
片里鴎

五里霧中2

公開日時: 2020年12月28日(月) 16:40
文字数:3,920

 授業に出る気にもなれず、市内をぶらぶらした後、授業が終わるタイミングで夏彦は学園に顔を出した。

 とはいえ、会に出ることもできないので、結果として足が向いたのは第三料理研究部だった。


「あラ、久しブリ」


 久々に顔を出した夏彦を迎えたのは、アイリスの無邪気な顔だ。


 アイリスは大きな鉄鍋を両手で持ったまま、忙しげに走り回っていた。まだ部室にはアイリスと夏彦以外の姿はない。


「それ、何やってるの?」


「え? つぐみチャンカらのリクエストで、鍋焼き餃子ガ食べタイって」


「何それ、うまいの?」


「多分。マ、最近つグみちゃんとか律子サンとか、あと秋山さんも、かナリ疲れテルみたいだから、こういう精のツクものちょうどイイカナと思って」


「ふうん、疲れてるのか……虎は?」


「虎君ハ常ニ元気」


 そりゃそうだな、と夏彦は納得する。

 あいつが疲れているところを想像できない。


「デモ、夏彦君も顔色悪イよ。死人みタイ」


「そう? じゃあ、俺も鍋焼き餃子、もらおうかな。仕込み、手伝うよ」


「助かルワ。ソコにある餃子、どんどん鍋底ニ並べテ」


 久しぶりにこういうのも悪くない。

 夏彦は腕をまくり、餃子を並べていく。上から油と水を適量かけて、ふたを閉じる。


「遅れて、ごめん、なさ……」


 がらり、とドアを開けて入ってきたのはつぐみだった。そして、餃子を並べている夏彦を見て目を丸くする。


「あら、珍しい顔が……しかも、死にそうな顔してるわね」


「お互い様だ。どうも、そっちも忙しいみたいだな」


 多少髪がぼさぼさになって、目も充血気味のつぐみを見て夏彦は漏らす。


「ま、どこもかしこも揉め事ばっかりでね。おかげでうちの会はてんやわんやよ」


 アイリスに気を使って、つぐみは少し声をひそめる。


「一番負担が来るのは風紀会だろうね、確かに。どうなんだよ、実際?」


「もう、駄目かもね、この学園」


 つぐみはめずらしく皮肉げな表情を浮かべて肩をすくめる。

 そこからは、本物の諦観が伝わってくる。


「ういーっす……あれ、夏彦君じゃないっすか」


「あ、ひ、久しぶり……」


 続けて部室に来たのは秋山と律子だ。


「どうも」


 こちらとも、随分久しぶりに会ったような気がして夏彦は思わず手を挙げて挨拶する。


 律子も秋山も、やはり少しやつれているように見える。


「な、夏彦君、ど、どど、どうしたの?」


「どうもしてないですよ。ただ、久しぶりに部活に来ただけで」


「いやー、律子も心配してたんすよ、かなり。例のじけ……あっと」


 アイリスがいることに気づいて秋山は口をつぐむ。


「まあ、言いたいことは分かりますよ。律子さんも、ご心配おかけしました」


 夏彦が頭を下げると、律子はふるふると首を振って、


「え、えへへ」


 と安心したように笑う。


 何故か、その笑みに心が痛んだ。


 鍋焼き餃子は美味しかった。

 そこまで食欲のなかった夏彦も、疲れている様子のつぐみや秋山、律子も争うようにして餃子を食べた。


 そんな部員達の様子を嬉しげに眺めて、アイリスは甲斐甲斐しくお代わりの餃子を焼き、また鼻歌まで歌いながら洗い物をしてくれた。


「ああ、悪い、一人にばっかりやらせて。手伝うよ」


 夏彦が傍によってそう言うと、


「イイわよ、別ニ。疲れてル皆ガ、食事の時だけデモ楽しく過ごシテくれる。それダケで充分」


 洗い物をする手を休めずにいうアイリスを見て、夏彦はため息をつく。


「ーー敵わないよなあ」


 無意識に呟いている。


「エ?」


「あっ……ああ、いや、俺の周りはエリートばっかりだと、改めて劣等感に押しつぶされそうなんだよ」


「ンン? アタシ、結構成績悪いワよ?」


「そういうことじゃ……いや、何でもない」


 結局、その日は虎は部活に現れなかった。


 部活からの帰り道、アイリスと別れると、待ち構えていたかのように秋山と律子、そしてつぐみが夏彦に詰め寄ってくる。


「それで、実際どうなの?」


「何が?」


 答えは大体分かっていながら、一応聞き返す。


「決まってるじゃないすか」


「そ、そうそう。な、夏彦君……本当にないの、記憶? そ、それに会とか、どうするの?」


「いやあ」


 まあ、その話題だよなと夏彦は苦笑いする。


「記憶がないのは本当ですよ。何があったのか、こっちが知りたいくらいです。会に関しては、もう、しょうがないですよ。どうでもいいです」


「ええーっ、超エリート出世コースだったのに、もったいないっすねえ」


 夏彦のことなのに心底悔しそうに言う秋山を見て、夏彦は疲れた顔に乾いた笑みを浮かべて応える。





 夜。

 一人、部屋でうとうととしていた夏彦は、突然の携帯電話の着信音にたたき起こされる。


 画面を確認すると、そこには虎の名前があった。


「もしもし」


「よう、悪ぃな、寝てたか」


 虎の声は妙に懐かしく、そのデリカシーのない粗野な感じが逆に夏彦を落ち着かせる。


「ちょっとうとうとしてただけだよ。で、どうしたんだ?」


「いや、最近忙しくてよ、今日、部活に顔出せなかったんだよ。そしたら、久しぶりにお前が来たって話、つぐみから聞いてな。もう、大丈夫なのか?」


「ん? ああ、もう、無罪放免だ」


「そりゃよかった。今からどうだ、ちょっと夜食でも」


 30分後、夏彦が向かったのは市の端に位置する少し寂れたファミリーレストランだ。午前零時を回った時間では、客はほぼおらず、店員も広い店内にたった一人だった。おまけに、明らかにやる気がない。


「わざわざ料亭行かなくても、密談ならここで良さそうだな」


 呟く夏彦に、先に来ていた虎が手招きして、


「いいとこだろ、静かに話できそうでよ」


「ああ、そうだな」


 端の方のテーブルで虎はお冷をちびちびと飲んでいた。

 夏彦も向かいに座って、店員を呼ぶ。


「俺はビーフカレー」


「お、結構がっつりいくじゃねえか。じゃ、俺は、そうだな、カツカレー」


「こんな夜にそれかよ。胃がもたれるぞ」


「どんぐりの背比べだろ。あ、それと、ドリンクバー二つ」


無愛想な店員が行くと、虎はどっかと座りなおして、


「ーーで、どうなんだよ、調子は」


「悪くない。特によくもないけどな」


「そうかよ」


「そっちはどうだ? やっぱり大変か? というか、皆、大変そうだな。つぐみちゃんや律子さんたちも疲れてた」


「はっ」


 笑う虎に疲れは見えない。


「あいつらは真面目だからな。混乱を鎮めるのに大慌てだ。こっちも忙しいけど、俺は逆だぜ」


 虎は指を突き出して、夏彦に目を据える。


「俺は、この混乱に乗じて上に昇るんだ。そのために動いてるんだよ。まあ、その昇る上がなくなるかもしれないけどな」


「お前もそれを言うか。つぐみちゃんも、学園がなくなるかもって言ってたんだよな」


「そりゃそうだろ。はっきり言って、こりゃ学園始まって以来の大ピンチだぜ。ピンチはチャンスってことで、俺なんかは嬉しいけどよ……なあ、夏彦」


「ん?」


 不意に虎が真剣な顔になって、夏彦は戸惑う。


「逆によ、俺は驚いてるんだ。こんな脆いものが今までもってたことにな。ってことは、公安会やら行政会がこれまで必死に保ってたんじゃねえかな、学園をよ」


「多分、そうだろうな……けど、今回はそうもいかないわけか」


「どうなんだろうな」


 虎は肩をすくめる。


「だけどよ、お前、うちのじじいの話は覚えているのか?」


「ああ、「御前」の話ね」


「戦後から今まで、ずっとこんなわけの分からない学園を維持し続けてきたんだ。ひょっとして、今回のトラブルくらいなんとかなるんじゃねえか? ただ、なんとかしようとしてないだけでよ」


「行政会や公安会が本気で動いてないってことか?」


「ま、俺の勝手な印象論だけどよ。これも『』――お、きたきた」


 ちょうどそこでビーフカレーとカツカレーが運ばれてきて、会話が一時中断する。


「で、ほんとに記憶ねえの?」


 カツを大量の米と一緒にばくばくと口に運びながら虎が言う。


「まあな、困ってるんだ」


「ふうん」


 口いっぱいにものを詰め込んだまま、虎はしばらく何かを考えるようにして、


「あのよ、レインさんに頼んだら?」


「は? 何で?」


 浅黒い肌をした、野生動物のようでありながら人懐っこい男の顔を夏彦は思い浮かべる。

 あの男が、どうして自分の記憶に関係ある?


「あれ、何だよ、知らないのか、レインさんの限定能力」


 意外そうな虎の言葉に、夏彦は言葉なく頷いてカレーを口に運ぶ。


「ま、いいや。じゃあ、俺からレインさんに連絡しといてやるから」


 そう言うと虎は食べながらも携帯を取り出し、何やら打ち込み始める。


「どうせ暇だろ? 明日でいいよな」


「いいけど、どうしたんだよ、お前、妙に優しいな」


「俺は前から優しいっつうの。ま、あと、機嫌がいいんだよ」


「機嫌? どうして?」


「もう、今のお前は怖くないからな。金も情報も渡さないでいいだろ」


 その言葉に夏彦は思わず苦笑して、


「ああ、いいよ、もう。というか、今の俺なら、無理矢理に金や情報を利子つけて奪い返したっていいんじゃないか?」


「ばあか。友達相手にそんなことできるかよ」


「殺そうとした奴がよく言うな」


 呆れながらも夏彦はついつい笑ってしまう。

 こいつは変わらないな。


「お前の方は、今どうなってるんだ?」


「ああ、俺? 俺は、基本的には、生徒会と外務会に食い込めないかと色々と工作してんだけどよ。さっきも言ったけど、そもそもその二つの会自体がいつ潰れてもおかしくねえけどな」


「よく、そんな状況で少しでも有利になろうと懸命になれるな」


 感心して夏彦が言うと、


「はあ?」


 虎はカレーをすくうスプーンを止めて、


「ちょっと前までのお前だって同じようなもんだろ。危ない橋ばっかり渡って、運よく出世してただけじゃねえか」


「そう言われれば、そうか。けど、別に俺はお前みたいに好き好んでそうやったわけじゃない。他に道がなくて仕方なく、だ」


「はっ、どうかねえ」


 夏彦の反論ににやつきながら、虎はカレーを口に運ぶ。

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