その背中は思っていたよりも大きくて、その身を任せてしまえる安心感があった。
ただし――
――やばいッ……コレ……ホント……ヤバイってばぁッ……。
未だ精神ジャミングの影響で、まるでほろ酔い状態のステフだったが。
密着する身体の前面は彼の背中の温もりが伝わり、剥き出しの太もも……割と付け根の方にダーンの両手が添えられて体重の一部を支えている。
昨夜、抱きかかえられたままアリオスの街に戻ってきたときは半分寝ていたし、そもそも、こんな風に身体を開いて密着などしていなかった。
しかも、このように大きく開脚するような姿勢で――
胸の鼓動はとんでもないことになっているし、なんか汗も滲む。
身体の芯がどんどん熱をもっていくようだ。
ダーンは、そんな少女の密かな盛り上がりなど気にもせずに、暗い山道をゆっくりと下っていく。
転移した場所は、ソルブライトの指摘通り、アーク王国西部に位置するエルモ市の近隣で、高さにして三百メライほどの小さな山の頂上にある施設だった。
その場のアテネとの時差は約九時間。
アテネのアリオスを旅立ったのは、午前九時前だったが、このアーク西部では既に日が暮れて夜の闇が迫りつつある。
山を下り、近隣とはいえエルモ市街までは、徒歩で三時間以上かかるとのことだったが、野宿するよりは街の方に移動し、宿を取ろうということとなって、現在移動中だ。
坂としては割とゆるやかだが、狭い山道を下っていくダーンの背中は、上下によく揺れて、その振動が逞しい背中から柔肌に伝わってくる。
――だからッ……今……揺れると……
精神ジャミングの影響は、ステフの精神をほろ酔い状態にさせていて、感覚は妙にふわふわと落ち着かず、身体の触覚も微かにしびれている状況で、自律神経が上手く機能していなかった。
そんな脆い状況で、ダーンの背中に密着している状況なのだ。
少女の本来、堅牢な理性の護りにある部分で、昂ぶった熱がその護りを蕩かしていく。
視界があやふやになり、呼吸が切羽詰まっていくと、まるでサウナにでもいるかのような感覚、そして、意識も途切れがちになる中、思春期的な熱がとんでもないことになってきていた。
――って……わっ……ヤッ……やめぇっ……ッ!
全身を強ばらせて、背後から抱きつくステフの腕がダーンの首に掛かって締め付けてくる。
「うぐっ……ステフ? ちょっと苦しいけど……って、なんか凄い汗なんだが、大丈夫か?」
首を圧迫してきた白い腕が、大量の汗を滲ませているのに気がつき、ダーンは問いかけてくる。
「……っ……う……ん……だいじょ……ぶ」
朦朧とする意識のなか、息も絶え絶えに応じるステフの吐息が、ダーンの耳たぶあたりに吹きかかる。
突然耳に吹きかかる感触に、ダーンは身震いしてしまうが、同時にその吐息の熱さに驚いた。
「ステフ……熱がないか?」
『心配はいりませんよ……ちょっと色々と脳に刺激がいきすぎてしまっただけのようですから。そのせいで意識も落ちましたが……このまま寝かせた方が私としても安心です』
ステフは意識を失ったようで、ダーンの背中でぐったりとし、かわりに契約者の状況を伝えてくるソルブライトだが、なんとなく呆れ声だった。
「問題なけりゃいいんだが……。その……実はステフから『やばい』とか『揺らすな』みたいな念話が聞こえたから、また俺が余分なコトしたのかと気になってさ」
ダーンの言葉に、ソルブライトが明らかに笑った。
『そう言えば、今あなた達は肌が触れあっていますものね……。咄嗟とはいえ強い念は伝わってしまいますか。そうですね……とりあえず、余分なことはしてないと思いますよ。まあ、先程のことを意図的にやっていたとしたら、あなたへの評価を改めなければならないですが」
「なんだよ? それ……」
随分と含みのある言い方をしてきたソルブライトに、ダーンはちょっと不機嫌に聞き直す。
『フフフッ……それこそ乙女の秘密ですよ、ダーン・エリン』
「なんか、あのアークの王立科学研究所のスレームさんと同じ様な感じだな……まあいいか」
なんとなく釈然としないが、ダーンは遠く眼下に見える街の明かりに向け、溜め息と共に再度歩を進め始めていた。
☆
少女がその背中の上で寝てしまったのは、今回が初めてではなかった。
もっとも、前回は随分昔のことだし、この背中はもっと小さくてこんなにも逞しくはなかったのだが。
それに、自分も同じように子供だったし、相手を男の子と意識することなど――訂正。
あの時も、その瞬間にこの背中を『男の背中』と認識したのだった。
当時、くじいた左足の痛みが気にならなくなるくらいに、その背中は小さくても暖かく、少女の胸にそれまで感じたことのない熱が芽生えたのを思い出す。
そうだ――
もう、誤魔化しようがない。
この熱は、幼く世間知らずだった子供の単なる突発的なものではなかった。
それだからこそ、少女は強く自分に誓いを立てる。
絶対に、自分から素直に想いを吐露しないと。
――必ず、この朴念仁を熱くさせてやるんだからッ!
☆
初夏の涼やかな夜風に身体の熱を奪われて、少女は軽く身震いする。
それでも、胸側から暖かな感触があって、極端に身体が冷えることはなかった。
なので、どちらかというと気分のいい目覚めだったのである。
『目を覚ましたようですね』
少女の胸元でソルブライトが言い、ダーンも背負った少女が目覚めたことに気がつく。
「ここは……ええっと……」
未だ寝ぼけ眼で周囲を見回し、街の明かりが目前にある事を認識。
さらに、自分がぴったりとダーンの背中に密着したまま寝てしまった事も認識し、再び羞恥で真っ赤になってしまう。
「その……もうすぐ街だ……あー、気分はどうだい?」
ちょっと照れくさそうにダーンがステフの体調を確認する。
「その……平気……ぜんっぜんっ平気だから……さすがにもう下ろして」
『意識レベルは正常です。どうやら精神波の妨害による影響はなくなったようですね』
ステフ本人と、ソルブライトの言葉に安堵し、ダーンはその場で姿勢を落とし、ステフを下ろそうとした。
その動きに合わせて、ステフも大地に立とうとするのだが……ふと、思い立つ。
背を向けている剣士は自分を背負ったまま、割と緩やかとはいえ夜の山道を下ってきた。
さらに、目の前に街の入り口があるということは、時間にして三時間以上、少女を背負い続けていた事になる。
もちろん、気恥ずかしさは最大だったが――
ここまで文句も言わずに背負ってくれた彼への感謝の思いと、幼かった頃に芽生えた以上に燃え上がってしまった熱が、その瞬間の少女を突き動かしていた。
姿勢を低くしたままのその背後から、彼の左の頬へと顔を寄せる。
「え……」
『あら……まあ!』
左の頬に感じた熱く柔らかな感触に、気の抜けた声を漏らすダーンと、妙に嬉しそうな驚きを漏らすソルブライト。
「か……感謝の印よッ。っていうか、あたしの専属のお馬さんになってくれたんだから、その分の報酬の上乗せみたいなモノよ。ちょっとサービスしすぎだけど、ありがたく思いなさい」
頬に口づけをした本人は、やはり頭頂部から噴火しそうな勢いで肌を紅潮させている。
『一応、言っておきますと……』
『セーフでしょッ! わかってるわよっ……それと、さっき色々盛り上がっていたのも何も問題ナシ! 以上!』
秘話状態でなにやら楽しそうに語りかけてきた神器の意志に、少女は同じく秘匿した念話でぶっきらぼうに言い返すと、一人、大股で街の方に歩き始めた。
ダーンは、やはり顔を赤らめていたものの、軽く笑って立ち上がり、彼女のあとを急ぎ追うのだった。
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