ドラゴンの歌声

公開日時:2022年3月7日(月) 22:40更新日時:2022年3月7日(月) 22:40
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「おにいちゃーん、まってよー」

「ほら、チカ、はやくいくよ」


 夏休みで祖母の家に来ていた兄妹は、林の中に来ていた。従兄から教えてもらったこの先にあるという洞窟は、ひんやりとして気持ちがいいらしい。


 祖母の家のクーラーが壊れていた。いくらここがいつも自分たちが住んでいる所より涼しいからといって、やはり暑いものは暑い。探検がてらその洞窟を目指す理由としては、充分だった。


 長く人が入っていない林は草が膝当たりまでのびて、歩きにくいことこの上ない。一年生になった妹チカは、小さいので余計に歩きにくいのだろう。ハヤトは妹を振り返って何度も励ます。


 四歳年下の妹は、のんびり屋さんでいじめられやすい。いつの間にか守るのが役目になっていた。


「おにいちゃん、ここ?」

「そうみたい」


 林の中も暗かったが、見つけた洞窟の中は更に暗い。目が慣れるまでは何も見ることができないものの、岩壁を手で触りながら奥へ進む。時折吹き抜ける風がひんやりとして、ここまでくるのにかいた汗を冷やしていく。それがとても心地よくて目を瞑った。


「あれなぁに?」

「ん?」


 妹がいうのにハヤトは目を凝らす。目は大分慣れてきたが、『あれ』がよくわからない。どれ?と促せば、妹は握っていた手を離して駆け出していく。


「これ!」


 見失わないように小走りでついていくと、そこには淡く光る石があった。暗闇で光る石なんて初めて見たハヤトはそれにそっと触れる。危険はなさそうなので、持ち上げてよく見てみた。


「おにいちゃん、わたしにもみせて」

「あぁ、ごめん」


 その石をチカに渡そうとしたとき――


「え!?」

「きゃぁ!」


 光が一層強くなり、ボクらは目を閉じた。次に目を開けたときには――


「主らが手伝ってくれるのか?」


 目の前に、ドラゴンがいた。


「え、ドラゴン????」

「こんにちは?」


 大きな瞳、ゴツゴツとした皮膚、大きな指の先についた爪。口を開ければ大きな牙が沢山並んでおり、赤褐色の背には蝙蝠のそれを大きくしたような翼がある。絵本に出てくるドラゴンは友好的なものも多いが、ドラゴンは人間を襲うものもある。混乱するハヤトをよそに、チカは早速ドラゴンに挨拶する。


「あぁ、こんにちは。よかった、主らが来てくれて」


 喚びかけに応えてくれてどうもありがとう、とドラゴンは首を垂れる。


「えっと、あなたがボクらをここに?」

「ああ。実はヒトに攻撃されてな、もう動けなくなった」

「え、ドラゴンのあなたがどうして」

「ふむ。抵抗はしたのだが、いまは卵を温めていたからな。ここを動くわけにはいかなかったんだ」


 そういってずるりと身体を横に動かすと、その腹の下から大きな卵が顔を覗かせる。チカは嬉しそうに、そこへ近づいて行った。


「我はもう長くない。このままだと直に卵も殺されてしまう。だから主らを喚んだのだ」

「つまり、ボクらに卵を守ってほしいと?」

「理解が速くて助かるぞ。だが守ってほしいのとはちと違う。運んで欲しいのだ」

「はこぶの?」

「あぁ。ここから離れた場所に青の洞窟という場所がある。我らドラゴンが子育てをする場所だ。そこまで連れて行ってくれれば、いい」

「わかった!わたしはこぶよ!ドラゴンさんのたまご!」


 妹のその言葉に、ハヤトはどきどきする。そんなに安請け合いしてもいいんだろうか。


「さすが我の喚びかけに応えた御子みこだ。ありがたい」

「でも、このたまごおおきくてはこぶのたいへんだなぁ」

「うむ、そうだな。主らの身体には少し大きい。この袋に入れれば背負っていけるか?」


 そういってドラゴンはぽんっと大きなリュックサックを出してくる。確かにその大きな袋に卵を入れれば、背負えそうだ。


「その袋には重さを軽減する魔法をかけておる。主らの小さい身体でも背負えるだろう」

「わぁ!ほんとうだ!おにいちゃん!わたしでもせおえるよ!」


 それも魔法なのか、ドラゴンは妹にリュックサックを背負わせている。それに順応している妹が羨ましい。


「青の洞窟?の場所は?」

「確かに、主らには道案内が必要だな」


 そういってドラゴンが目を閉じると、何か魔法を使っているのか眉間の辺りに光が集中する。


「ドラゴンの智慧ちえが詰まっておる。それが手助けしてくれるだろう」

「え」


 その言葉と共に光は結晶となり、紐をつけてハヤトの首にかかった。


「いいなぁ、おにいちゃん。それすっごくきれい」

「お前重くないの?」

「ぜんぜん!でもつかれちゃったら代わってね?たまご、わっちゃうとたいへんだし」


 きらきらとした目で見てくる妹の頭を撫でてやる。


「質問を思い浮かべてみればいい」

「えーっと、青の洞窟の場所は……って、うわぁ!?」


 胸元にある結晶は青白い光を一定の方角へ伸ばす。


「あっちに、洞窟があるの?」

「ああ。何かわからないことがあれば石に訊くといい。大概のことは答えられようぞ」


 ドラゴンの言葉にハヤトは頷くと、妹に声を掛ける。


「ドラゴンさん、おともだちにちゃんとつたえるから」


 その言葉に、生きて欲しいという希望を込めてチカはいう。ドラゴンは何もいわずに頷いた。そのとき。


「まだ生きてるぞ!!」


 遠くからヒトの声がする。


「ドラゴンさん!」

「はやく行け!!」


 妹の手を引いてハヤトは駆け出す。転びそうになる妹を支えて。


「卵を、頼む―――!!!」


 大人たちが声を上げてドラゴンに斬りかかる。それを跳ね除けるようにドラゴンが身体をくねらせる。動けば動く程に、傷口は開くというのに。ハヤトは歯を食いしばって、岩山を駆け降りた。


「こっちにいったぞ!」

「卵を持っていた!!」


 ハヤトとチカは茂みの中に隠れてやり過ごす。こんな風に大人に追いかけられたことがないので、とても怖い。通り過ぎて行ったのを確認し、去った方とは逆方向から山を下りようと辺りを見回す。知らない景色、知らない土地。不安で仕方ない。


「追われてるのか?」


 声が聴こえて辺りを見回すが、見当たらなくて首を傾げる。


「おにいちゃん、こっち」


 妹の声にそちらを見れば、地面に穴が出現していた。そこには、チカよりも小さな人の形をした生き物がいた。それに案内されて、卵を抱えながら穴に身を滑り込ませる妹を慌てて追いかける。


「なるほど。ドラゴンに卵を任されて、青の洞窟にいくのか」


 穴の中はハヤトが少し身を屈めてやっと通れる通路になっていた。小人は小さな灯りを持って、ちょこちょこと歩いていく。


「ドラゴンの智慧がありゃあ、大概は何とかなるだろうが」

「これのこと知ってるの?」

「ドラゴンが命を任せるときに信頼の証に渡すもんだろ?」


 その言葉に、ハヤトはまじまじとその首飾りを見る。


「とにかく、上はヒトがうるさいからな。地下の通路を通って山の下まで行くといい」

「ありがとう」

「いいってことさ。それより腹減ってないか?」


 そういって小人に連れてこられたのは、ハヤトが背をかがめなくても十分な広さがある空間だった。目を凝らせばあちこちに穴が開いていて、小人の顔がこちらを覗いている。どうやら居住区らしい。


「ヒトはドラゴンを目の仇にしてるからな。お前らの持ってる卵も孵っては困るんだろう」

「だから追いかけてきたのか」


 飲み物と食べ物を勧めてくれて、この辺りのことを掻い摘んで話してくれた。ドラゴンのこと、ヒトのこと、小人のこと、そして他の生き物のこと。


「オレは青の洞窟の場所は知らないが、他のやつらなら知ってるかもしれない。もしなんか困ったら頼ればいい」

「こびとさん、ほかにもいるの?」

「ああ。いっぱいいるぞ。オレたちはドラゴンとも親交があるからな。卵のことを話せば力になるさ」


 そういって小人はパンにチーズのようなものをのっけて頬張る。木の実のサラダや、トカゲの丸焼きもある。


「その卵を持っている限り、お前らは人里に近づかない方がいい」


 食事を終えて細い道を進んでいく。


 ヒトがこんなに怖いなんて。大きな卵を背負った妹を見ながらハヤトは考えていた。大人たちに協力を仰げないことが、心細い。そんなことを感じながら。


「大丈夫、その石が導いてくれる」


 地下道が終わり、穴の外へ出る。チカの手首に、小人は口の中で何かもごもごいいながら紐を結んだ。


「だが、万が一ということもある。何かあったらその紐を解け。きっと助けに行くから」


 石に尋ねた方角へ歩いていくと、深い深い森の中を歩くこととなった。幸いにして追っ手の姿は見えないしゆっくりと歩いてもいいのだが、何せどこまで歩けば辿り着くのかわからない。心細い。


 知らない道は疲労が溜まりやすい。心が折れそうなハヤトをよそに、チカはずんずんと進んでいく。


「チカ、重くないの、それ」

「うん!ドラゴンさんとやくそくしたから、わたしがつれていくの!」


 妹のその意志のこもった言葉に苦笑しつつ、ハヤトは辺りを見回す。木々が生い茂り、空はほとんど見えない。陽の光が届かないせいか、薄暗くてじっとりとしている。何時間も歩いていると喉が渇くが、水の在りそうなところは見当たらない。


「おにいちゃん、おなかすいたねぇ」

「ん、そうだなぁ」


 小人の里でわけてもらったパンを袋から取り出して、もごもごいう。やっぱり飲み物が欲しい。食べられそうな水分のある実はないかと探していると、石が光を放ち分散する。そしてその光を受けた果実が淡く光った。


「これ食べられる、ってこと?こういう使い方もできるのか」


 見たこともない果実をとれば、光は消える。口に含めばとても甘く、果汁がたっぷり入っていた。  


「おにいちゃん、わたしも!」


 少し高い所にある果実だったので、妹は自力で取ることはできない。背伸びしてそれをとり、渡してやる。


 喉を潤したふたりは、また歩き始めた。歩いて休んで食べられるものを探して少し眠る。そんなことを繰り返していると、


「……?」


 妹が何か聞きつけたように走り出す。慌ててハヤトは追いかける。茂みの奥には足を怪我した狼が一匹、伏せていた。


「ねぇ、おおかみさん。どうしたの?」


 怖がるそぶりも見せずチカは近づく。ドラゴンの時と同じように。


「この俺としたことが、こんな罠にかかっちまうなんて情けねえ」


 罠に抗う力も無くなったのか耳を伏せて哀しそうな狼に、ちょっと待ってと妹はいう。足にかかっている罠を、小さな手で外そうとするがうまくいかない。ハヤトは近くにあった石を手に持ち、罠を叩く。一回ではだめだった。次はもっと強く、罠の向きを見てもう一度。


 何回か叩くうちに、カチャンと音を立てて外れた。


「ケガいたそうだね」

「この辺りに傷に使えそうな薬草あるかな」


 そう思ってきょろきょろと辺りを見回す。少し離れたところで石が反応し、生い茂った草の中に光る葉があるのを見つけた。こういうのは確か揉んで汁を出すんだよな、と何かで読んだ中途半端な知識しかない。それを不甲斐無く思いながら、ハヤトは葉を揉みながら狼のところまで戻る。それを傷口になすった。


「どのくらい効くかわからないけど、ドラゴンの智慧が教えてくれたやつだ。多分大丈夫だと思う」

「ドラゴンの智慧……?そういえば嬢ちゃんが持っているのもドラゴンの?」


 その狼の言葉にチカは頷くと、事情を話し始めた。所々不安な部分はハヤトが補足する。


「なるほど、青の洞窟か。お前たちの足じゃ、ちと遠いぞ」

「そうなの?」


 首を傾げるチカに頷くと、狼は遠吠えをあげる。


「仲間を呼んだ。縄張りの端までなら乗せていこう」


 怪我をした足はすぐによくなるわけではない。それでも走れるらしい。 狼が呼んだ仲間たちの背にひとりずつ乗せてもらう。それに並走するように、怪我をした狼が走る。休憩をはさみ、狼が獲ってくれた肉を分けてもらった。眠るときは、その毛並みが毛布代わりになる。


 いろいろなことを話しながら、子供の足では難しい距離を風のように走っていく。


「はやい、はやーい」


 そういいながら笑うチカと、誇らしそうに吠える狼。そのちぐはぐな組み合わせも、縄張りの端まで来たら終わりだ。名残惜しそうにしているチカに、狼も鼻を摺り寄せる。


「楽しい時間だった。改めて仲間を助けてくれて感謝する」

「こちらこそ送ってくれてありがとう」


 別れの挨拶をしている妹をよそに、ハヤトは狼に感謝の言葉をいう。もふもふの毛並みが名残惜しくて、もう少し触っていたいなと手を延ばす。それに気づいたように身を摺り寄せてくれる。


「仲間の恩人は、仲間だ。当然だ」

「また何かあったら呼ぶといい。遠吠えでお前らのことを伝えておこう」


 そういうと狼はこれまでで一番遠くまで届くような遠吠えをする。どこか遠くで、それに応える声がするのに頷いた。


「この近くに猫人の村がある。ヒトに近いが、ヒトではない。しかしヒトに近い暮らしをしている」

「長旅で疲れただろう。そこで休ませてもらうといい」


 そういって忠告をくれるのに、ハヤトは改めて礼をいった。


 森から少し離れたところに、歩きやすそうな道があった。だだっ広い平原の中、たくさんの生き物が通って踏み固められているのか、そこだけ草が生えていない。先程まで狼の背に乗っていたので、まだ脳が混乱しているのか、地面を踏んでいるのにどこかふわふわとしている。それはチカも同じなのか、酔っ払いのようによたよた歩いている。


「チカ危ないからリュック代わるよ」

「むー、だめー。チカがまかされたのー」


 意地でもリュックを渡そうとしない妹に溜め息を吐きながら、ハヤトは辺りを見回す。すると、近くに立て板のようなものがあった。近づいてみるが、文字は読めない。


「当り前といえば、当り前だよなぁ」

「おにいちゃん、よめないの?」

「チカ、読めるのか?」

「アルタイトっていうおおきなまちがこのさきにあって、こっちにいくとネコビトのむらってのにつくんだって」


 おおかみさんがいってたむらだよね、そういって首を傾げる。それに曖昧に頷きながら内心悔しいので、ためしに翻訳してと心の中で呟いてみる。すると先程まで視えていた標識とは違う、ハヤトにもわかる文字が映った。


「あぁ、本当だ」


 本当に便利だなぁ、ドラゴンの石……。そんなことを思いながら、ふたりは猫人の村へ向かった。




「あらあらぁ、こんにちはぁ?」


 それほど高くない策が木々の間を縫うように作られたそこには、『猫人の村』という表示が杭で刺さっていた。入り口付近で出会った女性は、妙に間延びしたのんびりした口調で話しかけてくる。


「ねこさんだー!」

「あらまぁまぁ。ようこそ、小さな旅人さん」


 チカが耳と尻尾に気づいて嬉しそうに近づけば、女性は尻尾を揺らしながら目線を妹に合わせてくれる。どうやら歓迎はされているようだ。


「大きな荷物ね、ここまでくるの大変だったでしょう?」

「あの、どこか休めるところってありますか」

「『煮魚亭』っていう食堂の二階が、宿屋になってるわ」


 女性は頷くと、宿屋を指差す。ふたりはそれに礼をいって、村の中へ入った。両脇に建物や畑のある道を進むと、ぐるりと建物が囲った広場に出る。教えられた場所に煮魚亭の看板を見つけて、ハヤトはほっと胸を撫で下ろす。


「やぁやぁ、いらっしゃい旅人さん」

「ゆっくりしていってね」


 広場を行き交う猫耳、猫尻尾たちは大きな荷物を持つチカに歓迎を示してくれる。ここまでくればパッと見卵にはみえないか、とほっと息を吐いた。優しい村人たちに出逢えて、チカはほくほくとしている。


「子どもだけの旅人なんて珍しいな」

「あおのどうくつ、っていうところにとどけものをしにいくの!」

「青の洞窟? あぁ、なるほど」


 そういって宿屋の主人は身を寄せてくる。


「ドラゴンに何か頼まれたのか。人里を避けてるってことだな?」

「はい、実は……」


 そういってハヤトは首にかけた石を見せながら事情を説明する。


「ほう、珍しいものを持っているじゃないか。オゥケィ、お代は要らないからゆっくりしていきな」


 そういって主人が案内してくれた部屋にはふかふかのベッドが置いてあり、ふたりには十分な広さがあった。やっと暖かいベッドで眠れると思ったとたんに睡魔が襲ってきて、そのまま意識を失った。


 目が覚めたのは既に日が沈んでからだった。辺りは暗く、チカの姿が見えない。目が慣れないハヤトは、壁を伝って階段を下りていく。食堂ではたくさんの猫人たちが酒を酌み交わしている。どうやら酒場も兼ねているらしい。


「よう坊主、やっと起きたか」

「こんばんは。あの、妹は」

「ん?嬢ちゃんなら外にいってるよ。そら、飯をくったくった」


 そういって出してくれたのはミルクの香りがするシチューだった。ひとくち口に入れればとても美味しいのだが、少し冷めている。


「熱々のなんて食えねえだろ?」


 どうやら猫人も猫舌らしい。久しぶりの料理らしい料理にがっつくのに、主人は景気よく笑った。


「チカを探してきます」

「おう、気を付けてな!」


 食堂の扉を開けると広場が見える。たくさんのランプが下げられて、淡く光っている。昼間にはなかった屋台らしきものが中央に並んでいる。昼間よりももっと活気があるのに驚きながら進んでいくと、妹の声が聴こえた。


「チカ!」

「おにいちゃん!」


 みてみてと笑うチカが持っているのは、猫の形をした木彫りのお守りだった。ハヤトが近づくと、かわいいよねぇと満足そうに笑う。


「お嬢ちゃんのお兄さん?とても可愛らしい妹さんね」

「ありがとうございます」


 ふくふくとして毛足の長い猫人が、温かい笑顔をこちらに向ける。それに会釈してチカを引き寄せると、耳元でささやいた。


「お前、アレは?」

「あれ?やどのおじさんがおいていってって」


 確かに、あれを持っていては動きにくいのは確かだ。ここに来てからずっと降ろすことのなかった荷を下ろして楽しそうな妹に、ふっと息を吐いた。辺りを見回せば、ところどころヒトがいる。もちろんそれ以外の、犬だったりうさぎだったりの人型の種族もいる。小人族も、トカゲのような見た目の生き物もいる。ヒトはドラゴンを目の仇にしているというが、他の種族はどうなのだろう。狼はここの猫人たちは協力的だといってくれたから、安心していられるけれど他は?


 ここに来た初日に出逢った大人たちの姿を思い出し、ぶるっと身を震わせた。他に、あんなふうに追いかけてくる生き物がいないといい。


「おふたりさん珍しいね、子供だけなのかな」

「おにいちゃんといっしょなの!」

「ははは、妹と一緒です」


 兄妹だけで旅をする、というのはここでは稀有なことなのだろうか。この広場だけでも同じような言葉を何度もかけられた。暮らしていた場所は、子供だけで遊びに行くことなんてたくさんあった。そりゃあこんなに真っ暗な時間には行かなかったし、昼間でも不審者はいたけれど。あんな恐怖は、感じたことがない。


「……」

「おにいちゃんどうかしたの?」

「なんでもないよ」


 朗らかに笑っていた妹が不安そうに覗き込んでくる。お兄ちゃんなんだからしっかりしなきゃ。妹を護らなくちゃ。目を閉じて大きく息をする。震える膝を叱りつけ、しっかりと前を見た。


「え」


 そこには虹色の何かをもった妹の姿があった。


「おにいちゃんげんきなかったから」


 あそこのおみせのひとにもらったんだよ、と笑う。そちらに顔を向ければ、クリーム色の毛並みをした猫族がウィンクして手を振っている。それにチカも応えていた。


「とってもあまくておいしいの。わたあめみたいだよ」


 口に含めばすこしスーッとする優しい甘味。しゅわしゅわと音を立てて、口の中から消えてしまう不思議な食べもの。その感覚が面白くて夢中になってそれを食べていると、それと一緒に胸の中にあった不安もしゅわしゅわと溶けていった。




「……ず、坊主」


 ゆさゆさと揺すぶられて、ハヤトは目を覚ます。眠い目を擦りながらベッドから身を起こすと、厳しい表情をした宿の主人がいた。


「外の様子がおかしい。ヒトが集まって来てやがる。裏口からこっそり逃がしてやるから、嬢ちゃんと逃げろ」


 ヒトがなんのために集まってきているのかわからないが、用心に越したことはないと主人はいう。妹を起こしながら、すぐにでも動けるよう準備する。まだ眠いと目を擦りながら軟体動物のようになっている妹の手を引き、卵を入れたリュックはハヤトが背負う。驚いたことに重さも走りにくさもない。これならば妹にも背負えたはずだ、と納得する。


 下に降りる前に、広場側の窓のカーテンの隙間から少し外を見る。ランプを手に持ったヒトの黒い影がいくつもそこにあった。ひやり、としたものが背中を伝う。


「気を付けろよ」

「ご迷惑をおかけしました」


 ぺこりとお辞儀するハヤトの背をぽんぽんと叩いた主人は、なんともいえない笑顔を向ける。


「お前らを守ることは、命を守ること。新たな命を迎えることは、素晴らしいことだ。気にするな」

「ありがとう」

「おう、達者でな」


 裏口をあけて周囲を確認した主人は、ハヤトに村の裏門へ続く道を教えてくれた。門の外は歩きにくい下草の生えた森になっているので、ヒトは殆ど使わないのだという。なるべく影になっている部分を小走りに移動していく。半分寝ているのに走ってくれるチカは状況がわかっていないのか、まだうつらうつらしている。裏門が見えて、そこから出ようとしたその時――


「おい、あっちだ!」


 その声に弾かれた様にハヤトは走り出す。


「チカ、起きて!自分で走って!!」

「ん…んん????おにいちゃん?なんではしってるの?」

「また追われてるんだ!自分で走れるな?」

「がんばる……!」


 チカの手を離して、ハヤトは妹がやっと追いつける速度で走る。森の中の道なき道だ。まだ陽の光もないこの時間ははぐれてしまえば見つけられないかもしれない。


「おにいちゃん、こっち!」

「チカ?」


 後ろから声がしたかと思えば、チカの姿が見えない。きょろきょろと辺りを見回すが、焦りが強くてよくわからない。一体どこに?


 突然ズボンを引っ張られてよろけると、その先に小人がいた。促された先に以前のような穴があり、チカはその入り口から顔を覗かせている。


「びっくりした」

「ここなら大丈夫。結界が張ってあってヒトは入れません」

「ボクらは入ってもいいの?」

「友人なので構いませんよ」


 外の様子を気にしているハヤトに、小人は笑う。


「チカ、どうして」

「こびとさんにたすけて、っておねがいしたの」


 手首に括ってあった紐を見せながら、チカは笑う。


「青の洞窟までいくんですよね。もう少し陽が高くなってから行動した方がいいと思います」


 確かに足元もよく視えない状態で行動するのは危険だろう。突然起されて混乱しているし、ゆっくりできるのはありがたい。


 前に来た小人の集落とは少し雰囲気が違うが、ゆっくりとしたリズムが心地よい。流石に小人のベッドには入れないので、毛布をもらって寄り添って眠った。ここに来たときには、固い地面ではなかなか眠れなかったが、もう慣れたものだ。自然と目が覚めたときには、チカはもう起きていた。


「おにいちゃん、おはよう」

「あぁ、おはよう……っていってもいい時間かわかんないけど」

「まだ太陽は真上には来ていませんよ。どうぞ、少ないかもしれないですけど食べてください」


 差し出してくれたのはふかふかのパンと木の実のスープだった。


「仲間が偵察に行ってきたんですが、ヒトは少し離れた場所へ移動したみたいです。これを食べたら私たちの道の端まで案内しますね」

「ありがとうございます。お世話になります」

「困ったときはお互い様ですから。ドラゴンの卵、無事に運んでください」


 小人たちは本当にドラゴンのことを大切に想っていることが解る。それに協力するハヤトたちのことも、助けようとしてくれる。


「ドラゴンさんって、やさしい?」

「えぇ。とっても。私たちに食料を分けてくれますし、背に乗せて移動もしてくれます」

「へぇ」

「私たちが世界中の色々な所に住んでいるのは、ドラゴンのお陰なんですよ」


 お茶のおかわりをついで、小人はにこやかに話す。小人たちはドラゴンの細々としたお手伝いをすることもあるんだそうだ。


 そんな話を聴きながら腹を満たすと、不思議と力が湧いてくる。ここで関わった生き物たちはとても親切で、ドラゴンの卵をかえすために手を貸してくれる。ボクらがやっていることは意味があることなんだ。


 ハヤトは拳を握って勢いよく立ち上がった。


「もう少し行ったら岩壁があります。その岩壁を上った中腹に、青の洞窟はありますよ」

「本当にありがとう」

「ごはんおいしかった!」

「はい、またいらしてください。あなたがたなら歓迎しますよ」


 どれだけの距離をいままで歩いてきたのかわからない。たくさんの昼と夜を繰り返した。青の洞窟があるという岩壁を前にして、これまでのことを振り返る。


「これ、どうすればいいんだ……」


 手を伸ばせば届くかもしれない位置にとっかかりはあるけれど、これではチカに届かない。ほぼ絶壁といっていい場所を登っていく競技があるのは知っているけれど、これは……。


 ハヤトは何度かその岩壁にトライしてみるが、ジャリジャリという音を立てて落ちてしまう。どうしたものだろうか。


「岩壁を登る方法、無いかな」


 一か八か石に訊いてみるが、何の反応も示さない。


「青の洞窟の場所は?」


 その問いかけには真直ぐ上を示すのだから、壊れている訳ではないらしい。リュックを背負ったチカをその場に待たせて、ハヤトは何かないかと辺りを見回す。木々の間に太くて丈夫なツタを見つけて、これをロープにしようと思い立つ。何本かより合わせて更に強度を上げたが、肝心の上に引っ掛ける方法が見つからない。試に何度か上に向かって投げてみるのだが、何にも引っかかることなく、重力に逆らえないまま落ちてきてしまう。


「おにいちゃん、おおかみさんはこのがけのぼれる?」

「どうだろう……?確かに急な足場の悪いところも移動してたけど」


 この垂直具合はどうなのだろう。改めて崖を見る。

「おおかみさん、たすけてください」


 チカが近寄って胸元の石に触れる。光が溢れ、暫くすると近くの草むらが揺れた。驚いてそちらを振り向くと――


「呼んだか、小娘」

「ほう、血族を助けた娘か」


 二匹の狼が姿を現した。背に乗せてくれた狼たちとは見た目が同じなのか違うのかハヤトにはよくわからなかったが、挨拶をすませると事情を説明した。


「上に行きたい?それは構わんが、乗せては行けんぞ」

「なんで?」

「ほぼ垂直だからな。しっかりしがみ付いていたとしても、振り落としてしまうのが関の山だ」


 狼は崖を見上げながら、困ったように耳と尻尾を垂れた。


「じゃあこのツタを持って、上で待っててもらえないかな。ツタさえあれば、なんとか登れる」

「ほう、なるほどな。了解した」


 狼はツタを咥えて素早い動きで崖の上に登っていく。ギリギリ届く位置までくると、一声吠えた。


 ハヤトはチカの腰に蔦を括りつけると、自分は蔦を頼りに登って行く。小さな足場があればなんとか登って行ける。狼がいる場所まで来ると、今度は狼と協力して蔦を引っ張り、チカを引き寄せた。それを何度か繰り返すと、岩壁にぽっかりと穴が開いていた。


「ここが」

「青の洞窟だ。ドラゴンの地に我らが入ることは許されてはおらん」

「ここまでどうもありがとう」

「なに。お前らが助けた命に比べれば、安いものだ。ではな」


 狼はぶっきらぼうに崖を下って行く。それに『ありがとう』と大きな声でチカが手を振る。


「チカ、行くよ。やっとその卵を渡せる」

「うん!」


 石の灯りを頼りに外の光が届かない場所まで穴を進むと、ぼんやりと青い光が見えてきた。風の吹き抜ける音がしたと思えば、大きなだだっ広い空間に出た。


「あ――」


 青い――澄んだ青が、ぼんやりと優しい光を放っている。クリスタルの大きな結晶が壁一面に生えていた。目の前に広がっている光景に、ハヤトは息を飲む。


「わぁ~~~!おにいちゃん!すっごくきれい!!」


 チカは嬉しそうに声を上げて、その広い空間の真ん中に駆けていった。ハヤトも我に返ると、チカを追いかける。辺りをぐるりと見回して、改めて感嘆の溜息を吐いた。


「ありがとう、僕らの家を褒めてくれて」


 ちいさなドラゴンが、すいーっと上の方から降りてくる。その姿にチカがぴょんぴょんと跳ねて喜んだ。


「あのね!たまご、つれてきたの!」

「……本当だ!母様たち!みて!」


 それまでどこにいたのか、大きなドラゴンも姿を見せてチカの持ってきた荷を見る。


「やぁやぁ。よく無事で!!」

「本当に、本当に。ここまでよく」


 口々にドラゴンが感謝と労いを伝えてくる。それにチカはご満悦だ。


「それで、その、その卵の親が――」


 そこまで言いかけて言いよどむ。ここにくるまでにかなりの日数がかかっている。生きているかどうかは、わからない。それに、そのドラゴンを攻撃していたのは――


「ちょっとすまない」


 一匹の青いドラゴンが鼻先をハヤトの額に近づける。すると首にかけていたドラゴンの智慧が輝き出した。


「なるほど、大体のことは理解した。面倒なことを押し付けてすまなかったな。大変な目に遭ったであろう」

「いえ!」

「隠さずともよい。この石が教えてくれた」


 本当にすまない、と首を垂れるドラゴンに、チカが駆け寄る。


「すごくたのしかったの! いっぱいたすけてもらって、おもしろかった」

「ならばよいのだが。たくさんの重荷を、そなたの兄には背負わせてしまったようだ」

「……!」

「慣れぬ土地で、よく頑張ってくれた。ありがとう」


 ドラゴンはその大きな翼でハヤトを包む。どこか安心感のある温もりに触れて、これまで我慢してきた涙が零れ落ちた。


「そなたらは強く、賢い。勇気在るものたちだ。お陰でほら、卵をみるがいい」

「あ、罅が」

「卵は温め続けねばならない。旅の間、そなたたちが世話してくれたおかげだ。ありがとう」


 ドラゴンが一声啼くと、他のドラゴンたちも呼応するかのように声をあげる。その声が周りを囲むクリスタルに反射して、卵へと降り注ぐ。


「最後の仕上げは、我らの言葉だ」


 本当であれば、親がすべきところなのだろう。それでもそれが叶わない時には、仲間が代わりを務めるのだという。声は幾重にも重なり旋律を奏でる。そして――


「あ――」


 卵に入ったヒビが広がり、仔ドラゴンの小さな頭が欠けた殻から出てくる。大きな瞳で辺りを見回したかと思うと、キュィィ、と鳥のような獣のような小さな鳴き声を上げた。 洞窟を揺らす歓喜に満ちた声が口々に発せられ、反響して幾重にも重なる。


「皆、この者たちに祝福の唄を」


 興奮と祝福。両方を兼ね備えた声が段々とひとつの旋律を紡ぎだしていく。それは優しく穏やかな波となって辺りを包んだ。


「わぁ……」

「すごい……」


 ドラゴンたちの唄に反応するように、クリスタルが明滅を繰り返す。初めはゆっくりだったそれが、段々と光を強くしていく。


「さらば、わが友よ。未来に祝福あれ――」


 一際大きな歌声が響き、光が視界を遮った。



 ピチャン――。何か冷たいものが頬に触れたのに気付いてハヤトは目を覚ます。いつの間にか、真っ暗な洞窟の中にいた。傍にいたチカを見つけて、揺り起こしてやる。目が合うとしばらく見つめ合う。そして同時に噴きだした。


 ひとしきり笑い合った後、ふたりは手を繋いでゆっくりと洞窟を出る。


「ゆうやけ、きれいだね、おにいちゃん」

「うん」


 ふたりは祖母の家への道を急ぐ。ハヤトのポケットにいつの間にか入っていた青い石は、もう光っていない。

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