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#82

公開日時: 2022年1月30日(日) 22:14
文字数:1,001

「円佳さん」


 リストが声をかけると、円佳の表情に感情が生まれ、見えないけれどリストに視線を向けた。


 待ち合わせていた恋人が来た時に見せる、喜びの表情。そんなドラマのワンシーンを思い出させる円佳の態度が、リストは嬉しかった。


「こんにちは、リスト」


「今日は、雨が降りそうですか?」


 円佳が、静かに首を振る。


「降る気配がしないから、折り畳みの傘も持ってきてないよ」


 そう言われ、円佳がバックを持ってきていないのに気付く。


「良かった。クッキーを焼いてきたんで、雨が降ると嫌だなって思ってたんです」


 バスケットを開けると、辺りには仄かに甘い香りが漂う。


「良い匂い。一つもらっていい?」


「一つだなんて言わず、たくさん食べてください」


「何個作ってきたの?」


「十三個です」


「十三個って…奇数だったら最後の一個が取り合いになっちゃうよ」


「十四個作ったんですけど、一つ味見で食べちゃったから」


「じゃあ、私が七個もーらい♪」


 円佳は、唄うように貰う数を宣言し、手探りでバスケットを探す。


「良いですよ」


 リストは、円佳にバスケットを近づけながら応えた。


 クッキーを一つ手に取ると、円佳は腰を下ろし、クッキーを口にした。


 その横に、リストも腰を下ろす。


「おいしーい! これ、本当に自分で作ったの?」


 外にいるのを忘れ、大声でクッキーを賞賛する。そんな円佳に対し、リストは頬を染め照れくさそうに『そうですよ』と返した。


「本当に、市販のものじゃないの?」


「本当ですって」


「そうか、凄いなー 私なんて、一つも料理が出来ないよ」


「でも、円佳さんは」


「いや、目が見える時から料理は出来なかったの。いつもママが作ってくれるから、作ろうとも思わなかったし」


「なんか、ちょっと意外」


「料理が作れそうに見える?」


「そうじゃなくて」


「間髪入れずに否定しないでよ」


「あっ、ごめんなさい」


「いいの、いいの、冗談だから。で、何が意外なの?」


「円佳さんが、母親をママって呼ぶのが意外で。お母さんって呼んでると思ったから」


「へー 私ってそんなに、しっかりしているように見えるんだ」


「いや、そうじゃなくて」


「間髪入れずに否定しないでよ」


「あっ、ごめんなさい」


「いいの、いいの、冗談だからって、さっきもこんなやり取りしたね」


 円佳は、愉快そうに笑い飛ばす。


「しっかりしてるように見えるんじゃなくて、しっかりしてるなって思えるんです。その、見た目は…」


「見た目は?」


「言っても怒りませんか?」

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