女性を見たが、今度は目が合わなかった。女性は慣れた手つきで携帯電話を操作し、自分の世界に没頭している。
さっき目が合ったのは、きっと偶然だろう。そう割り切って横断歩道を見つめる。
しばらくすると、コツコツと小気味の良い音が階段から聞こえてきた。その音に反応した中年女性は、階段に視線を向ける。
上がってきたのは、白い杖をついた少女だった。高校生だといっても通じるような、あどけなさを残した少女だった。
あどけない少女、円佳は、いつもどおりに歩道橋の中央に歩を進めた。
いつも、リストが待っている場所。
どれぐらい歩けばいいのか、体に染み付いている。
癖になりつつある道程を進む円佳にとって、杖は飽くまでも保険だった。前方に障害物がないか、人がいないかを確認する保険。その保険が、久しぶりに効果をもたらす。
「あっ、ごめんなさい」
杖が誰かの足に触れたのを感じた円佳は、深々と頭を下げ謝った。
「いいの、気にしないで」
杖をぶつけられた中年女性は、円佳の目を見てそう答える。円佳の目は、大体の方角見ているだけで焦点が合っていない。
「ありがとうございます」
許してもらえた円佳は、もう一度頭を下げた。
初々しい円佳の姿を見て、中年女性は探るような言い回しを使いながらも、確信を持った口調で問いかける。
「あなた、森永円佳さん?」
知らない声の人から自分の名を呼ばれた円佳は、相手の気分を害さない程度に後退り、襲われた時に焦らずに抵抗する心構えをした。
「恐がらせてしまって、ごめんなさい。単刀直入に言うと、私は、森永さんにリストと呼ばれている子の母親です」
「えっ? 本当ですか?」
一瞬驚いた円佳は、少し冷静になり、あることに気がつく。
「て、すいません、本当ですよね。私と、私の友達。後、リスト本人しかリストと呼んでるのを知らないんだから」
「後、リストの母親だけ」
「あっ、そうでした。予想もできなかった展開なもので、舞い上がってしまって」
円佳の速まった鼓動に、あまり変化は見られなかった。不審者に対するプレッシャーから来る緊張が、リストの母親と対面した緊張に変わっただけである。
「それで、リストはどうしたんですか?」
「リストは、風邪をこじらせてしまって、しばらく歩道橋に来れそうにないんです」
「それを伝える為に、わざわざ?」
「はい」
「すいませんでした。リストの電話番号を聞かなくても、リストに私の電話番号ぐらい教えておけば良かったですね。そうすれば、わざわざお母さんにご足労願わなくても良かったのに」
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