涙を浮かべ怖がっているのに、私はカオルを止められなかった。来ないでと軽蔑されても穏やかな表情を変えないカオルを見ていると、カオルが朱理を救ってくれるのではないかと期待してしまう。
叫ぶ朱理にカオルが近づく。そんな二人を映画でも見るように干渉せず傍観していると、二人の肌が触れ合った。
カオルが朱理の手に触れたのである。
それは、スイッチが入ったように同時のことだった。
カオルが朱理の手に触れた瞬間に、朱理は奇声を発し暴れ始めたのである。
髪を振り乱しながら乱暴にカオルを吹き飛ばし、朱理は自分の足に足を絡ませベッドからずり落ちた。
「朱理!」
私は事態の深刻さに焦り叫んだが、朱理は錯乱状態に陥り私の声が届いていないのか、ふらつきながら立ち上がり塚本先生に近付く。
「落ち着いて、本条さん。ここには、あなたを責める人はいないわ」
塚本先生は、冷静に対応しようと勤めているが、声が震えている。これでは、自分が恐れられていると朱理がショックを受けるかもしれない。
そんな塚本先生を責める資格が私にはなかった。私なんてさっき叫んだだけで、今は震えから声すら出ないのだ。
るんに関しては問題外で、腰を抜かし、へたり込んでしまっている。
塚本先生を襲うと思われた朱理は、そのまま塚本先生の横を抜け、塚本先生の机に突っ伏すようにして倒れた。
「大丈夫?」
そう言葉を発し朱理に近づいたのは、起き上がったカオルだった。直接暴力を振るわれたのに、一番物怖じしていない。
カオルが朱理に近づくと、朱理は机から身を起こし振り向いた。
朱理が振り向いた瞬間、少量の血が飛び散った。
苦痛に顔を歪めながら腕を抑えるカオルと、血が滴り落ちるハサミを持っている朱理が向き合うようにして立っている。
振り向いた勢いのまま、カオルの腕を切ったらしい。
朱理の手が、激しく震えていた。
前髪が全て覆いかぶさり、目元まで隠してしまっているので表情ははっきりと伺えないが、口元だけで動揺しているのが分かる。
「そんなつもりじゃなかったの…本当に…そんなつもりじゃ…」
呪文のように何度も『そんなつもりじゃ』と唱えている。聞き取るのがやっとなぐらい、声はか細い。
私がいけないんだ。カオルが朱理に近づいた時、私がカオルを止めてあげなくてはならなかったんだ。
事情を説明して、互いの性格や環境を多少考慮させてから、顔を合わせなくてはいけなかったんだ。
「そこに座って」
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