「お前が言ってきた疑問、憶えてるか? 役所を抱き込んだら有利になるんじゃねえかって話と、行政会が有利なんじゃねえかって話だけどよ」
「ああ」
憶えている。
ただ、それは実際には学園長から与えられた宿題のようなものだったが。
「こっちにも関係する話だ。ほら、役所の人間抱き込んだら有利って話、これな、全然有利じゃねえんだよ。何でかっつうとだな、学生だとか教師、とにかく学園の関係についての登記やら戸籍やらはな、役所じゃなくて学園が管理してんだよ」
「馬鹿な」
思わず夏彦は笑う。
「許されるはずがないだろ、そんなこと。学園内のことなら、まだその強大な権力を使って治外法権にするって話は分かる。けど、戸籍や登記は学園外の、最終的には地方自治体や国の問題だぞ。それを、どうやって学園が管理する?」
「確かにお前の言う通りだぜ、夏彦。けどよ、逆に言えば、本来管理する地方自治体や国が全面的に学園に協力すりゃあ可能ってことだ。大体、風紀会や司法会の活動にしてもおかしいとは思わなかったのかよ。そりゃ、学園内の揉め事を取り締まるのはいいぜ。けど、学園外での、街での学生の校則違反も風紀会は取り締まるし、司法会はそれを裁く。ノブリス市の警察やら裁判所との折り合いをどうやってつけてると思ってたんだよ」
「それは……」
夏彦は言葉が見つからず、コーヒーを一口飲む。
今までは、ノブリス市という街が出来上がった背景に学園があるからこそ、その学園が街でも権力を持っているからそれが可能なのだと、何となく納得していた。
だが改めて考えて見れば、確かにそんな簡単な話ではない。学生が関係しているとはいえ、警察権や司法権が学園側にあるわけがないのだ。
「さっき外の組織は国の中枢でありトップの連中っつったけど、厳密にはそれも違う。国のトップまで昇りつめた人間は全て、このノブリス学園の理事になってるからな。政財界で頂点に昇った人間は全て、その後に理事となる。例外はない」
「何?」
権力者、財産家が理事になるのは夏彦にも話が分かる。ノブリス学園はエリートを数多く輩出する学園だ。そこの理事に名を連ねようとするのは自然なことかもしれない。
だが、虎の言い方ではまるで、国の頂点に立つことと学園の理事となることがイコールのような。
「……お前の話を聞いていると、頂点の人間がノブリス学園の理事になるというよりも、まるで理事になるために国の頂点まで昇っているように聞こえるな」
「そう聞こえるんだとしたら、お前の耳は正常ってことだ、夏彦。その通りだぜ。エリートたちは皆、上を目指す。昇って昇って、実績を作って、それぞれの場所で頂点に立って、そしてノブリス学園の理事になる。そこがてっぺんなんだ。逆に、頂点まで昇り切れなかった奴らは、それぞれの場所の高みに残ることになる。そいつらが何とか学園に関わりたくて結託しているのが組織だ」
呆然とする夏彦をよそに、虎は愉しげに続ける。
「この学園を卒業して、また戻ってくる連中が多いっていうだろ。教師になったりとかしてな。これも当たり前のことだ。この学園を卒業してエリートの道を歩む奴らのうち、特に優秀な奴が戻ってくるってことだ。多分、学園の中で出世して、最終的に理事になるのが目的なんだろうぜ」
「じゃあ、この学園の運営は――」
「ああ、そうだ。運営は最終的に理事がやってるわけだ。分かるか? 理事長、理事たち、そしてその下に有象無象がいて、その総称が学園を運営している行政会だ。そりゃ、学生が会のトップになるはずがないよな。行政会が他の会に比べて有利だって? 当然だろ、我が国の頂点の集合だぜ、そいつらがこの学園を運営してるんだ。他の会とは一線を画してるんだよ、行政会は」
「そんなことにまでなるような、何がこの学園にあるんだ?」
夏彦は混乱する。
虎の言うことが正しければ、まさに学園は国よりも上に立っている。国の頂点が学園を動かしているのだとしたら、学園が動かそうと思えば国が動くことになる。
「『何か』だ。この学園に本当に何があるかは、外の組織のトップ連中すら知らないらしい。案外、実権よりもそれを知りたくて外の連中は学園にちょっかいかけてるのかもな。秘密にされてるもんは知りたくなるもんだろ」
虎はコーヒーを飲み干し、片手で缶を握りつぶす。
「ただ、学生でも、会の上の方に昇ればその秘密をある程度知ることができるようにはなるらしい。それこそ会長、副会長レベルになればな。どうだ、面白いゲームだろ? だから、外の組織は孤児院や学校、塾なんか経営して、この学園で会の頂点に昇ることができる人材を育成してるらしいぜ。失敗作は工作員にしたりしてな」
「失敗作、か」
夏彦はタッカーを思い出す。
孤児院出身で外の組織の内通者となったタッカー。外の組織によって育てられ、そして失敗作とみなされたのか。だが、同じ孤児院出身のアイリスが内通者にすらされていないことを考えるに、それなりには優秀だったのだろう。
それがよかったことかどうかは疑問だが。
「数年前に最高傑作が出来上がったらしい。ただ、その最高傑作は組織にはコントロール不可能だったらしくてな、結果的に廃棄処分だ。それでも、最終的にはこの学園に入学して、今では特別隔離クラス唯一の生き残りになってるらしいな」
「――怪物」
夏彦の中で、虎が怪物に興味を示していたという話がようやく繋がる。
「そうだぜ。ひょっとしたら、怪物に話を聞けば色々と新しいことが分かるかもな」
潰されて小さくなった缶を、虎はゴミ箱にシュートする。缶は綺麗に弧を描いてゴミ箱の中に入っていく。
「まだ、信じられないな」
夏彦が正直に言うと、
「ははっ、ここで俺の言うこと全部素直に信じるようじゃあ逆に心配するぜ。精々、自分で裏をとってみてくれよ……まあ、これで俺の知ってる、学園の話は終わりだ」
虎はそこで言葉を切った。
豪奢な部屋を、沈黙が支配する。
「虎」
沈黙を破ったのは夏彦だ。
「それを知って、お前はどうにかしようとしたのか?」
「あ?」
口をぽかん、と開けて虎は聞き返す。
「どういう意味だ?」
「お前、そういう情報を手に入れて、力を手に入れて、金を手に入れて、それでどうしようと思ってたんだ? 俺がもしも、邪魔をしなかったら、どこに向かっていた?」
どうしてそんなことが気になるのか、夏彦には自分でも分からない。
ただ、無性に気になった。
「あー……お前、勘違いしてるぜ」
だが虎はまるで夏彦が見当はずれの発言をしたかのように呆れる。
「お前、自分が下手に目的意識持ってるからそういう勘違いするんだろうな。もっとも、お前の目的意識は危うい気がするけどよ」
「俺?」
自分の話になって夏彦は驚く。
「俺の、何が危うい?」
「お前は、ほら、空っぽの容器に似てるんだよ。それも、かなりでかい奴な」
虎の言葉に、夏彦はコーカやタッカーの言葉を思い出す。
自分のことを殻に評した言葉を。
「だから色々入れられるんだろ。元々はエリートへの憧れっつう薄い液体みたいなものが入ってて、前の事件でそこにタッカーの死でも放り込んだんだろ」
「見てきたようなことを言う」
そう言い返しながらも、夏彦自身にとっても思い当たる言葉だった。
「誰だってそういうもんだぜ。色々なものに影響を受けて変わってく。ただ普通は、元々の好き嫌いがあってよ、自分の器の中に入れるもんを取捨選択するもんだ。お前の場合、そこら辺が希薄で、手当たり次第、何でも取り込んで自分の目的意識にしてる気がするんだよな」
「自分では、よく分からないな」
本当に、虎の言っている意味がいまいち分からずに夏彦は困惑する。
「あー……シンプルに言うとよ、そいつのライフスタイルだとか、価値観だとか、倫理観、好き嫌い、そういうので性格上の特徴って決まるだろ? で、その特徴によって物事を取捨選択したり優劣つけたりして、そうやって目的意識ってのは形成される。けど、お前の場合、物事は全部拾い上げようとするし、優劣もつけねえ。全部、同列で一位だ」
「そんなことはない。俺にだって好き嫌いくらいある。取捨選択だってする。というか、しないと生きてこれないだろ」
夏彦の反論に、虎は苦笑する。
「そりゃそうだ。優劣つけるのも取捨選択も、しなきゃ生きていけない。逆に言うとな、夏彦、お前の優劣だとか取捨選択はそのレベルなんだよ。全部拾い上げたいし全部大事にしたい。けど、それじゃあ進めなくなって、ようやく選択する。他の奴だったら、もっと気軽に切り捨てて、選び抜いてるぜ」
例えばな、と虎は続ける。
「今回のがいい例だ。お前、学園長に俺を止めるように頼まれたんだろ? どうして、正式に調査しなかった?」
「ん? どういう意味だ?」
「そのまんまだよ。お前、監査課の課長補佐だろ。だったら、監査課の正式な業務として、部下を動員して普通に調べりゃいいじゃねえか。適当な理由でっちあげてよ。つうか、学園長だってそれを期待してたから課長補佐のお前に頼んだんじゃねえの?」
「それは……まだ確固たる証拠がないうちに、正式な依頼として挙げることができないと思ったからだ」
「本当にそれだけか? 本当はよ、正式に調査したら、止まれなくなるからじゃねえのか? 自分一人で調査してたら、それこそ今みたいに適当なところを落としどころにして交渉することができるだろ。お前、友だち想いだからな。正式な調査で、俺を完全に潰すのが忍びなかったんじゃねえのか?」
「そんなことは、ない」
言いながらも、夏彦は自信がない。
そういう気持ちが全くなかったと言い切れるだろうか?
「学園長からの依頼を突っぱねることもできず、俺を潰す覚悟もできない。出世も日常も両方欲しい。こりゃあ、なかなかきついぜ。だから言ってるんだ、危ういってな。もっと確固たる方針を持って物事に優劣つけて切り捨てていかないと、そのうちパンクするぜ。現に、いつも死にかけてるだろ」
それを言われては反論のしようがない。
渋い顔で黙る夏彦を見て、虎は愉快そうに首を鳴らす。
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