目の前に金属性の巨大な装置が、低いうねりをあげていた。そこは、潜水艦アルゼティルス号の機関室で、その広さは艦の四分の一を占める。
「ここね」
ステフは、機関のとある一角に設置された、金属製のハッチの前で足を止めた。そのすぐそばに、副官のダーンも随行している。
「ここが霊力炉か? 見たところ、主機関と構造的に繋がっているようだけど……」
ダーンのつぶやきに、ステフは頷く。
「元々、理力機関の補助システムとして設計していたからね。今も、炉心内で取り込んだ活力エネルギーを直接的に主機関に供給することが出来るはずよ」
『精霊王の力を機関に取り込むというのは、ステフの発想ではありませんでしたね』
ソルブライトが、念話にて二人の会話に加わってくる。
「うん、そうよ。これ考えたのカレリアだよ。この艦の設計は基本的にあたしがやったけど、機関とか武器に関しては、スレームやカレリアが中心に、王立科学研究所の企画7課がやってるの」
カレリアとは、ステフの双子の妹にあたる、アーク王国第二王女だ。ステフとは一卵性双生児だが、髪の色と瞳の色が違う。本来なら、体の特徴は全く同一となるのが一卵性双生児だが、彼女たちは霊的に大きな違いがあるとかで、その肉体に僅かな差異が生まれているらしい。
「それで、本当にやる気なのか?」
ダーンがステフの後方から肩に手を掛けて問いかける。その手に、ステフも自分の手を乗せて、少し甘えるように背後にいるダーンの胸元に背中をあずけた。
「うん。このままじゃ、いずれこの艦は沈むから。まさか、進水して二週間たらず、しかも初の実戦でここまで追い込まれるなんてね……」
自嘲気味に薄く笑って、ステフは目を伏せた。
世界一の理力科学技術を誇るアーク王国、その最新鋭技術を惜しむことなく投じたこの潜水艦は、あらゆる脅威に対応可能と信じていた。もちろん、その技術を有効に使いこなすため、世界中から優秀な乗員を選りすぐり、短い期間とはいえ、実戦に近い訓練も行ってきた。
戦闘が主とはならない任務というのもあって、今回のアスカ皇国への航海は、それほど危険を伴うとは思っていなかったのもあるが……。指揮官として、ステフは、自分の目論見が甘かったと恥じる。
「何も君一人の責任じゃないぞ。軍隊は組織なんだから、何もかもを君が背負うことは……」
「組織だからこそよ、ダーン。最高責任者が全ての責任を負うからこそ、強大な権限が与えられているの。わかるでしょ?」
ステフの言葉に、ダーンは押し黙る。確かに組織運用ならば、個々の兵士は指揮に従う限りその責任は組織にある。
しかし、ステフだけは別だ。
彼女自身が言うように、戦隊長という最高責任者ならば、その部隊の責任は彼女に帰結してしまう。
「だったら――今のうちに部下の俺がなんとかすればいいだけの話だな」
ステフの肩にかけた手に少し力が入る。
「ダーン? この期に及んで、貴方一人の行動が事態を変えることはないわよ。いくらなんでも、それは――」
「ご託は後にしてステフ、まずは炉心の中へ入ろう。俺もついていくからな」
「へ? 貴方も中に入るの?」
「ああ。この装置は実質、エナジードレインを機械的にやるようなものだ。精霊王の力を供給するのが目的とはいえ、最悪君の生命力を吸い取られることだって考えられる。その場合、強引にでもやめさせて炉心から連れ出さなきゃだからな」
ダーンはこの霊力炉を初めて見るが、この装置のことについては、ステフからではなくその妹のカレリアから説明を受けていた。精霊王の一柱、水神の姫君でもある彼女は、この装置の開発者でもあるわけなのだが、それが故にこの装置の危険性をも熟知している。
ダーンが説明を受けたのは、まさにその危険性についてだった。
『機械的に霊的エネルギーを吸い出すということには、私も危険を感じています。万が一の保険として、ダーンが一緒にいた方が良いでしょう』
ソルブライトも、ダーンの同行を推奨してきた。
「そこまで危険かはわからないけど、まあ万が一の時は期待してるわ。それにしても、わざわざ服装着替えさせたりとか、ソルブライトも随分慎重なのね?」
胸元のペンダントになっている神器、ソルブライトを見下ろしながら、ステフは少し怪訝な気分で問いかける。先程までは軍服だったが、この霊力炉心を使うと決めたときに、ソルブライトから、軍服姿ではリンケージに支障をきたすかもしれないとの忠告があったのだ。
そもそもリンケージとは、ステフが神器ソルブライトの機能を最大限活用するために、霊的に繋がることだ。これにより、ステフは精霊王の権能を一部利用することができる。その権能の一つに、リンケージ時のみ使用可能な《防護服》があった。
この防護服は、薄手の生地と一部金属製の防具を組み合わせたもので、ソルブライト曰く《神衣》の一つだそうだ。着心地は極めて軽く、動きやすいのだが、特殊な理力フィールドが全身を覆っており、あらゆる防具を凌駕する防護性を誇る。
『いつもの旅装の方が、私としても都合が良いのですよ』
「そういうものなの?」
『リンケージの際は、着ている服を素粒子レベルにまで分解して防護服の一部にするのですが、リンケージを終えて防護服から元の服に戻す際、記録していた構造を再現する高度な量子変換を必要とします。分解するよりも再構成する方が手間なのです。その旅装は以前リンケージしたときのもので、私もその構造を知り尽くしてますが、軍服となると一から解析しなければなりません。そして、今回はこの霊力炉で精霊王の力を奪われた場合、私の機能にも影響があるでしょうから、リンケージを終えた後の再構成に不具合が生じかねません。慣れていない軍服だと、もしかしたら、倫理的に極めて問題のあるお姿になるやもしれませんが――』
「わ、わかったわよっ!」
『ご理解いただけてなりよりです』
「あ。でも……その……」
ステフは何かに思い当たったらしく、ダーンの方に背中を向け、コソコソと胸元のソルブライトを手に持つと、『下着、新しいんだけど』と秘話状態の念話でソルブライト語りかける。
『ああ、それなら大丈夫ですよ。そのくらいはちゃんとすぐに補正して……え? ステフまた胸が大きくな……』
「うるさいわねッ」
『いいじゃないですか。というか、体重変わっていないようなのに、胸だけ大きくなるとか、どんなファンタジーですか?』
「うう……他には言わないでよ?」
胸だけ大きくなり、ウエスト他が引き締まるという事態は、数多の女性の羨むところである。妙な流布をされれば、部隊内の女性コミュニティに支障を来しかねない――というよりも、ステフは身の危険すら感じた。
『……男ができると身体がエロくなるというのは、本当だったのですね』
「し、しらないし! っていうか、エロいとか言わないでよ!」
『ダーンが何度か揉んだからですかね?』
「うー。そういうものなの?」
『真顔で聞かないでください。冗談ですよ』
ひとしきり秘話状態で揶揄われて、ステフはやきもきした気分のまま、目の前のハッチを開いた。もっとも、ステフの言葉だけ、小声とはいえすぐそばにいるダーンには聞こえていたが……。
「コホン、とにかく入るぞ。発令所でやってる撹乱工作がいつまでも通じるとは思えないしさ」
ダーンはステフの背中を押すようにして、一緒に霊力炉に入ろうとする。
彼の言うとおり、今は発令所でリーガル艦長が艦の指揮をとり、サジヴァルド少佐が特殊な術式を付近の海域に展開して、敵の目を撹乱していた。月神の権能を用いて、本艦以外にもいくつかの艦影があるように、誤魔化しているらしい。
「わ、わかったから、押さないでよ」
なんとなくそぞろな気分になりつつ、ステフはハッチをくぐって、炉心の中に入る。
その背後で、背中を押すダーンが、微かに口の端をつり上げたが、無垢な少女はそれに全く気付かなかった。
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