舞い降りた天使

~たとえ、明日が見えなくても~
冴條れい
冴條れい

舞い降りた天使 ~たとえ、明日が見えなくても~

公開日時: 2021年9月19日(日) 21:19
文字数:2,477




 公園の水飲み場でり傷を洗って、ハンカチで薬草を巻いた。

 体中、青あざだらけだけど、夕飯のおかずを採って帰らなきゃ――


「……っ」


 涙がぱたぱた、手の上に落ちた。

 学校では、泣かなかったのに。

 傷が痛くて涙が零れるわけじゃないんだ。

 殴られるのなんて、たいしたことじゃない。

 だけど、僕は何か間違えてるのかな。

 スニールを庇ったことにも、僕が生きてることにも、意味なんてないのかな。


 誰にも助けてもらえずに、気を失うまで殴られた、今日みたいな日には――

 公園の片隅にうずくまって、眠ってしまいたくなるけど。

 もう、目を覚まさなくて、いいんだけど。


 でも、野草を摘んで帰って、僕と母さんの夕飯、つくらなくちゃね。

 川で魚が獲れるといいんだけど。

 家には笑顔で帰らないと、母さんが心配する。

 

 ――明日が、見えなくて。


「どうしたの?」


 いつからいたのか、鈴をふるような女の子の声が聞こえて、僕はどきっとして、涙を手のこうぬぐった。


「けが、いたい?」


 六つか七つくらいの女の子が僕をのぞき込んでいて、その子があんまり綺麗で、僕は、息をのんだんだ。

 生きてるつもりだったけど、殴られすぎて、死んじゃったんだっけ。

 だって、月の光が零れるような銀の髪も、澄んだ蒼の瞳も、絵本の天使みたいなんだ。


 女の子が透きとおる声で祝詞を紡ぐと、優しい空色の光が僕を包んで、体中にあった青あざが消えていった。


「なおった?」


 女の子があどけなく、花がほころぶように笑った。


 わぁ。


 すごく、可愛い。

 胸がとくんと跳ねた。

 こんなに可愛い子を見たのは、初めて。

 なんて、綺麗なんだろう。


「うん、すごいね。もう、痛くない」

「ねぇ、なにしてるの? デゼルとあそんで」

「えっと……」


 野草を採って、魚を獲って、夕飯の|支度《したく》をするんだよって教えてみたら、女の子が嬉しそうに笑った。


「デゼルにもとれるかなっ」

「これ、同じのわかる?」


 魚は無理だと思うけど、野草なら採れるかな?


「これっ?」


 女の子が似たのをんで、僕にそう聞いた。

 そんな仕種しぐさのひとつひとつまで、すごく、可愛い。


「うん、それ」


 僕が笑いかけてあげると、すごいものを見た顔で、女の子が僕をじっと見た。


「えと、なに?」

「おなまえは?」


 あ、そうか。


「サイファ」

「さいふぁ、きれいなおなまえ! デゼル、さいふぁがすき」

「えっ……」


 わ、わ、胸がとくとく、とくとく、忙しく打って、すごく不思議な高揚感。


「あの、ありがとう。僕も――」


 わ。


“ デゼルが好きだよ ”


 どうしてなのか、そんな、かんたんな言葉が言えなくて。

 デゼルはあっさり、言ってくれたのに。


「さいふぁも?」

「あ、その……デゼルのこと、僕も――」


 どうして、言えないんだろう。


 ――なんで!?


「これ?」


 僕がもたもたしていたら、デゼルが僕が集めていた野草をもう一つ見つけて、得意そうにそう聞いてきた。

 ふふ、ドヤ顔も可愛いなぁ。


「うん、それ」

「デゼル、さいふぁがすき」


 わぁ。


 えっと、どうしよう。

 どう、答えたらいいんだろう。


 ううん、答えはわかってるんだ。

 僕もデゼルが好きだよって、答えたらいいのに。

 すごく可愛くて、嬉しくて、好きに決まってるのに、好きって言えない。

 なんだろう、こんなことはじめて。


 遊んでって言われたのに、夕飯のための野草集めにつき合わせていていいのかな。

 でも、日が暮れる前に集めないと今夜の僕と母さんの夕飯がないから、集めないといけなくて。


「これ?」

「えっと、それは似てるけど違うんだよ。毒があって食べられないんだ」

「どく……」


 さっき、摘んだ野草としきりに見比べて、ほっぺを軽くふくらませたデゼルが言った。


「デゼル、さいふぁがきらい」


 えっ、理不尽。

 おかしくて、笑っちゃった。


「えぇー、デゼル、僕のこときらいになったの?」

「うん、なったの。デゼル、さいふぁがきらい。さいふぁかなしい? さいふぁなく?」


 なに、この子可愛い。おかしい。


「やだな、僕、デゼルに嫌われたら悲しいよ? 泣くよ?」


 わぁいと、デゼルがごきげんに笑った。


「じゃあ、すき」

「よかった」


 こんなに楽しいのって、初めて。

 道が悪いところはだっこしてあげたりして、デゼルの手を引いて夕飯の食材を集めるうちに、あっという間に夕方になってしまって。


「楽しかったね」

「うん! またあそぼうね、デゼルかえるね」

「送るよ、デゼルのおうちはどこ?」

「ええとね、やみのかみさまのしんでん」


 僕は軽く目を見張った。

 この子、やっぱり、天使だったんだ。

 すごく身なりがいいし、最初に、僕の怪我けがを治してくれた時から、闇神殿の巫女みこ様かなとは思ってたから、驚きはしなかったけど。


「ねぇ、デゼル。僕のこと、好き?」

「うん、すき」


 すごく、幸せな気持ち。

 うれしいな。


 僕、どうしてデゼルに好きって言えないのかわかったんだ。

 僕のこの気持ちは『好き』じゃない。


 だって、僕はみんな好きなんだ。

 母さんも、クラスのみんなも、僕を殴ったジャイロだってスニールだって、それでも好きなんだ。


 その『好き』と、デゼルを『好き』な気持ちは同じじゃない。

 デゼルを特別に好きだと思う、この気持ちの名前を、僕は知らなくて。


 それにね。

 僕、家族じゃない人から好きって言ってもらうのは初めてで、なんだか、すごく嬉しかった。

 デゼルが僕にあっさり好きって言えるのは、きっと、僕がみんなを『好き』なのと同じ『好き』だから。

 特別な『好き』じゃないからなんだ。


 それでも、すごく嬉しかった。


「さいふぁ、またあそんでね!」


 神殿まで送ると、心配していた様子の大人の人が、デゼルを抱き上げて奥に連れて行った。

 お互いの姿が見えなくなるまで、デゼルが可愛い笑顔で手をふってくれた。


 僕もふり返したら、デゼルがすごく嬉しそうに笑ってくれたことが、なによりも、嬉しかったんだ。




 この気持ちを『初恋』って呼ぶんだと僕が知るのは、ずっと、後のこと。

 この時はただ、父さんがいなくなった後、灰色に感じていた世界が優しい|彩《いろどり》を取り戻して、甘くて幸せな気持ちが胸を占めて、心地好かった。




 たとえ、明日が見えなくても。

 生きていこうと思った。

 だって、生きていれば、もう一度、君に会えるかもしれないから――

【扉絵】カゴ様


※ 絵師様の連絡先は下記のシリーズ作品目次にまとめてあります。

https://velvet-kazakiri.ssl-lolipop.jp/kaza/dezel/

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