【簡単キャラかいせつ】 《僕(亘平)》 猫を拾ってしまった平凡な火星世代サラリーマン/ 《ジーナ》 亘平の拾ったねこ/ 《鳴子(なるこ)さん》 開拓団の占い師/ 《遥(はるか)さん》 鳴子の双子の姉。開拓団のエンジニア/ 《仁(じん)さん》 遥さんの息子でモグリの医者
僕たちがいつも集まっている酒場というのは、スタンドバーで、もちろん店の奥には腰かけるところもあるんだけど、たいてい仕事のあとに落ち合って一杯ひっかけたり、ネコカインで時間をつぶしたり、近所の人にあいさつするために立ち寄るような、そんな場所だ。
彼女は本当にとつぜん現れた。僕はそのとき鳴子さんと仁さんと丸テーブルで立ち飲みをしていたんだけど、彼女が入ってきたときみんなが何故か顔を上げた。彼女のいでたちはでも他の人とそう変わらなくて、前のように銀色の民族衣装のようなものは着ていなかった。
まあ、開拓団のひとたちは普段から個性の強い(鳴子さんのヒョウ柄を見ても分かるだろう?)服装をしているから、彼女が最初のときのような格好で入ってきたとしても目立ち過ぎたりはしなかったと思う。だけどその日、彼女はむしろセンターに近い人たちのような……何と言ったらいいのだろう、スウェットのような無地のぴっちりした服に、軽く上着を羽織ったような格好だった。
なぜ酒場のみんなが顔を上げたかって、それはもちろんセンター風というのは開拓団にとってはあまり好ましいものでなかった、という理由もある。でもそれ以上に、彼女はありていに言って美人だった。
そしてみんなの視線は美人を眺めたい気持ちとセンターとはかかわりたくない気持ちのあいだで、せわしなくテーブルの上の食事と彼女の間を往復することになった。
彼女は入って店を見回すと、僕を見つけてニヤリと笑った。僕は彼女がなぜここにいるかという疑問と、ニヤリといういささか人をばかにした笑顔と、また首にまだ冷たいナイフの感触とで、彼女がこちらに近づいてくるのをただ見つめることしかできなかった。
「こんにちは」
彼女は手を伸ばせば届く距離に来て、僕のほうにむかい、こんどは本当ににっこりとしたあざやかな笑顔でこうあいさつした。鳴子さんは遠慮なく彼女を上から下まで見回し、仁さんはボサボサのあたまを軽く掻きながら僕を見た。僕はとつぜんの出来事に面食らいながら、でもできごとの風圧に負けないように
「こんにちは!」
とあらん限りの勇気と爽やかさで彼女にあいさつを返した。僕はまるで知り合いを招くかのように彼女をテーブルに招き入れた。ところで仁さんという人は開拓団の中でも飛びぬけて背の高い人ではあるのだけど、その横に並ぶと意外と小柄な人だと気がついた。
鳴子さんは彼女からようやく目を離すと、僕に向かってこう言った。
「よくもまあ、お前さんもやるじゃないか。こちらさまは誰なんだい」
彼女は笑いながらまずバーテンダーに
「どれかおすすめのをお願い、軽いのがいい」
と注文を通すと、鳴子さんに向き合った。
「ほんとはこの人のことあんまり知らないの。このあいだ、たまたま散歩の途中でいっしょになって、お話したのよね。だから名前も知らないの」
彼女は飲み物で一息ついたが、その飲みっぷりはなかなかのものだった。それをみて、鳴子さんはいきなり彼女のことが気に入ったみたいだった。
「ええ、センター風だけどさ、あんた、気さくでいい子じゃないか」
「ありがとう、ところであなたに渡さなきゃね。ちょっとこれはヒミツ」
彼女はそう言って状況の飲み込めない僕を店の隅の方に引っ張っていった。僕は彼女にこう小さな声できいた。
「どうしてここへ……?」
彼女はニヤリと笑って言った。
「会いたい人がいたのよ」
僕はちょっとドキッとして彼女を見たけれど、彼女はそれ以上は表情を変えずに、上着に隠すようにして(つまりまるで違法ネコカインを渡すようにして)僕に冷たい金属片を渡した。僕は手のひらでその形を確かめて、背筋が凍るのを感じた。
ゴロニャン(会社の採掘用メガマシン)の備品庫のトークンだった。
おそらく、彼女と出会ったときに気が付かず無くしたのだ。落としてきたのか……それとも、彼女が盗んだのか。ありがとうと言うべきが迷った。しかしもし彼女に悪意があったら、そもそもここまで届けてくれただろうか?
そのとき、マーズボールの中継を見ていた観客からワーッと歓声が上がった。
開拓団チームが火星世代チームに大差をつけたのだ。
「ありがとう、でもどこで……?」
僕は迷いながらも率直に聞いた。彼女はまたニヤリとした笑顔を見せて言った。
「ごめんね、人質が必要だったので」
盗んだのだ。そのとたん、あのナイフの感触や、探るような目を思い出して、目の前のセンター風の服といい、いろんな疑問が胸の中に沸き起こった。だけど、僕の口から出てきたおどけた言葉はこれだった。
「よかったよ殺されなくて!」
彼女はにっこりと笑った。
僕と彼女は連れ立って鳴子さんたちのところへ戻った。
「ごめんなさい、ちょっと渡すものがあって、ね」
彼女がそういうと、仁さんは目を細めて僕を意味深に眺めた。鳴子さんは彼女と僕をみて、仁さんを小突いた。
「仁、お前もお近づきになっておおきよ、こんな美人、滅多に出会えるもんでもないだろう」
それを聞いて仁さんはすっとぼけた表情でこう言った。
「それじゃ、お名前でもお聞きしていいんでしょうか、こちらのかたの」
彼女は笑顔で答えた。
「開拓団の街がこんなににぎやかなところだって知らなかったわ! 私は怜(とき)、アンティークの古物商をしています。こちらは亘平(こうへい)さんね、であなたが仁さん」
おそらく彼女はトークンのデータを盗んでいたのだろうが、僕の名前をすでに知っていた。
そして僕の方はと言えば、それが彼女の名前を初めて知った瞬間だった。
……とき。
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