ネコカイン・ジャンキー! ~サラリーマン亘平編~

火星でにゃんこハザード! 魔薬に猫腹に恋に冒険!
スナメリ@鉄腕ゲッツ
スナメリ@鉄腕ゲッツ

第八話 運命のひと

公開日時: 2020年9月6日(日) 21:18
更新日時: 2020年9月27日(日) 12:45
文字数:2,394

【簡単キャラかいせつ】 《僕(亘平)》 猫を拾ってしまった平凡な火星世代サラリーマン/ 《ジーナ》 亘平の拾ったねこ/ 《鳴子(なるこ)さん》 開拓団の占い師/ 《遥(はるか)さん》 鳴子の双子の姉。開拓団のエンジニア/ 《仁(じん)さん》 遥さんの息子でモグリの医者


 僕がその瞳から視線を外せずにいると、彼女はもう十分に僕を眺めたとでもいうようにふと遠くに視線をそらした。僕はまるで蛇に睨まれたカエルだった。

 あらためて彼女を見上げると、驚いたことに彼女は防護服ではなく、奇妙な民族衣装を身に着けていた……。銀糸で織られた布は、手の込んだ刺繍が施されていて、サリーのように全身を覆っていた。


「ぱっぱにゅ」


 ジーナはそういうと、木の上から僕の肩に飛び乗ってきた。

 僕はジーナを受け止めると、まだ彼女から目が離せずにバカみたいに上を向いていた。


「あなたの猫なの?」


 彼女は木の上から、僕をのぞき込んでそういった。

 僕はそうだよ、と返した。それで、急に自分が防護服なのがヘンに感じられて、ヘルメットを取ろうとしたんだ。

 すると彼女は笑いながら首を振って、


「新しいひとたちは取らない方がいいわ」


 というんだ。そして片手をのばして隣の枝をつかむと、まるで布が風になびくみたいに木から降りてきた。

 そして僕に抱かれているジーナはこういった。


「みんなヒミツにょ、大丈夫にょ」


 彼女は一番下の枝で、僕をじっと見つめると、次に地面を見つめてにやりと笑った。

 僕は地面に降りるのに手を貸してほしいのだと瞬時に理解した。

 それで僕は彼女の近くに行くと、手を差し伸べた。


 彼女は左手で僕の手を取ると、ぐっと引き寄せるように不自然なほど引っ張った。そして右手を肩において、体重をそこにのせて自分を地面におろした。


 ほとんど彼女の顔がすぐそばにあった。そのときの僕の心臓といったら!!


「誰かにいうつもりがある?」


 それを聞いて心臓が止まったのは、彼女が僕に身を寄せているからだけではなかった。

 僕はそのとき、自分の首にヘルメットの隙間から差し込んだ刃物のつめたい感触を確かに感じていたのだ。

 僕は体をこわばらせて首を振った。


「ジーナはセンターの猫じゃない。僕はセンターとはかかわりたくないんだ」


「仲間がいる?」


「いや、僕ひとりだ。ジーナがいるからね」


 僕が緊張しながらそういうと、首の冷たい感覚は去って彼女の体もいつのまにか離れていた。

 彼女はまるでまた銀色のヘビのように木の上にあがって片あぐらをかくと、遠くを見つめて言った。


「そろそろ帰った方がいい。仲間がくる」


 僕は彼女の瞳がみつめている方向に目をこらして、大地の向こうにかすかな土けむりを見た気がした。



 家に帰りついてから、僕はうっすらと昔のニュースについて思い出していた。

 火星の荒野で消える人たちの話だ。

 彼らは地上に行ったまま、跡形もなく消えてしまう。

 火星の子供たちはそれを怖がって、「ウェルズのおばけ」と呼んでいた。

『宇宙戦争』という古典に出てくるタコ型火星人のことだ。


 もしかしたら、あのときジーナがいなくて、僕だけだったら。

 そもそも、なぜ彼女は僕を見逃してくれたのだろう。


 僕は彼女の黒い瞳を思い出していた。また会うことはあるのだろうか?

 そして、彼女に会ったとしたら、僕はまた帰ってこれるのだろうか。


 けっきょく、僕は地上であったことを遥さんに話すかどうか迷って、遥さんにとても中途半端に話を切り出した。




「遥さん、ジーナはいったいどこから来たと思う?」


 僕がそう遥さんに話しかけたとき、遥さんは精密機械用の作業台から顔も上げずに


「さあね」


 とだけ言った。僕が次の言葉を言いよどんでいると、遥さんははじめて顔を上げてため息をついた。


「面倒ごとはきらいだよ。私はセンターの仕事も請け負ってるんだ。知ってるだろう」


 遥さんはしばらく僕を見つめていて、もういちど深いため息をついた。


「何が知りたいんだい」


「センターってどんなところなんですか。ジーナみたいな猫がたくさんいる……?」


 僕は思わずそう質問した。センターに関係することは、みんなぼんやり疑問に思わないようにしている。

 疑問に思ったって何も変わらないし、答えの出ないことを考えると不安になるからだ。

 遥さんはそれを聞いてただくびを振った。


「おまえさんの気持ちはわかるけど、私はなんにも答えられないよ。それが答えさ」


 長い付き合いの僕にはそれで、遥さんがなにを言いたいかがうっすら分かった。ジーナはセンターの猫とは違う。


 地球でも火星でも、子猫は人間と一緒に暮らすことがあるけれど、大人になるとみなセンターに行ってしまう。そして、もう二度とそだての家族と会うことはない。


 猫たちは自分たちが人間の上にたつ生き物だと教育される。

 それで、子猫のうちは『人間を知るため』に人間と一緒に暮らすけれど、それ以上はかかわりを持たないんだ。

 何か大きなシステムの変更があったり、人間たちに呼びかけることがあると、ホログラムを通じて僕たちに通達する。


 たとえば、このあいだセンターから僕たちの会社に放送があった。

 イリジウムの生産が足りないから、もっと頑張れというのだ。

 会社のいちばん大きなミーティングルームにみんな集められて、講演台の上にセンターの猫が現れるのを待つんだ。そして、センターの台の上に現れた猫は、たいていゆったりと演台に横たわり、目を細くしてほとんどつぶっている。

 そのときの猫は美しい真っ黒な猫で、尻尾をゆっくりと演台に打っていた。


「あなた方の忠誠のおかげで、私たちはイリジウムをもっと手に入れられるでしょう。地球はわれわれ火星のものたちに感謝し、センターもまたあなた方に満足するでしょう」


 その猫は翻訳機を通してそう言った。

 それを聞いて、みんな胸が熱くなった。僕たちの働きでこんなに美しい猫たちがゆったりと優雅に暮らすことができるんだ。

 僕たちの育てた猫たちが、僕たちにネコカインをくれて、愛情を僕たちに返してくれているんだ。


 うちの会社の社長なんか、すこし涙ぐんでいたようにも見えた。

 猫を育てたことのある上司なんか、昔を思い出したらしくてそのあと僕たち下っ端をたきつけて大変だったよ。


 すくなくとも僕たちにとって、センターはそういう存在なのさ。

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