公園の水飲み場で擦り傷を洗って、ハンカチで薬草を巻いた。
体中、青あざだらけだけど、夕飯のおかずを採って帰らなきゃ――
「……っ」
涙がぱたぱた、手の上に落ちた。
学校では、泣かなかったのに。
傷が痛くて涙が零れるわけじゃないんだ。
殴られるのなんて、たいしたことじゃない。
だけど、僕は何か間違えてるのかな。
スニールを庇ったことにも、僕が生きてることにも、意味なんてないのかな。
誰にも助けてもらえずに、気を失うまで殴られた、今日みたいな日には――
公園の片隅にうずくまって、眠ってしまいたくなるけど。
もう、目を覚まさなくて、いいんだけど。
でも、野草を摘んで帰って、僕と母さんの夕飯、つくらなくちゃね。
川で魚が獲れるといいんだけど。
家には笑顔で帰らないと、母さんが心配する。
――明日が、見えなくて。
「どうしたの?」
いつからいたのか、鈴をふるような女の子の声が聞こえて、僕はどきっとして、涙を手の甲で拭った。
「けが、いたい?」
六つか七つくらいの女の子が僕をのぞき込んでいて、その子があんまり綺麗で、僕は、息をのんだんだ。
生きてるつもりだったけど、殴られすぎて、死んじゃったんだっけ。
だって、月の光が零れるような銀の髪も、澄んだ蒼の瞳も、絵本の天使みたいなんだ。
女の子が透きとおる声で祝詞を紡ぐと、優しい空色の光が僕を包んで、体中にあった青あざが消えていった。
「なおった?」
女の子があどけなく、花が綻ぶように笑った。
わぁ。
すごく、可愛い。
胸がとくんと跳ねた。
こんなに可愛い子を見たのは、初めて。
なんて、綺麗なんだろう。
「うん、すごいね。もう、痛くない」
「ねぇ、なにしてるの? デゼルとあそんで」
「えっと……」
野草を採って、魚を獲って、夕飯の|支度《したく》をするんだよって教えてみたら、女の子が嬉しそうに笑った。
「デゼルにもとれるかなっ」
「これ、同じのわかる?」
魚は無理だと思うけど、野草なら採れるかな?
「これっ?」
女の子が似たのを摘んで、僕にそう聞いた。
そんな仕種のひとつひとつまで、すごく、可愛い。
「うん、それ」
僕が笑いかけてあげると、すごいものを見た顔で、女の子が僕をじっと見た。
「えと、なに?」
「おなまえは?」
あ、そうか。
「サイファ」
「さいふぁ、きれいなおなまえ! デゼル、さいふぁがすき」
「えっ……」
わ、わ、胸がとくとく、とくとく、忙しく打って、すごく不思議な高揚感。
「あの、ありがとう。僕も――」
わ。
“ デゼルが好きだよ ”
どうしてなのか、そんな、かんたんな言葉が言えなくて。
デゼルはあっさり、言ってくれたのに。
「さいふぁも?」
「あ、その……デゼルのこと、僕も――」
どうして、言えないんだろう。
――なんで!?
「これ?」
僕がもたもたしていたら、デゼルが僕が集めていた野草をもう一つ見つけて、得意そうにそう聞いてきた。
ふふ、ドヤ顔も可愛いなぁ。
「うん、それ」
「デゼル、さいふぁがすき」
わぁ。
えっと、どうしよう。
どう、答えたらいいんだろう。
ううん、答えはわかってるんだ。
僕もデゼルが好きだよって、答えたらいいのに。
すごく可愛くて、嬉しくて、好きに決まってるのに、好きって言えない。
なんだろう、こんなことはじめて。
遊んでって言われたのに、夕飯のための野草集めにつき合わせていていいのかな。
でも、日が暮れる前に集めないと今夜の僕と母さんの夕飯がないから、集めないといけなくて。
「これ?」
「えっと、それは似てるけど違うんだよ。毒があって食べられないんだ」
「どく……」
さっき、摘んだ野草としきりに見比べて、ほっぺを軽くふくらませたデゼルが言った。
「デゼル、さいふぁがきらい」
えっ、理不尽。
おかしくて、笑っちゃった。
「えぇー、デゼル、僕のこときらいになったの?」
「うん、なったの。デゼル、さいふぁがきらい。さいふぁかなしい? さいふぁなく?」
なに、この子可愛い。おかしい。
「やだな、僕、デゼルに嫌われたら悲しいよ? 泣くよ?」
わぁいと、デゼルがごきげんに笑った。
「じゃあ、すき」
「よかった」
こんなに楽しいのって、初めて。
道が悪いところはだっこしてあげたりして、デゼルの手を引いて夕飯の食材を集めるうちに、あっという間に夕方になってしまって。
「楽しかったね」
「うん! またあそぼうね、デゼルかえるね」
「送るよ、デゼルのおうちはどこ?」
「ええとね、やみのかみさまのしんでん」
僕は軽く目を見張った。
この子、やっぱり、天使だったんだ。
すごく身なりがいいし、最初に、僕の怪我を治してくれた時から、闇神殿の巫女様かなとは思ってたから、驚きはしなかったけど。
「ねぇ、デゼル。僕のこと、好き?」
「うん、すき」
すごく、幸せな気持ち。
うれしいな。
僕、どうしてデゼルに好きって言えないのかわかったんだ。
僕のこの気持ちは『好き』じゃない。
だって、僕はみんな好きなんだ。
母さんも、クラスのみんなも、僕を殴ったジャイロだってスニールだって、それでも好きなんだ。
その『好き』と、デゼルを『好き』な気持ちは同じじゃない。
デゼルを特別に好きだと思う、この気持ちの名前を、僕は知らなくて。
それにね。
僕、家族じゃない人から好きって言ってもらうのは初めてで、なんだか、すごく嬉しかった。
デゼルが僕にあっさり好きって言えるのは、きっと、僕がみんなを『好き』なのと同じ『好き』だから。
特別な『好き』じゃないからなんだ。
それでも、すごく嬉しかった。
「さいふぁ、またあそんでね!」
神殿まで送ると、心配していた様子の大人の人が、デゼルを抱き上げて奥に連れて行った。
お互いの姿が見えなくなるまで、デゼルが可愛い笑顔で手をふってくれた。
僕もふり返したら、デゼルがすごく嬉しそうに笑ってくれたことが、なによりも、嬉しかったんだ。
この気持ちを『初恋』って呼ぶんだと僕が知るのは、ずっと、後のこと。
この時はただ、父さんがいなくなった後、灰色に感じていた世界が優しい|彩《いろどり》を取り戻して、甘くて幸せな気持ちが胸を占めて、心地好かった。
たとえ、明日が見えなくても。
生きていこうと思った。
だって、生きていれば、もう一度、君に会えるかもしれないから――
【扉絵】カゴ様
※ 絵師様の連絡先は下記のシリーズ作品目次にまとめてあります。
https://velvet-kazakiri.ssl-lolipop.jp/kaza/dezel/
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