真弓の声が聞こえた時、タイミング悪く長台詞を録音している最中だった。
やり直しだな、とため息をつきながらICレコーダーの電源を切り、円佳は一階に降りる。
階段を下りる際、壁に手をつくと、料理の際に発生した湯気で壁を湿らせ軽く滑った。
これは、手をつかず慎重に階段を下りた方が良いなと、右足と左足を同じ段に乗せながら降りる。
階段は、上がるよりも下りる方が数倍難しく、怖かった。上がるのは手をつかずに早足で行けるが、下りるのは手をついてもスピードを出せない。
テーブルに着くと、真弓が円佳の手を取りながら献立を説明し、どこにどの料理があるか説明した。
説明を聞き終えると、頭の中でテーブルの上をイメージし『いただきます』と頭を下げた。
勢い良く手を出し、お椀を倒してしまわないように手探りでお椀を取り、味噌汁を飲む。
それ以降、円佳は失明しているのを感じさせずに食事を進めた。おかずやご飯を食べる際、食器を胸の近くまで持ってきてから食べるので、食器を取るのが手探りになってしまうが、その部分を除けば、一目見て円佳が失明していると気がつく人はいないと言えるほど、スムーズに食事を進める。
食事の時間で上がる話題は、先ほどの話題ではなく、主に流行歌の話題だった。
先ほどの話題を蒸し返され、険悪な雰囲気で食事をするのは嫌だなと思っていた円佳は、話が逸れて先ほどの話題にならないように、盛り上がるように話に乗った。
「あの曲、本当に良い曲よね。なんか、切ない感じが」
真弓は、半年ほど前にデビューした新人バンドの話をした。
「ママって、最近の歌に詳しいよね。まぁ、私のおかげかな?」
「どうして?」
「だって、私が失明してなかったら、最近の歌なんて聞いてなかったでしょ? いつも、古い歌ばかり聞いてたじゃない」
「あら、昔の歌だって馬鹿にしたものじゃないわよ。カバーされて流行ったりするんだから、捨てたものじゃないわ」
真弓が最近の歌を聞くようになったのは、円佳が失明し、一人で食事を取れるようになってからだった。
食事を一人で取れず母に食べさせてもらっていた時は、発生する会話は次に何が食べたいかなど、会話ではなくやり取りに近いものだった。
一人で食事を取れるようになり、次に何を食べるかのやり取りをしなく済むようになってから、食事の時間に会話が生まれなくなり、気まずい雰囲気の食事になってしまった。
どうして会話が生まれないのか考えた円佳は、一つの結論に達した。
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