そうして、虎はふっと遠い目をする。
「まあ、でも、それでもお前は目的意識があるだけマシだわ。俺よりかはな」
「……お前、お前には、目的意識がないっていうのか?」
夏彦には信じられない。
目的意識なしに、人を脅し、金と情報を力を得て、あれだけの屍の山を築くことがありえるとは思えない。
「だから言っただろ、勘違いしてるってよ。世の中の奴ら、全員が目的意識なんてものを持って行動してると思ってやがる。そりゃ、これからどうするとか、明日どうする程度の意識は持ってるぜ。そんなもんちょっと高級な野生動物だって持ってるだろ。そうじゃなくて、将来どうするとかどうしていきたいみたいな意識、そういうのはな、別になくても生きられるんだよ」
視線を夏彦に戻すと、一気に虎は言い切る。
「それは、分からないでもない。大倉なんて、本当に脊髄反射で動いてるような男だしな」
「ははっ、うまいこと言うな」
虎が噴き出す。
「けど、お前は違うだろう? 限定能力を隠して、力を手に入れるための計画を立てて、それでも目的意識がなかったっていうのか?」
「んー……」
説明の仕方に迷っているのか、虎は頭をかく。
「俺は、はっきり言って、あれだ。大倉さんより、更に野生動物に近いぜ。目的意識に関してはな。知能は別だぜ。結構頭いいんだ、これでも」
「分かってるよ、特別優良クラスでもトップの方だろ」
妙なところにこだわる虎を夏彦は少し微笑ましく感じて頬を緩める。
自分が馬鹿じゃないとそんなに主張したいのだろうか。
「おお、そうだぜ、分かってるならいいんだ、ははっ。でな、俺が動いてるのは本能だ。本能のままに、暴力も知力も使う。ただそれだけのことだぜ。例えばよ、限定能力を隠したのだって、別に先を読んでのことじゃねえ。自分の武器をなるべく他人に知られないようにするなんて、初歩中の初歩だろ。条件反射みてぇなもんだ」
確かに、限定能力という自らの生命線を、自分の所属する会とはいえ無防備に教えていたことに、夏彦も今となっては多少恐怖を感じなくもない。
だが、それは仕方がないだろう。このノブリス学園という特殊すぎる環境に放り込まれて、右往左往している時に、一から教えてくれる存在に対して隠し事をしよう、とは中々ならないものだ。
それができるなんて、よっぽどブレない強い精神の持ち主なんだろう。
そうか。
夏彦はそこで思いつく。
ひょっとしたら、虎の限定能力『英雄賛歌』は、あいつ自身が不安をあまり感じないタイプの人間だからあんな能力なのかもしれない。
「……それについては理解できる。けど、弱みを握ってそこから金と情報、力を手に入れたのも、条件反射だっていうのか?」
そうだ、そこは信じられない。
夏彦は喉がからからになり、コーヒーを流し込む。
この学園で人を脅迫するなんて、自分の命を賭けるのも一緒だ。いつ、消されてもおかしくない。そこまでして情報と金と力を手に入れて、それも何の理由もないものだというのか。
「それに近いぜ、多分」
だが虎はそれをあっさりと肯定する。
「人より優位に立ちたいってのも、本能みたいなもんだろ。金とか情報を集めるのだって、本能に近い。知ってるか? 金銭欲ってのは人間のかなり原始的な欲望になっちまってるんだとよ。金銭なんて自然にはない概念なのに、面白いもんだよな」
「じゃあ、お前は力を握って情報を握って、上に昇った後で何をしようっていうのは全く考えていないのか?」
つまり、目的なく力を握り上を目指していたのか? 命を危険に晒してまで?
夏彦には理解できない。
「ないなあ。だから、今回のことで今まで俺が必死でやってきたことがぽしゃったけどよ、残念は残念だけど別にそれほどショックとかはないんだよな。別に絶対にやらなきゃいけない目的がその先にあったわけじゃねえんだからよ」
「酷いな……」
夏彦は思わず呟く。
嘘をついたり誤魔化している様子はない。これが、虎の本音だろう。
まるで知恵のついた獣だ。力も知恵も一級品なだけに、性質が悪い。こんな厄介な野生動物とやり合って、よく俺は生き残ったもんだ。
「いや、ショックを受けてないっつーか、どっちかというと、俺はこうなってよかったと思ってくらいだぜ。まあ、必死で殺そうとしてたお前が言うなって思われるだろうけどよ」
含み笑いをしながら虎が言う。
こうなってよかった?
夏彦は首を傾げる。
「どこがいいんだ? 俺が言うのも変な話だが、全てを俺に提供する羽目になったんだぞ」
まるで奴隷のようだ。今まで自分が築いたものを全て奪われ、なおも生殺与奪の権利を握られて逆らえない状況。
虎の性格からして、最も憎むべき状況のはずだ。
「だってよ、色々あったけど俺が生き残れて、友達も失わずに済んだ。最高だろ?」
「――友、だち」
その言葉に虚を突かれ、夏彦は一瞬呆然とする。
「あっ、おいおい、何だよその反応、まさか『え、友達だったのか?』みたいなこと言うつもりじゃねえだろうな?」
不満げに虎が口を尖らせる。
「いや――」
どうだろうか?
夏彦は自分に問いかける。
俺は、虎を友達だと思っているのか? 殺し合った。向こうはこちらを殺そうとしたし、こちらも向こうを殺そうとした。それぞれ己の利益のために。そのうえで、まだ友達だなんて言えるのか?
だが、答えを考えるまでもなかった。
殺し合った相手と密室で二人きりで、こうしてコーヒーを飲みながら話をしている。それが既に、普通じゃあない。本来は、警戒して二人きりでなど会おうとしないはずだ。
どうしてそんなことになっているかと言えば、それは。
「いや……俺も、お前のことは友達だと思ってるよ。友人の一人だ、間違いなく」
「だろ? そうだよな、だから学園長の依頼を受けながら、俺をなるべく潰さないように気を使ったんだろ?」
嬉しげに虎は手を叩く。
子どもみたいだ。
夏彦は思う。
それも当然か。野生動物のような男なんだ、もとから邪気なんてない。獣のように危険だが、同時に獣のように純粋なのだ。
「そうだよな、じゃあよ、友達として、ちょっとお願い聞いてくれるか?」
不意に、虎が真剣な表情になる。
下手をしたら、夏彦と殺し合いをしていた時よりも真剣味のある顔だ。
「何だ?」
この後に及んで、一体何の頼みだと夏彦は訝しがる。
「……ちょっと手加減してくれよ。金と情報、全部渡せっていうのは酷すぎねえか?」
「全部だ」
夏彦は即答する。
「ちっ、友達甲斐のない奴だぜ。くそっ、この流れならいけるかと思ったのによ」
舌打ちをして本気で悔しがる虎を見ているうちに、夏彦はやたらと愉快になってくる。
「ふ、ふふっ」
気づけば、夏彦は笑い出している。
愉快でたまらない。
この状況が面白いのか、それとも友達と喋っているから笑顔になっているだけなのか。
「おいっ、人が苦しんでるのを見て笑うんじゃあねえよ」
腹が立ったのか、虎が怒鳴ってくる。
「いや、ふっ、わ、悪い、くっ、くくっ」
我慢しようと思えば思うほど笑いがこみ上げてきて、夏彦はやがて腹を抱えて笑い出す。
よかった。
その時、夏彦は心から思う。
虎が死ぬような結末にならなくて、本当によかった。
そして、気づく。
今回の件、どうやら俺は、無意識のうちにずっとその心配をしていたらしい。虎を失うことになるんじゃあないかと、ずっと恐れていたようだ。
お前のせいだぞ、タッカー。お前が作ったトラウマだ。
心の中で、今はいない友達に文句を言っておく。
「おっ、お前、何笑ってんだよ、はっ、ははっ、ははは」
笑っている夏彦を見ているうちに、伝染したのか怒鳴っていた虎も同じように笑い出す。
屈託なく、げらげらと虎は笑う。
無防備に相好を崩して、心から安心し切っているように。
こいつのこの態度、演技か?
笑いながらも、夏彦はふと疑問に思う。
こいつは野生動物さながらだ、と自分で言った。なら、野生動物が殺し合った相手を目の前に警戒を完全に解くなんてことがあるか?
笑いながらも、無防備に見えながらも腹の底では、常に俺の出方を伺い、俺の隙を窺っているのかもしれない。
『最良選択』を全開で使用すれば、果たしてどちらか分かるかもしれないな。
そう思いつつも、夏彦はその下らない考えを頭の隅に追いやって、そして忘れた。
とりあえず、今は友達と二人で、げらげらと笑い合っている。それだけいい。その正体を確かめようとするなんて、無粋にも程がある。
「あっ、思い出した、そういや秋山さんがよ……」
虎の下らない世間話が始まる。
夏彦はそれを聞いてまた笑い、虎も話しながら笑う。
夜は長い。
友達同士の談笑は、まだまだ続きそうだ。
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