たぶん、ジーナのことがなければ、僕は一生このタイプの人物と話すことはなかったと思う。けれど、そのときは僕の希望は彼女しかなかった。
だって、いちばんセンターからは遠いファッションで、僕の知るいちばんアウトローな雰囲気の人物だったからね。
あとで知ったけど、このときの僕のカンも正しかった。ジーナのためにも、僕のためにもね。
もし最初に僕が頼ったのが『シャデルナ』でなかったら、いまごろ僕はジーナともども、『消されて』しまっただろうからね。
僕とその「厄介ごと」から逃げようとする女主人を引き留めて、僕はそっとタオルに包んだ子猫を差し出した。ジーナは力なく目を開いて、女主人を見つめて、また目を閉じた。
女主人は数秒して大きなため息をついた。僕の袖を強く引っ張って店の陰にかくすと、こういった。
「ちょっと待っといで。いま店を閉めるから」
『シャデルナ』の女主人は、大急ぎで店をたたむと、目立たない黒いコートを羽織り、僕についてくるように言った。
僕は言われるがままに女主人の後を追った。女主人は第四ポートの2番通路で無人タクシーを止める、僕を車に押し込んだ。
「あたしは別の車で行くから、降りたところの道で先に待っといで!」
僕は女主人に言われるままに、運ばれたさきで車を降りた。そこは第四ポートシティの中でも薄暗く、少し怪しげな区画で、灰色の小さな建物が連なっていた。こういうのを僕たちは「(火星)開拓時代の都市」と呼ぶんだけどね。
僕は胸に小さなジーナを抱えて、女主人を不安になりながら待っていた。
たまにタオルの縁から顔をのぞかせるジーナの様子を確かめながらね。
僕がだんだん女主人に騙されたのかと思い始めたころ、もう一台のタクシーがついて黒ずくめの女主人がそそくさと降りてきた。
「子猫は?」
僕は女主人にそう聞かれて、上着のジッパーをちょっと開けて具合の悪そうなジーナを見せた。
女主人は一つの建物の中に僕を引っ張っていった。
一つの部屋に押し込められると、そこには医者のような恰好をした(だけどずいぶん不潔に汚れた)男がいた。男は僕と『シャデルナ』の主人を交互に見て、やはり厄介ごとを感じ取ったようだった。
『シャデルナ』の主人は言った。
「お前さん、人間の医者だろ。人間も動物もだいたい同じだろう、こっちも困ってるんだよ」
僕は、『シャデルナ』の女主人に促されるまま、部屋の診察台にタオルごとジーナをそっと置いた。
医者はそれを見たとたん、腕を頭に回して僕たちに背中を向け、
「勘弁してくれ……子猫はまずいよ……子猫はまずい……」
と呟いた。
それを聞いて、『シャデルナ』の主人は診察台の上に、香水瓶ほどの大きさのガラス瓶を置いた。なかには青く光る液体が入っていた。
「ただで頼もうってんじゃないよ。……ご所望だろ」
『シャデルナ』の女主人はにやりと笑うと小瓶を再び自分のひろい袖の中に収納した。どうやらポケットになっているらしい。
「そんなに怖がらなくても、どうやらこの子猫は『野良』なんだよ。ちょっとお前が診てくれれば、飛び切りのネコカインが手に入るんだよ」
男は額の冷や汗を腕でぬぐって、なおも渋った。
「うちは銃弾のけがとか、ほかに見せられない傷はやるけれども、子猫は重罪じゃないか……」
『シャデルナ』の主人はそれを聞いて、ジーナのタオルを少しめくり、具合を確かめた。
「モグリがぜいたくなこと言ってるんじゃないよ……。せめて体温だけでもはかっておやりよ。あんたも開拓団のはしくれだろ」
医者はジーナの様子をみて、ため息をついた。僕は医者の気持ちが痛いほどわかった。
僕だってジーナを抱き上げたとき、同じ気持ちだった。
でも、いちど『子猫』を見てしまったら、どうにかしなければならない、ということだけが、自分のなかで確かめられるのだ。
医者はうす黄色い点滴を取り出すと、温め、細い針をジーナの小さな背中に刺した。
そして、僕にこういった。
「これから、覚悟しないといけないぜ。おまえさん、この子に責任もてるのかい?」
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