一つの曲が終わり、迎賓室には盛大な拍手喝采が巻き起こった。一部「爆発しろ」だの「揺らしすぎ」だのと小声の異音が混じったが、それはご愛嬌。
ステファニーとダーンは、手を繋いだまま観衆に対して優雅に一礼をし、それを合図に人々は各々のパートナーを見つけては、次のダンス曲に備えていく。
「よくここまで上達したわね。ちょっとびっくりしちゃった」
一曲を満足いく形で踊りきったステファニーは、完璧に相方をこなしたダーンに熱っぽい視線を送る。
「剣だけじゃないんだよ、鍛えたのはさ。……って、まあ正直に白状すると、リリスに叩き込まれ……ったぁ!」
ダーンの声が変に上擦り、右脛に走った痛みに怯む。
「そーゆー余分なこと言わないの!」
琥珀の瞳が上目遣いに睨め上げてくる。
「う……しょ、正直に話したのに」
「こんな時に、他の女の子の名前を口にするからよ。まー、そんなことだろうとは思っていたけどぉ……」
ジト眼で、疎らになっていく観客の輪の中にいた金髪ツインテールを眺めるステファニー。その視線に気が付いて舌先を出して挑発してくる彼女に、口の動きだけで「揺らしすぎで悪かったわね」と文句を返すステファニー。
『さて……至近距離で見せつけられた私が思うに、お二人とも見事なステップで呼吸も完璧に合っていましたね。元々、バイオリズムが同じ波長ですから、こういうものはとても相性が良いようです』
ソルブライトの分析のような賛辞に苦笑いするステファニー。
「それなんだが……やっぱり、肌が触れ合っててもステフからは念話とか伝わって来ないな」
そう言いつつダーンは自分の右手を見下ろした。ダンス中にその手は彼女の剥き出しの肩を抱くように触れ合っていたのに、ステファニーの心の声のようなものは伝わっては来なかった。昨日までは、意図的に思考を閉じない限り、考えていることが念話としてどんどん送られてきたのに。
「あたしも聞こえてこなかったわ」
ステファニーもダーンと同じく、相手との念話が出来なくなっているという。
『輸魂の秘法で施した《防壁》の影響でしょう』
ソルブライトから告げられた《防壁》とは、輸魂の秘法を行う際にダーンとステファニーの魂に施された特殊な術式だった。防壁と言っても、物理的な障壁などではなく、個々の固有性を保つための心の壁である。
今回の輸魂の際に、失敗するおそれが一番高い要因が、この二人の場合、魂が完全に溶けあって一つとなってしまうというものだった。
二人は元々精神的波長が同一であり、肌を触れ合うだけで、高度な情報伝達が可能なほど親和性が高い。そんな二人が、なんの対処もなく直接魂を重ね合えば、完全に融合して二度と二人に戻れなくなってしまう可能性があった。
それを防止するため、二人の魂にソルブライトがある種のジャミングを施したのある。
それが故、ダーンとステファニーは手を繋いだりといった、肌の接触だけで行えていた念話やサイキックのユニゾンなどは、今後出来なくなると、ソルブライトから説明を受けていた。
ただし、ソルブライトを介しての念話は可能とのことで、ステファニーがリンケージをすれば、触れ合うだけで高度な情報伝達が出来るので、念話もサイキックのユニゾンも可能だ。
「これで普通なんだよな。しかしかえって都合がいいこともあるだろう? 何もかも伝わってしまうというのは、けっこうキツいと思うし」
ダーンの言葉に、ステファニーは軽く笑いながら、はにかんだ表情でダーンに向き合う。
「まあ……あたしなんかは、ある程度ダーンの思考が読み取れるわよ」
「ホントか?」
「うん。例えばダンスの時なんかは、ダーンの視線がちょくちょく胸に来るから、なんかスケベなこと考えてるなぁとは感じてたけど?」
ジト眼で見上げるステファニーは、片手で、ドレスの大きく開いた胸元を隠す。
「なっ……そ、そんなことはないぞ」
「ホントにぃ? なんかガン見されていた気もするんだけどぉ?」
「してない……その、ちらっとは見てたけど」
『おや? てっきり私を見ているのかとも思いましたが。そうですか、随分と熱い眼差しと思っていたら、ステフの胸の谷間を視姦していたのですね』
「視姦とかいうな」
「え? あたし知らない間に犯されて……」
「ぐぬっ……。ま、まあ、そんな風に言われると色々と思い出すからやめてくれないか。輸魂のと――」
「わー、わー、わー」
慌てて声を上げ始めるステファニー。
『ふふふ、初心なこと』
ソルブライトが揶揄する最中、再びステファニーの爪先がダーンの脛に撃ち込まれている。
「うぐぅ……流石に痛い」
「いやらしいこと言うからよッ!」
人の輪が疎らになって人目がこちらに向かなくなったとはいえ、まさかその場でしゃがんで痛む脛を押さえるわけにもいかず、ジンジン痛む脛の痛みに耐えるダーン。その彼に傍目では寄り添うようにしながら、観衆の死角をついて脛に蹴りを撃ち込んだステファニー。そんな二人の姿を遠巻きに眺めて、アーク王リドルやナスカはニヤニヤと愉しげに笑っていた。
「まー、ホントに仲がいいことで。しっかし、あのダーンが一週間でここまで変わるとはなぁ」
「それだけ、うちの娘がいい女だからだろう。羨ましいか、ナスカ?」
「そこで親バカ最大限に発揮するのはどうかと思うんだが」
「ウチの聖女もかなりいい女に育ちましたので、ナスカはこちらにゾッコンなだけですよ」
不意に、ナスカとリドルの会話に妖艶な女性の声が差し込まれる。振り返ると、アーク王立科学研究所の所長スレーム・リー・マクベインが二人の背後に近付きつつあった。そして、その隣には、ナスカの恋人ホーチィニ・アン・フィーチが、ラベンダー色のドレスに身を包んで歩いてくる。
「ほほう……」
着飾ったホーチィニを見て、リドルが軽く感嘆の息を吐くと、片肘でナスカの脇を小突いた。
「んんっ……あー。ちょっと落ち着いた色合いのドレスで正解だな、うん」
ナスカの言葉に、第一声に多少の期待をしていたホーチィニは、ちょっと肩を落として怪訝な顔をする。
「どういう意味?」
「あんまり華やかなヤツを選んだらよ……マズいかなぁと」
「……どうせ、そういうのは似合わないもんね、フン」
「それ以上華やかにしたら、お姫様を差し置いてお前が主役になるだろ?」
不意打ちの賛美に唖然となるホーチィニを軽く抱き寄せ、ナスカは思わず勝ち誇った視線をリドルに送る。
「チッ……これだから、アルドナーグの男どもはッ」
肩をすくめ恨み言を吐くリドル。
「妹の私でさえイラッとした」
いつの間にか側に帰ってきた妹のリリスも呆れた声を出す。
「言われた私もドン引きした」
集中砲火を浴び、どや顔のまま固まるナスカ。
「時と場所、その場の空気を読まないから、そうなるのですよ、ナスカ。貴方もまだまだ未熟ですねぇ」
追い撃ちとばかりに、スレームがぼやき、ナスカはおずおずと退散し、ホーチィニが苦笑いしながらその後についていく。
「さて、リリスよ。こうして直接話すのは七年ぶりだな。推し量るところかなり腕を上げたようだが……?」
ナスカが席を外した頃合いを見計らうように、リドルが話題を振る。
「ご無沙汰しております、陛下。確かに私としても力を付けてきたつもりだったんですけどね。――おじさん、さらに強くなってるとか、信じられないんだけど」
「ハッハッハッ! そう易々と若いヤツに譲りたくなかったんでなっ。それでも、ダーンのヤツには抜かれてしまったが……ふむ、七年前にお前が言ったとおりになったな」
リドルは七年前にアテネ王宮で会話したときのことを思い出す。あの時、リリスは確かに言っていた。ダーンとナスカが、いずれはリリスよりも確実にリドルを超えると。
「私も、ダーンお兄ちゃんのあの急成長は驚いたけどね。……でも、もうあそこまで強くはなくなっちゃったんでしょ? 輸魂の秘法を使ったって、さっきスレーム先生から聞いたんだけど」
「ん……まあ、な」
歯切れの悪い感じで応じ、リドルは蒼い髪の少年剣士に視線を向ける。その彼の仕草に、リリスは怪訝な面持ちで首を傾げた。
「どうしたの?」
「ふむ。これは俺のカンなんだがな……。あるいは俺たちが予測していたこととは違うことになっているかもしれん」
リドルの言葉に、リリスは目をしばたたせ、足元の神狼も興味深そうに再び頭をのそりと起こした。そこへ、金髪優男が近付いてくる。
「陛下も、やはり何か違和感を覚えておられるようで、実はボクもなんだよね。力を失ったにしては、なんとなく彼は落ち着きすぎているというか……存在感みたいなものが失われていないんだ」
「だが――確実に輸魂の秘法でその神魂はダメージを受けているはずだ。あのままでは、超弦加速もできはしまい」
リドルの判断に、リリスもケーニッヒも肯いて肯定する。輸魂の秘法は、生半可な法術ではない。魂を分け与えるということは、確実にその生命力を削ぐものだからだ。
「それでも……やはり彼奴には何かを期待してしまうんだよなぁ。娘のステフを任せるんだから、こちらの期待に応えてもらいたいが、さて――」
リドルは少し離れた位置のダーンを視界に入れつつ、手元の白ワインを口にする。蒼髪の剣士が愛娘と微笑ましいやりとりをするのを、数多くの戦士達を視てきた黒曜石の瞳が値踏みして――何かを察したのか、彼は誰にも気付かれない感嘆の吐息を漏らし口元を緩めるのだった。
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