吸血鬼の狂気の牙がステフのうなじに迫ったその時!
――風よ! 数多の刃となって乱れ舞えッ
吸血鬼の気配を背後に感じた瞬間、ステフは意識を背後に集中させ、そこに乱れ舞う真空の刃をイメージした。
そのイメージは、強い精神波によって周囲の《活力》に働きかけ、現実の物理現象となる。
彼女の背後に不自然な風を生み、その風が唸って真空の刃を発し吸血鬼に襲いかかった。
「なにッ? ……うおおッ」
予期せぬ事態にサジヴァルドは驚愕し、慌てて背後に飛び退く。
その首筋と両頬に、鋭い刃物で切りつけたかのような傷がパックリと開き、赤い鮮血を滲ませた。
黒い外套の裾もぼろぼろに切り刻まれている。
「くッ……浅かった」
舌打ちしつつ、ステフは振り返り、よろめく吸血鬼を正面に見据えた。
「ク……クックックッ……いや、貴女には驚かされてばかりです。まさか、《超能力者》だったとは……。わたくしめも、初めてお目にかかりますよ。これが一握りの人間共が使うというサイキックですか……」
《超能力者》――。
それは、先天的な能力を開花させることが出来た者。
強力な精神波によって、《理力器》に頼らず自然界の《活力》に働きかけ、脳内のイメージを超常の物理現象として発現させる特殊な力、《サイキック》を扱える者である。
その《超能力者》の存在は、一千万人に一人いるかどうかという希少なものだが……。
「私にこの力が使えるのは、父や母のせいでしょうね。どうやらサイキックなら貴方にも有効のようだけど……あら? その身体、ちゃんと血液が流れていたんだ……結構、痛いのかしら?」
《衝撃銃》をホルスターに収めつつ軽口をたたきながら、彼女は目を細めた。
その視線の先で、サジヴァルドが不敵に笑う。
「クックック……サービスでお教えいたしますと、我らの身体は魔力を効率よく循環するためもあって血液はあるのです。生殖機能以外は貴女がた人間とあまり変わりませんよ……。そして……確かに単純な衝撃波などよりは、《活力》を根源から操ってくるその能力、この身を傷つけることも出来るでしょう。…………しかぁしィ!」
口の端をゆがめた吸血鬼の傷が、瞬時に癒えていく。
「……このとおぉりッ、月の《活力》が豊富な今宵……《風》などほとんど効きませんなぁ。クックックッ、残念でしたなぁ……貴女の《風》属性など、わたしめの前ではそよ風同然です」
勝ち誇るサジヴァルドは、識っていた。
人類の中でごく僅かに発生した《超能力者》……彼らは、確かに魔力や理力科学で《活力》を変換し生み出された物理現象とは異なり、魔力障壁などで防御しにくい奇跡を起こすことができる。
だだし、その力は一種類の属性に限定されると言われているのだ。
先ほどは不意を突かれたが、《風》に関してはサジヴァルドにとっては脅威ではない属性だった。
――魔力に冒されたこの肉体には、弱点となる属性も確かに存在するが、それ以外はあまり効果がないばかりか、逆にこちらの魔力を回復させることすらある。
悠然と立ちはだかる吸血鬼は、再び愉悦に口の端を歪ませるが、相対する《大佐殿》は不敵に笑って見せた。
「私のサイキック属性が《風》ですって? なに勘違いしてるんだか、この変態コウモリ男ッ」
――光よ! 不吉な闇を撃ち抜けッ
右手の人差し指で、サジヴァルドを指さすステフ、その指先から、まばゆい灼光が生まれ、緋色の弾丸となって、そのまま吸血鬼の肉体を撃ち抜いた。
目の前の少女から放たれた灼光の眩さに、薄笑いが凍り付く吸血鬼……そして、すぐに普段感じたことのない苦痛が胸元を襲う。
「ぐうぅぅぅぅッ……馬鹿なッ、光ィ?」
撃ち抜かれた胸部の傷を両手で押さえ、サジヴァルドはその表情を、苦痛と驚きを混ぜ合わせて歪ませる。
「フフッ……《サイコ・レイ》、やっぱさっきの風の《サイコ・ウインド》より光の方がお好みのようね。吸血鬼の弱点と言えば、《光》とか《清水》だものね」
眼前に人差し指を立てて、微笑する《大佐殿》。
その彼女に、苦痛に歪んだ表情のまま、吸血鬼が毒々しく疑問を投げかける。
「我々の弱点を識っているのは、父親達の知識か……。しかし、何故だぁ? 何故二種類も能力が使えるのだ? 情報通りならば、人間の《超能力者》は扱える能力が一種類の属性に限られるはず……」
吸血鬼のいうとおり、通常、《超能力者》は一つの属性のみに特化した力を発動し、他の属性は発現しないものと言われているのだが。
「申し訳ないけど、その質問の回答は持ち合わせていないわ。そうね……あえて推測するなら、『凄くいい女補正』ってとこかしら……あっ、もう回復してる。ホントにしぶといわ」
――輝く棘の檻!
ステフは、吸血鬼の周囲に、先ほど放った光よりもなお輝く光の棘、それを幾重にも編み合わせて造った檻をイメージする。
瞬間、発現した輝く棘の束が、吸血鬼の身体に巻き付き、彼を締め付けていった。
無数の灼光に全身を穿たれながら、サジヴァルドがくぐもった悲鳴と共に、夜露に濡れた草場へのたうち回る。
「それからね、さっき二種類の属性とか言ってたけど、それ、不正解」
――水よ! 不浄なる泥を洗い流せッ
弱点となる光の戒めに、のたうち回りつつも、傷ついた全身に魔力をたぎらせ、一気に傷を癒やそうとしていた吸血鬼だったが……。
その周囲の大気中に含まれる湿度が凝縮されて冷たい純水となり、彼の身体に雨のごとく降り注いだ。
純水……汚れ無い《清水》を全身に浴び、サジヴァルドはその魔力を、外套にこびり付いた草汁や泥と共に洗い流され失っていく。
そう、彼ら《魔竜人》が用いる《魔力》とは、活力を変質させる《穢れ》なのだ。
穢れなき清水は、少量といえどもその《穢れ》を洗い流す効果があり、その穢れたる《魔力》で肉体を維持している吸血鬼にとっては、肉体を融かす濃硫酸のようなものである。
「グゥオオオオオオッ……こッ……小娘ぇガぁぁぁぁッ」
大量の魔力を失い、光の棘に肌を醜く焼かれた吸血鬼は、先ほどまでの慇懃さを完全に失い、苦痛のあまり、断末魔に近い咆哮をあげる。
その姿を確認したステフは、
「今夜のところはこれまでよ」
と言い捨てて、苦しむ吸血鬼の脇を抜け、湖の方へと全力で駆けだしていた。
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